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piece2 鮮やかな記憶
悠人へのお願い
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***
「……あのさ、姉ちゃん」
カレーを食べ終わり、2人でお茶を飲んでいると、悠人が、やや遠慮がちに切り出す。
「明日も、部活行ってもいい?」
なんだ、そんなことかと悠里は顔をほころばせる。
「もちろんだよ! 姉ちゃんは大丈夫だから、気にしないで」
「ほんと?」
ぱあっと、悠人は破顔した。
「やったあ!」
「ふふっ。ごめんね、いっぱい心配させちゃって」
弟の気遣いを有り難く、また申し訳なく思う。
これ以上、悠人に心配をかけたくない。
もう、悠人の日常を邪魔したくない。
しっかりと心に刻みつけ、笑顔をロックする。
絶対に、悠人の前では笑顔を崩さないように。
悠里は、にっこりと大きな微笑みを作ってみせた。
「いやー、良かったあ」
すっかり安心したのか、悠人もニコニコして話し始める。
「明日、勇誠の公開練習があるからさ。絶対行きたかったんだー」
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは、黒のユニフォームを纏った長身の姿。
ゴールを求める、あの鋭い瞳――
――勇誠学園 バスケ部。
瞼の裏に鮮明に蘇った、彼の姿。
ズキン、ズキンと、悠里の胸は痛みの叫びをあげ、のたうち回った。
しかし悠人は、姉の変化には気づかず、喜々として話し続ける。
「いつもは、見学するだけなんだけど。春休み中の公開練習では、体験型っていうか、部員さんと交流できたりするんだあ」
弾んだ声音で説明する悠人の顔は、本当に嬉しそうだ。
「練習や交流の内容は、実際に行かないとわかんないんだけどね? 柴崎さんから、3ポイントの指導受けられるチャンスもあるかもだし! あ、でも柴崎さんはキャプテンだから、忙しいかなー」
悠人の声は、水の中で聞いているかのように、歪んで、くぐもって。
悠里には、殆ど意味が理解できなかった。
頭が、グラグラする。
動悸が、激しさを増す。
『柴崎さん』
彼の名前を、聞いてしまったから。
その存在を、鮮やかに感じてしまったから――
「……姉ちゃん?」
相槌すら打たず、顔を強張らせていた悠里に気がつき、弟が恐る恐る声を掛けてくる。
「……どしたの?」
「あ……」
考えるより前に、悠里は弟に話を切り出していた。
「あのね、悠人。明日、持って行って欲しいものがある……」
「へ? な、何?」
ズキズキと早鐘を打つ胸を押さえ、悠里はぎこちなく、微笑を浮かべた。
「あ、あのね。私、修了式の日に、お借りしたものがあって」
ピクッと、悠人の眉が訝しげに動く。
「……柴崎さんに?」
胸が、痛い。その名は、自分からは言えない。
悠里は無理やりに微笑み、頷いてみせる。
「うん。実は、制服のジャケット、なんだけど……」
「……なんで、そんなの借りたの?」
悠人は、ますます不思議そうに首を傾げる。
「あ、えっとね……そう、転んじゃって。制服が汚れちゃって。それで、帰るときにお借りしたんだ」
悠里は、必死に微笑を貼り付けた。
制服が汚れた。
ジャケットを借りた。
大丈夫、嘘は言っていない。
普通にして。
変な態度をとったら、悠人に疑われる。
悠里は微笑んだまま、敢えて弟から視線を逸らさずにいた。
「……ふぅん。わかった」
一応は納得した、というふうに、悠人は頷く。
悠里は、ホッと表情を緩める。
「じゃあ後で、ジャケットにアイロンかけて、部屋に持って行くね」
「うん」
そう頷いた悠人だったが、やはり引っかかるのか、新しい疑問を投げかけてきた。
「……でもさぁ。それって、姉ちゃんが自分で返した方が良くない?」
ズキリ、と胸が軋み、悠里はグッと唇を噛み締める。
弟の尤もな言い分に、罪悪感が込み上げる。
しかし悠里は、笑顔の下にそれを封じ込めた。
「んー、そうしたいのは山々なんだけど。やっぱり、制服だからさ。できるだけ早く、お返ししたいんだ」
「あー。まあ、そうだね」
「うん。だから明日、悠人がお会いできるなら、それが一番早いかなって」
「うん。確かに……」
悠人は、うんうん、と小刻みに頷き、寄り添う言葉をくれた。
「姉ちゃん、病み上がりだし、すぐに返しには行けないもんね」
「うん……」
胸が、痛い。
悠里の笑みは、次第に微苦笑のような、不自然な笑顔になっていた。
姉を見つめていた悠人は、ふっと優しい微笑を浮かべた。
「……わかったよ。じゃあオレが責任持って、柴崎さんに渡すね」
「うん。ありがとう、悠人」
「でも姉ちゃん、メッセージくらいは送っときなよ?」
「うん、わかった」
