24 / 28
親子の肖像
謎
しおりを挟む
千佳が香奈枝をおびき出した――居ても立ってもいられず、挨拶も早々に梶山宅を辞そうとしたら、玄関先で梶山に「送りますよ」と声を掛けられた。
「いえ、それは……」
「車のほうが早いですから。それに……片山さんが急いで帰りたいのは千鶴子たちが関係しているからでしょう?」
梶山は冷静に言った。隣に並ぶ咲子は胸のあたりで両手を握りしめて、じっと見つめている。
「でも……これ以上、梶山さんにご迷惑は掛けられません。俺が……勝手に話を聞きに来ただけなんですから」
本来ならば梶山親子が千鶴子たちのその後について知ることはなかったのだ。この先もずっと知らないまま遠く離れた妻と子の幸せを祈りつづけていたはずだから。
だが、梶山は固い表情を崩さずに「とにかく」と言った。
「車で話しましょう。時間が惜しい」
梶山に言われるまま、彼が運転するランドクルーザーに乗りこんだ。高速道路を使えば、行きの半分の時間で戻ることができる。ただ、それでも時間がかかりすぎなくらいだ。
こうして移動している間にも、香奈枝の身に危険が及んでいるのは間違いない。そうでなければ、どうして彼女を家に呼ぶ必要があるだろう。
千佳の過去を知ってしまった今、安心はできない。どんな手段で彼女を傷つけるつもりなのか。想像が及ばないところも恐怖心を煽る。
――こんなことなら……
こんなことなら、香奈枝にすべてを打ち明けるべきだった。それよりも彼女とふたりで話を聞きに来るべきだったのだ。そうすれば、彼女は千佳と距離を置いただろう。千佳と接触するにしても、ひとりで行動することはなかったろう。
迂闊だったのだ。幼い子供だと高を括っていた。子供の残虐性を考えなかったわけではなかったはずなのに見誤った。
「片山さん。警察に連絡して、先にアパートに行ってもらいましょう。いくらなんでも警察が来たら、対応せざるを得ないはずだから」
「そ、そうですね」
梶山の提案通り、すぐに一一〇通報する。事情を伝えると「一応行ってみる」と返答された。ただし、留守の場合はどうにもできないと断りを入れられた。話だけでは無断で踏み込めないというのだ。
「それでもいいですから! とにかく早く!」
訪問したあとの報告を必ず返してもらえるように連絡先を伝えて電話を切った。汗がとまらないし、息が苦しい。車のエンジン音が空っぽの腹に響いてくる。長く、まっすぐに伸びた高速道路が地獄へのランウェイに思えてならない。耐え切れずにギリギリと親指を噛むと、爪先がへこっと曲がって千切れ、口の中に残った。
警察からの折り返しの電話を待つ時間が長くて仕方なかった。まだなのか。本当に行ったのか。確認の電話をすべきか。悩みあぐねたあげくの果てにようやく電話が鳴った。通報してから二十分後のことだ。警察官は淡々とした調子で「特に問題ありませんでしたよ」と言った。
「連絡が取れなくなっている大宮香奈枝さんですが、無事でしたよ」
「無事! 本当に無事なんですね!」
「ええ。念のため、身分証明書も見せてもらいましたけど、大宮さんご本人でしたよ。それにね、彼女言ってましたよ。通報はなにかの間違いだって。あなたのお名前も出して訊いてみましたけどねえ。そんな人は知りませんって言われたんですよ。これ、どういうことです?」
「そんな! そんなはずない! 俺は彼女とつき合って――」
「それ、本当ですか? あなたの思い込みなんじゃありません?」
警察は明らかに疑っている。言葉尻にトゲがある。まるで自分が彼女のストーカーかなにかであると言われているみたいだ。
「そのことについては、あとでちゃんと署に伺って証明します! それより、他に誰かと話をしませんでしたか? 千佳ちゃんのお母さんとか!」
