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piece2 剛士の翌日――崩れゆく努力の証
もう一度、積み上げる
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***
これまでに聞いたことのない、剛士の投げやりな言葉に、谷は驚く。
彼は本来、こんな言い方をする生徒ではない筈だ。
谷は、独りで物思いにふける剛士を見つめ、悲しげに眉を顰める。
谷は静かに、彼の正面の席に移動した。
そうして、しっかりと椅子に腰を据える。
「……なあ、柴崎」
先程までの、厳格な声ではない。
暖かい声音だった。
谷は真摯に、いま自分の目の前にいる、深く傷ついた生徒に向き合う。
「今から俺たちが話す内容は、俺の胸の内にとどめる。……だからな、柴崎」
谷は、真っ直ぐに剛士を見つめた。
「話してみろ」
少しの間、室内に沈んだ静寂が訪れた。
剛士は壁にもたれ、谷から顔を背けた姿勢のままだった。
けれど、ぽつりと、心の内を呟いた。
「……俺、悠里を守れなかった」
俯いた横顔は髪に隠れ、彼の表情は窺い知れない。
ただただ痛々しい声に、谷は言葉を失う。
ああ、と心のどこかで、得心がいった。
騒動の第一報を受けたとき、谷は驚き、疑問を持った。
キャプテンとして、陰になり日向になり、バスケ部のために働いていた剛士が。
何故、大切な部活動の場で、暴力沙汰を起こしたのか。
何故、積み上げてきたこと全てを、台無しにしかねない事態を引き起こしたのか。
それは、彼女に関わることだったからなのか――
谷は、言葉少なに尋ねた。
「……何か、手助けできるか?」
剛士は、力なく応える。
「……もう終わった。首謀者はもう、いないから」
カンナはもう、実家に帰った。
カンナが消えた以上、今後ユタカが悠里に危害を加える理由もないだろう。
そういう意味で、剛士は答えた。
「……そうか」
谷は、剛士を励ますために、優しい声を掛ける。
「なら、これからお前が、どうやって彼女の助けになっていけば良いか。考えないとな」
剛士は、悲しくかぶりを振る。
「……わからない」
拒絶された腕。
返事の来ないメッセージ。
昨日からずっと感じている、悲しみと、不安。
自分はもう、悠里の傍にいられなくなるかも知れない。
予感にも似た、恐怖。
剛士は、殆ど吐息だけの声で呟く。
「俺のせいなんだ」
「……お前の?」
怪訝そうな谷の声に、剛士は微かに頷いた。
「俺が傍にいなければ、こんなことにならなかった」
自分はもう、悠里の前から、消えるべきだ。
そんな思いが、剛士の頭から離れなくなった。
言葉にしてしまうと、尚更それが真実に思えてくる。
心に巣食う強い不安が、確信という恐怖へ姿を変えていく。
剛士は目を閉じ、ぎり、と歯を食いしばった。
「……なあ、柴崎。ひとりで、思い詰めるな」
谷は、うな垂れたまま微動だにしない剛士に、ゆっくりと語りかける。
「ひとりだけで考えると、人間、碌なことにならん。俺もいる。お前には、友だちの酒井拓真も、バスケ部の仲間も、いるだろう?」
瞬間、剛士は強く、首を横に振った。
ユタカから見せられた動画の光景ひとつひとつが。
剛士の頭の中で、フラッシュのように強烈な光を放った。
腕を掴まれて、頬を殴られる彼女。
髪を掴まれて、服を引き裂かれる彼女。
痛々しい悲鳴と、か細い泣き声が、聴こえる。
悠里のあんな姿を、一体誰に話し、何を相談できるというのだろう。
誰にも話したくない。
何も晒したくない。
これ以上、悠里を傷つけたくない……
目を閉じたまま、微かに唇を震わせた剛士を、谷は痛ましげに見つめる。
――話せないと、思っているのだろうか。
自分独りで、背負うしかないと。
深く殻に閉じ籠もってしまっている彼に、谷は辛抱強く働きかける。
「柴崎よ。あまり自分を責めすぎるな。自分を大切にできないと、大切な人をも、大事にできないぞ」
剛士はまた、力なく首を振る。
谷は優しい声音で、剛士に言葉を掛け続けた。
「大事なことは、橘さんの気持ちを、聞いてあげることだ。お前だけで、勝手に結論を出していいもんじゃないだろう?」
剛士は、グッと両拳を握り締める。
「……わかってるよ」
――話したい。
悠里に、会いたい。
本当は、離れたくない。
ずっと、傍にいたい……
どうか悠里も、そう思ってくれないだろうか。
返事の来ない、メッセージ。
