31 / 41
piece8 ガラスの心
時間を戻されたような感覚
しおりを挟む
小さく深呼吸し、剛士はまず、彼女の問いかけに答えることから始める。
「……うん。俺の中に、あの人に対する気持ちが、残っていたんだと思う」
正直に、剛士は言った。
元恋人への気持ち。
悠里を傷つけてしまう言葉だと、わかっていた。
けれど彼女に対して、嘘をつきたくない。
自分にできる精一杯で、剛士は正直な気持ちを、言葉にしていく。
「未練があるとか、そういうんじゃない。けど、顔を見た瞬間、昔に巻き戻されたみたいで。俺の中に埋まってた、昔のままの感情が、いきなり掘り起こされるみたいで……」
自嘲気味の暗い笑みを浮かべ、剛士は一瞬、目を伏せた。
「……はは、なんでだろうな。化石じゃあるまいし」
最後の言葉は冗談になり損ね、苦しい吐息のように彼の唇から零れ落ちた。
彼の言葉ひとつひとつが、悠里の胸に深く突き刺さり、痛みが広がっていく。
この気持ちを、どう受け止めれば、いいだろうか。
未練ではないと、剛士は真っ直ぐに自分を見て、そう言った。
けれど、この数日のうちに何度も見た、悲しく沈む切れ長の瞳。
苦しそうに引き結ばれた唇。
彼の中にある『あの人に対する気持ち』とは、何だろうか。
『昔に巻き戻されたみたい』な感覚とは、何を意味するだろうか。
きっと、剛士自身にもまだ、正体は掴めていない。
彼の中に埋まっている『昔のままの感情』。
それが、掘り起こされたら。
その正体を知ってしまったら。
自分たちは、これからも一緒にいられるだろうか――
繋いだままの手から、体温が抜けていく。
彼の姿が涙に滲んで、正確な像を結ばなくなる。
消えていく。
今日、大切に集めてきた剛士との温もりが。
未来へと続いていけると思えた、優しい希望が……
不安で怖くて、全てが崩れてしまいそうだった。
けれど、泣いてはいけない、まだ。
悠里は瞬きを繰り返し、涙を心に押し込む。
「……ごめんな。不安な思いをさせて」
悠里を映し返す切れ長の瞳は、優しい色を浮かべたままだった。
悠里は首を振り、必死に答える。
「大丈夫だよ。聞かせて……」
そうして目を逸らさずに、剛士を見つめる。
彼が嘘偽りなく、真っ直ぐに語りかけようとしてくれているのがわかるから、自分も応えたかった。
彼の心を、真っ直ぐに見つめたかった。
剛士はきっと、悠里に伝えたくて、知って欲しくて。
必死に言葉を探しているのだから。
悠里は唇を噛み締め、剛士の言葉の続きを待った。
剛士が一瞬目を閉じ、小さく息を吸う。
またひとつ、本当は見せたくなかったはずの心の中を、彼がさらそうとしているのが悠里にもわかった。
「……悠里。拓真から、大体のことは聞いてるよな」
ズキリと、彼女の胸が悲鳴を上げる。
カラオケルーム。残った3人で話した。
彼の過去を聞いた。
拓真の、怒りを滲ませた声。
悲しみに沈んだ声。
ありありと思い起こすことができる。
剛士のいない場所で、剛士の傷に、踏み込んでしまった。
そのときの後ろめたさと悲しさが蘇り、悠里は睫毛を伏せた。
「……うん。ごめんなさい」
「別にいいよ。昔の話だし」
剛士は、何でもないことのように応える。
そして、悠里は何も悪くないと言うかのように、優しい顔で微笑んだ。
「本当は俺が、自分で話さなきゃいけなかった。なのに、何も説明せずに帰った。拓真に任せきりにした……俺が悪い」
自分たちと離れて、元恋人と話をしたことを指すのだろう。
刻みつけるように、自身を責める言葉を口にする彼が、悲しい。
「ちゃんと俺の言葉で説明しなくて……逃げて、ごめん」
剛士はもう一度、真っ直ぐに悠里を見つめながら謝罪の言葉を口にした。
チカチカと輝く、優しいイルミネーションの光が、ずっと遠くに感じる。
冷え切った風が寂しい溜め息のように、2人の周りを吹き抜けた。
「情けないけど、どうしていいか、わからなくなったんだ。みんなと合流しても、時間を戻されたような感覚から、抜け出せなくて」
剛士の声が、風に吹かれる蝋燭の火のように、時折頼りなく揺れる。
「拓真にも彩奈にも、悠里にも……気を遣わせてるって、わかってたのに、気持ちを立て直せなくて。お前の顔を見ることすら、できなかった」
繋いだままの大きな手が、縋るように悠里の手を握った。
剛士の感じている『時間を戻されたような感覚』。
剛士自身も、その感覚に戸惑い、迷っている。
そして、理由を探り当てようと、もがき苦しんでいるのが伝わってきた。
