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母の肖像
3人目 娘 南田莉緒の供述
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うちのお母さんは半年前からおかしくなりました。その前からちょっと普通じゃなかったところはあったけど、あたしたちはなかよくやってたし、近所の人ともうまくやってました。
ひどくなったのはコロ丸に指を食いちぎられたのが原因ですよ、絶対。きっと変な病気をもらってしまったんです。そのせいで、お母さんは人間じゃなくなったんです。
あたしはお母さんが大好きだった。美人で、スタイルがよくて、オシャレで、家事が得意で、優しくて。とにかく理想の女性でした。よく一緒にショッピングにも行きました。クレープを食べたり、本屋さんをのぞいたり。洋服もかわいいのをたくさん選んでくれたし、あたしが落ち込んでいるときはリンゴたっぷりのアップルパイを作ってくれたし、おやつにドーナツやカップケーキを焼いてくれたりもしたんです。本当になにからなにまでできた完璧な母親だったんですよ、お母さんは。
それなのに、あの事件後、人が変わったようになってしまいました。あたしの制服をわざとしわにして、朝からニヤニヤ笑うんです。「こんなにしわだらけじゃ恥ずかしいわよね。本当にごめんなさいね」って意地の悪い顔で笑うんです。わたしが急いでアイロンをかけようと制服を取りあげると、お母さんはあたしの足に縋りついて「やらせない」と繰り返しました。お母さんの長い爪があたしのふくらはぎに食い込んで、血が滲んで、じくじく痛くなりました。あたしは「やめて!」と足を振りました。勢い余って、お母さんのお腹を蹴ってしまいました。
その瞬間、あたしはゾーッと鳥肌が立ちました。お母さんのお腹はまるでゴムのように膨らんでブヨブヨとあたしの足を押し返しました。急いで足を引っ込めました。お母さんはその場にもんどりうって、床の上をゴロゴロ転がりました。風船のようにパンパンに膨らんだ手足が何度も、何度も行ったり来たりしたのを、ガタガタ震えながら見つめることしかできませんでした。それからお母さんは「アハハハハ」と高笑いすると、ぬらっと立ち上がり、自室へ戻っていきました。そんなことが毎日繰り返されるんです。正直、生きた心地がしませんでした。
特に塾の迎えのときは地獄でした。家にいればまだ、お父さんやお兄ちゃんがいるからいいんですけど、お迎えとなるとふたりきり。お母さんはなぜかいつもきっかり十分遅れて迎えに来ます。ちゃんと時間も言っているのに、守ってくれないんです。あたしが塾の入り口で「今日も遅れたね」と言うと、決まって土下座をし始めます。
自分の髪の毛を掴んで「遅れてごめんなさい。ごめんなさい」と謝りながら、これでもか、これでもかと引き抜くんです。ブチブチと音を立てて、髪の毛がごっそり抜けていきます。あたしはお母さんに近づいて「もうやめて。遅れてきたのは許してあげるから」と肩をゆすぶりました。そうしてやっと顔を上げたお母さんの顔を見て、またゾーッと背筋が凍りました。お母さんは虚ろな目を向けて、ニヤッと笑いました。いつまでこんなことをがまんしたらいいのだろうかと思いながら、後部座席に座りました。とてもじゃないけど、助手席なんて怖くて座れませんでした。
そんなある日、学校から帰ると、いつも出迎えてくれるはずの猫のみいちゃんの姿が見えません。お母さんに聞いても「知らない」と言います。外に出ちゃったのかと思って、近所を探しましたが、みいちゃんは見つかりませんでした。三毛猫のすごくかわいい子だったので、もしかしたら誰かに連れていかれたのかもしれません。そんなことをお母さんに話すと「かわいそうね」とお母さんは涙をこぼしました。ああ、お母さんにもまだまともな感覚が残っているんだなとそのときはホッとしたものです。
でも、本当はそうじゃなかった。その日の夜のおかずはクリームシチューでした。いつになく、あたしのお皿のお肉だけが少なくて、こま切れでした。ひとすじ掬ってみたところで、あたしは自分の目を疑いました。肉に茶色の毛がくっついているんです。見たことがある茶色の毛でした。あたしは恐る恐るお母さんを見ました。そしてぎょっと目を見張りました。お母さんがじいっと観察するようにあたしを見ています。その目が「早く食べろ」と訴えてくるんです。