彼女はいま、どうしているだろう。
ひとりにしたくないのに。
ひとりで苦しませたくないのに。
――お願い。お願い、悠里。
俺を呼んで。
泣いて、怒って、罵っていいから。
どうか、俺を傍に行かせて。
悠里。悠里……
谷の労わるような視線が、張り詰めた剛士の心を、そっと見守る。
剛士は、手で額と目を覆った。
そして振り絞るように、悲しみを吐露する。
「……俺、どうしたらいいんだろう。俺が何をしても、傷つけるだけかも知れない。どうしていいか、わからないんだ」
彼がここまで動揺し、惑う姿を、谷は初めて見た。
本来なら、何があったかを根掘り葉掘り聞かなければならないところかも知れない。
しかし、いま強制的に事情を追及すれば、彼は二度と、傷ついた心を見せてくれなくなるだろう。
それに、彼が『もう、終わった』と言うならば、教師の自分が出る幕はないのだ。
もし学校の力が有効ならば、剛士はすぐに相談を持ち掛けてくる筈だ。
いまは、事情を詮索するよりも、彼の崩れかけた心を立て直す手助けをするのが先決だ。
谷は、そう思った。
「……焦るな、柴崎」
谷は剛士に向かい、暖かく励ましの言葉を重ねた。
「いま起こっている問題は、すぐに結論が出るもんじゃないんだろう? だったら、辛かろうが腰を据えなきゃならん」
剛士が微かに目を上げ、谷を見つめる。
昨夜、殆ど眠っていないのだろう。
いつもの真っ直ぐに輝く彼の瞳とは似つかない。
儚く揺れる、悲しい目だった。
谷は、優しく語りかける。
「柴崎。まずは、休め。よく寝ろ。寝不足で考える頭は、碌なことを思いつかん。状況を良くしていくには、まず、自分の心身を整えることが大事だ」
頼りなく自分を見つめる剛士に、谷は大丈夫だというふうに、頷いてみせた。
「人生、本当に取り返しがつかないことって、そんなには無いもんだ。大切な人を守れなかったなら、次こそ守れ。どんなに時間がかかっても。また、ひとつずつ積み上げろ。お前にとって、本当に大切なものならば、必ず立て直せる」
剛士は、谷の力強い言葉を、ゆっくりと反芻する。
もう一度、積み上げる。
立て直す。
悠里と、ゆっくり積み上げてきた、優しい時間。
粉々に砕かれてしまった、かけがえのない時間。
赦されるならば、もう一度大切に、時間を重ねたい。
もう一度、悠里の傍に行きたい……
剛士は、縋るように祈った。
これまでに聞いたことのない、剛士の投げやりな言葉に、谷は驚く。
彼は本来、こんな言い方をする生徒ではない筈だ。
谷は、独りで物思いにふける剛士を見つめ、悲しげに眉を顰める。
谷は静かに、彼の正面の席に移動した。
そうして、しっかりと椅子に腰を据える。
「……なあ、柴崎」
先程までの、厳格な声ではない。
暖かい声音だった。
谷は真摯に、いま自分の目の前にいる、深く傷ついた生徒に向き合う。
「今から俺たちが話す内容は、俺の胸の内にとどめる。……だからな、柴崎」
谷は、真っ直ぐに剛士を見つめた。
「話してみろ」
少しの間、室内に沈んだ静寂が訪れた。
剛士は壁にもたれ、谷から顔を背けた姿勢のままだった。
けれど、ぽつりと、心の内を呟いた。
「……俺、悠里を守れなかった」
俯いた横顔は髪に隠れ、彼の表情は窺い知れない。
ただただ痛々しい声に、谷は言葉を失う。
ああ、と心のどこかで、得心がいった。
騒動の第一報を受けたとき、谷は驚き、疑問を持った。
キャプテンとして、陰になり日向になり、バスケ部のために働いていた剛士が。
何故、大切な部活動の場で、暴力沙汰を起こしたのか。
何故、積み上げてきたこと全てを、台無しにしかねない事態を引き起こしたのか。
それは、彼女に関わることだったからなのか――
谷は、言葉少なに尋ねた。
「……何か、手助けできるか?」
剛士は、力なく応える。
「……もう終わった。首謀者はもう、いないから」
カンナはもう、実家に帰った。
カンナが消えた以上、今後ユタカが悠里に危害を加える理由もないだろう。
そういう意味で、剛士は答えた。
「……そうか」
谷は、剛士を励ますために、優しい声を掛ける。
「なら、これからお前が、どうやって彼女の助けになっていけば良いか。考えないとな」
剛士は、悲しくかぶりを振る。
「……わからない」
拒絶された腕。
返事の来ないメッセージ。
昨日からずっと感じている、悲しみと、不安。
自分はもう、悠里の傍にいられなくなるかも知れない。
予感にも似た、恐怖。
剛士は、殆ど吐息だけの声で呟く。
「俺のせいなんだ」
