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piece1 寄り添う親友
夢はもう、終わり
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言いたい言葉。言わなくてはならない言葉。
たくさんあり過ぎて、どれから口にすれば良いかわからない。
秩序を失った言葉たちは、悠里のなかで不器用に藻搔いては沈み、ぶつかっては砕けていく。
悠里は懸命に、唇を開いた。
「……あ、あのね、彩奈、」
頭で考えるよりも先に、親友に謝りたいことが、自然に唇にのぼった。
「写真。ごめんね……」
修了式のあの日。
別れ際に見た彩奈の笑顔が、悠里の脳裏に浮かぶ。
嬉しそうな彩奈の声が、耳に蘇る。
『写真部のみんなと、桜を撮りに行くことにしたんだ!』
『満開もいいけど、この咲き始めの時期も、いいんだよねえ』
『今しかない、貴重なこの美を、いっぱい写真に収めてくるよ!』
赤メガネの下、彩奈の瞳は、キラキラと輝いていた。
風景を撮るのを得意としている彩奈。
どれほど楽しみに、どれほど一生懸命に、桜の姿を写真に収めただろう。
どんなに美しく、優しい写真を、撮っていただろう――
――ああ、見たかったな。
彩奈の、桜の写真……
そう思うと、悠里の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ出した。
「ごめんね……私のせいで、データ、消しちゃったの……」
私が、あの人たちに捕まってしまったせいで。
彩奈は、写真を捨ててしまった。
あの日の桜は、あの日にしか撮れないのに。
彩奈が、宝物のように大切に収めた桜の瞬間は、もう二度と、帰ってこないのに。
「ごめんね。ごめんね、彩奈……」
「バカ、あんた何言ってんのよ……」
彩奈が、泣いている。
悠里を抱き締め、髪を撫でながら、身体を震わせている。
それが悲しくて、悠里の涙も、止まらなくなってしまう。
――ああ。彩奈には、知られたくなかったなぁ……
グスッと小さく鼻を啜りながら、悠里は、そう思った。
大切な親友を、自分のことで悲しませたくなかった。
彩奈の前で、泣きたくなかった。
自覚、したくなかった。
自分は、ボロボロになったのだと。
彩奈を、こんなに泣かせてしまうほどに。
自分は、あの人たちに、汚されてしまったのだと――
理不尽な暴力に、屈せられてしまった、弱い自分。
こんな姿を、彩奈に、見せたくなかった……
ああ。また、あの冷たい目が、脳裏に浮かぶ。
自分を嘲笑う、あの甲高い声が聞こえる。
『惨めだねえ、悠里ちゃん?』
『悠里ちゃんはもう、汚れちゃったんだからね?』
最後に、自分に向かって落とされた、あの呪いの言葉が――
呪いは、悠里の頭の中で反響を繰り返し、身体から、心から、力を奪っていく。
指先が冷たくなり、凍えた胸が呻いた。
取り繕う気力も、消えてしまった。
「ごめんね……彩奈」
悠里はただ、震える声で呟く。
彩奈が、ブンブンと首を横に振り、力いっぱい抱き締めてくれた。
「私もう、絶対に、悠里の傍を離れない。もう、独りにしないよ。全部一緒に、背負うからね」
悠里は目を閉じ、親友の震える肩に頬を預けた。
「……うん」
自分を包み込もうとしてくれる、温かい腕。
それを有り難く思いながらも、悠里は、絶望感に深く囚われていた。
――忘れよう。
今日の朝まで、そう思っていた。
あの日のことは忘れて、知らないふりをして。
何も無かったことにすればいいと、思っていた。
けれど彩奈に、全てを知られてしまった。
もう、悠里の心だけの問題ではなくなった。
――もう、無かったことには、できないのだ。
悠里はぼんやりと、返すことのできなかった、彼のメッセージを思う。
『本当にごめん。
落ち着いてからでいい。
いつでもいいから、連絡欲しい』
今日こそ、返事をするつもりだった。
そうすれば何もかも、元通りになると、思っていた。
そう自分に、言い聞かせていた。
けれど、遅かった。
日常にはもう、戻れない――
悠里は力なく、微笑みを浮かべる。
彼にメッセージを返すことは、もうできない。
今さら、何を言えばいいというのか。
自分がひとり、閉じ篭っている間に、事態は進んでしまった。
自分が逃げている間に、彼ひとりが、全てを背負った。
私以外の皆が、事実を踏まえ、歩き始めた。
私ひとり、歩くのを拒絶して、取り残された。
あの日のことに目を背ければ、無かったことにできるって。
都合の良い夢を見ていた。
