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piece1 寄り添う親友
彩奈の来訪
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翌朝、悠里の熱は下がっていた。
「……良かったぁ」
体温計を姉の額に当てた悠人の頬が、ホッとしたように緩む。
「顔色も、ちょっとマシになったね、姉ちゃん」
「ふふ、悠人のお粥が効いたよ」
ベッド脇に立つ弟を見上げ、悠里もにっこりと微笑んだ。
心配してくれたのだろう、弟の悠人は朝の10時過ぎに、悠里の部屋を訪ねてきた。
本当に、彼の懸命な看病に助けられた。力を、分けて貰った。
何も知らない悠人と他愛もない会話をしていると、修了式の日に起こった出来事が遠くなる。
まるで、ただの悪い夢だったかのように、現実感が薄らいでくる。
それでいい。
このまま、忘れてしまえばいい。
何も言わずに、何も考えずに、あのことから遠ざかって。
無かったことにすればいい。
悠里は、布団の下に隠している大きなジャケットを、きゅっと握る。
今日こそは、彼にメッセージを返そう。
『心配かけてしまって、ごめんなさい。もう大丈夫です!』
なるべく、元気なメッセージを送ろう。
そうすればきっと、何もかも、元通りだから――
悠人と一緒に笑いながら、悠里はそんなことを考えていた。
「ねえ、悠人。部活行ってね。今日は午後練でしょ?」
弟のことを、早く日常に帰してあげたい。
悠里は、意識して明るい笑顔を作り、悠人に言った。
弟は目を丸くした後、躊躇する様子を見せる。
「ん~……でも、」
「大丈夫だよ! もう熱も下がったし、元気いっぱいだよ」
「いや、元気いっぱいには見えないけどね!?」
笑ってガッツポーズをとる姉を見て、悠人は苦笑混じりに突っ込む。
しかし本心では、部活のことが気になっていたのだろう。
悠人が、遠慮がちに問いかけてくる。
「……ホントに、行ってもいい?」
「うん! 姉ちゃんは、ゆっくりしてるから。部活がんばってよ」
悠人の目に、安心したような柔らかな色が浮かぶ。
「そっか。じゃあ……行こうかな」
「うん! 2日も休ませちゃって、ごめんね」
「全然いいよ、そんなの!」
部活に行けると思うと、心が躍るのだろう。
悠人の声が、弾んでいる。
「じゃあオレ、準備するね」
「うん! 私は昼ごはん作る」
「えっ、いいの? 無理しなくていいよ?」
心配そうに顔を覗き込んでくる弟に、悠里は明るく微笑んだ。
「ふふ、姉ちゃんも、ちょっと食べるから。簡単に、ホットサンドでも作るよ」
「やたー!」
子どものように喜んでくれる弟が微笑ましくて、悠里の心に、更に力が湧いてきた。
――大丈夫。このまま、日常に戻れる。
そう、思えた。
***
姉弟で和気藹々と、ベーコンとチーズのホットサンドを食べ、食後に雑談をしているときだった。
ふいに、玄関のチャイムが鳴った。
2人は、きょとんと顔を見合わせる。
「……誰だろ?」
「オレ、見てくるよ」
悠里と同じように首を傾げた弟が、リビングの壁にあるモニターへと歩いていった。
「……あっ、あれっ?」
モニターを覗いた悠人が、目を丸くして姉を振り返った。
「姉ちゃん」
「な、なあに?」
つられるようにして腰を上げた悠里の耳に、思いもよらない名前が飛び込んできた。
「彩奈さんだよ?」
ドキン、と心臓が嫌な音を立てた。
「……え?」
反射的に胸を押さえ、悠里は掠れた声を上げた。
――彩奈が。どうして?