「ああ、それね。お嬢ちゃんとは話しましたよ。『お母さんが包丁で指を切って、血が止まらなくてパニックになったから、とにかく急いで知っている人に来てもらったんだって。手当てをしてもらうためだった』って説明してくれて。あんな小さいのにしっかりしたもんでした」
「じゃあ、千佳ちゃんのお母さんとは! 会ったんですよね!」
警察官は「いえ」と低い声で答えた。
「最近、調子がよくないところへ、無理して台所に立ったらしくて横になっていると言うから」
「い、家の中は、み、見なかったんですか!」
「そりゃあ見ていませんよ。玄関前で話しただけなんだから」
警察官は不機嫌を隠しもせずにぶっきらぼうに返答した。
「玄関で話したんじゃないんですか?」
「基本、家の中にはよほどのことがないかぎり入りませんよ。今回は様子を見に行っただけだし。それにね、我々が到着したとき、部屋の前にふたりが立っていたんですよ。パトカーが来たから、なんだろうと思って出てきたと、かなり驚いていたしねえ。事件性も特に感じられないので引き上げました。まったく大袈裟すぎますよ。こっちも暇じゃあないんだから」
それ以上、なにかを聞く気にはなれず、そのまま通話を切った。隣で息を潜めて成り行きを見守っていた梶山が「大丈夫です」と励ますように少し声のトーンを上げて言った。
「ひとまず彼女が無事だということは確認が取れましたし。少なからず、時間稼ぎができましたから」
高速を降りた先の下道と合流する信号は赤だった。梶山はゆっくりとブレーキを踏みながら「それにしても」とこぼした。
「どうして彼女はあなたのことを知らないと言ったのか、気になりますね」
なぜ、そんなことを警察に言ったのか。
なぜ、スマホの電源が切られているのか。
なぜ、警察を遠ざけるようなことをしたのか。
なぜ、なぜ、なぜなぜなぜなぜなぜなぜ……
「答えは彼女に直接聞きますかね」
信号が青になった。梶山はゆっくりとアクセルを踏んだ。
――俺が行くまで、とにかく無事でいてくれよ!
祈るように、固く両手を握りしめた。
エアコンがよく効いた車内なのに、ワイシャツはじっとりと汗ばんでいた。
「いえ、それは……」
「車のほうが早いですから。それに……片山さんが急いで帰りたいのは千鶴子たちが関係しているからでしょう?」
梶山は冷静に言った。隣に並ぶ咲子は胸のあたりで両手を握りしめて、じっと見つめている。
「でも……これ以上、梶山さんにご迷惑は掛けられません。俺が……勝手に話を聞きに来ただけなんですから」
本来ならば梶山親子が千鶴子たちのその後について知ることはなかったのだ。この先もずっと知らないまま遠く離れた妻と子の幸せを祈りつづけていたはずだから。
だが、梶山は固い表情を崩さずに「とにかく」と言った。
「車で話しましょう。時間が惜しい」
梶山に言われるまま、彼が運転するランドクルーザーに乗りこんだ。高速道路を使えば、行きの半分の時間で戻ることができる。ただ、それでも時間がかかりすぎなくらいだ。
こうして移動している間にも、香奈枝の身に危険が及んでいるのは間違いない。そうでなければ、どうして彼女を家に呼ぶ必要があるだろう。
千佳の過去を知ってしまった今、安心はできない。どんな手段で彼女を傷つけるつもりなのか。想像が及ばないところも恐怖心を煽る。
――こんなことなら……
こんなことなら、香奈枝にすべてを打ち明けるべきだった。それよりも彼女とふたりで話を聞きに来るべきだったのだ。そうすれば、彼女は千佳と距離を置いただろう。千佳と接触するにしても、ひとりで行動することはなかったろう。
迂闊だったのだ。幼い子供だと高を括っていた。子供の残虐性を考えなかったわけではなかったはずなのに見誤った。
「片山さん。警察に連絡して、先にアパートに行ってもらいましょう。いくらなんでも警察が来たら、対応せざるを得ないはずだから」
「そ、そうですね」
