#秒恋8 隔てられる2人〜友情か、恋か。仲間か、恋か〜

ReN

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piece2 鮮やかな記憶

汚い髪

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***


激しい動悸とともに、目が覚めた。
ガバリとベッドから飛び起きる。

「はっ……はぁっ、はぁっ……!」

あの日の、追体験。
いや、あの日に起こらなかったことまでも、経験させられた。

手脚を押さえ込まれ、身体にのし掛かられた苦しさが、まだ残っている気がする。
乱暴な手の感触が、新しく身体に刻みつけられた気がする。


悠里はうな垂れ、ぎゅうっと自分を抱き締めた。
汗をかいた身体はじっとりと濡れて、冷たく、小刻みに震えていた。


どうして。
どうして自分は、こんな目に遭わなければいけないのだろう。


――私が、悪かった?

悠里は、グシャグシャと頭を掻きむしる。


わからない。
ただ一つ、言えるのは――


バサリと顔に被さってきた、長い髪。
カンナに鷲掴みされ、引き摺られた髪。
ユタカに抱き竦められ、執拗に撫でられた、自分の髪。


「……汚い」

未だに髪に残って、消えない苦しみ。
何度シャワーを浴びても、お風呂に入っても。
どんなに髪を洗っても、ケアをしても。
拭うことのできない悲しみ。

傍に来てくれた彩奈にすら、打ち明けることのできなかった。
自分の身体への、激しい嫌悪感――


「汚い、汚い……」

悠里は、グシャリ、グシャリと髪を掴みながら、頭を抱えた。

顔に垂れ下がってくる長い髪。
汗ばんだ首に張り付いてくる長い髪。
気持ち悪かった。許せなかった。


「汚い……汚い!」
悠里は、ベッドから跳ね起き、大股で机に歩み寄った。
物入れにあるハサミに、真っ直ぐに目が向いた。

悠里は、物入れに右手を突っ込み、ハサミを取り出す。


――こんな汚い髪があるから、悪い夢を見てしまうんだ。
あの忌まわしい日を、忘れられないんだ。
あんな人たちに負けてしまうんだ。

だったら髪なんか切ってしまえばいい。

こんな汚い髪、要らない――!!


悠里は左手で乱暴に髪を鷲掴みし、ハサミの刃を大きく開いた。
顔の前に髪を引っ張り、刃を差し入れたそのときだった。


優しい声が、頭の中に聴こえた。

『髪……長くて、綺麗だから』


はた、と悠里の手は止まる。
刃に当たってしまった何本かの髪の毛は、ハラハラと床に落ちた。


動きを止めた悠里の胸に、暖かくて優しい声と感覚が、次々に湧き上がってくる――


4人で集まり、お茶をしたカフェで。

『バスケ部の自分を認められるのは、一番嬉しいから。ありがとな』

隣にいる大きな手が、優しく髪を撫でてくれた。


みんなで行った遊園地で。

『悠里、背小さいから頭が撫でやすいのと、』
長い指が、するりと悠里の髪を掬い上げた。
『髪……長くて、綺麗だから』

暖かい手が、柔らかく頭を撫でてくれた。


エリカと学校で再会したことを、初めて打ち明けたとき。

『ねえ、悠里。俺の傍で泣いて。俺の手が届くところで。俺のいないところで、泣かないで』

強がっていた悠里を抱き寄せて、腕の中で泣かせてくれた。
大きな手で、悠里の後頭部を包んで。
長い指で、髪を梳いて。

悠里が泣き止むまで、ずっとずっと、優しく撫でてくれた。


写真を「お焚き上げ」するために忍び込んだ勇誠学園。
その帰りに寄った、バスケ部の会議室で。

『抱き締めたい』

悠里の頭と背中に手を回して、きつくきつく、抱き締めてくれた。
暖かい手で優しく優しく、髪を撫でてくれた。

見知らぬ男子生徒に触れられ、擦り減ってしまった悠里の心を、温もりで満たしてくれた。
悠里の身体にこびりついた恐怖と悲しみを拭い、彼の手で、上書きしてくれた。

優しい指が悠里の髪を掬い上げ、そっと唇を落とした。
時間をかけて、丁寧に。
彼の唇は何度も何度も、悠里の髪に触れた。
そうされるたびに、髪に刻みつけられた、恐怖の感触は消えていった。

『大事な子』だと、言葉以上に、伝えられた気がした――


悠里は、鷲掴みしていた髪から手を離し、のろのろとハサミを置いた。

グシャグシャに、乱してしまった髪を。
悠里は、そっと撫でて、指で梳いていく。
彼にして貰ったように、優しく、丁寧に。

ゆっくりと撫でて、整えていくと、滑らかな指通りが戻ってくる。
悠里は、何度も何度も自分の髪を撫で、その感覚を思い返した。


また、彼に抱き締めて、髪を撫でて貰えたら。
身体と髪に受けた苦痛を、彼の手で上書きして貰えたら、どんなにいいだろう。

あのときの自分は、なんて幸せだったのだろう……


もう、あの大きな手で、長い指で撫でて貰うことはできない。
けれど、髪には確かに、彼の温もりが残っている。
あの優しい感覚を、私は覚えている。

だから、髪を、大事にしよう。
幸せだった記憶を、失いたくないから。
ずっと、抱き締めていたいから――


ゆっくりと、ハサミを物入れに戻す。
床に落ちている、犠牲にしてしまった数本の髪の毛を拾いあげ、屑籠に入れる。

そうして悠里は、そろそろとベッドに戻った。
丁寧に髪を撫で整え、布団の中で丸くなった。
繰り返し繰り返し、優しい記憶を思い返した。
何度も何度も、あの温もりを、心に思い描いた。


――大丈夫。

大切にして貰ったこと。
ずっと、忘れないよ……


自分の胸に手を当て、ゆっくりと言い聞かせる。

静かに閉じた悠里の目から、温かい涙が零れ落ちた。
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