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第一章 学園編

第27話 聖女の過去と夢 ~辞めたいの

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 エリザ様は困ったようにタメ息をつかれた。

「どうしたものかしら……」

 うつむきながら、ずうずうしいと思われないか心配しつつ口を開く。

「あ、あの、一度、お手本を見せていただけないでしょうか」
「そうね、百聞は一見にしかず。まずわたくしがやってみましょう」

 エリザ様は老女のヒザに両手をかざして私の方を見た。

「治癒魔法のとき、自分の手は光の癒やしの手で、それが患者の悪いところに伸びていく。そこへ魔力を注ぎ込む。そんなふうにイメージしています」

 エリザ様の手からでる柔らかな金色の光がふくらみ、老女のヒザを包んだ。

 感じる。
 ソフィア様の水龍のときと同じように、エリザ様の体内のマナの流れと魔力への変換。
 力が大きい分だけはっきりと理解できる。

「わかった……」

 思わず口から出てしまった一言をエリザ様は聞き逃さなかった。

「あら、早いわね。では、続きをやってみて」

 あらためて両手の手の平を老女のヒザにかかげて魔方陣を浮かび上がらせる。
 今度は伸びていく自分の両手に魔力を流すようにイメージする。
 光は手から前に伸びていって、老女のヒザを包み込んだ。

「そうよ、そんな感じ。次に悪いところを感じてみて。ヒザの痛みは関節の周りの筋肉に問題があるのがほとんどです」

 この辺かな?
 骨の横の肉が傷んでいるのが感じられ、イメージが浮かんでくるので魔法をそこに作用させる。

「ありゃ、痛くなくなったよ」

 治療が終わって光が消えたとき、老婆はそう言ってピョンとベッドから飛び降りた。

「ありがとよ、お若い聖女さん」

 手を振って去って行く老女を見送り、私はホッとタメ息をついた。
 忘れないうちに書いてておこうと、家から持ってきたノートにペンを走らせる。

 エリザ様が不思議そうにノートをのぞき込まれたのに気がついた。

「せっかく教えていただいてるので、忘れないように書いておこうと思いまして」
「とてもいいことね。患者の症状を見て、どこが悪いかが想像できれば、魔力をそこに集中できます。だから治癒魔法の上達には経験が必要なのです」

 だから、たくさんの患者さんを準備してくれてるんだ。

「今日はあと二十九人いますから、書いておかないと確かに忘れてしまいそうね」

 そう言ってエリザ様はにっこりと微笑まれた。

 あと二十九人……。
 思わずめまいを感じた。


 午前中の十人の治療を終えて、フロレス先生のご自宅でライルさんやシオンも一緒に昼食をごちそうになった。

「フロレス先生は、産まれたときに私を取り上げてくれた先生なんですよ」

 エリザ様は隣に座るフロレス先生を見ながらそう言った。
 だけど、どう見てもここは侯爵家が使うような病院じゃない。

「私の母はラヴォワール侯爵家のメイドでした」

 となりのライルさんが心配そうに声を掛けた。

「エリザ様、よろしいのですか?」
「ええ、アンジェには知っておいて欲しいから」

 そう言われた私は、思わず背筋を伸ばしてエリザ様を見た。

「母は当時令息だった父と関係を持って私を身ごもりましたが、ラヴォワール侯爵が許さず、命を狙われた母は屋敷から逃げ出しました。
 しかし、身重でろくに働けず、この貧民街に流れ着いてフロレス先生に出会って働かせてもらい、私を産みました」

 全く想像もできない身の上話に食事の手を止めて聞き入った。

「私が十歳のとき、母は流行病で亡くなりましたが、一生懸命に治ってと祈ったせいか簡単な治癒魔法が使えるようになり、それがラヴォワール家の知るところになって十二歳の時に突然お迎えが来ました。
 『あなたは実は侯爵令嬢なのです』って」

 そう言ってエリザ様は皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「母親もろとも殺そうとした子供が光魔法の使い手と知って、手の平返して迎えに来るんですから笑っちゃいましたよ」

 それでも今、侯爵令嬢になっているということは……、

「でも、お許しになられたんですか?」

 思わず聞いてしまった私を隣からシオンがヒジでつついてきた。

「す、すみません……」
「いい質問です。もちろん許してはいません。ただ、そのころ祖父はもう死んでおり、父は母殺しの企みは知らずに私たちは死んだと聞かされていたそうで恨むことはやめました」

 そう言ってエリザ様はニッコリ笑う。

「なによりも侯爵家のお金は魅力的でしたから」

 はっ?