お父さんとお兄ちゃんが怪訝そうな目であたしを見ました。ふたりのお皿にはあたしとは違う、大きなお肉がゴロゴロ入っています。あたしは震える手でお肉を口に入れました。その瞬間のお母さんの笑顔は今も忘れません。あの、してやったりという意地悪で、恐ろしい笑顔。生まれて、まだたったの十四年だけど、その中で一番怖い笑顔でした。
だからとてもお肉は噛めなくて、ほほの奥にとどめたまま「このお肉はいつもと違うね」と訊きました。本当は訊くのも怖かった。だけど、そうせずにはいられなかった。お母さんは「そうなの! 莉緒はすごいわ! それはね、みいちゃんのお肉よ! 莉緒はみいちゃん大好きだったでしょう? みいちゃんも莉緒が大好きだったから、莉緒の体の栄養になれて喜んでいるわ」と得意げに言ったんです。
その場で吐きました。お腹の中にあるものをすべて吐いてしまいました。お父さんとお兄ちゃんが軽蔑するような目で見たけど、そんなのに構っていられませんでした。それ以来、お母さんの作るものは怖くて食べられなくなりました。学校の給食しか、あたしは安心して食べられなくなったんです。
もう一刻の猶予もない。病院へ連れていくべきだ――そう思いました。不意を突くために、一旦学校へ行くふりをして、忘れ物をしたと言って家へ戻りました。お母さんはちょうど出かけるところでした。戻ってきたあたしに少し驚いたようでしたが、すぐに「よかった」と喜びました。
「これから北村さんのうちのジョンを捕まえに行くから手伝って」
と、お母さんは言いました。
「なにするの?」と問うと、お母さんは肩から下げたエコバッグから鉈を取り出して「肉を調達しに行くの」とゲタゲタと笑いました。それを聞いた瞬間、目の前が真っ暗になりました。体が石のように固まりました。それなのに心臓だけはバクバクと忙しく鼓動します。耳の奥がじんじんしました。ここで止めなかったら、本当にジョンを殺してしまうだろう。そしてその肉を食卓に出すにちがいないと、感じました。だって、みいちゃんの件があります。あんなにかわいがっていたのに――お母さんはさらに言いました。
「赤犬はね、とっても美味しいらしいのよ。韓国でも中国でも、田舎のほうだと犬を食べるらしいの。だから日本で食べちゃいけないってことじゃないと思うの。ほら、北村さんちのジョン、若くて、ちょうど脂が乗っている感じがするでしょう? あれは柴犬だったかしら? 十キロくらいあるって聞いたから、家族四人なら充分よね。ねえ、莉緒はなにがいい? ステーキ? それとも卵といっしょに煮ようか?」
もう絶望的でした。お母さんは鉈の刃を見て、ニヤニヤ笑っています。家族が喜ぶと信じて疑っていない狂人の顔でした。そのとき、確信したんです。今は動物だけど、そのうち家族のためなら人をも殺してしまうだろうって。人? 違う。家族ですら殺しかねない。そんな気味の悪さがあったんです。
あたしは覚悟を決めました。ふうっと大きく深呼吸したあと「手伝わない」ときっぱりと断りました。「お母さんの作ったものなんて気持ち悪すぎて食べらんない」とハッキリと言ってやりました。お母さんはハッとしたみたいに目を見開いて、あたしを見ました。笑みが消えて、能面みたいなペラペラな顔に取って代わりました。
「やっぱり反抗するのね。思う通りにはいかないわ」
そう言うと、お母さんは鉈を振り下ろしてきました。とっさに上がり框を駆けあがってかわすと、お母さんの背中側に回り込みました。それからすぐにブクブクに膨らんだ背中に体当たりしました。するとお母さんは「ぎゃあああ」と叫び声をあげて三和土に前のめりに倒れました。鉈を持っていたから、手をつけなくて、顔面から三和土にぶつかったので、ぶちゅっと嫌な音が耳につきました。お母さんはなかなか立ち上がれなくて、ジタバタしています。ここまでは上手くいきました。あとは自由を奪えばいいだけです。
あたしは周りを見回しました。すると靴箱の上に白いビニール紐の束を見つけました。これで縛ろうと手を伸ばし たときです。玄関の扉が開いたんです。伸ばした手をとっさに背中に回しました。
