#秒恋7 それぞれの翌日――壊れた日常を取り戻すために

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piece2 剛士の翌日――崩れゆく努力の証

お前の兄貴

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***


そのとき、小さくドアがノックされた。
「失礼します」
谷が返事をすると、遠慮がちに事務員の女性が顔を覗かせる。

「谷先生。ご指示通り、双方のお宅にご連絡致しました。どちらのお母様も今日、ご都合がつくということでしたので、13時からでお約束致しました」
「ああ、迅速な対応、ありがとうございます」

事務員は剛士には目を向けず、谷に一礼すると静かにドアを閉めた。


「……初だな、保護者呼び出しは」
冗談めかして、谷は首を竦めてみせた。
「お前の兄貴は、3か月にいっぺんは、やらかしてたけどな」

唐突に4つ上の兄の話をされ、剛士は苦い顔をする。
「……あいつの話なんか、どうでもいいだろ」
「はっは、元気でやってるか?兄貴は」
「知らねえよ。大学から1人暮らししてるし」
ふいと剛士は、そっぽを向く。
彼には珍しい、不貞腐れた態度が少し幼く見えて、谷は微笑ましくなってしまう。
何より、悪態をつく元気が多少は出た彼を見て、ホッとした。


谷は話を戻し、慰めるような声音で言った。
「まあ、岸部本人を殴ってはいないとはいえ、所持品を破損させたわけだからな。ケジメはつけんといかん。できるだけ早くな。それが問題解決のコツよ」

そうして谷は、壁の時計を見やる。
「約束の時間まで、30分あるな。お前、今のうちに部室に行って荷物取って来い」
一瞬の躊躇を見せた剛士に、谷は笑いかける。
「安心しろ。バスケ部は練習切り上げて、もう下校してる」

剛士は唇を引き結び、小さく頷いた。
谷は敢えて、軽い調子で続ける。
「腹減ってたら、何か食ってきてもいいぞ?」
「……減らねえよ」
溜め息混じりに剛士は答え、立ち上がった。
「行ってくる」
「おう。荷物取ったら、この部屋の隣りの、応接室に戻ってこい」
剛士はもう一度頷くと、足早に指導室を出た。


***


しん、と静まった部活棟。
剛士はひとり、部室に向かう。
誰もいないバスケ部のロッカールームは、冷えた空気が漂っていた。

思えば、練習着のままだった。
制服に着替えた方がいいだろう。
剛士は、自分のロッカーを開けた。

着替えながら剛士は、今日の朝、副キャプテンの健斗と話したときのことを思い返していた。


いつも通りの、筈だった。
今日の練習メニューの確認をして、意識するべき狙いを共有する。
役割分担を決めて、練習に臨む。
いつも通りに、こなせる筈だった。


津波のような激しい後悔が、剛士を飲み込む。

どうして、部員の前で、健斗の前で。
あんなことをしてしまったんだろう。
衝動を抑えて、まずはユタカを体育館から連れ出すべきだった。
キャプテンの自分が、部活動の場で、あんなことをするべきではなかった。


『剛士、剛士! おい、やめろ!!』

必死に自分を止めてくれた健斗の声が、耳に蘇る。


『剛士……』
バレー部の監督と体育館を出るときも、健斗は自分を呼んでくれていた。
それなのに自分は、応えるどころか振り返りもせず、部員の皆の前から、逃げてしまった。


痛烈な悔恨に、胸が引き裂かれる。

「……何やってんだよ、俺は」
バスケ部の皆には、何の関係もないことだったのに。
自分の意志の弱さで、迷惑をかけてしまった。

今まで築いてきた自分の足場が、グラグラと揺れ、崩れていく気がした。
皆との信頼関係が、消えてなくなってしまう気がした。


「くそ……」
ガン!とロッカーの扉を叩き、剛士はうな垂れる。

これは、自分への怒りだった。
悠里を、バスケ部を。
守るべきものを何も守れず、むしろ壊してしまった自分への、やるせない憤りだった。


***


着替えを済ませた剛士が、指定された応接室に行くと、既にユタカと母親、そして自分の母が向かい合って話していた。
意外にも談笑に近い、和やかな雰囲気である。

谷はテーブルの短辺の位置に椅子を持ってきて、双方の母親と近い位置に座っていた。
剛士を見ると小さく頷き、母の隣りに座るよう促す。
剛士は扉の前で一礼してから、母の隣りに立った。

母が、すっと立ち上がった。
「息子が参りましたので、改めて……この度は大変なご迷惑をお掛けして、申し訳ございません」
深く首を垂れた母に倣い、剛士もユタカの母親に向かって頭を下げた。
「すみませんでした。スマホの修理代、払います」

「そんなそんな、いいのよ! まだ保証期間中で修理も無料らしいの。だからそんなこと、気にしないで?」
ユタカの母親は、つられるようにして腰を上げる。
そうして、明るく思いやりに溢れた声音で言った。
「どうぞ、お2人とも頭を上げて、お座りになってください。ね?」