「もらったおこづかいや、父のご機嫌取りで私にくれたプレゼントを売ったお金をここに持ってきて、使ってくださいと先生にお願いしました。子供ながらの恩返しですね」

 フロレス先生が昔を懐かしむような笑顔を浮かべた。

「おかげで助かった人たちがたくさんいたよ。今も診療所の立派な設備や良い薬があるのは、エリザのおかげさ。ここだけじゃなく、東、西、南、全ての貧民街の診療所がおせわになってるの」
「聖女の高給のおかげですわ」

 笑っていたエリザ様が真顔になって私を見た。

「でもね、アンジェ、私は聖女をすぐにでも辞めたいのです」

 えっ?

「そして、医学を学びたいの。治癒魔法は素晴らしいですが、医学と組み合わせれば可能性が広がって、もっと多くの人を救えると思うのです」

 すごいなあ……。
 エリザ様は聖女なのに、まだ夢と目標を持ってるんだ。
 それにひきかえ、私は……。

「学校に行ってゼロから勉強なので早いほどいいのですが、後任がいないという理由で認められません」

 エリザ様ほどの光魔法の使い手はいないし、今ですら、水の聖女不在だから光の聖女もいなくなったら王立聖女隊は解散同然。
 簡単に認められるはずがない。

「後任の方が早くみつかるといいですね」

 エリザ様の夢を応援したいと思って心からそう言った。

「ええ、そうね。ありがとう」

 そういって私に笑いかけてくれたが、その目は笑っていないようにも見えた。


 午後の部が始まり、次々に患者さんを診ていく。

 腰痛、眼病、頭痛、下痢、化膿した傷……。
 色々な病気を診て治癒していく。

 どうするのかわからないときは、エリザ様が治し方のポイントを説明してくれる。
 上手くいかないときは手本を見せてくれる。
 症状毎に注意点と魔法のコツなどを書き込んでいったノートが三冊目になった。


 今日の授業は終了となり、外に出ると薄暗くなっていた。

「それじゃあ、明日は東広場の噴水前で集合しましょう」

 明日は東地区の貧民街の診療所で同じことをやるらしい。


 その日にエリザ様から習ったことをシオンと一緒に魔力を増大させながら家で復習する。
 翌日、同じような症状の患者さんがいれば学習の成果を確認する。

 そんな一日を四日間くり返した。

 最終日の五日目にはフロレス先生の診療所に戻ってきたが、エリザ様はほとんど黙って見ているだけになっていた。


 最後の一人の治療を終えると、エリザ様に言われた。

「治癒魔法について私が教えることはもうありません。明日はがんばってくださいね」

 ああ、そうだった。
 これってカリーナとの『決闘』に備えての特訓だった。
 だけど、もう、どうでもいいことのように思えてしまう。

「あの、エリザ様」

 一昨日ぐらいから考え始めたことを思い切って言ってみる。

「私だけで、ここに来てフロレス先生のお手伝いをしてもかまわないでしょうか? せっかく、いろいろ教えていただいたんで、どんどん使っていきたいんです」

 この五日間で三百、いや四百人近くの人を治療して、みんなに「ありがとう」と言ってもらえた。
 私の力が誰かの役に立つんだと実感せずにはいられなかった。

「もちろん大歓迎よ! 先生もきっと喜ぶわ」

 エリザ様はうれしそうに笑って私の両手を握った。

「多くの人を助けるのは、光の加護を持つ私たちの役目だと思っています。アンジェがわかってくれて、とても嬉しいわ」

 そう言うエリザ様にギューと抱きしめられ、優しい甘い香りに包まれた。

 もしも聖女になれるなら、エリザ様のような聖女になりたいな……。
 そんな途方もないことを考えてしまった。


 荷車に乗って帰る途中、これからも診療所でみんなを治療していきたいという話をシオンにしてみた。

「それは素晴らしいことですね。私もあの地区での新しい事業を思いつきました」

 楽しそうに話すシオンを見て思い出した。
 もともとシオンは商売人だった。
 あれ? もともとは執事だっけ?
 それとも暗黒魔法騎士とかなんかだっけ?
 もう何ヶ月も一緒にいるけど、私はシオンのことをよくわかってないのに気づいた。

◇◆◇

 そして決闘の当日を迎えた。

 カリーナが指定した場所はこの国では王立病院に次ぐ大病院。
 何人かの貴族が出資して運営されており、カリーナの父、フィエルモント伯爵もその一人だそうだ。

 魔法学科の学生が治癒魔法の練習を兼ねてボランティアによく行く病院だった。


 シオンと馬車に乗って正門を入っていくと、建物の前に立つ美しい姿の二人の女性を中心に人だかりができていた。

「おや、なんでしょうね?」

 そばに巨体のライルさんの姿が見えるので誰だかすぐにわかった。

「エリザ様とソフィア様だわ」
「まわりにいるのは新聞記者のようですね」

 誰が呼んだんだろう?
 生徒同士のケンカが、ずいぶんおおごとになっている……。

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