入ってきたのはお父さんとお兄ちゃんでした。彼らは驚いたようにあたしとお母さんを見ました。するとお父さんがもがもがと動くお母さんから、慌てて鉈を取りあげました。お兄ちゃんが靴箱の上のビニール紐でお母さんの手首と足首を縛りました。
「莉緒! なにをグズグズしているんだ! エコバッグを片付けなさい!」
お父さんに言われて、すぐに三和土に落ちているエコバッグを拾いました。拾ってみて、愕然としました。バッグの中にはまだ、むき出しの包丁が入っていたんです。牛刀と言われるものです。ああ、お母さんは本当にジョンを殺して捕まえるつもりだったんだ――あたしは震える手に包丁を構えました。ためらっちゃいけない。ここであたしがやらなければ、誰がお母さんをとめられるだろう――そう、強く、強く思いました。
手首と足首を縛られたお母さんは、ぎゃあぎゃあ叫んでいます。「こんなことをしてタダで済むと思うな」「おまえらも同じ目に遭わせてやる」「この鬼畜たちが!」というお母さんの罵声が家中を震わせるようでした。
あたしはグッと包丁の柄を握りしめると「はああっ」と声を上げて、上がり框を蹴り上げてジャンプしました。お母さんの背中に馬乗りになって、何度も、何度も包丁で突き刺しました。「やめろ、莉緒! 死んでしまう!」「こんなことしちゃいけない!」とお父さんとお兄ちゃんが止めようとしましたが、それを振り払って刺し続けました。
どれくらいそうしていたか、気が付くとお母さんは死んでいました。三和土は真っ赤な血の海になっています。あたしは包丁を持ってフラフラと立ち上がりました。お父さんとお兄ちゃんがあたしを抱きしめて「莉緒は悪くないよ」「つらかったよな」って、泣いてくれました。
お父さんが鉈でお母さんの手首の紐を、お兄ちゃんがあたしから取り上げた包丁で足首の紐を切りました。そうしてお母さんの死体を廊下に放置して、あたしたちは家を出ました。それぞれ、行くべき場所に向かいました。家の前で誰かとすれ違ったような気がしますけど、誰だったか覚えてません。
これが事件の真相です。あたしがすべてやりました。犯人はあたしです。お父さんとお兄ちゃんは殺害には関与していません。ふたりは大した罪に問われませんよね?
ひどくなったのはコロ丸に指を食いちぎられたのが原因ですよ、絶対。きっと変な病気をもらってしまったんです。そのせいで、お母さんは人間じゃなくなったんです。
あたしはお母さんが大好きだった。美人で、スタイルがよくて、オシャレで、家事が得意で、優しくて。とにかく理想の女性でした。よく一緒にショッピングにも行きました。クレープを食べたり、本屋さんをのぞいたり。洋服もかわいいのをたくさん選んでくれたし、あたしが落ち込んでいるときはリンゴたっぷりのアップルパイを作ってくれたし、おやつにドーナツやカップケーキを焼いてくれたりもしたんです。本当になにからなにまでできた完璧な母親だったんですよ、お母さんは。
それなのに、あの事件後、人が変わったようになってしまいました。あたしの制服をわざとしわにして、朝からニヤニヤ笑うんです。「こんなにしわだらけじゃ恥ずかしいわよね。本当にごめんなさいね」って意地の悪い顔で笑うんです。わたしが急いでアイロンをかけようと制服を取りあげると、お母さんはあたしの足に縋りついて「やらせない」と繰り返しました。お母さんの長い爪があたしのふくらはぎに食い込んで、血が滲んで、じくじく痛くなりました。あたしは「やめて!」と足を振りました。勢い余って、お母さんのお腹を蹴ってしまいました。
その瞬間、あたしはゾーッと鳥肌が立ちました。お母さんのお腹はまるでゴムのように膨らんでブヨブヨとあたしの足を押し返しました。急いで足を引っ込めました。お母さんはその場にもんどりうって、床の上をゴロゴロ転がりました。風船のようにパンパンに膨らんだ手足が何度も、何度も行ったり来たりしたのを、ガタガタ震えながら見つめることしかできませんでした。それからお母さんは「アハハハハ」と高笑いすると、ぬらっと立ち上がり、自室へ戻っていきました。そんなことが毎日繰り返されるんです。正直、生きた心地がしませんでした。