でも、夢はもう、終わり。
もう、元には戻れないんだ――
絶望のなか、悠里はそう思った。
たくさんあり過ぎて、どれから口にすれば良いかわからない。
秩序を失った言葉たちは、悠里のなかで不器用に藻搔いては沈み、ぶつかっては砕けていく。
悠里は懸命に、唇を開いた。
「……あ、あのね、彩奈、」
頭で考えるよりも先に、親友に謝りたいことが、自然に唇にのぼった。
「写真。ごめんね……」
修了式のあの日。
別れ際に見た彩奈の笑顔が、悠里の脳裏に浮かぶ。
嬉しそうな彩奈の声が、耳に蘇る。
『写真部のみんなと、桜を撮りに行くことにしたんだ!』
『満開もいいけど、この咲き始めの時期も、いいんだよねえ』
『今しかない、貴重なこの美を、いっぱい写真に収めてくるよ!』
赤メガネの下、彩奈の瞳は、キラキラと輝いていた。
風景を撮るのを得意としている彩奈。
どれほど楽しみに、どれほど一生懸命に、桜の姿を写真に収めただろう。
どんなに美しく、優しい写真を、撮っていただろう――
――ああ、見たかったな。
彩奈の、桜の写真……
そう思うと、悠里の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ出した。
「ごめんね……私のせいで、データ、消しちゃったの……」
私が、あの人たちに捕まってしまったせいで。
彩奈は、写真を捨ててしまった。
あの日の桜は、あの日にしか撮れないのに。
彩奈が、宝物のように大切に収めた桜の瞬間は、もう二度と、帰ってこないのに。
「ごめんね。ごめんね、彩奈……」
「バカ、あんた何言ってんのよ……」
彩奈が、泣いている。
悠里を抱き締め、髪を撫でながら、身体を震わせている。
それが悲しくて、悠里の涙も、止まらなくなってしまう。
――ああ。彩奈には、知られたくなかったなぁ……
グスッと小さく鼻を啜りながら、悠里は、そう思った。
大切な親友を、自分のことで悲しませたくなかった。
彩奈の前で、泣きたくなかった。
自覚、したくなかった。
自分は、ボロボロになったのだと。
彩奈を、こんなに泣かせてしまうほどに。
自分は、あの人たちに、汚されてしまったのだと――
理不尽な暴力に、屈せられてしまった、弱い自分。
こんな姿を、彩奈に、見せたくなかった……
ああ。また、あの冷たい目が、脳裏に浮かぶ。
自分を嘲笑う、あの甲高い声が聞こえる。
『惨めだねえ、悠里ちゃん?』
『悠里ちゃんはもう、汚れちゃったんだからね?』
最後に、自分に向かって落とされた、あの呪いの言葉が――
呪いは、悠里の頭の中で反響を繰り返し、身体から、心から、力を奪っていく。
指先が冷たくなり、凍えた胸が呻いた。
取り繕う気力も、消えてしまった。
「ごめんね……彩奈」
悠里はただ、震える声で呟く。
彩奈が、ブンブンと首を横に振り、力いっぱい抱き締めてくれた。
「私もう、絶対に、悠里の傍を離れない。もう、独りにしないよ。全部一緒に、背負うからね」
悠里は目を閉じ、親友の震える肩に頬を預けた。
「……うん」
自分を包み込もうとしてくれる、温かい腕。
それを有り難く思いながらも、悠里は、絶望感に深く囚われていた。
――忘れよう。
今日の朝まで、そう思っていた。
あの日のことは忘れて、知らないふりをして。
何も無かったことにすればいいと、思っていた。
けれど彩奈に、全てを知られてしまった。
もう、悠里の心だけの問題ではなくなった。
――もう、無かったことには、できないのだ。
悠里はぼんやりと、返すことのできなかった、彼のメッセージを思う。
『本当にごめん。
落ち着いてからでいい。
いつでもいいから、連絡欲しい』
今日こそ、返事をするつもりだった。
そうすれば何もかも、元通りになると、思っていた。
そう自分に、言い聞かせていた。
けれど、遅かった。
日常にはもう、戻れない――
悠里は力なく、微笑みを浮かべる。
彼にメッセージを返すことは、もうできない。
今さら、何を言えばいいというのか。
自分がひとり、閉じ篭っている間に、事態は進んでしまった。
自分が逃げている間に、彼ひとりが、全てを背負った。
私以外の皆が、事実を踏まえ、歩き始めた。
私ひとり、歩くのを拒絶して、取り残された。
あの日のことに目を背ければ、無かったことにできるって。
都合の良い夢を見ていた。
でも、夢はもう、終わり。
もう、元には戻れないんだ――
絶望のなか、悠里はそう思った。
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