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piece1 悠里の翌日――変わらぬ朝
急激な身体の変調
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急激な胸のむかつきを感じ、悠里は手で口を押さえる。
弟に何を言う余裕もなく、バタバタとお手洗いに駆け込んだ。
トイレの蓋を開けると同時に、吐いてしまう。
悠里はトイレの前にしゃがみ込み、暫くの間、強烈な吐き気に突き動かされ続けた。
胃が、お腹が、ぐるぐると蠢き、激しく波打っている。
悠里は、みぞおちを押さえ、咳き込む。
そうするとまた、暴力的な吐き気に襲われて、胃液を吐き出してしまう。
思えば昨日の出来事から、何も食べていない。
胃の中には、吐くものなど何も入っていない。
それでも猛烈な吐き気が、容赦なく悠里を襲った。
胃が、お腹が、喉が、痛い。
悠里は不器用な呼吸を繰り返し、必死に耐える。
身体中から冷や汗が吹き出し、悠里の額から、汗が流れた。
「はあっ……はあっ……」
少し、落ち着いただろうか。
ドクドクと暴れる鼓動と、まだ重く痙攣しているお腹を摩り、悠里は息をつく。
きっと、悠人が心配している。
早く戻らなきゃ。
そう思った瞬間、また大きな波がやって来た。
悠里は呻き声を上げ、再び吐き始める。
酸っぱくて、苦いものが、喘ぎながら喉を通り抜けていく。
痛くて苦しくて、涙が溢れた。
――なんで。なんで。
何も、食べてない。
吐くものなんて、何も無いよ……
ギリギリと、捩れるような胃の痛みを、悠里は歯を食いしばって耐える。
いつの間にか、全身が寒気に囚われ、悠里はガタガタと震えていた。
***
「……姉ちゃん、大丈夫?」
トイレのドアの外から、遠慮がちな弟の声が聞こえた。
悠里は、ハッとする。
慌てて口元を袖で覆い隠し、ドアを開ける。
「ご、ごめん、急に」
努めて明るい声で、悠里は言う。
「何だろ、ごめんね。胃腸風邪でも引いたかな」
とぼけたように苦笑した姉に、悠人は真顔でタオルを差し出す。
「あ、ありがとう……」
悠里はそれを受け取ると、口元を押さえる。
そうして、明るい声音を崩さないように、弟に言った。
「気にせず、冷めないうちにご飯食べて?片付けは後でやるから、置いといてね」
自分がここにいたら、悠人がゆっくり食事ができない。
とりあえず2階に上がろう。
まだ心配そうに自分を見つめる弟に、悠里は、ヒラヒラと手を振ってみせた。
洗面所に入り、手を洗って、うがいをし、歯磨きをする。
鏡に映る自分の顔は蒼白で、まるで幽霊のようだ。
そんな自分を見たくなくて、悠里は新しいタオルで顔を覆う。
吐き気は、とりあえず治まった。
今のうちに、自分の部屋に戻らなくては。
悠里は手摺りを掴みながら、気力を振り絞って階段を昇っていった。
真っ暗な部屋で、悠里は何とか着替えを済ませると、這うようにしてベッドに潜り込む。
タオルを口元に当てたまま、できるだけ布団で身体を包み込む。
そうしても、全身を襲う震えは収まらない。
カチカチと鳴る歯の音を聞きながら、悠里は身体を縮こまらせた。
――寝よう。とにかく、寝よう。
大丈夫、ちょっと寝不足で、疲れただけだ。
少し眠れば良くなるはず。
そう自分に言い聞かせ、悠里はぎゅっと目を閉じた。
***
どれくらい、時間が経っただろう。
ドアをノックする小さな音が聞こえて、悠里はそろそろと身を起こす。
「……姉ちゃん、起きてる?」
「あ、うん。待ってて」