剛士と母を座らせると、ユタカの母親は、済まなそうな笑みを浮かべる。
「うちの息子から、大体の話は聞きました。息子が急に、バスケ部を退部すると言ったものだから、柴崎くん、驚いたのよね?」

ユタカがどう話しているのかが読みきれず、剛士はただ、ユタカの母親を見つめた。
剛士と目が合うと、ユタカの母親は優しい微笑を深める。
「それでうちの息子が、反抗的な態度を取ったものだから、喧嘩みたいになってしまって……こちらこそ、本当にごめんなさいね」

どういうことなのかと、剛士はユタカに目を移す。
ユタカが、話を合わせろ、というふうに目配せしてきた。
双方の母親がいるからか、彼の顔にはあの、馬鹿にしたような生温い笑いは刻まれていなかった。


息子2人の無言の探り合いには気がつかず、ユタカの母親は穏やかに続ける。
「本当は途中で投げ出さずに、部活を続けて欲しい気持ちもあるのだけど。ユタカなりに、自分の進路を考えて、結論を出したようだから。今回は本人の意志を、尊重しようと思うの」

ユタカの母親は、剛士に向かって頭を下げた。
「柴崎くん。部活のことだけでなく、いつも息子に、親切にお勉強を教えてくれてありがとう」

驚きと恐縮の空気を醸した剛士の母を見やり、ユタカの母親は微笑む。
「柴崎くん、うちの息子が勉強の質問をする度に、丁寧に教えてくださって。いつも本当にお世話になっていると、ユタカがよく話していたんですよ。2年生になってから、目に見えて成績も上がって。柴崎くんのおかげです」

「まあ」
剛士の母は頬をほころばせ、ユタカの母親に頭を下げた。
そのまま2人の母親は、和やかに微笑み合い、室内の空気はますます柔らかくなった。


ユタカの母親が、優しい目で剛士を見つめる。
「ユタカが部活を辞めること、本気で怒ってくれて、止めようとしてくれて、ありがとう。柴崎くんは、キャプテンですもの。いろいろと、思うところがあったのよね?」

剛士の心を、何とか思いやろうとする、暖かい声音だった。
「ユタカは、ひと足早くバスケ部を引退するけれど……柴崎くん、これからもがんばってね。応援しています。そして、どうかこれからも、うちの息子と仲良くしてやってね」


ユタカの母親がくれた、気遣いに溢れた言葉と、何も知らぬがゆえの残酷な言葉を、剛士は噛み締める。

互いの母親の前だ。
いまは、ユタカの描いたストーリーに、合わせた方がいい。
この場を穏便に切り抜けるのが得策だということは、わかっていた。

しかし、剛士には耐えられなかった。
ユタカの母親を騙すのも。
そうやって、自分だけが無傷でいようとすることも……


剛士は、微かに首を横に振る。
「……すみません。できません」

その場にいる全員が、予想外の言葉に虚をつかれる。
剛士は悲しみに目を曇らせながらも、真っ直ぐにユタカの母親を見た。
「友だちには、戻れません」

何か、必死に言葉を選ぼうとするユタカの母親に、剛士は続ける。
「それで僕がバスケ部を辞めることになっても、分校に行くことになっても、仕方ないと思ってます」
ユタカの母親が、慌てて剛士の声を遮る。
「そ、そんなことは望んでいないのよ? ね?ユタカ」

オロオロと、自分の息子と剛士を見比べるユタカの母親。
何も知らず、ただの仲間の諍いとして事を収めようとしてくれた彼女に、申し訳なさは募る。
しかし剛士はどうしても、自分の気持ちを、曲げられなかった。

たとえ嘘でも、『これからもユタカとは友だちです』などとは、言えなかった。


「剛士……」
やはり何の事情も知らない剛士の母も、小声で呼びかけてくる。
谷だけは何かを察したのか、眉間に皺を寄せるだけで、言葉を発しなかった。


***


息詰まる悲しい沈黙を破ったのは、ユタカの呆れたような声だった。
「もー。わかるけどさぁ。お前って、ホント……」


ユタカは、くるりと皆の顔を見渡し、言った。
「ちょっと、剛士と2人で話していっすか?」

双方の母親が心配の空気を醸したのに対し、ユタカは軽く笑った。
「大丈夫っすよ。殴り合いのケンカとかはしないっす! そもそもオレ、剛士に殴られてないし。スマホも、ちょっと揉み合いになった拍子に落っことして、自分で踏んじゃっただけなんで! 画面割れただけで、全然操作もできるし。ホント、大したことないっす!」

この期に及んで、どうして庇うような証言をするのか。
ユタカの意図が読めない。
剛士は唇を引き結び、向かいに座るユタカを見据える。

ユタカは、はぐらかすように、ニッと笑みを浮かべた。
「……な。最後に、話そうぜ、剛士?」

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