#秒恋1 貴方と過ごす1秒1秒が、私に初恋を刻む〜恋を知らない優等生がちょいキザなバスケ部イケメンと恋する話〜

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piece2 剛士の決意

俺が守るから

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「……ここ?」
どんなにゆっくり歩いても、歩を進めてしまえば家に着いてしまう。
見慣れたーーしかし今日は入るのが怖い家の門に、たどり着いてしまった。

気が動転したまま出てきたため、電気を消し忘れていた。
空っぽのリビングのカーテンから、場違いな明るい光が漏れている。
まだ、電話が鳴っているような気がする。無意識のうちに悠里は俯いた。

「大丈夫か?」
頭上から剛士の声が降ってきて、慌てて悠里は顔を上げる。
そうだ、しっかりしなくては。
「はい」
カラカラの喉から、何とか声を振り絞った。

剛士は、そうか、と頷いた。
そして、ちらりと悠里の家の灯りを確認し、言った。
「じゃあ、俺は帰るから」


恐怖が、足元からぞくぞくと這い上がってきた。
嫌だ。怖い。
剛士が踵を返そうとする。
咄嗟に悠里は彼の袖を引いた。
きょとんと剛士が動きを止め、もの問いたげに彼女を見つめている。

――私、何をしているんだろう。

悠里はハッと我に返り、あたふたと彼から手を離した。
「ごめんなさい」
必死に恐怖を抑え込み、悠里は微笑んだ。
「送っていただいて、ありがとうございました」


剛士は一瞬沈黙を置いた後、小さな微笑を浮かべた。
「……お前が嘘ついてるときの顔、わかってきた」
「え……?」

「大丈夫、じゃないんだろ?」
優しい切れ長の瞳が、悠里の心を覗き込むように、静かに瞬いていた。
少し腰を屈め、悠里と視線の高さを合わせて剛士が囁く。
「どうした?」


鼻の奥がツンと疼いた。
思わず悠里は、打ち明けてしまった。
ずっと堪えていた、痛みを。
「……今、家に誰も居なくて」
痛みを口に出してしまうと、目に涙が盛り上がってきた。

「誰も?」
剛士の小さな驚きを孕んだ声に頷き、悠里は絞り出すように懇願した。
「ごめんなさい……もう少しだけ、一緒にいてくれませんか?」

迷惑なことを言ってしまっていると頭では理解していた。
けれど、止められなかった。縋りたかった。

剛士はそっと微笑み、頷いた。
「……うん。お前が落ち着くまでな」
彼の言葉に脚から力が抜け、その場に座り込んでしまいそうなほどの安心感を覚えた。
涙が零れるのを堪えるために、悠里はぎゅっと唇を噛んだ。
剛士は、励ますように優しく彼女の肩を叩き、家に入るよう促した。


「どうぞ、座ってください……」
とりあえずお茶を出そうと、悠里はリビングルームのソファを剛士に示すと、パタパタと隣のダイニングキッチンに向かう。

「気にすんなよ?」
悠里の言葉に従いソファに腰掛けながら、剛士がくすりと笑った。

ティーポットに湯を注ぎ2人分の紅茶を淹れながら、状況にそぐわない能天気なことをしていると我ながら思う。

「良かったら……」
テーブルにティーカップを置き、悠里はそっと差し出した。
「ありがとう」
ちぐはぐな悠里の行動が可笑しかったのだろう、剛士の声が少し笑っている。
つられるように、悠里も照れ笑いを浮かべた。


2人、向かい合わせに腰掛け紅茶を飲む。
ハーブの暖かい香りとともに、沈黙が漂った。

「……今日、家族は?」
質問が、剛士から投げかけられる。
そうだ、彼に何も説明しないまま、この状況に巻き込んでしまっている。
改めて悠里は、申し訳なさと恥ずかしさに顔を赤らめた。

「両親は、海外に出張に行っていて、しばらく居ないんです……あと、弟がいるんですけど、今日は部活の合宿で……」
「……そうだったのか」
剛士の切れ長の瞳に、驚きの色が浮かんだ。