ああ、まだスマホの電源を入れてなかったからだ。
きっと、彩奈は自分にメッセージを送ってくれていたのだろう。
返事がないことを心配して、家まで来てくれたに違いない……
親友と、顔を合わせて話す。
心の準備は、全くできていない。
けれどとにかく、ドアを開けなければ。
悠里は慌てて、カーディガンを羽織る。
「……大丈夫? とりあえずオレが出て、伝言でもしようか?」
姉の緊迫した表情を見て、気遣わしげに悠人が問いかけてくれる。
本当は、そうしたい。
パジャマ代わりの部屋着、整えてもいない、起きっぱなしの髪。
こんな自分を、本当は、彩奈に見られたくない。
けれど、悠里は微笑んで首を横に振った。
「ううん、私出るよ」
そう言って、パタパタと急ぎ足で玄関に向かう。
ドアの向こうにある気配に手が震えながらも、意を決して悠里は鍵を開けた。
ダークカラーを入れた長い髪、赤メガネ。意志の強い、理知的な瞳。
いつもと同じ、悠里の大切な親友の姿。
けれどその表情は暗く、固かった。
「彩奈……」
ドアを開ける前に考えていた、無難な挨拶の言葉は、悠里の頭の中で、あっけなく霧散した。
悠里はただ、ドアの向こうに立つ親友の名を、呼ぶことしかできなかった。
ズキン、ズキン、と心臓が痛む。
悠里は、グッと唇を噛み締めた。
しかし、後についてきてくれた弟の心配そうな視線を背中に感じ、慌てて明るい声を上げる。
「彩奈! いらっしゃい。ごめんね、こんな格好で。入って入って?」
悠里は、親友に向かって微笑みかけ、大きく扉を開けてみせた。
弟の前だ。親友の来訪を、喜ぶふりをして。
そうして彼が安心して、部活に行けるようにしなければ。
悠里の背後にいる弟を見たのだろう、彩奈の顔にも、パッと微笑みが浮かぶ。
「ごっめんねー急に来ちゃって! 悠里ったら、スマホ繋がらないんだもーん」
いつものような、元気で明るい声を出し、彩奈は冗談っぽく頬を膨らませた。
「悠人くんも、ごめんね! ビックリさせちゃった?」
「彩奈さん、おはようございます!」
弟が、悠里の隣りにやって来て答える。
「すいません。ウチの姉ちゃん、昨日まで熱あって、それでスマホ見てなかったみたいで」
とりなすように続けられた弟の言葉に、彩奈の目が見開かれる。
「えっ? 悠里、熱出たの? 大丈夫?」
「大丈夫! もう下がったから!」
悠里も、意識して声のトーンを上げて、元気に応えた。
そうして、彩奈に手招きをして微笑む。
「入って入って! 家でゆっくり、お話しよ?」
「……良かったぁ」
体温計を姉の額に当てた悠人の頬が、ホッとしたように緩む。
「顔色も、ちょっとマシになったね、姉ちゃん」
「ふふ、悠人のお粥が効いたよ」
ベッド脇に立つ弟を見上げ、悠里もにっこりと微笑んだ。
心配してくれたのだろう、弟の悠人は朝の10時過ぎに、悠里の部屋を訪ねてきた。
本当に、彼の懸命な看病に助けられた。力を、分けて貰った。
何も知らない悠人と他愛もない会話をしていると、修了式の日に起こった出来事が遠くなる。
まるで、ただの悪い夢だったかのように、現実感が薄らいでくる。
それでいい。
このまま、忘れてしまえばいい。
何も言わずに、何も考えずに、あのことから遠ざかって。
無かったことにすればいい。
悠里は、布団の下に隠している大きなジャケットを、きゅっと握る。
今日こそは、彼にメッセージを返そう。
『心配かけてしまって、ごめんなさい。もう大丈夫です!』
なるべく、元気なメッセージを送ろう。
そうすればきっと、何もかも、元通りだから――
悠人と一緒に笑いながら、悠里はそんなことを考えていた。
「ねえ、悠人。部活行ってね。今日は午後練でしょ?」
弟のことを、早く日常に帰してあげたい。
悠里は、意識して明るい笑顔を作り、悠人に言った。
弟は目を丸くした後、躊躇する様子を見せる。
「ん~……でも、」
「大丈夫だよ! もう熱も下がったし、元気いっぱいだよ」
「いや、元気いっぱいには見えないけどね!?」
笑ってガッツポーズをとる姉を見て、悠人は苦笑混じりに突っ込む。
しかし本心では、部活のことが気になっていたのだろう。
悠人が、遠慮がちに問いかけてくる。
