猫被り姫

野原 冬子

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4、ロングギャラリー、再び

蠱毒のムカデ vs. アラクネーの蜘蛛

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 明るく金色に煌めく太陽の魔力が、体の中を縦横無尽に駆け巡っていた最低最悪の不快感を、シュワっと一瞬で焼き払った———





 蠱毒の呪を受けながらの度重なる魔術の発動と操作、その出力と維持に、魔力は枯渇寸前、精神力も擦り切れ直前だった。

 クリスティアナは、片方だけのアラクネーの力と織り込まれた魔女の祝福だけを頼りに、ちびちびと床から魔力を吸い上げつつ、魔力機関による身体の回復を待っていた。

 右のアラクネーだけでは、体内で暴れるムカデの呪に対峙させていた蜘蛛の、パワーと精度を上げられずにいたけれど。

 左のアラクネーが、ぴょんぴょんと飛んできてスポッと左手にはまった段階で、精神力を練って創造したクリスティアナの蜘蛛は、鮮やかな緋色を纏いぐんと大きく力強くなった。

 同時に床についた左手から吸い上げられる魔力量も増えて、拮抗状態だったムカデと蜘蛛の戦いは大きく優位に傾いている。


 ただムカデというのは実にしぶとい。身体内を逃げ回るムカデを追い回し、尻尾に噛みついて少し糸を巻きつけては這って逃げられ。ならばと、頭を押さえつけて、上から巻き取ろうと試みては、身を捩って抜け出される。

 クリスティアナは額に脂汗を滲ませて、ポタポタと床に玉の汗を落としながら、そんな地道な戦いを精神上の身体空間で繰り広げていた。




 ———そこに、爽やかな太陽の魔力の援護が届いたのだ。

 アルフレッドが試みにと放った治癒魔法は、不快感を一掃し、疲弊著しかったクリスティアナの魔力機関と思考回路をサクッと立て直して、最低限の活力の供給を可能にしてくれた。



よし、いけるっ

 クリスティアナは、頭がスッキリして思考の回転速度が上がったところで、一気呵成に、心の片隅にどす黒いムカデを追い込むイメージを描き出した。

 同時にアラクネー蜘蛛の生成練度をあげる。色艶のよさと大きさ、パワーに加えて、俊敏さと動きの的確さを練り込んだ。

 追い込んだムカデに蜘蛛を対峙させると、長い胴体の真ん中にガブっと噛みつく。
 ムカデのしっぽと頭には、すでにアラクネーの強靭な糸が絡みついていたから、扱いはぐんと楽になっていた。
 前足2本で、暴れるムカデを抑え込み、お尻から出る緋色の糸を残り4本の足で器用に操って、くるくるくるくると、ムカデを転がし巻き上げてゆく。


 こうして出来上がった緋色の繭玉を、体を包み込んだ金色のしなやかな魔力を動力にして、口から外へ押し出した。





けぽっ。



 クリスティアナが吐き出した、大柄な男性の親指サイズの鮮やかな緋色の繭玉に、周囲の注目が集まった。

 ムカデというヤツは本当に、とってもしぶとい。蜘蛛に噛まれ傷ついているはずなのに、まだ諦めずに繭の中でモゾモゾと動いていた。


「はぁーーーーっ きっつーーーーっ」

 クリスティアナは、長い息を吐き出して、嘔吐型四つん這い体勢から腰を落とす。後ろ手に床に掌をついて上体を逸らして天井を振り仰ぐと、はくはくと空気を貪るように吸い込んだ。

開放感が半端ない。

 「ティナ様」
 すかさずモーリスが、傍に膝をついた。

銀盆を床に下ろし、手際よく、温度差に曇って水滴をつけた水差しからレモン水をコップに注いで、差し出してくれた。

のに・・・
後ろ手に寄りかかって天井を仰いだはいいが腹筋に力が入らず、上体を戻せない。

「・・・モーリス」
困ったようにちらっと、初老の執事を見ると、苦笑された。

「ようやく帰参が適ったと思えば。・・・本当に困った方だ」
小言をこぼしながらも、背中を支え上体を起こしてくれる手つきはとっても優しい。

さて、今度はずっと床に押し付けていた腕がプルプルと震えてコップが持てない。「むぅ」と唸るクリスティアナに、モーリスの眉間に深い皺が刻まれた。

「どれだけの無茶をなさったのですか、貴方は・・・」
 そうブツブツ言いながら。やっぱり、優しい手つきで、冷たいレモン水の入ったコップをクリスティアナの口元に運んでくれた。