「家に電気が点いてたから、誰かいるんだろうと思ったんだ」
そう言ってから、剛士は考え事をするように目を伏せ、呟いた。
「だからお前、あんなとこにいたのか……」

悠里は、駅のホームに居たときの、寒くて苦しい空気を思い出した。
「……ちょっと、動揺しちゃって」
失敗を報告するときのように肩を縮め、悠里は頷いた。

そして、自重気味に笑う。
「ダメですね。しっかりしないと」
その言葉は脆いシャボン玉のように、あてなく空気に消え、寂しい沈黙が残った。


ゆっくりとした動作で、剛士がティーカップをテーブルに戻す。
皿とカップが触れ合う小さな音がした。
その音で我に返り、悠里は顔を上げる。
剛士の真っ直ぐな瞳があった。
吸い込まれるように、悠里はその目を見つめる。

「悠里」
動作と同じ、静かで落ち着いた声音だった。
それは、彼の決意を感じさせた。

切れ長の瞳が、悠里に語りかける。
「イタズラ電話のこと。俺に、話してくれないか?」


イタズラ電話。
その単語に心臓が竦む。
反射的に悠里の身体が震えた。
男たちの声が蘇ってくる。
心臓がキシキシと歪み、息ができなくなった。

心の限界を感じた。
壊れた平穏。
張り裂けそうな恐怖。


剛士はそれ以上は何も言わず、そっと悠里の返答を待ってくれているようだった。
優しい気配がした。  
胸の奥が、ツンと熱くなった。


誰も巻き込みたくない。
自分1人が我慢すればいい、事態が収まるまで。

そう思っていた。
何とかやり過ごそうと、心を凍らせていた。
けれど、その氷はもう、消える寸前にまで擦り減っていた。

すうっと、熱い涙が頰を伝った。
独りで耐えていた氷が、解けていく。
その熱さに震えながら、悠里は剛士に向かい、ぽつりぽつりと心をほどいていった。


***


「2週間くらい前から、家に無言電話がかかってくるようになりました。はじめは、1日1回だったのが、どんどん増えてきて……」
「うん」

震える彼女の声に、剛士の小さな相槌が寄り添ってくれた。
それに励まされるように、悠里は恐怖を言葉にした。
「今日の電話……声が聞こえたんです。男の人、何人か」
剛士が眉をひそめたのがわかった。

「私の名前を呼んでました。笑いながら、何度も」
悠里から、ぼろぼろと涙が溢れる。
「封筒が届いて……写真と、手紙が……」
そこまで言ってしまうと、涙で喉が塞がれた。
嗚咽を堪えるために、悠里は目を閉じ、必死に唇を噛んだ。

「……封筒?」
剛士の静かな問いかけに、悠里は震えながら、それを指差した。 
床に取り落としたままの茶封筒。
中身が飛び出し、散らばったままだった。

「……見ていいか?」
剛士の声に、悠里は躊躇いながらも首を縦に振る。
彼が立ち上がり、封筒に向かう気配を感じた。

悠里は両手で顔を覆う。
恐怖と恥ずかしさに、崩れてしまいそうだった。


登下校時に盗撮されたと思われる、膨大な量の自分の写真。
ひと際目立っていた、スカートが風に捲れた写真。
露わになった自分の太もも。
そして、ルーズリーフ。
そこには好きという単語の他に、性的な意味の込められた言葉が、びっしりと書き殴られている。

剛士はどう思うだろう。あんなものを貰ってしまった自分を、どんなふうに見るだろう。
同情? 困惑? それとも。
軽蔑? 

ふいに、汚れた自分を剛士に見せてしまうかのような強い不安に駆られた。
それは、実際に自分自身が汚されていくような、言い知れぬ恐怖だった。


剛士は床に膝をつき、沈黙のなか封筒に入っていたものを確認している。
彼はこちらに背を向けており、悠里からはその表情は窺い知れなかった。

剛士が、微かに溜め息をついたのがわかった。
ぞくり、と悠里の心臓が震える。
剛士が、床に散らばっていた写真と手紙を、手早く封筒に閉じ込めていく。
しばらくの間、バサバサと紙が触れ合う音だけが響いた。


全てを入れ終わると、すっと剛士が立ち上がる。
彼の顔の色を見るのが怖くて、悠里はきつく目を閉じ俯いた。

「……警察には?」
短く剛士は問う。
悠里は俯いたまま、小さな声で応えた。
「実害がないから、動けない。自分で気をつけてくださいって……」


それを聞き、剛士は言葉を失った。
これで、実害がないと言うのだろうか。
一連の嫌がらせの主は、悠里の生活リズムと、何より自宅を把握している。

そしてイタズラ電話から、手紙を自宅に届けるという行動に、エスカレートした。
これよりもひどい「実害」が起こったとしたら、もう手遅れかもしれないのに……

まるで突き放すかのような警察の対応に、怒りが湧いた。
悠里は、必死に嗚咽を堪えているのだろう。
唇を噛み、俯く彼女の小さな肩は震え、固く閉じられた瞳からは、あとからあとから涙が溢れ頬を伝っていた。


彼女が1人、抱えていた恐怖を目の当たりにし、剛士の胸は締め付けられる。
「……ご両親には、話してるか? 今日のことを話して、帰国してもらえないか?」
家庭の事情に踏み込むようで気が引けるが、聞かずにはいられなかった。

悠里は、小さな声で応える。
「いま、仕事が大事な時期で……海外でがんばってる両親に心配かけたくなくて。何も話してないんです……」
「そうか。……弟は、知ってるんだよな?」
「無言電話のことは。封筒のことや、警察のことは……話してません。まだ中学生だし、私がしっかりしないと……」
「……そうか」

家族に心配をかけたくない。
その一心で、彼女は一人で耐えてきたのだ。
しかし、今日のことが起こった以上、もう悠里だけで対処できる範疇は超えたと剛士は思った。

「悠里。単独で外出するのは危ない。家族が無理なら、他に学校の行き帰り、家まで来てもらえる人はいないか?」
剛士は問うた。
「俺の学校に一緒に来た、あの友だちは?」

悠里は、小さくかぶりを振る。
「彩奈は電車の路線が違うし、家が遠いから……何より、友だちを危険に巻き込みたくないです」

その声は震えていたが、強い意志が込められていた。
「彩奈は、女の子ですから」
「……お前も、女だろ」
苦笑し、剛士は言った。


彼女が口にした、家族や友人を巻き込みたくない理由の一つ一つには明確な理由があり、気持ちはよく理解できた。
悠里は必死に、自分の周りの人を守ろうとしているのだ。

――じゃあ、誰が彼女を守る?

剛士は唇を引き結び、気持ちを固めた。
いや、駅のホームで悠里を見たときから、きっと自分の気持ちはもう、決まっていたのだろう。


剛士は、決意を口にした。
「俺がやるよ」

悠里は、何を言われたか分からないように、茫然と剛士を見つめる。
その痛々しく濡れた瞳をしっかり受けとめ、剛士はもう一度、ゆっくりと宣言した。

「俺が、送り迎えする」
「そんな……」
悠里は唇を噛み、首を横に振る。
「そんな、迷惑はかけられません」
「いいから」
「だめです」

剛士が笑った。
「初めて会ったときと、同じだな」
悠里は口をつぐむ。
「人の厚意は素直に受け取れって、言っただろ?」

剛士は、悠里の傍に歩み寄り、彼女に手を差し伸べる。
「お前は、俺が守るから」


応えられず、悠里はただ、彼の瞳をじっと見つめる。
家族ではない。友だちでもない。
あの雨の日に、偶然出会っただけの、人。
それなのに……

悠里は、彼の大きな手を見た。
迷いながらも、そっと、自分の手を重ねる。

剛士の長い指が、優しく彼女の手を包み込んだ。
恐怖に冷え切っていた身体に、血が通っていくようだった。
その暖かさに縋るように、悠里は彼の大きな手を握り返す。

「明日の朝、家まで迎えに来るからな」
剛士の優しい声に、悠里は涙の残る瞳のまま、そっと頷いた。
「……はい」

悠里の返事を聞いた剛士が、ホッとしたように柔らかく微笑む。
その笑顔に、心まで暖められるような気がした。

悠里はやっと、素直に微笑むことができる。
――どうしてだろう。
この人には、甘えてしまう……

彼のぬくもりに触れていると、安心感に包まれた。
彼なら、自分を助けてくれる。
不思議と、そう思えた。
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