#秒恋8 隔てられる2人〜友情か、恋か。仲間か、恋か〜

ReN

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piece5 繋がらない思い

黒のリストバンド

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***


時刻は、18時半。
悠里が豚汁の仕上げに取り掛かった頃、ガチャガチャと玄関の扉が開いた。

軽やかな足音の直後、リビングのドアが開き、悠人が顔を覗かせる。
キッチンに立つ姉を見ると、彼は微笑んだ。

「たっだいまー! お、今日豚汁?」
「うん。あと、竜田揚げ」
「やたー、うまいヤツ!」
悠人は満面の笑みを浮かべ、手を洗いに洗面所へと消えていった。


彼が帰ってくると、家がパッと明るくなる。
「ふふ……」

何を作っても、大喜びしてくれる。
だから悠里は、弟のために――家族のために、ご飯を作るのが好きだ。

我知らず、悠里の頬にも笑みが浮かぶ。
自分の役割。自分の居場所。
自分の存在意義が、ここにある。
そう思うと、沈んでいた気持ちも幾分、救われた。


***


「いっただっきまー……うっま!」

いそいそと晩ごはんを食べ始めた悠人は、いつにもまして上機嫌だ。

きっと、今日の公開練習が楽しかったのだろうな、と悠里は察する。
しかし彼女は何も聞かず、他愛のない話に興じながら食事をした。


表向きは、和やかに夕食を終えた。
悠里は洗い物を済ませた後、すぐに風呂に入ることにした。

湯船に浸かり、思わず長い溜め息をつく。
話したいことを隠して他のことを喋るのは、思いの外、息が詰まるものだ。

本来ならば、悠里の方から『ジャケット、返してくれた?』と聞くべきだ。
そして、無事に返したことを確認できたなら、悠人にお礼を言うべきだろう。

しかしどうしても、悠里の唇からは、その話題を出すことができなかった。
彼に繋がることを話そうとすると、胸がキシキシと痛み、息が苦しくなる。

何より、ジャケットを返したとき、彼がどんな反応をしたのか。
それを知るのが、怖かった。


自分で、ジャケットを返しに行かなかった。
薄情だと思われただろうか。

まるで、これまで積み上げてきた関係を反故にするような。
裏切りだと、思われただろうか――

悠里は、ぎゅっと目を閉じる。
どちらにしても、怖かった。
彼の反応を知ることも。
知らずにいることも……


***


髪を乾かし、リビングに戻ると、悠人がソファに座っていた。
普段は、悠里が風呂に入っているときは、2階の部屋にいるのに。
今日の彼は、テレビさえ付けず、そこにいる。
まるで、悠里を待っていたかのように。

悠里の物問いたげな視線を受け止めると、悠人は立ち上がった。
ズンズンと姉の目の前にやってくると、彼は、すっと手を出す。
その手に視線を落とした悠里は、目を丸くした。


悠人が差し出したのは、黒のリストバンドだった。

「はい。これ」
「……え?」
「柴崎さんから。姉ちゃんに」


ズクン、と胸が痛む。
その名前を聞いた瞬間、悠里の喉はカラカラに乾き、息もできなくなってしまう。

悠里は声も出せず、ただただ、弟の手の中にあるリストバンドを見つめた。


悠人は真剣な目で、何も答えない姉に言う。
「ホントは、帰ってすぐ渡したかったんだけど。姉ちゃん、今日のこと何も聞いてこないんだもん」

「……ご、ごめん、ね。先に晩ごはん、食べた方がいいかなと、思って」
悠里は、しどろもどろに説得力のない言い訳を口にし、不器用に微笑んだ。


「……ジャケット。柴崎さんに渡したよ」
「うん……ありがと」
悠里は笑顔でお礼を言ったが、自然と目は伏せてしまう。
少しの間、悠里は押し黙っていたが、意を決して弟に問いかけた。

「何か……言ってた?」
「別に。普通に受け取ってくれたよ」
「……そっか」

俯いたままの姉に、悠人は敢えて笑い混じりに尋ねる。
「もう。何? 柴崎さんと、ケンカでもしたの?」
「ち、ちが……そんなんじゃ」
悠里は慌てて顔を上げ、かぶりを振った。


姉と目が合うと、悠人は優しい顔をした。
「……柴崎さん。姉ちゃんのこと、すごい心配してたよ」

眉を下げ、唇を噛み締める悠里に、弟は更に手を伸ばしてきた。
「だから、このリストバンドくれたの。ジャケットの代わりにって」


――ジャケットの、代わり。

彼が、そう言ってくれたの?
もう一度、彼と私の繋がりを、作ってくれたの?

胸が、暖かく高鳴る。
じわりと、目頭が熱くなる。


じっと、リストバンドを見つめたまま。
微動だにしない姉に、悠人は苦笑した。
「もう。いるの? いらないの? 姉ちゃんがいらないんなら、オレが欲しいんだけど! 柴崎さんのリストバンド」
「い、いる!」
慌てて悠里は、弟の手からリストバンドを受け取った。


悠人が、ホッとしたように破顔する。
「ちゃんと、柴崎さんに連絡するんだよー」

用は済んだ、と言わんばかりに、悠人はヒラヒラと手を振る。
「んじゃ、オレも風呂入って来るねー」
「う、うん」
悠里は、両手にリストバンドを乗せたまま、あたふたと弟の背中を見送った。


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