ぎゅっと、必死に悠里の手を握る彼の本心は、どこにあるだろうか――
悠里は目を凝らして、彼の瞳の奥を見つめる。
「……うん。俺の中に、あの人に対する気持ちが、残っていたんだと思う」
正直に、剛士は言った。
元恋人への気持ち。
悠里を傷つけてしまう言葉だと、わかっていた。
けれど彼女に対して、嘘をつきたくない。
自分にできる精一杯で、剛士は正直な気持ちを、言葉にしていく。
「未練があるとか、そういうんじゃない。けど、顔を見た瞬間、昔に巻き戻されたみたいで。俺の中に埋まってた、昔のままの感情が、いきなり掘り起こされるみたいで……」
自嘲気味の暗い笑みを浮かべ、剛士は一瞬、目を伏せた。
「……はは、なんでだろうな。化石じゃあるまいし」
最後の言葉は冗談になり損ね、苦しい吐息のように彼の唇から零れ落ちた。
彼の言葉ひとつひとつが、悠里の胸に深く突き刺さり、痛みが広がっていく。
この気持ちを、どう受け止めれば、いいだろうか。
未練ではないと、剛士は真っ直ぐに自分を見て、そう言った。
けれど、この数日のうちに何度も見た、悲しく沈む切れ長の瞳。
苦しそうに引き結ばれた唇。
彼の中にある『あの人に対する気持ち』とは、何だろうか。
『昔に巻き戻されたみたい』な感覚とは、何を意味するだろうか。
きっと、剛士自身にもまだ、正体は掴めていない。
彼の中に埋まっている『昔のままの感情』。
それが、掘り起こされたら。
その正体を知ってしまったら。
自分たちは、これからも一緒にいられるだろうか――
繋いだままの手から、体温が抜けていく。
彼の姿が涙に滲んで、正確な像を結ばなくなる。
消えていく。
今日、大切に集めてきた剛士との温もりが。
未来へと続いていけると思えた、優しい希望が……
不安で怖くて、全てが崩れてしまいそうだった。
けれど、泣いてはいけない、まだ。
悠里は瞬きを繰り返し、涙を心に押し込む。
「……ごめんな。不安な思いをさせて」
悠里を映し返す切れ長の瞳は、優しい色を浮かべたままだった。
悠里は首を振り、必死に答える。
「大丈夫だよ。聞かせて……」
そうして目を逸らさずに、剛士を見つめる。
彼が嘘偽りなく、真っ直ぐに語りかけようとしてくれているのがわかるから、自分も応えたかった。
彼の心を、真っ直ぐに見つめたかった。
剛士はきっと、悠里に伝えたくて、知って欲しくて。
必死に言葉を探しているのだから。
悠里は唇を噛み締め、剛士の言葉の続きを待った。
剛士が一瞬目を閉じ、小さく息を吸う。
またひとつ、本当は見せたくなかったはずの心の中を、彼がさらそうとしているのが悠里にもわかった。
「……悠里。拓真から、大体のことは聞いてるよな」
ズキリと、彼女の胸が悲鳴を上げる。
カラオケルーム。残った3人で話した。
彼の過去を聞いた。
拓真の、怒りを滲ませた声。
悲しみに沈んだ声。
ありありと思い起こすことができる。
剛士のいない場所で、剛士の傷に、踏み込んでしまった。
そのときの後ろめたさと悲しさが蘇り、悠里は睫毛を伏せた。
「……うん。ごめんなさい」
「別にいいよ。昔の話だし」
剛士は、何でもないことのように応える。
そして、悠里は何も悪くないと言うかのように、優しい顔で微笑んだ。
「本当は俺が、自分で話さなきゃいけなかった。なのに、何も説明せずに帰った。拓真に任せきりにした……俺が悪い」
自分たちと離れて、元恋人と話をしたことを指すのだろう。
刻みつけるように、自身を責める言葉を口にする彼が、悲しい。
「ちゃんと俺の言葉で説明しなくて……逃げて、ごめん」
剛士はもう一度、真っ直ぐに悠里を見つめながら謝罪の言葉を口にした。
チカチカと輝く、優しいイルミネーションの光が、ずっと遠くに感じる。
冷え切った風が寂しい溜め息のように、2人の周りを吹き抜けた。
「情けないけど、どうしていいか、わからなくなったんだ。みんなと合流しても、時間を戻されたような感覚から、抜け出せなくて」
剛士の声が、風に吹かれる蝋燭の火のように、時折頼りなく揺れる。
「拓真にも彩奈にも、悠里にも……気を遣わせてるって、わかってたのに、気持ちを立て直せなくて。お前の顔を見ることすら、できなかった」
繋いだままの大きな手が、縋るように悠里の手を握った。
剛士の感じている『時間を戻されたような感覚』。
剛士自身も、その感覚に戸惑い、迷っている。
そして、理由を探り当てようと、もがき苦しんでいるのが伝わってきた。
ぎゅっと、必死に悠里の手を握る彼の本心は、どこにあるだろうか――