梶山の提案通り、すぐに一一〇通報する。事情を伝えると「一応行ってみる」と返答された。ただし、留守の場合はどうにもできないと断りを入れられた。話だけでは無断で踏み込めないというのだ。
「それでもいいですから! とにかく早く!」
訪問したあとの報告を必ず返してもらえるように連絡先を伝えて電話を切った。汗がとまらないし、息が苦しい。車のエンジン音が空っぽの腹に響いてくる。長く、まっすぐに伸びた高速道路が地獄へのランウェイに思えてならない。耐え切れずにギリギリと親指を噛むと、爪先がへこっと曲がって千切れ、口の中に残った。
警察からの折り返しの電話を待つ時間が長くて仕方なかった。まだなのか。本当に行ったのか。確認の電話をすべきか。悩みあぐねたあげくの果てにようやく電話が鳴った。通報してから二十分後のことだ。警察官は淡々とした調子で「特に問題ありませんでしたよ」と言った。
「連絡が取れなくなっている大宮香奈枝さんですが、無事でしたよ」
「無事! 本当に無事なんですね!」
「ええ。念のため、身分証明書も見せてもらいましたけど、大宮さんご本人でしたよ。それにね、彼女言ってましたよ。通報はなにかの間違いだって。あなたのお名前も出して訊いてみましたけどねえ。そんな人は知りませんって言われたんですよ。これ、どういうことです?」
「そんな! そんなはずない! 俺は彼女とつき合って――」
「それ、本当ですか? あなたの思い込みなんじゃありません?」
警察は明らかに疑っている。言葉尻にトゲがある。まるで自分が彼女のストーカーかなにかであると言われているみたいだ。
「そのことについては、あとでちゃんと署に伺って証明します! それより、他に誰かと話をしませんでしたか? 千佳ちゃんのお母さんとか!」
「ああ、それね。お嬢ちゃんとは話しましたよ。『お母さんが包丁で指を切って、血が止まらなくてパニックになったから、とにかく急いで知っている人に来てもらったんだって。手当てをしてもらうためだった』って説明してくれて。あんな小さいのにしっかりしたもんでした」
「じゃあ、千佳ちゃんのお母さんとは! 会ったんですよね!」
警察官は「いえ」と低い声で答えた。
「最近、調子がよくないところへ、無理して台所に立ったらしくて横になっていると言うから」
「い、家の中は、み、見なかったんですか!」
「そりゃあ見ていませんよ。玄関前で話しただけなんだから」
警察官は不機嫌を隠しもせずにぶっきらぼうに返答した。
「玄関で話したんじゃないんですか?」
「基本、家の中にはよほどのことがないかぎり入りませんよ。今回は様子を見に行っただけだし。それにね、我々が到着したとき、部屋の前にふたりが立っていたんですよ。パトカーが来たから、なんだろうと思って出てきたと、かなり驚いていたしねえ。事件性も特に感じられないので引き上げました。まったく大袈裟すぎますよ。こっちも暇じゃあないんだから」
それ以上、なにかを聞く気にはなれず、そのまま通話を切った。隣で息を潜めて成り行きを見守っていた梶山が「大丈夫です」と励ますように少し声のトーンを上げて言った。
「ひとまず彼女が無事だということは確認が取れましたし。少なからず、時間稼ぎができましたから」
高速を降りた先の下道と合流する信号は赤だった。梶山はゆっくりとブレーキを踏みながら「それにしても」とこぼした。
「どうして彼女はあなたのことを知らないと言ったのか、気になりますね」
なぜ、そんなことを警察に言ったのか。
なぜ、スマホの電源が切られているのか。
なぜ、警察を遠ざけるようなことをしたのか。
なぜ、なぜ、なぜなぜなぜなぜなぜなぜ……
「答えは彼女に直接聞きますかね」
信号が青になった。梶山はゆっくりとアクセルを踏んだ。
――俺が行くまで、とにかく無事でいてくれよ!
