肖像

恵喜 どうこ

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親子の肖像

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 千佳が香奈枝をおびき出した――居ても立ってもいられず、挨拶も早々に梶山宅を辞そうとしたら、玄関先で梶山に「送りますよ」と声を掛けられた。

「いえ、それは……」
「車のほうが早いですから。それに……片山さんが急いで帰りたいのは千鶴子たちが関係しているからでしょう?」

 梶山は冷静に言った。隣に並ぶ咲子は胸のあたりで両手を握りしめて、じっと見つめている。

「でも……これ以上、梶山さんにご迷惑は掛けられません。俺が……勝手に話を聞きに来ただけなんですから」

 本来ならば梶山親子が千鶴子たちのその後について知ることはなかったのだ。この先もずっと知らないまま遠く離れた妻と子の幸せを祈りつづけていたはずだから。
 だが、梶山は固い表情を崩さずに「とにかく」と言った。

「車で話しましょう。時間が惜しい」

 梶山に言われるまま、彼が運転するランドクルーザーに乗りこんだ。高速道路を使えば、行きの半分の時間で戻ることができる。ただ、それでも時間がかかりすぎなくらいだ。
 こうして移動している間にも、香奈枝の身に危険が及んでいるのは間違いない。そうでなければ、どうして彼女を家に呼ぶ必要があるだろう。
 千佳の過去を知ってしまった今、安心はできない。どんな手段で彼女を傷つけるつもりなのか。想像が及ばないところも恐怖心を煽る。

――こんなことなら……

 こんなことなら、香奈枝にすべてを打ち明けるべきだった。それよりも彼女とふたりで話を聞きに来るべきだったのだ。そうすれば、彼女は千佳と距離を置いただろう。千佳と接触するにしても、ひとりで行動することはなかったろう。
 迂闊だったのだ。幼い子供だと高を括っていた。子供の残虐性を考えなかったわけではなかったはずなのに見誤った。

「片山さん。警察に連絡して、先にアパートに行ってもらいましょう。いくらなんでも警察が来たら、対応せざるを得ないはずだから」
「そ、そうですね」

 梶山の提案通り、すぐに一一〇通報する。事情を伝えると「一応行ってみる」と返答された。ただし、留守の場合はどうにもできないと断りを入れられた。話だけでは無断で踏み込めないというのだ。

「それでもいいですから! とにかく早く!」

 訪問したあとの報告を必ず返してもらえるように連絡先を伝えて電話を切った。汗がとまらないし、息が苦しい。車のエンジン音が空っぽの腹に響いてくる。長く、まっすぐに伸びた高速道路が地獄へのランウェイに思えてならない。耐え切れずにギリギリと親指を噛むと、爪先がへこっと曲がって千切れ、口の中に残った。
 警察からの折り返しの電話を待つ時間が長くて仕方なかった。まだなのか。本当に行ったのか。確認の電話をすべきか。悩みあぐねたあげくの果てにようやく電話が鳴った。通報してから二十分後のことだ。警察官は淡々とした調子で「特に問題ありませんでしたよ」と言った。

「連絡が取れなくなっている大宮香奈枝さんですが、無事でしたよ」
「無事! 本当に無事なんですね!」
「ええ。念のため、身分証明書も見せてもらいましたけど、大宮さんご本人でしたよ。それにね、彼女言ってましたよ。通報はなにかの間違いだって。あなたのお名前も出して訊いてみましたけどねえ。そんな人は知りませんって言われたんですよ。これ、どういうことです?」
「そんな! そんなはずない! 俺は彼女とつき合って――」
「それ、本当ですか? あなたの思い込みなんじゃありません?」

 警察は明らかに疑っている。言葉尻にトゲがある。まるで自分が彼女のストーカーかなにかであると言われているみたいだ。

「そのことについては、あとでちゃんと署に伺って証明します! それより、他に誰かと話をしませんでしたか? 千佳ちゃんのお母さんとか!」
「ああ、それね。お嬢ちゃんとは話しましたよ。『お母さんが包丁で指を切って、血が止まらなくてパニックになったから、とにかく急いで知っている人に来てもらったんだって。手当てをしてもらうためだった』って説明してくれて。あんな小さいのにしっかりしたもんでした」
「じゃあ、千佳ちゃんのお母さんとは! 会ったんですよね!」

 警察官は「いえ」と低い声で答えた。

「最近、調子がよくないところへ、無理して台所に立ったらしくて横になっていると言うから」
「い、家の中は、み、見なかったんですか!」
「そりゃあ見ていませんよ。玄関前で話しただけなんだから」

 警察官は不機嫌を隠しもせずにぶっきらぼうに返答した。

「玄関で話したんじゃないんですか?」
「基本、家の中にはよほどのことがないかぎり入りませんよ。今回は様子を見に行っただけだし。それにね、我々が到着したとき、部屋の前にふたりが立っていたんですよ。パトカーが来たから、なんだろうと思って出てきたと、かなり驚いていたしねえ。事件性も特に感じられないので引き上げました。まったく大袈裟すぎますよ。こっちも暇じゃあないんだから」

 それ以上、なにかを聞く気にはなれず、そのまま通話を切った。隣で息を潜めて成り行きを見守っていた梶山が「大丈夫です」と励ますように少し声のトーンを上げて言った。

「ひとまず彼女が無事だということは確認が取れましたし。少なからず、時間稼ぎができましたから」

 高速を降りた先の下道と合流する信号は赤だった。梶山はゆっくりとブレーキを踏みながら「それにしても」とこぼした。 

「どうして彼女はあなたのことを知らないと言ったのか、気になりますね」

 なぜ、そんなことを警察に言ったのか。
 なぜ、スマホの電源が切られているのか。
 なぜ、警察を遠ざけるようなことをしたのか。



 なぜ、なぜ、なぜなぜなぜなぜなぜなぜ……



「答えは彼女に直接聞きますかね」

 信号が青になった。梶山はゆっくりとアクセルを踏んだ。

――俺が行くまで、とにかく無事でいてくれよ!

 祈るように、固く両手を握りしめた。
 エアコンがよく効いた車内なのに、ワイシャツはじっとりと汗ばんでいた。 
 

 
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