悠里は目を凝らして、彼の瞳の奥を見つめる。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
#秒恋7 それぞれの翌日――壊れた日常を取り戻すために
ReN
恋愛
#秒恋7 それぞれの翌日――壊れた日常を取り戻すために
悠里と剛士を襲った悲しい大事件の翌日と翌々日を描いた今作。
それぞれの家族や、剛士の部活、そして2人の親友を巻き込み、悲しみが膨れ上がっていきます。
壊れてしまった幸せな日常を、傷つき閉ざされてしまった悠里の心を、剛士は取り戻すことはできるのでしょうか。
過去に登場した悠里の弟や、これまで登場したことのなかった剛士の家族。
そして、剛士のバスケ部のメンバー。
何より、親友の彩奈と拓真。
周りの人々に助けられながら、壊れた日常を取り戻そうと足掻いていきます。
やはりあの日の大事件のショックは大きくて、簡単にハッピーエンドとはいかないようです……
それでも、2人がもう一度、手を取り合って、抱き合って。
心から笑い合える未来を掴むために、剛士くんも悠里ちゃんもがんばっていきます。
心の傷。トラウマ。
少しずつ、乗り越えていきます。
ぜひ見守ってあげてください!
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
お飾り公爵夫人の憂鬱
初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。
私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。
やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。
そう自由……自由になるはずだったのに……
※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です
※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません
※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります
愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。
梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。
ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。
え?イザックの婚約者って私でした。よね…?
二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。
ええ、バッキバキに。
もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
愛されなかった公爵令嬢のやり直し
ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。
母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。
婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。
そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。
どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。
死ぬ寸前のセシリアは思う。
「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。
目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。
セシリアは決意する。
「自分の幸せは自分でつかみ取る!」
幸せになるために奔走するセシリア。
だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。
小説家になろう様にも投稿しています。
タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる