猫被り姫

野原 冬子

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4、ロングギャラリー、再び

お家騒動、決着(下の中)

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 ———クリスティアナは、その静かな決意に満ちた穏やかなレオナルドの、どこか吹っ切れたような笑顔を真っ直ぐに見下ろす。

 祖父オーウェンの若かりしころの姿は、きっとこの叔父にそっくりだったのでは。そう思うと、逞しい腕に抱き上げられていることが、くすぐったくて。醒め切っているはずの心が温められるような気がした。

そのすべてが、グリンガルドの当主として相応しい人。

王太子殿下には申し訳ないが、叔父はグリンガルドが頂戴する。
というか、実はもう、頂戴しちゃっているのだけれど。

 クリスティアナが小さく笑むと、その表情は、小さなオーウェンであり、小さなレオナルドのように周囲には映っただろう。


「では遠慮なく、レオナルド叔父様」
クリスティアナはうっそりと、その美しい笑みを深めた。

「まず、あの蠱毒の魔ムカデは可能な限り拘束を試みます。請願者への呪詛返しを防ぐため、処分は致しません」

 そう静かに宣言し、壁際に転がされているはずのジョエルの方角を見る。と、ちょうど、開かれた隠し扉の内側に5人の従者が吸い込まれて扉が音もなく閉じたところだった。陰で働くジュードのお仕事である。

 ちなみに、今朝方、控え室で安眠を貪っていた5人の傭兵をサクッと排除して、3隊長が連れてきた各部隊員の庭への配置を円滑にしたのも、グリンガルド騎士団諜報部隊のエースのお仕事だった。

 「元王都代理には王命で賜った宣告を伝達しなければなりません。正気を保っていていただかなくては。ラウル叔父、こちらへお連れして下さい。バートランド卿は王太子殿下の護衛に回って下さい」


 当主クリスティアナの指示でグリンガルドの家臣が、決着へ向かって動き出す。


「グレン、術の定着は?」
「はっ、えげつないほどしっかりと定着しているなぁ」

 グリンガルド一の魔法の達人の、4年経ってもブレないグレン隊長の喧嘩腰にクリスティアナは笑ってしまう。魔法LOVEに尖ったグレンと魔術特化型のクリスティアナとの犬猿の仲良し関係は今後も継続決定だ。

「拘束魔術を解除します。あとは貴方の魔法でよろしく。エリック師匠はグレンに合流して念の為、物理での拘束もお願いします。その呪術師は生きたまま、王宮へ引き渡さなければなりません」

「了解」とエリックが動けば、グレンは鼻の頭に皺を寄せて「死に損なってんじゃねぇぞバカお嬢め。なんでもやってやるから、とっとと決着をつけて寝ろ」と是の意思を伝えてきた。

 モーリスの後ろに立つクリスティアナ命の侍女エマが、そんなやんちゃな夫に鋭く尖った氷柱のような視線を突き刺し、夫グレンがぐさっと胸を押さえて青ざめるまでが、微笑ましい、グリンガルドのデフォである。



「ああ、ジョエル! ジョエル!!! あなた、お願いよっ 目を開けてっ!!!」

 ラウルが縄でぐるぐる巻きにしてあるジョエルをポイっと、リリアとアリスの前に放り捨てると、リリアがアリスを膝に乗せたまま夫ににじり寄り、その体を揺さぶった。

 ぴくっとジョエルの柳眉が震える。その薄く整った唇から「うっ」と小さな呻き声がこぼれ出た。

 次期侯爵クリスティアナを、実の娘と認識しながらも憎しみを募らせ排除しようと禁忌に手を染めた。耽美な蜂蜜色の美貌の、朧うたげなまつ毛の隙間に空色の瞳が覗き始める。

 クリスティアナは、それを一瞥して、レオナルドの腕を軽く叩き「床に用があるのでおろして下さい」と願う。
 そして、腕を組んで不機嫌そうに床に胡座をかいて座り込んでいるアルフレッドの傍に膝をつくと、真摯に懇願した。

「殿下、アルフレッド様、お願い致します。私の後ろへお回り下さい。どうぞ当家の騎士に護衛をお許しくださいますよう」

「こんな時に名前を呼ぶなんて、ずるくないか?」
「叔父に叱られたので?」
「・・・すごく、ものすごくだ、面白くない。が、侯爵が王命を賜っているというのなら、おとなしく控えていよう。しかし、だ。クリスティアナ、君に危険が迫るようなら、私は容赦はしない。そのあたりをしっかり考慮して、くれぐれも無茶はしないように」