「……お前の?」
怪訝そうな谷の声に、剛士は微かに頷いた。
「俺が傍にいなければ、こんなことにならなかった」
自分はもう、悠里の前から、消えるべきだ。
そんな思いが、剛士の頭から離れなくなった。
言葉にしてしまうと、尚更それが真実に思えてくる。
心に巣食う強い不安が、確信という恐怖へ姿を変えていく。
剛士は目を閉じ、ぎり、と歯を食いしばった。
「……なあ、柴崎。ひとりで、思い詰めるな」
谷は、うな垂れたまま微動だにしない剛士に、ゆっくりと語りかける。
「ひとりだけで考えると、人間、碌なことにならん。俺もいる。お前には、友だちの酒井拓真も、バスケ部の仲間も、いるだろう?」
瞬間、剛士は強く、首を横に振った。
ユタカから見せられた動画の光景ひとつひとつが。
剛士の頭の中で、フラッシュのように強烈な光を放った。
腕を掴まれて、頬を殴られる彼女。
髪を掴まれて、服を引き裂かれる彼女。
痛々しい悲鳴と、か細い泣き声が、聴こえる。
悠里のあんな姿を、一体誰に話し、何を相談できるというのだろう。
誰にも話したくない。
何も晒したくない。
これ以上、悠里を傷つけたくない……
目を閉じたまま、微かに唇を震わせた剛士を、谷は痛ましげに見つめる。
――話せないと、思っているのだろうか。
自分独りで、背負うしかないと。
深く殻に閉じ籠もってしまっている彼に、谷は辛抱強く働きかける。
「柴崎よ。あまり自分を責めすぎるな。自分を大切にできないと、大切な人をも、大事にできないぞ」
剛士はまた、力なく首を振る。
谷は優しい声音で、剛士に言葉を掛け続けた。
「大事なことは、橘さんの気持ちを、聞いてあげることだ。お前だけで、勝手に結論を出していいもんじゃないだろう?」
剛士は、グッと両拳を握り締める。
「……わかってるよ」
――話したい。
悠里に、会いたい。
本当は、離れたくない。
ずっと、傍にいたい……
どうか悠里も、そう思ってくれないだろうか。
返事の来ない、メッセージ。
彼女はいま、どうしているだろう。
ひとりにしたくないのに。
ひとりで苦しませたくないのに。
――お願い。お願い、悠里。
俺を呼んで。
泣いて、怒って、罵っていいから。
どうか、俺を傍に行かせて。
悠里。悠里……
谷の労わるような視線が、張り詰めた剛士の心を、そっと見守る。
剛士は、手で額と目を覆った。
そして振り絞るように、悲しみを吐露する。
「……俺、どうしたらいいんだろう。俺が何をしても、傷つけるだけかも知れない。どうしていいか、わからないんだ」
彼がここまで動揺し、惑う姿を、谷は初めて見た。
本来なら、何があったかを根掘り葉掘り聞かなければならないところかも知れない。
しかし、いま強制的に事情を追及すれば、彼は二度と、傷ついた心を見せてくれなくなるだろう。
それに、彼が『もう、終わった』と言うならば、教師の自分が出る幕はないのだ。
もし学校の力が有効ならば、剛士はすぐに相談を持ち掛けてくる筈だ。
いまは、事情を詮索するよりも、彼の崩れかけた心を立て直す手助けをするのが先決だ。
谷は、そう思った。
「……焦るな、柴崎」
谷は剛士に向かい、暖かく励ましの言葉を重ねた。
「いま起こっている問題は、すぐに結論が出るもんじゃないんだろう? だったら、辛かろうが腰を据えなきゃならん」
剛士が微かに目を上げ、谷を見つめる。
昨夜、殆ど眠っていないのだろう。
いつもの真っ直ぐに輝く彼の瞳とは似つかない。
儚く揺れる、悲しい目だった。
谷は、優しく語りかける。
「柴崎。まずは、休め。よく寝ろ。寝不足で考える頭は、碌なことを思いつかん。状況を良くしていくには、まず、自分の心身を整えることが大事だ」
頼りなく自分を見つめる剛士に、谷は大丈夫だというふうに、頷いてみせた。
「人生、本当に取り返しがつかないことって、そんなには無いもんだ。大切な人を守れなかったなら、次こそ守れ。どんなに時間がかかっても。また、ひとつずつ積み上げろ。お前にとって、本当に大切なものならば、必ず立て直せる」
剛士は、谷の力強い言葉を、ゆっくりと反芻する。
もう一度、積み上げる。
立て直す。
悠里と、ゆっくり積み上げてきた、優しい時間。
粉々に砕かれてしまった、かけがえのない時間。
赦されるならば、もう一度大切に、時間を重ねたい。
もう一度、悠里の傍に行きたい……
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