悠里はベッドから降り、ドアを開ける。
弟が、タオルと水の入ったペットボトル、そして悠里のスマートフォンを持って立っていた。
「大丈夫? 具合どう?」
悠人が心配そうに眉を顰める。
悠里は、パッと笑顔を作ってみせた。
「うん。だいぶ良くなったよ。ごめん、心配かけて」
しかし悠人は、憂い顔を崩さなかった。
「姉ちゃん、めっちゃ顔色悪いよ。ホントに大丈夫? 母さんに連絡して、出張から帰って来て貰う?」
「だ、大丈夫だよ、ただの風邪だって! お母さんたちに心配かけたくないから、連絡しないでよ?」
両親は、地方のイベント運営のため出張に出ている。
帰りは1週間後、来週の金曜日の予定だ。
悠里は弟からタオルと飲み物、そしてスマートフォンを受け取り、微笑んだ。
「ちょっと疲れてるだけだから。寝たら治るから、ホントに心配しないで?」
「……うん」
悠人は、渋々ながらも頷いた。
「あ、台所の片付けは、やっといたから。ゆっくり寝な?」
「えっ、ごめん。ありがとう」
「いいって。あ、唐揚げもスープも、うまかったよ。姉ちゃんの分も残してるから、お腹空いたら食べなね?」
思いやりに満ちた行動と言葉を掛けてくれる弟に、嬉しさと申し訳なさでいっぱいになる。
「うん……ありがと」
悠人は、照れ臭そうに苦笑いを零し、言った。
「……じゃあ、おやすみ。何かあったら、また言って?」
「うん! ありがとね、悠人」
悠里は、にっこりと微笑み、弟におやすみの挨拶を返した。
ドアを閉めると、悠里は貼り付けた笑みを剥ぎ取り、息をつく。
明るく振る舞おうと気を張っていたためか、喉がカラカラに乾いていた。
悠里は、部屋の中央に敷いたラグの上に、ぺたりと座り込む。
小さなローテーブルに、水と新しいタオル、そしてスマートフォンを置いた。
修理から戻ってきたまま、まだ電源すら入れていない。
綺麗になったスマートフォンの画面は、真っ暗だ。
しかし今の悠里に、電源を入れる余裕などなかった。
悠里は、弟が持って来てくれたペットボトルを開け、冷たい水で口内と喉を潤す。
悠里はもう一度、はぁーっと大きな溜め息をついた。
吐き気は今のところ、収まっている。
このまま、無事に朝を迎えられますように。
祈るような思いで、悠里はベッドに潜り込んだ。
***
時刻は真夜中。
願いも虚しく、悠里はベッドとトイレの往復を繰り返していた。
何度も何度も、胃液を吐き出した喉が痛くて、悠里は小さく呻く。
お腹が、ギリギリと締めつけられるように痛い。
必死に両腕で押さえても、胃が痙攣する苦しみは続いた。
もう、ベッドまで歩く気力も無かった。
悠里は、部屋のラグにぐったりと横たわる。
エアコンを付けているので、室温は適温に保たれているはずだ。
しかし彼女の身体は、震えが止まらなかった。
もう、耐えられない――
悠里は、這うようにしてクローゼットの前まで行き、扉を開ける。
必死に手を伸ばし、あのジャケットを取り出した。
自分が一番欲しい、優しさと温もりを求めて……
ぎゅっと、胸に抱き締める。
助けて欲しい。
この寒さから、救い出して欲しい。
その一心で、悠里は大きなジャケットにくるまった。
そうして小さな猫のように、ラグの上で丸くなった。
錯覚、かも知れない。
けれど、ジャケットからふわりと、暖かい匂いがした。
懐かしくて、優しい気配がした。
全てを包み込んで貰える気がした――
ゆっくり、ゆっくりと、悠里の唇は酸素を取り込んでいく。
少しずつ、気持ちが落ち着いてくる。
――ああ、眠れそう……
ようやく、身体が安らげる気がした。