特に塾の迎えのときは地獄でした。家にいればまだ、お父さんやお兄ちゃんがいるからいいんですけど、お迎えとなるとふたりきり。お母さんはなぜかいつもきっかり十分遅れて迎えに来ます。ちゃんと時間も言っているのに、守ってくれないんです。あたしが塾の入り口で「今日も遅れたね」と言うと、決まって土下座をし始めます。
自分の髪の毛を掴んで「遅れてごめんなさい。ごめんなさい」と謝りながら、これでもか、これでもかと引き抜くんです。ブチブチと音を立てて、髪の毛がごっそり抜けていきます。あたしはお母さんに近づいて「もうやめて。遅れてきたのは許してあげるから」と肩をゆすぶりました。そうしてやっと顔を上げたお母さんの顔を見て、またゾーッと背筋が凍りました。お母さんは虚ろな目を向けて、ニヤッと笑いました。いつまでこんなことをがまんしたらいいのだろうかと思いながら、後部座席に座りました。とてもじゃないけど、助手席なんて怖くて座れませんでした。
そんなある日、学校から帰ると、いつも出迎えてくれるはずの猫のみいちゃんの姿が見えません。お母さんに聞いても「知らない」と言います。外に出ちゃったのかと思って、近所を探しましたが、みいちゃんは見つかりませんでした。三毛猫のすごくかわいい子だったので、もしかしたら誰かに連れていかれたのかもしれません。そんなことをお母さんに話すと「かわいそうね」とお母さんは涙をこぼしました。ああ、お母さんにもまだまともな感覚が残っているんだなとそのときはホッとしたものです。
でも、本当はそうじゃなかった。その日の夜のおかずはクリームシチューでした。いつになく、あたしのお皿のお肉だけが少なくて、こま切れでした。ひとすじ掬ってみたところで、あたしは自分の目を疑いました。肉に茶色の毛がくっついているんです。見たことがある茶色の毛でした。あたしは恐る恐るお母さんを見ました。そしてぎょっと目を見張りました。お母さんがじいっと観察するようにあたしを見ています。その目が「早く食べろ」と訴えてくるんです。
お父さんとお兄ちゃんが怪訝そうな目であたしを見ました。ふたりのお皿にはあたしとは違う、大きなお肉がゴロゴロ入っています。あたしは震える手でお肉を口に入れました。その瞬間のお母さんの笑顔は今も忘れません。あの、してやったりという意地悪で、恐ろしい笑顔。生まれて、まだたったの十四年だけど、その中で一番怖い笑顔でした。
だからとてもお肉は噛めなくて、ほほの奥にとどめたまま「このお肉はいつもと違うね」と訊きました。本当は訊くのも怖かった。だけど、そうせずにはいられなかった。お母さんは「そうなの! 莉緒はすごいわ! それはね、みいちゃんのお肉よ! 莉緒はみいちゃん大好きだったでしょう? みいちゃんも莉緒が大好きだったから、莉緒の体の栄養になれて喜んでいるわ」と得意げに言ったんです。
その場で吐きました。お腹の中にあるものをすべて吐いてしまいました。お父さんとお兄ちゃんが軽蔑するような目で見たけど、そんなのに構っていられませんでした。それ以来、お母さんの作るものは怖くて食べられなくなりました。学校の給食しか、あたしは安心して食べられなくなったんです。
もう一刻の猶予もない。病院へ連れていくべきだ――そう思いました。不意を突くために、一旦学校へ行くふりをして、忘れ物をしたと言って家へ戻りました。お母さんはちょうど出かけるところでした。戻ってきたあたしに少し驚いたようでしたが、すぐに「よかった」と喜びました。
「これから北村さんのうちのジョンを捕まえに行くから手伝って」
と、お母さんは言いました。
「なにするの?」と問うと、お母さんは肩から下げたエコバッグから鉈を取り出して「肉を調達しに行くの」とゲタゲタと笑いました。それを聞いた瞬間、目の前が真っ暗になりました。体が石のように固まりました。それなのに心臓だけはバクバクと忙しく鼓動します。耳の奥がじんじんしました。ここで止めなかったら、本当にジョンを殺してしまうだろう。そしてその肉を食卓に出すにちがいないと、感じました。だって、みいちゃんの件があります。あんなにかわいがっていたのに――お母さんはさらに言いました。