祈るように、固く両手を握りしめた。
エアコンがよく効いた車内なのに、ワイシャツはじっとりと汗ばんでいた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
怪物どもが蠢く島
湖城マコト
ホラー
大学生の綿上黎一は謎の組織に拉致され、絶海の孤島でのデスゲームに参加させられる。
クリア条件は至ってシンプル。この島で二十四時間生き残ることのみ。しかしこの島には、組織が放った大量のゾンビが蠢いていた。
黎一ら十七名の参加者は果たして、このデスゲームをクリアすることが出来るのか?
次第に明らかになっていく参加者達の秘密。この島で蠢く怪物は、決してゾンビだけではない。
機織姫
ワルシャワ
ホラー
栃木県日光市にある鬼怒沼にある伝説にこんな話がありました。そこで、とある美しい姫が現れてカタンコトンと音を鳴らす。声をかけるとその姫は一変し沼の中へ誘うという恐ろしい話。一人の少年もまた誘われそうになり、どうにか命からがら助かったというが。その話はもはや忘れ去られてしまうほど時を超えた現代で起きた怖いお話。はじまりはじまり
Catastrophe
アタラクシア
ホラー
ある日世界は終わった――。
「俺が桃を助けるんだ。桃が幸せな世界を作るんだ。その世界にゾンビはいない。その世界には化け物はいない。――その世界にお前はいない」
アーチェリー部に所属しているただの高校生の「如月 楓夜」は自分の彼女である「蒼木 桃」を見つけるために終末世界を奔走する。
陸上自衛隊の父を持つ「山ノ井 花音」は
親友の「坂見 彩」と共に謎の少女を追って終末世界を探索する。
ミリタリーマニアの「三谷 直久」は同じくミリタリーマニアの「齋藤 和真」と共にバイオハザードが起こるのを近くで目の当たりにすることになる。
家族関係が上手くいっていない「浅井 理沙」は攫われた弟を助けるために終末世界を生き抜くことになる。
4つの物語がクロスオーバーする時、全ての真実は語られる――。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ゾンビ発生が台風並みの扱いで報道される中、ニートの俺は普通にゾンビ倒して普通に生活する
黄札
ホラー
朝、何気なくテレビを付けると流れる天気予報。お馴染みの花粉や紫外線情報も流してくれるのはありがたいことだが……ゾンビ発生注意報?……いやいや、それも普通よ。いつものこと。
だが、お気に入りのアニメを見ようとしたところ、母親から買い物に行ってくれという電話がかかってきた。
どうする俺? 今、ゾンビ発生してるんですけど? 注意報、発令されてるんですけど??
ニートである立場上、断れずしぶしぶ重い腰を上げ外へ出る事に──
家でアニメを見ていても、同人誌を売りに行っても、バイトへ出ても、ゾンビに襲われる主人公。
何で俺ばかりこんな目に……嘆きつつもだんだん耐性ができてくる。
しまいには、サバゲーフィールドにゾンビを放って遊んだり、ゾンビ災害ボランティアにまで参加する始末。
友人はゾンビをペットにし、効率よくゾンビを倒すためエアガンを改造する。
ゾンビのいることが日常となった世界で、当たり前のようにゾンビと戦う日常的ゾンビアクション。ノベルアッププラス、ツギクル、小説家になろうでも公開中。
表紙絵は姫嶋ヤシコさんからいただきました、
©2020黄札
怖いお話。短編集
赤羽こうじ
ホラー
今まで投稿した、ホラー系のお話をまとめてみました。
初めて投稿したホラー『遠き日のかくれんぼ』や、サイコ的な『初めての男』等、色々な『怖い』の短編集です。
その他、『動画投稿』『神社』(仮)等も順次投稿していきます。
全て一万字前後から二万字前後で完結する短編となります。
※2023年11月末にて遠き日のかくれんぼは非公開とさせて頂き、同年12月より『あの日のかくれんぼ』としてリメイク作品として公開させて頂きます。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる