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piece2 剛士の決意

剛士の見た、昨夜の悠里

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悠里と別れ、自分の学校へと向かう道すがら、剛士は昨夜の出来事を反芻していた――


駅のホームに着いたとき、剛士の目は吸い寄せられるように、彼女を見つけた。
時刻は、19時半。
長い髪。上品なキャメルの制服を着た、細い身体。
誰にも気づかれないように、静かにそこにいた。
ぽつんとベンチに座り俯くその姿は頼りなく、今にも消えてしまいそうに見えた。

胸を締め付けられ、剛士は思わず足を止める。
電車がホームに滑り込んできた。
けれど彼女は動こうとしない。
せわしなく電車に飲み込まれていく人ごみから、彼女だけが取り残されていく。

どうしてか、目を離せなかった。

『冗談じゃねえよ』
『関わりたくない』
拓真を前に呟いた自分の言葉が、胸をよぎる。

簡単だ。無視して、電車に乗ってしまえばいい。
俯いたままの彼女が、自分に気がつくことはないだろう。
あの雨の日に、偶然出会っただけの存在だ。この先、繋がるつもりもなかった。

でも、何故だろう。その思いとは裏腹に、剛士の足はゆっくりと彼女に向かっていた。
目と同じように足も、彼女に吸い寄せられたかのように。


「悠里?」
剛士は、そっと彼女の名を呼んだ。
ビクッと身体を震わせ、悠里が恐る恐る顔を上げる。

自分を見上げると、彼女は大きな瞳に驚きと、少し安堵の色を浮かべた。
「柴崎さん……」
か細い声で、悠里が自分の名を呼ぶ。

急に声を掛けたからかも知れないが、いささか反応が過剰な気がする。
小さな違和感を憶えた。

「よお」
剛士は、小さく微笑を浮かべてみせる。
「遅いな。いま、帰りか?」
言いながら、悠里がバッグも何も持っていないことに気づく。
感じた違和感は、非日常への確信に変わった。

「いえ、……はい」
悠里が曖昧な返答をする。
しかし思い直したように、彼女はパッと笑顔を作り、言った。

「この間は、迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
学校に押しかけて来たことを指すのだろう。悠里は丁寧に頭を下げた。
「別にいいよ」


剛士が応えたそのとき、ホームにいた他校の男子生徒の笑い声が響いた。
悠里の肩が再び、ビクッと揺れた。
笑顔は崩れ、その下から恐怖の感情が覗いた。

剛士は彼女の変化に驚き、少し離れた場所にいる男子生徒たちを確認した。
彼らはただ談笑しているだけで、こちらに目を向けてはいない。

悠里の知り合いというわけではないようだ。
なぜ彼女は、こんなに怯えているのだろう。


彼女は身を竦めたまま、目を伏せ、唇を噛んでいる。
「悠里」
名を呼ぶと慌てて顔を上げ、また無理矢理に微笑みを貼り付ける。
しかし彼女の大きな瞳が、恐怖に竦んだままなのは一目瞭然だった。

その痛々しい姿に突き動かされ、剛士は問いかけた。
「悠里。何があった?」


剛士は、悠里を自宅まで送ることにした。
駅から歩いて、10分程度の距離だという。

悠里は何度も、ごめんなさいと、ありがとうございますを繰り返した。
その度に剛士は、別にいいよと応えながら、次第に悠里の足取りが重くなっていくことに気がついていた。


「……ここ?」
彼女が立ち止まった家を見上げ、剛士は尋ねた。
「……はい」
「大丈夫か?」
悠里が頷くのを見て、剛士は言った。
「じゃあ、俺は帰るから」

剛士が踵を返そうとしたそのとき、悠里の細い指が、彼の制服の袖に触れた。
きょとんと剛士は動きを止める。

無意識の行動だったのだろうか。悠里は、ハッと顔を赤らめ、慌てて手を離す。
「ごめんなさい」
そして、笑顔を作って言った。
「本当に、ありがとうございました」

駅で声を掛けたときと同じ、無理に口角を上げた、痛々しい笑顔だった。
唇は笑っているのに、彼女の瞳は震え、何度も何度も頼りなく瞬いていた。

剛士が、小さく微笑む。
「……お前が嘘ついてるときの顔、わかってきた」
「え……?」
「大丈夫じゃないんだろ?」

剛士が静かに尋ねると、悠里の偽りの微笑みは崩れ、代わりに大きな瞳に涙が滲み出た。
「今……家に誰も居なくて」
「誰も?」
悠里は頷き、絞り出すように懇願した。
「もう少しだけ、一緒にいてくれませんか?」

はじめて、悠里が自分に本音を打ち明けてくれた気がする。
不思議と、嬉しく感じた。
剛士は頷く。
「……うん。お前が落ち着くまでな」
励ますように彼女の肩を叩き、家に入るよう促した。


悠里が家を飛び出して駅のホームにいた理由。
そして家に近づくにつれ、彼女の足取りが重くなった理由がわかった。
1人きりの家に居ることが、怖くて仕方なかったのだ。

リビングのソファに座る。
自分の向かい側、俯く彼女を見ながら、剛士は思いを巡らせる。
もしも自分が、ホームで悠里に出会わなかったら。
彼女はまだ、あそこに独りで座っていたのだろうか……

想像すると、胸が痛んだ。
目の前にいる、今にも崩れ落ちてしまいそうな彼女。
放っておくことなどできない。
意を決し、剛士は彼女を真っ直ぐに見つめた。

「悠里。イタズラ電話のこと、俺に話してくれないか?」

悠里の小さな唇が、震えた。
剛士は静かに、それを見守る。
自分を信じてほしい。
そう祈りながら。
少しの躊躇の後、悠里は微かに頷いた。


ぽつりぽつりと、時に涙で詰まりながらも、悠里は話してくれた。
始まったイタズラ電話のこと。
そして、今夜掛かってきた電話のことを。

悠里の声が、か細く震えた。
「私の名前を呼んでました。笑いながら、何度も」
堪えきれないように、ぼろぼろと涙が後から後から溢れ出す。
彼女は唇を噛み締め、恐怖に砕けそうになる心を必死に抱きしめているように見えた。

『笑いながら』

剛士の脳裏に、先ほど不思議に思った、駅での出来事がよみがえった。
ホームに男子生徒の笑い声が響いたとき、悠里は不自然なほど怯え、身を竦めた。

あれは、電話の恐怖と重ね合わせたからだったのか……

パズルのピースがはまるように、少しずつ悠里の心情が見えてきた。
剛士は更に、彼女の恐怖に踏み込んでいく。


綺麗に整頓されたリビング。その床に散らばった、異物。
剛士は、茶封筒に近寄った。

おびただしい数の写真。全て、悠里だ。
笑った顔。驚いた顔。横顔、後ろ姿。それから首筋や胸元、脚など、身体を写したものもある。

極めつけは、風に吹かれてスカートの捲れ上がった写真。乱れた髪と、スカートを押さえた悠里の姿。
しかし間に合わなかったのだろう、彼女の白い太ももは卑劣なレンズに曝け出されてしまった。

見てはいけないものを見てしまったと、剛士の胸にひり付くような苦味が広がる。

こんな写真、本当なら悠里は自分に見られたくなかっただろう。
しかし悠里はソファに座ったまま、ただ静かに待っている。
それは彼女がもう、1人で立ち向かう気力が残っていないことを示しているように思えた。


何枚ものルーズリーフもあった。
そこに書き殴られていたのは、悠里への薄汚い欲望。
男の自分が見ても、胸が悪くなるような下卑た言葉が、所狭しと全ての行に詰め込まれていた。

余白に乱雑に描かれているのは、無数の、女の体を示すマーク。
こんなものを実際に目にしたのは、剛士も初めてだ。
いつの時代の人間だよ、と内心で悪態をつく。

さすがにこれの正確な意味は、悠里に理解はできなかっただろう。
しかし、自分を汚すような意味が込められていることは、容易に推測できたに違いない。


腹の奥から苦々しい怒りが込み上げ、眩暈と吐き気すら感じる。
悠里が、こんな酷い状況に1人置かれていたなんて、思わなかった。

剛士は写真とルーズリーフを掻き集め、バサバサと茶封筒に入れていく。
こんなものを、もう二度と悠里に見せたくない。触れさせたくなかった。


警察は、現段階で動いてはくれないらしい。
次に何かが起こったときは、手遅れになるかもしれない現状でもだ。

悠里は怯え切って、今にも崩れ落ちてしまいそうにも拘らず、両親や弟、そして友人を巻き込みたくないと、そればかりを案じていた。

じゃあ、どうする?
悠里は、独りで耐え続けるのか?
ストーカー被害が収まるまで?

いや、収まるはずがないと、剛士は思った。
むしろエスカレートしているのに。
恐らく、これからもっと加速する。

そのとき、悠里が独りでいたら。
今日みたいに、たまたま自分に会わなかったら……


ぞくりと胸が震えた。
いま、自分の手が届くところにいる彼女。
いま、自分が手を伸ばさなければきっと、悠里は簡単に捕われてしまう。
そしてきっと、ズタズタに傷つけられてしまう――

関わりたくないと思っていた。
知らぬふりをしようと思った。
きっと、後悔してしまうから……

今日、悠里を見つける前まで頭にあったこれらの思いを、かぶりを振って端に追いやる。

――放っておけるわけないだろ。

剛士は彼女に向かい、手を伸ばした。
「俺が、お前を守るから」

少しだけ逡巡した悠里の小さな手が、そっと、自分の手を握り返してくる。

繋がれた、微かな未来。
確かな、責任。

嬉しかった――
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