嘘だ。メッセージなんか、できるわけない。
微笑んで頷く自分に、悠里は嫌悪感を覚えた。
「……あのさ、姉ちゃん」
カレーを食べ終わり、2人でお茶を飲んでいると、悠人が、やや遠慮がちに切り出す。
「明日も、部活行ってもいい?」
なんだ、そんなことかと悠里は顔をほころばせる。
「もちろんだよ! 姉ちゃんは大丈夫だから、気にしないで」
「ほんと?」
ぱあっと、悠人は破顔した。
「やったあ!」
「ふふっ。ごめんね、いっぱい心配させちゃって」
弟の気遣いを有り難く、また申し訳なく思う。
これ以上、悠人に心配をかけたくない。
もう、悠人の日常を邪魔したくない。
しっかりと心に刻みつけ、笑顔をロックする。
絶対に、悠人の前では笑顔を崩さないように。
悠里は、にっこりと大きな微笑みを作ってみせた。
「いやー、良かったあ」
すっかり安心したのか、悠人もニコニコして話し始める。
「明日、勇誠の公開練習があるからさ。絶対行きたかったんだー」
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは、黒のユニフォームを纏った長身の姿。
ゴールを求める、あの鋭い瞳――
――勇誠学園 バスケ部。
瞼の裏に鮮明に蘇った、彼の姿。
ズキン、ズキンと、悠里の胸は痛みの叫びをあげ、のたうち回った。
しかし悠人は、姉の変化には気づかず、喜々として話し続ける。
「いつもは、見学するだけなんだけど。春休み中の公開練習では、体験型っていうか、部員さんと交流できたりするんだあ」
弾んだ声音で説明する悠人の顔は、本当に嬉しそうだ。
「練習や交流の内容は、実際に行かないとわかんないんだけどね? 柴崎さんから、3ポイントの指導受けられるチャンスもあるかもだし! あ、でも柴崎さんはキャプテンだから、忙しいかなー」
悠人の声は、水の中で聞いているかのように、歪んで、くぐもって。
悠里には、殆ど意味が理解できなかった。
頭が、グラグラする。
動悸が、激しさを増す。
『柴崎さん』
彼の名前を、聞いてしまったから。
その存在を、鮮やかに感じてしまったから――
「……姉ちゃん?」
相槌すら打たず、顔を強張らせていた悠里に気がつき、弟が恐る恐る声を掛けてくる。
「……どしたの?」
「あ……」
考えるより前に、悠里は弟に話を切り出していた。
「あのね、悠人。明日、持って行って欲しいものがある……」
「へ? な、何?」
ズキズキと早鐘を打つ胸を押さえ、悠里はぎこちなく、微笑を浮かべた。
「あ、あのね。私、修了式の日に、お借りしたものがあって」
ピクッと、悠人の眉が訝しげに動く。
「……柴崎さんに?」
胸が、痛い。その名は、自分からは言えない。
悠里は無理やりに微笑み、頷いてみせる。
「うん。実は、制服のジャケット、なんだけど……」
「……なんで、そんなの借りたの?」
悠人は、ますます不思議そうに首を傾げる。
「あ、えっとね……そう、転んじゃって。制服が汚れちゃって。それで、帰るときにお借りしたんだ」
悠里は、必死に微笑を貼り付けた。
制服が汚れた。
ジャケットを借りた。
大丈夫、嘘は言っていない。
普通にして。
変な態度をとったら、悠人に疑われる。
悠里は微笑んだまま、敢えて弟から視線を逸らさずにいた。
「……ふぅん。わかった」
一応は納得した、というふうに、悠人は頷く。
悠里は、ホッと表情を緩める。
「じゃあ後で、ジャケットにアイロンかけて、部屋に持って行くね」
「うん」
そう頷いた悠人だったが、やはり引っかかるのか、新しい疑問を投げかけてきた。
「……でもさぁ。それって、姉ちゃんが自分で返した方が良くない?」
ズキリ、と胸が軋み、悠里はグッと唇を噛み締める。
弟の尤もな言い分に、罪悪感が込み上げる。
しかし悠里は、笑顔の下にそれを封じ込めた。
「んー、そうしたいのは山々なんだけど。やっぱり、制服だからさ。できるだけ早く、お返ししたいんだ」
「あー。まあ、そうだね」
「うん。だから明日、悠人がお会いできるなら、それが一番早いかなって」
「うん。確かに……」
悠人は、うんうん、と小刻みに頷き、寄り添う言葉をくれた。
「姉ちゃん、病み上がりだし、すぐに返しには行けないもんね」
「うん……」
胸が、痛い。
悠里の笑みは、次第に微苦笑のような、不自然な笑顔になっていた。
姉を見つめていた悠人は、ふっと優しい微笑を浮かべた。
「……わかったよ。じゃあオレが責任持って、柴崎さんに渡すね」
「うん。ありがとう、悠人」
「でも姉ちゃん、メッセージくらいは送っときなよ?」
「うん、わかった」
嘘だ。メッセージなんか、できるわけない。
微笑んで頷く自分に、悠里は嫌悪感を覚えた。
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