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piece2 剛士の決意
恐怖の茶封筒
しおりを挟む「よお、恋する乙女!」
バシッと背中を叩かれ、悠里は息を飲んでよろめく。
振り返ると、ニヤニヤ顔の彩奈がいた。
赤メガネ越しの瞳が、楽しそうに輝いている。
「痛いよ」
悠里は怒ったふりをしながら問い返す。
「なに?恋する乙女って」
「だって、あの日から悠里、ずっと上の空じゃーん」
からかうように、彩奈は悠里の長い髪を撫でた。
あの日とは、1週間前に2人が勇誠学園に押しかけたときのことだ。
悠里の大きな瞳を覗き込み、彩奈が問いかけてくる。
「柴崎さんのこと、考えてるんでしょ?」
パッと悠里の頬が染まった。
「か、考えてない!」
「悠里、赤くなったあ!」
彩奈は、ますます笑いを深め、悠里の頬を突つく。
「イケメンだもんね、柴崎さん」
「そんなんじゃない」
ますます顔を赤らめ、悠里は反抗した。
「柴崎さんは、親切なんだよ」
「おー! 顔に惹かれたわけじゃないってことね!」
彩奈の言葉に狼狽えてしまう。
「そ、そんな話、してないじゃない!」
一体自分は、何をムキになっているんだろう。
裏返った声で反論しながら、悠里自身もよくわからなくなってくる。
そんな彼女を見て、彩奈がニヤニヤと囁いた。
「また、会いに行っちゃう?」
彩奈の言葉に頬が熱くなる。
慌てて悠里は首を振った。
「行かないよ! 用もないのに」
「会いたいって、立派な用だと思うけどなあ?」
悠里は溜め息をついた。
「もう。やめてよ……」
「ごめんごめん! 悠里が赤くなるから、かわいくってさあ」
彩奈が屈託なく微笑む。
「……これで、イタ電さえなくなれば、一件落着なんだけどね」
ふいに真剣な表情に切り替わり、彩奈が呟いた。
「……うん」
悠里は曖昧に頷いた。
「でも、大丈夫! イタ電の人もそのうち飽きるだろうし、このまま無視して、やり過ごすよ。実害は、ないしね」
「……そっか」
彩奈が笑顔を見せた。
「辛くなったら、いつでもグチってね」
「うん! ありがとう」
悠里は、意識して口角を上げ、にっこりと微笑んだ。
親友に、これ以上の心配をかけないように。
そう。実害はないのだ。
もう一度、心で復唱する。
だから大丈夫。悠里は必死に、繰り返し自分に言い聞かせた。
実は新たな嫌がらせがあった、などと彩奈に打ち明けるわけにはいかない。
この優しい親友に、余計な心配をかけたくない。
そんな思いが、彼女をなけなしの勇気を奮い立たせていた。
***
数日前、A4サイズの茶封筒が、家のポストに入っていた。
「橘 悠里様」と、太いマジックで大きく書いてある。
それ以外には何も書かれていなかった。
差出人が分からない。
それに住所がなく、切手さえも貼られていなかった。
つまり、直接ポストに投函されたということだ。
それに思い当たったとき、悠里の心臓は凍りついた。
封筒の中身は厚紙で保護されているのか、固く曲がらないようになっていた。
悠里はそれを開封せず、弟の悠人の目にも触れないよう、本棚の端に隠した。
中身を確認するのが怖かった。
悠里は弟が帰宅する前に、警察に相談の電話をした。
イタズラ電話のこと、そして茶封筒のことなどを説明したが、警察の反応は型通りのものだった。
その程度のことでは、警察は動けないというのだ。
気休めのように、自宅周辺のパトロールを強化してくれるとは言われたものの、基本的には自分で気をつけなさいという内容だった。
『下手に刺激すると、エスカレートします。実害がないなら、無視が一番ですよ』
警察に言われた言葉が、よみがえる。
『実害がない』
少なからず、衝撃を受けた。
イタズラ電話や不気味な封筒は、警察にすれば、実害ではないと片づけられてしまう程度のことなのだ。
自分が、気にしすぎているだけなのだろうか。
自分が必要以上に怯えているから、周りの人に迷惑をかけてしまうのだろうか。
悠里は俯き、唇を噛む。
こんな小さなことで、警察に助けを求めるなんて……馬鹿なことだったんだ。
自分の判断力に、自信がなくなっていた。
とにかく今は、警察に言われたとおり、無視するしかない。
――しっかり、しなきゃ。
怖がっていたら、犯人に面白がられるだけ。
イタズラ電話も、変な封筒も、無視していればいい。そのうち、終わるはず。
もう少しだけ、我慢すれば……
周りの人々に、これ以上の心配を、迷惑をかけたくなかった。
悠里は、彩奈はおろか悠人にさえも、封筒と警察の対応の件は打ち明けなかった。
「ただいま」
「姉ちゃん、おかえりー!」
悠里が家の扉を開けたとき、弟の悠人はリビングで、せっせと鞄に着替えを詰め込んでいた。
「……どうしたの?」
きょとんと悠里は弟を見つめる。
悠人が言った。
「部活の合宿。学校で1泊すんの」
「今夜? そんな、いきなり」
「言ってなかったっけ?」
とぼけた弟の回答に、悠里は脱力感を覚える。
悠人の部活は、バスケ部だ。
――柴崎さんも、バスケ部だったな……
勇誠学園 籠球部。
ふいに胸に浮かんだ長身のジャージ姿に、悠里はハッとする。
慌ててパタパタと手で顔を扇ぎ、イメージをかき消そうとした。
「……何やってんの?」
「な、なんでもない、なんでもない!」
勝手に顔を赤らめ慌てる姉に、悠人は首を捻る。
「……まあ、オレはもう行くから。何かあったら、連絡して」