 冷たい水に、レモン果汁、塩を少し、ほんのり蜂蜜で甘さを加えてある。料理長トーマスお手製、クリスティアナ御用達のレモン水は、子供の頃から、鍛錬や討伐の後に提供されてきた定番だった。

 この4年、使用人棟ではモーリスへの当たりはキツかったはずだ。権威的で矜持ばかりが高く使用人を顧みないジョエル一家は、グリンガルドではまったく人気がないから。

このレモン水が、こんなにも美味しくて、ここにある。
少なくとも、料理長トーマスはモーリスの帰参をすんなり受け入れてくれのだろう。

ならば、問題はないですね。
クリスティアナは安堵した。

程よく冷えたレモン水が五臓六腑に染み渡る。
生き返るとは、まさにこのこと。

 「あぁ、美味しい・・・。ありがとう、モーリス」

 立て続けに3杯、ごくごくごくごくと、4年ぶりの定番を飲み干すと、ようやくひと心地ついた。

さて。
と、クリスティアナは、周囲を確認する。

 吐き出した緋色の繭玉は、目の前で、モゴモゴと蠢いている。

それを、厳しい目で騎士の3人が片膝をついて取り囲み、見張ってくれていた。うちのラウル叔父とエリック師匠、そして王太子の護衛レオナルド卿だ。

 突き抜けて顔がいい乗馬服姿の王太子殿下が、レオナルドの背後に立って、少し前屈みになり、騎士の輪の中の蠱毒内蔵の繭玉を興味津々に覗き込んでいる。


 奥の壁際に転がしたジョエル卿と従者を見張っていたバートランド隊長が心配そうにこちらを見ていて、魔術でぐるぐる巻きにしたエイドリアンを踏みつけているグレン隊長は、これでもかっというくらいに渋い顔でクリスティアナを睨んでいた。

 おそらく、ジュードは隠し部屋でこちらの気配をじっと伺いながら、イライラしていることだろう。


うん。ウチの人たちは通常営業ですね。


問題は、王太子殿下だ。
それはもう、大問題である。

何故こんな時こんなところに王太子殿下がいらっしゃるのかなぁ!?
気のせいでなければ、床を踏んだ時の殿下は異常状態だった。

呪術感知の陣がきゃんきゃん反応して、解呪が自動発動した手応えもあったし。

いろいろ想定外にも程があるでしょう・・・


とにかくだ。
挨拶もせず話し掛けるのは不敬である。

クリスティアナは、王家の家臣として、侯爵家当主として、すべきことを行うため、チラリとモーリスに目配せをした。

モーリスが小さくうなづいて立ち上がり、クリスティアナの手を引いて立たせてくれる。

主の手を己の肩に置いて、グリンガルドの忠臣が床に片膝をついた。
これを合図に、ラウルとエリックが動く。

クリスティアナがモーリスの肩を支えに、渾身の力で腰を落としてカーテシーを決めた時には、ラウルが傍で騎士の最敬礼を、エリックはラウルの後ろで同じ騎士の最敬礼をしていた。

グリンガルドが動くのを察したレオナルドは、当然のように王太子殿下の背後に回っていた。

「王太子殿下におかれましては、日頃より輝かしくご活躍の由、その御名声を国の内外に広く知らしめされておられますこと、一家臣として心より嬉しく、お喜び申し上げます。昨日、王家誓約を頂戴しグリンガルド侯爵位を継承いたしました、クリスティアナ・グリンガルドが、当家家臣を代表し、ご挨拶を申し上げます」