悠里は、ジャケットの袖に頬を擦り寄せ、目を閉じる。
そうして、暖かく包まれる感覚に、身を委ねた。
弟に何を言う余裕もなく、バタバタとお手洗いに駆け込んだ。
トイレの蓋を開けると同時に、吐いてしまう。
悠里はトイレの前にしゃがみ込み、暫くの間、強烈な吐き気に突き動かされ続けた。
胃が、お腹が、ぐるぐると蠢き、激しく波打っている。
悠里は、みぞおちを押さえ、咳き込む。
そうするとまた、暴力的な吐き気に襲われて、胃液を吐き出してしまう。
思えば昨日の出来事から、何も食べていない。
胃の中には、吐くものなど何も入っていない。
それでも猛烈な吐き気が、容赦なく悠里を襲った。
胃が、お腹が、喉が、痛い。
悠里は不器用な呼吸を繰り返し、必死に耐える。
身体中から冷や汗が吹き出し、悠里の額から、汗が流れた。
「はあっ……はあっ……」
少し、落ち着いただろうか。
ドクドクと暴れる鼓動と、まだ重く痙攣しているお腹を摩り、悠里は息をつく。
きっと、悠人が心配している。
早く戻らなきゃ。
そう思った瞬間、また大きな波がやって来た。
悠里は呻き声を上げ、再び吐き始める。
酸っぱくて、苦いものが、喘ぎながら喉を通り抜けていく。
痛くて苦しくて、涙が溢れた。
――なんで。なんで。
何も、食べてない。
吐くものなんて、何も無いよ……
ギリギリと、捩れるような胃の痛みを、悠里は歯を食いしばって耐える。
いつの間にか、全身が寒気に囚われ、悠里はガタガタと震えていた。
***
「……姉ちゃん、大丈夫?」
トイレのドアの外から、遠慮がちな弟の声が聞こえた。
悠里は、ハッとする。
慌てて口元を袖で覆い隠し、ドアを開ける。
「ご、ごめん、急に」
努めて明るい声で、悠里は言う。
「何だろ、ごめんね。胃腸風邪でも引いたかな」
とぼけたように苦笑した姉に、悠人は真顔でタオルを差し出す。
「あ、ありがとう……」
悠里はそれを受け取ると、口元を押さえる。
そうして、明るい声音を崩さないように、弟に言った。
「気にせず、冷めないうちにご飯食べて?片付けは後でやるから、置いといてね」
自分がここにいたら、悠人がゆっくり食事ができない。
とりあえず2階に上がろう。
まだ心配そうに自分を見つめる弟に、悠里は、ヒラヒラと手を振ってみせた。
洗面所に入り、手を洗って、うがいをし、歯磨きをする。
鏡に映る自分の顔は蒼白で、まるで幽霊のようだ。
そんな自分を見たくなくて、悠里は新しいタオルで顔を覆う。
吐き気は、とりあえず治まった。
今のうちに、自分の部屋に戻らなくては。
悠里は手摺りを掴みながら、気力を振り絞って階段を昇っていった。
真っ暗な部屋で、悠里は何とか着替えを済ませると、這うようにしてベッドに潜り込む。
タオルを口元に当てたまま、できるだけ布団で身体を包み込む。
そうしても、全身を襲う震えは収まらない。
カチカチと鳴る歯の音を聞きながら、悠里は身体を縮こまらせた。
――寝よう。とにかく、寝よう。
大丈夫、ちょっと寝不足で、疲れただけだ。
少し眠れば良くなるはず。
そう自分に言い聞かせ、悠里はぎゅっと目を閉じた。
***
どれくらい、時間が経っただろう。
ドアをノックする小さな音が聞こえて、悠里はそろそろと身を起こす。
「……姉ちゃん、起きてる?」
「あ、うん。待ってて」
悠里はベッドから降り、ドアを開ける。
弟が、タオルと水の入ったペットボトル、そして悠里のスマートフォンを持って立っていた。
「大丈夫? 具合どう?」
悠人が心配そうに眉を顰める。
悠里は、パッと笑顔を作ってみせた。