「赤犬はね、とっても美味しいらしいのよ。韓国でも中国でも、田舎のほうだと犬を食べるらしいの。だから日本で食べちゃいけないってことじゃないと思うの。ほら、北村さんちのジョン、若くて、ちょうど脂が乗っている感じがするでしょう? あれは柴犬だったかしら? 十キロくらいあるって聞いたから、家族四人なら充分よね。ねえ、莉緒はなにがいい? ステーキ? それとも卵といっしょに煮ようか?」
もう絶望的でした。お母さんは鉈の刃を見て、ニヤニヤ笑っています。家族が喜ぶと信じて疑っていない狂人の顔でした。そのとき、確信したんです。今は動物だけど、そのうち家族のためなら人をも殺してしまうだろうって。人? 違う。家族ですら殺しかねない。そんな気味の悪さがあったんです。
あたしは覚悟を決めました。ふうっと大きく深呼吸したあと「手伝わない」ときっぱりと断りました。「お母さんの作ったものなんて気持ち悪すぎて食べらんない」とハッキリと言ってやりました。お母さんはハッとしたみたいに目を見開いて、あたしを見ました。笑みが消えて、能面みたいなペラペラな顔に取って代わりました。
「やっぱり反抗するのね。思う通りにはいかないわ」
そう言うと、お母さんは鉈を振り下ろしてきました。とっさに上がり框を駆けあがってかわすと、お母さんの背中側に回り込みました。それからすぐにブクブクに膨らんだ背中に体当たりしました。するとお母さんは「ぎゃあああ」と叫び声をあげて三和土に前のめりに倒れました。鉈を持っていたから、手をつけなくて、顔面から三和土にぶつかったので、ぶちゅっと嫌な音が耳につきました。お母さんはなかなか立ち上がれなくて、ジタバタしています。ここまでは上手くいきました。あとは自由を奪えばいいだけです。
あたしは周りを見回しました。すると靴箱の上に白いビニール紐の束を見つけました。これで縛ろうと手を伸ばし たときです。玄関の扉が開いたんです。伸ばした手をとっさに背中に回しました。
入ってきたのはお父さんとお兄ちゃんでした。彼らは驚いたようにあたしとお母さんを見ました。するとお父さんがもがもがと動くお母さんから、慌てて鉈を取りあげました。お兄ちゃんが靴箱の上のビニール紐でお母さんの手首と足首を縛りました。
「莉緒! なにをグズグズしているんだ! エコバッグを片付けなさい!」
お父さんに言われて、すぐに三和土に落ちているエコバッグを拾いました。拾ってみて、愕然としました。バッグの中にはまだ、むき出しの包丁が入っていたんです。牛刀と言われるものです。ああ、お母さんは本当にジョンを殺して捕まえるつもりだったんだ――あたしは震える手に包丁を構えました。ためらっちゃいけない。ここであたしがやらなければ、誰がお母さんをとめられるだろう――そう、強く、強く思いました。
手首と足首を縛られたお母さんは、ぎゃあぎゃあ叫んでいます。「こんなことをしてタダで済むと思うな」「おまえらも同じ目に遭わせてやる」「この鬼畜たちが!」というお母さんの罵声が家中を震わせるようでした。
あたしはグッと包丁の柄を握りしめると「はああっ」と声を上げて、上がり框を蹴り上げてジャンプしました。お母さんの背中に馬乗りになって、何度も、何度も包丁で突き刺しました。「やめろ、莉緒! 死んでしまう!」「こんなことしちゃいけない!」とお父さんとお兄ちゃんが止めようとしましたが、それを振り払って刺し続けました。
どれくらいそうしていたか、気が付くとお母さんは死んでいました。三和土は真っ赤な血の海になっています。あたしは包丁を持ってフラフラと立ち上がりました。お父さんとお兄ちゃんがあたしを抱きしめて「莉緒は悪くないよ」「つらかったよな」って、泣いてくれました。
お父さんが鉈でお母さんの手首の紐を、お兄ちゃんがあたしから取り上げた包丁で足首の紐を切りました。そうしてお母さんの死体を廊下に放置して、あたしたちは家を出ました。それぞれ、行くべき場所に向かいました。家の前で誰かとすれ違ったような気がしますけど、誰だったか覚えてません。
これが事件の真相です。あたしがすべてやりました。犯人はあたしです。お父さんとお兄ちゃんは殺害には関与していません。ふたりは大した罪に問われませんよね?
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