悠人は手を振り、リビングの扉を開けた。
「あ、電話取るなよ! どうせイタ電だからさ」
どきりとする。そうだ、悠人が出かければ、自分は独りになるのだ。
「う、うん。そうする」
言い知れぬ不安が胸をよぎる。
しかし、それを表に出すわけにはいかない。
悠里は元気な笑顔を作り、弟を見送った。
「行ってらっしゃい!」
***
弟が出かけたあとは、何をする気にもなれなかった。
悠里は制服姿のまま、ソファに座っていた。
このまま静かに、夜が過ぎればいいと願った。
しかし1人きりのリビング、電話の音が無情にも静けさを切り裂いた。
ビクッと悠里は肩を竦める。
時計を確認すると、18時過ぎ。
いつもイタズラ電話が、かかり始める時刻だった。
まるで電話の向こうに存在を気取られまいとするように、悠里はそろそろと近づいて電話機を覗き込む。
ナンバーディスプレイには、非通知の文字。
悠里は思案する。
両親からの連絡という可能性も、なくはない。しかし――
『電話取んなよ! どうせイタ電だからさ』
弟の言うとおりだ。
もうひとつの嫌な可能性のことを思うと、独りの今、応答する気にはなれなかった。
ため息をつきながら、ソファに戻る。
悠里は体育座りをして身を小さくし、電話が鳴り止むのを待つことにした。
5分。10分。
その間、電話は何度も切れては掛かるを繰り返していた。
今日は、特にしつこい。
悠里は小さく唸った。
ひっきりなしに叫び続けるベルの音を聞いていると、このときが永遠であるかのような錯覚を憶える。
次第に、別の不安が頭をもたげてきた。
もしかすると、これは両親からの電話かもしれない。
何か急用があって、自分と話したくて、根気強く鳴らしているのではないだろうか……
悠里はもう一度、時計の針の進みを確認する。
ベルが鳴り始めてから、間もなく30分が過ぎようとしていた。
足をしのばせるようにして、悠里は電話機の元へ行く。
長過ぎる。
イタズラ電話が、ここまでしつこかったことはない。
やはりこれは、両親からの電話なのかも知れない。
さんざん迷ったあげく、ついに悠里は受話器を取った。
恐る恐る耳に当てる。
「……もしもし」
少し掠れてしまった自分の声に、相手は応答してこなかった。
ーーイタ電。
失望に唇を噛んだ。
根負けして電話を取ってしまったことを、悠里は心底後悔する。
それとともに、ふつふつと怒りの感情が沸いた。
「……誰なんですか。もう、いい加減にしてください!」
思わず悠里は、顔の見えない相手に叫んでいた。
向こうで、息を飲む気配がした。
ぎゅっと悠里は受話器を握りしめる。
ノイズが聞こえた。
――ノイズ? 違う、これは……
『……おい、やべえよ、怒ってる』
『いいじゃねえか、久しぶりに悠里ちゃん直々に電話取ってくれたんだから』
『バカしゃべんな、聞こえたらどうすんだ』
男の声、それも複数の。
なけなしの怒りは恐怖に飛散し、悠里の指先が冷たくなっていく。
『別に、いいんじゃね? もう、喋っちゃおうよ』
細かく区切るような、いびつな口調で話しているのが聞き取れた後、ガサガサ、と雑音がして、間近に荒い息が聞こえた。
『悠里ちゃん!!』
受話器から大声が飛び出してくる。
彼女の名前を、口々に叫んで。
『悠里ちゃん!』
『ゆーりちゃーん!!』
頭を殴られたような衝撃の中、悠里は次の言葉を聞いた。
『ねえ、悠里ちゃん。封筒! ちゃんと、見てくれた?』
単語を区切る、気味の悪い話し方。
男たちの甲高い笑い声。
悠里は声にならない悲鳴を上げた。
『悠里ちゃん、大好きー!!』
受話器を取り落としてしまった。
慌てて受話器を拾い上げ、本体に叩きつけるようにして通話を切断する。
ぺたりと床にしゃがみ込んだ。
――封筒。
ガタガタと震えながら、悠里は本棚の隅に隠した茶封筒に目を向ける。
見たくない。開けたくない。知りたくない。
心とは裏腹に、まるで操られるかのように、身体は本棚に向かった。
ほとんど四つん這いの格好で。
たどり着くと、悠里は震える指で封筒を取り出し、封をちぎった。
端まで切ったところで、封筒を取り落してしまう。
バサバサッと重い音を立てて、中身が滑り出た。
悠里はその床に目を落とす。
おびただしい量の写真だった。
悠里の顔。
全身。前、横、後から。
胸や足だけなど、身体の一部分を大きく写されたものもある。
一際目立ったのは、風でスカートが捲れ、太ももが露わになった写真。
他より大きなサイズでプリントされていた。
悠里は、ひっと息を飲む。
手紙が何枚も入っていた。
『いつも見てるよ』
『仲良くしよ』
『大好き』
それから、口に出せない卑猥な言葉が、大量に並んでいた。
無意識のうちに後ずさる。
その足が、テーブルに当たった。
ガタンッと大きな音が鳴る。
耐えきれず、ついに悠里は声に出して悲鳴を上げた。
まるで、電話の主が後ろに現れたかのような錯覚を憶えた。
今までとは比べ物にならない、全身を貫くような恐怖が悠里を支配する。
電話が再び、けたたましく鳴りだした。
心臓が勢いよく飛び跳ね、竦みあがった。
ーー助けて。
怖い。助けて!
誰にともなく、心が叫んだ。
電話は依然として、激しく鳴り続けている。
逃げなくては。
衝動のまま、悠里は震える足で家を飛び出した。
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