「……ホントに、行ってもいい?」
「うん! 姉ちゃんは、ゆっくりしてるから。部活がんばってよ」
悠人の目に、安心したような柔らかな色が浮かぶ。
「そっか。じゃあ……行こうかな」
「うん! 2日も休ませちゃって、ごめんね」
「全然いいよ、そんなの!」
部活に行けると思うと、心が躍るのだろう。
悠人の声が、弾んでいる。
「じゃあオレ、準備するね」
「うん! 私は昼ごはん作る」
「えっ、いいの? 無理しなくていいよ?」
心配そうに顔を覗き込んでくる弟に、悠里は明るく微笑んだ。
「ふふ、姉ちゃんも、ちょっと食べるから。簡単に、ホットサンドでも作るよ」
「やたー!」
子どものように喜んでくれる弟が微笑ましくて、悠里の心に、更に力が湧いてきた。
――大丈夫。このまま、日常に戻れる。
そう、思えた。
***
姉弟で和気藹々と、ベーコンとチーズのホットサンドを食べ、食後に雑談をしているときだった。
ふいに、玄関のチャイムが鳴った。
2人は、きょとんと顔を見合わせる。
「……誰だろ?」
「オレ、見てくるよ」
悠里と同じように首を傾げた弟が、リビングの壁にあるモニターへと歩いていった。
「……あっ、あれっ?」
モニターを覗いた悠人が、目を丸くして姉を振り返った。
「姉ちゃん」
「な、なあに?」
つられるようにして腰を上げた悠里の耳に、思いもよらない名前が飛び込んできた。
「彩奈さんだよ?」
ドキン、と心臓が嫌な音を立てた。
「……え?」
反射的に胸を押さえ、悠里は掠れた声を上げた。
――彩奈が。どうして?
ああ、まだスマホの電源を入れてなかったからだ。
きっと、彩奈は自分にメッセージを送ってくれていたのだろう。
返事がないことを心配して、家まで来てくれたに違いない……
親友と、顔を合わせて話す。
心の準備は、全くできていない。
けれどとにかく、ドアを開けなければ。
悠里は慌てて、カーディガンを羽織る。
「……大丈夫? とりあえずオレが出て、伝言でもしようか?」
姉の緊迫した表情を見て、気遣わしげに悠人が問いかけてくれる。
本当は、そうしたい。
パジャマ代わりの部屋着、整えてもいない、起きっぱなしの髪。
こんな自分を、本当は、彩奈に見られたくない。
けれど、悠里は微笑んで首を横に振った。
「ううん、私出るよ」
そう言って、パタパタと急ぎ足で玄関に向かう。
ドアの向こうにある気配に手が震えながらも、意を決して悠里は鍵を開けた。
ダークカラーを入れた長い髪、赤メガネ。意志の強い、理知的な瞳。
いつもと同じ、悠里の大切な親友の姿。
けれどその表情は暗く、固かった。
「彩奈……」
ドアを開ける前に考えていた、無難な挨拶の言葉は、悠里の頭の中で、あっけなく霧散した。
悠里はただ、ドアの向こうに立つ親友の名を、呼ぶことしかできなかった。
ズキン、ズキン、と心臓が痛む。
悠里は、グッと唇を噛み締めた。
しかし、後についてきてくれた弟の心配そうな視線を背中に感じ、慌てて明るい声を上げる。
「彩奈! いらっしゃい。ごめんね、こんな格好で。入って入って?」
悠里は、親友に向かって微笑みかけ、大きく扉を開けてみせた。
弟の前だ。親友の来訪を、喜ぶふりをして。
そうして彼が安心して、部活に行けるようにしなければ。
悠里の背後にいる弟を見たのだろう、彩奈の顔にも、パッと微笑みが浮かぶ。
「ごっめんねー急に来ちゃって! 悠里ったら、スマホ繋がらないんだもーん」
いつものような、元気で明るい声を出し、彩奈は冗談っぽく頬を膨らませた。
「悠人くんも、ごめんね! ビックリさせちゃった?」
「彩奈さん、おはようございます!」
弟が、悠里の隣りにやって来て答える。
「すいません。ウチの姉ちゃん、昨日まで熱あって、それでスマホ見てなかったみたいで」
とりなすように続けられた弟の言葉に、彩奈の目が見開かれる。
「えっ? 悠里、熱出たの? 大丈夫?」
「大丈夫! もう下がったから!」
悠里も、意識して声のトーンを上げて、元気に応えた。
そうして、彩奈に手招きをして微笑む。
「入って入って! 家でゆっくり、お話しよ?」
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