 アルフレッドが盛大なため息とともにクリスティアナの頭に手を乗せてぐりぐりと撫でまわしつつ、立ち上がる。
 クリスティアナの右にラウル、左にレオナルドが立ち、ラウルの後ろにモーリス、その隣、クリスティアナの後ろに王太子アルフレッド、その傍にバートランドという陣形が出来上がった。



「ラウル卿! これはどういうことだっ 貴様っ その小娘を利用して侯爵位を私から簒奪するつもりか!」

・・・そうきたか。
でも、簒奪なら、もっと相応しい人が左にいるのだけど。

チラリとレオナルドを見上げると、
「私は所領の父の元で育ち、彼は王都の第一夫人が手離さなかったからだろう。・・・私は兄の顔ぐらいは認識していたが」と、苦り切った小声が落ちて来た。

 あのキレイなだけの木偶に、自分を見て欲しい愛して欲しと拗らせた。本当に幼なかった頃の自分の憔悴の痕跡が疼くのを感じて、クリスティアナはやるせなくなる。

 陣形の中心にいるにも関わらず、床に触れるために座り込んでいるせいで誤解をさせているのなら申し訳ない。

 感情を消してジョエルを眺めていた視線に皮肉を乗せて、口を開こうとしたとき———






 数歩先の距離。雁字搦めに拘束していた緋色の繭玉を食い破り、ひょっこり顔を出した魔ムカデと目が合った。


「あ」


思わず間抜けな呟きが溢れる。

クリスティアナが吐き出したときよりも明らかにデカイ。

 あの頭の大きさならば、2倍くらいに成長しているのではなかろうか。モゴモゴとしきりと蠢いていると思ったら、どうやら繭玉の魔力を食べて成長していたらしい。

禍々しくもどす黒い魔ムカデにロングギャラリーに集うすべての人間の視線が集まった。

「ひっ」
巨大なムカデの出現にリリアが引き攣った声をあげ、上半身を起こしたジョエルの背中に縋ったようだが。

クリスティアナは周囲の情報をすべてシャットダウンして、床にアラクネーの両手をつき、魔ムカデに意識を集中させる。

たとえ敵に100の手足があろうとも。
その一挙手一投足も見逃すまいと、クリスティアナはじっと目を凝らした。

 体に受けて呪そのものとなれば精神体のアラクネー蜘蛛で戦えた。しかし、実体となると手に負えないだろう。実際に糸を栄養源にされてしまった。ならば、どうする?

 クリスティアナは対応策を探るため、思考回路を高速回転させる。


 魔ムカデが外に顔を出し、クリスティアナと視線を絡めて熱く見つめ合うこと3秒ほど。ふいっと魔ムカデがクリスティアナに興味を失ったように目線を外した。

 なんとなくのように、周囲に頭を回らせて。何故か、リリアの膝の上で気を失ったままのアリスをカチっとロックオンする。

「は?」

 ムカデの目線の変化から次の動きを予測し得たのは、床目線で見つめ合っていたクリスティアナだけだった。

俄然、繭から飛び出しアリスに向かって突進を開始したムカデに向かって、クリスティアナは咄嗟に両手を伸ばしてダイブした。

 グリンガルド家臣団が驚愕と恐怖に呼吸と動きを動きを止めた一瞬の隙に、予備行動なしに飛び出したクリスティアナの背中に向かって、アルフレッドが飛び込んだ。

「ばかっ! それを離せっ」
「殿下! アルフレッド様っ スライムです!」

クリスティアナの背中を抱き込み、巨大な魔ムカデを掴んで握りしめた両手を解かせようと手を伸ばしたアルフレッドに、ぐいっと首を巡らせたクリスティアナが目を輝かせて叫ぶ。



この状況で歓喜を見せた主に、全グリンガルドが瞠目した。


「はぁ!?」
「蜘蛛がダメなら、上位捕食者のスライムをけしかければいいんです! うっかりしてました。スライムの魔力はたっぷり床に蓄積してあったのにっ」

ぱぁっと破顔するクリスティアナに、アルフレッドは半眼になる。

 この状況下で、対応策を閃いたマッド魔術ティストの嫌疑がかかるスライムコート開発者に対応し得るとは。国の内外に完全無敵と畏怖される、才気煥発な魔術師団長の胆力は伊達ではなかった。