 面を伏せて、高くも低くもない落ち着いた声音で朗々と挨拶を述べるクリスティアナの背後では、バートランドもグレンも、最敬礼の型をとっている。

 つい先程まで、へたり込んで執事に水を飲ませてもらっていた人物とは思えない。身につけているのは、擦り切れた灰色のお仕着せにエプロンでも、身体から溢れる気品と凛として静謐なオーラは本物だった。




 疲れ果てているだろうに、それがバレていることもわかっていてなお。
しれっとビシッと挨拶を決めてきたクリスティアナ・グリンガルドに、アルフレッドは心の底から感心した。

 折り目の正しく落ち着き払った挨拶には、自ずと背筋をのばされる。
若いのにヤケに押し出しが効いているではないか。

これがグリンガルドだと、凛とした怜悧な佇まいが告げてくる。

「グリンガルドの主、クリスティアナ卿の挨拶をお受けする。当主、家臣一同、顔を上げて楽にしてほしい」

顔を上げた家臣一同が神妙な表情を保つ中で、当主クリスティアナは穏やかに凪いだ、とても静かな表情を見せていた。

「公式な訪問ではないし、先触れもなく礼も欠いていた。祖父に城から叩き出されてしまってね。申し訳なかった」



ほろ苦く笑った王太子に、クリスティアナも少し苦い笑を浮かべてしまう。

王太子の緊急派遣とか。
ヘンリ様も大概だなと思う。

「ありがとうございます」
クリスティアナは、潔くぺこり、と頭を下げた。

「先ほどは治癒魔法を走らせていただき、ありがとうございました。殿下にご助力をいただき、想定よりも早く蠱毒のムカデを捕まえることができました。手袋も、とても助かりました」

傍のモーリスの肩をぽんと軽く叩いて立ち上がるように促すと、自然にクリスティアナの手を取って、体重を預かってくれようとする。

ありがたい。

「本来ならば、ですね。きちんと畏まっていたいところではあるのです。しかし、ご覧の通り、本日当家は絶賛取り込み中です。それもまだ少々不穏ですし・・・」

 見ると、蠱毒ムカデ内蔵の緋色の繭玉が、対峙するクリスティアナと王太子のちょうど真ん中あたりの床の上で、左右にゆれて今にも転がり出そうとしていた。

吐き出した直後よりも明らかにイキが良くなっている。

しょうがないから、緋色の繭玉の真下に小さな拘束魔術陣を描いで、四方八方から魔力の蔦を伸ばし、床に縫い付けるように固定した。


「昨夜も思ったけど、君の魔力操作と詠唱なしの瞬間発動は、素晴らしいね」

待って。待ってください。「昨夜も」とかさりげなくぶっ込まないでっ
ひょいっと片眉を上げて目を眇めて見下ろしてくるモーリスが怖い。

「ありがとうございます。えー、ところで。殿下、そろそろ王宮へご帰還になられては? 当家は先ほども申し上げてましたように、少々取り込みの真っ最中でして」

まだ夫人と御令嬢が残っている。そろそろ現れそうな気がするし、殿下にはご退散願うのが賢明だろうと思ったのに。

「アルフレッドと呼んでほしいな」

そうおっしゃる笑顔が眩しい。
物理的な圧を感じるほどの攻撃力を内蔵している。

傍の忠臣がひんやりとした冷気をまとったのがわかる。
おそらくそれは、王太子殿下にも届いているはずなのに。

全く気にする素振も見せずに、眉間に困惑を滲ませるクリスティアナに向けた笑顔の光度を上げてくる。

「乗りかかった船というよね。君の安全が確保されるまで付き合おう。レオナルドも気になって仕方ないようだし。そうそう、祖父が私の執務を今日も引き受けてくれるらしい。君は気に入られてるなぁ」

スマートに間合いを詰められ、空いていた左の手を取られ。
指先にサクッと口付けられた。

「私も君のこと名前で呼んでもいいかな?」
煌めく美貌の王太子が、そっと唇を離しながら上目遣いでクリスティアナを見たとき。


両サイドから背後から、グリンガルドの家臣たちから、ブワッと凍てつく冷気が立ち上がる。




呆気に取られていたクリスティアナの頬は、桜色に染まっていた。


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