「うん。だいぶ良くなったよ。ごめん、心配かけて」
しかし悠人は、憂い顔を崩さなかった。
「姉ちゃん、めっちゃ顔色悪いよ。ホントに大丈夫? 母さんに連絡して、出張から帰って来て貰う?」
「だ、大丈夫だよ、ただの風邪だって! お母さんたちに心配かけたくないから、連絡しないでよ?」
両親は、地方のイベント運営のため出張に出ている。
帰りは1週間後、来週の金曜日の予定だ。
悠里は弟からタオルと飲み物、そしてスマートフォンを受け取り、微笑んだ。
「ちょっと疲れてるだけだから。寝たら治るから、ホントに心配しないで?」
「……うん」
悠人は、渋々ながらも頷いた。
「あ、台所の片付けは、やっといたから。ゆっくり寝な?」
「えっ、ごめん。ありがとう」
「いいって。あ、唐揚げもスープも、うまかったよ。姉ちゃんの分も残してるから、お腹空いたら食べなね?」
思いやりに満ちた行動と言葉を掛けてくれる弟に、嬉しさと申し訳なさでいっぱいになる。
「うん……ありがと」
悠人は、照れ臭そうに苦笑いを零し、言った。
「……じゃあ、おやすみ。何かあったら、また言って?」
「うん! ありがとね、悠人」
悠里は、にっこりと微笑み、弟におやすみの挨拶を返した。
ドアを閉めると、悠里は貼り付けた笑みを剥ぎ取り、息をつく。
明るく振る舞おうと気を張っていたためか、喉がカラカラに乾いていた。
悠里は、部屋の中央に敷いたラグの上に、ぺたりと座り込む。
小さなローテーブルに、水と新しいタオル、そしてスマートフォンを置いた。
修理から戻ってきたまま、まだ電源すら入れていない。
綺麗になったスマートフォンの画面は、真っ暗だ。
しかし今の悠里に、電源を入れる余裕などなかった。
悠里は、弟が持って来てくれたペットボトルを開け、冷たい水で口内と喉を潤す。
悠里はもう一度、はぁーっと大きな溜め息をついた。
吐き気は今のところ、収まっている。
このまま、無事に朝を迎えられますように。
祈るような思いで、悠里はベッドに潜り込んだ。
***
時刻は真夜中。
願いも虚しく、悠里はベッドとトイレの往復を繰り返していた。
何度も何度も、胃液を吐き出した喉が痛くて、悠里は小さく呻く。
お腹が、ギリギリと締めつけられるように痛い。
必死に両腕で押さえても、胃が痙攣する苦しみは続いた。
もう、ベッドまで歩く気力も無かった。
悠里は、部屋のラグにぐったりと横たわる。
エアコンを付けているので、室温は適温に保たれているはずだ。
しかし彼女の身体は、震えが止まらなかった。
もう、耐えられない――
悠里は、這うようにしてクローゼットの前まで行き、扉を開ける。
必死に手を伸ばし、あのジャケットを取り出した。
自分が一番欲しい、優しさと温もりを求めて……
ぎゅっと、胸に抱き締める。
助けて欲しい。
この寒さから、救い出して欲しい。
その一心で、悠里は大きなジャケットにくるまった。
そうして小さな猫のように、ラグの上で丸くなった。
錯覚、かも知れない。
けれど、ジャケットからふわりと、暖かい匂いがした。
懐かしくて、優しい気配がした。
全てを包み込んで貰える気がした――
ゆっくり、ゆっくりと、悠里の唇は酸素を取り込んでいく。
少しずつ、気持ちが落ち着いてくる。
――ああ、眠れそう……
ようやく、身体が安らげる気がした。
悠里は、ジャケットの袖に頬を擦り寄せ、目を閉じる。
そうして、暖かく包まれる感覚に、身を委ねた。
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