「・・・それで?」
アルフレッドは、巨大な魔ムカデを握りしめるクリスティアナの両手を大きな手で包み込みながら、呆れ果てた声音を目前の月色の頭に落とす。

額をゴツンと落としたい気分だったが、先ほどの失敗を鑑みて堪えた。

「私にはもう新しい魔術陣を構築する力はこれっぽっちも残ってません。床からスライムの魔力を抽出してこいつを閉じ込めてください。うまくいけば喰われたと勘違いして仮死状態になるんじゃないかなって思うんですっ」

これから行われる実験とその結果への期待に輝く瞳。高揚した頬に、キュッと上がった口角。

信じられないほど可愛いな。
と、アルフレッドは思ってしまった。

これが可愛いと感じる自分が少し信じられなかったけれど。

「なるほど。やってみよう」

大きなため息を混ぜて応じたアフルレッドは、右手をクリスティアナの両手に添えたまま床に左手を下ろし、『明星の間』をスライムコートした時に感じた微かなスライムの魔力の感覚を探りだす。

これほどの量の魔力の蓄積を可能にしているグリンガルドの床に感嘆しつつ、手っ取り早く魔法でスライムの魔力を練り上げてクリスティアナの手に渡した。

「ほら」
「うっ 殿下、申し訳ございません。ちょっと従者を焦がしてしまう程度に、私は魔法が苦手でして・・・」
「問題ない。頭の中で蜘蛛を作って暴れたと言っていたね。それを手の中で試みるだけだ。私が介助しているから想像力だけでできるだろう」
「・・・想像力」

 クリスティアナはアルフレッドに促されるまま、己の手の中でモゴモゴと蠢く魔ムカデをスライムの魔力でコートするイメージを固めた。

ら、あっけないほど簡単にできてしまった。

そのあっけなさに、驚愕し、うっかり素を曝け出した心のままに背中から覆い被さるようにしているアルフレッドの、碧羅の空の瞳を見返してしまったのだ。


クライマックスを迎えようとするお家騒動の真っ最中。
しかも魔ムカデがアリスに向かって突進するという予想外の急転直下。
こんな非常事態の緊急時対応時でなければ、警戒心の強いクリスティアナが無防備にアルフレッドを直視することはなかったはずだ。

しかも、この時のアフルレッドも、クリスティアナの予想外の行動に度肝を抜かれ、突き抜ける発想力に振り回されて、20歳の青年としての素顔を曝け出していた。
 スライムの魔力を集め最後の魔法を彼女に委ねたのは、計算ではなく、アルフレッドのオスとしての本能が自然に働いて繰り出した、最も原始的な求愛行動のようなものだった。

全てがクリスティアナを絡めとる、恋の罠。
クリスティアナは、ズキュンと胸を撃ち抜かれて。
アルフレッドに陥落した。



ぱっと顔を逸らして、首まで真っ赤になったクリスティアナが、背中から覆い被さるアルフレッドの腕の中から慌てて這い出そうとする。

「こら。何をしている。手の中のムカデはどうなった?」

 正面、すなわちジョエル一家の方角へ這い出そうとするから、また危険に向かうつもりかと、呆れた顔になったアルフレッドが、がしっとクリスティアナの腰に腕を回して立ち上がり、元の位置まで、荷物のようにぶら下げて運んだ。

「うううううぅ」

クリスティアナは、戻ってくる2人を凝視していたラウルとレオナルドの間に優しく落とされ、俯いて唸る。

手の中の感触で、魔ムカデが動きを止めているのはわかっていた。

とにかく落ち着こうと、床に向かって大きく息を吸って、お腹に力をうれてゆっくりと吐き出し、立て直しを図る。

「だ、大丈夫です。ご助力、ありがとうございました。上手くいきました」
そして、なんとなく手を伸ばしてラウルの上着の裾を握って立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。

「無茶はするなと言ったはずだ。勘弁してくれ、生きた心地がしない・・・」

アルフレッドは恨みがましくそう言って、しかし、ほっと呆れと安堵の吐息をこぼしながらクリスティアナの頭をぐりぐりすると、元の位置に戻った。


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