#秒恋6 桜咲き、恋は砕け散る。〜恋人目前の2人は、引き裂かれる?甘いデートの筈が、絶望に染まった1日〜

ReN

文字の大きさ
上 下
25 / 28
piece7 償いの道筋

彼のジャケット

しおりを挟む
***


悠人が、帰って来た。
姉が眠っていると思ったのだろう。
階段を昇る音も、ドアを開け閉めする音も、とても静かだった。

弟が帰って来たということは、多分今は22時頃だ。
頭から布団を被り、真っ暗闇の中、悠里はそう思った。
サイドテーブルに置いてある、画面の割れたスマートフォン。
それを確認する気には、なれなかった。


シャワーを浴びる音が、微かに聴こえる。
程なくして、悠人がまた階段を昇る音がして、隣りの部屋のドアが開いた。
そして家の中に、また静寂が訪れた。


悠里は、カチカチとなる自分の歯の音に気づいた。
寒い。頭から布団を被っているのに。
ガタガタと、全身が震えている。

もう一度、熱いシャワーを浴びれば良いだろうか。
そうしよう。
まだ、落ち切っていない汚れがある気がするし、もう一度しっかり、髪と身体を洗おう。
そうすれば、心身も温まるだろう。
悠里は、そろそろと起き上がり、階下を目指した。


***


もう何度、同じことを繰り返しているだろうか。
真夜中、悠里は熱いシャワーを頭から被っていた。

浅い眠りの中、悠里は何度も何度も、今日の出来事を追体験させられた。

投げつけられた誹り、嘲りの言葉、冷たい笑い声。
殴られ、蹴られた痛み、髪を掴まれ引き摺られた恐怖、無理やり抱き締められた悲しみ。
そして、制服と下着を破かれた衝撃。
自分の悲鳴と、泣き声。
心を貫く、絶望――

それらは繰り返し繰り返し、無数の悪夢となって、悠里のささやかな眠りを妨げた。


『ねえ、今日のこと、忘れないで?』
『悠里ちゃんはもう、汚れちゃったんだからね?』


「はあっ、はあっ……!」
全身にびっしょりと汗をかき、息苦しさに目が覚めた。
その度に悠里は起き上がり、シャワーを浴びた。

身体の震えが、止まらない。
何度シャワーを浴びても、身体が芯から冷えている。
何度髪を、身体を洗っても、汚れがこびりついている気がする。
大量にシャンプーとボディーソープを使い、ガシガシと自分を擦る。

手足が、真っ赤になっている。
ヒリヒリと、頭皮が痛む。
湯気を見ていると、眩暈がする。


悠里は、何度めかのシャワーを終え、ふらふらと自室に戻った。
ベッドの中に潜り込み、冷たい髪と身体を、少しでも暖めようとする。

――寒い。寒い……

筋肉痛になってしまいそうな程に、身体中が、ガタガタと震えていた。
もう、シャワーを浴びる気力も、階段を降りる体力すら、残っていない。
凍えてしまいそうだった。
どうすればいいか、わからなかった。

「……たす、けて……」
我知らず、弱々しい吐息が洩れた。


震えながら身じろぎをした悠里の目に、部屋の中央に敷いたラグが映った。
そのラグの上に置いたままだった大きなジャケットが、目に入った。

彼の、ジャケットだ。


――助けて。
助けて、欲しい……

悠里は小さく呻きながら、身を起こした。
そうしてベッドを降り、這うようにしてラグに向かう。
そっと手に取った。
そっとそっと、胸に抱いてみた――


微かに、彼の温もりと匂いが、残っている気がした。

悠里は、抱いたジャケットに、顔をうずめる。
優しい感触が頬に触れて、少しだけ、安心できた。


もっと、感じたかった。
もっと、もっと、安心したかった。
悠里は縋るような思いで、袖を通してみる。

彼のジャケットは悠里にはブカブカで、指先しか出ないほどだ。
悠里は、長すぎる袖をそのままに、手を頬に持っていく。

優しい匂いがして、脅えて硬くなっていた気持ちが、和らいだ。
悠里は暫くの間、ジャケットの袖に頬を当てて、ゆっくりと呼吸を繰り返した。


この我が儘を、どうか、赦して貰えるだろうか……

悠里はジャケットを着たまま、そろそろとベッドに戻り、布団に潜った。
脚を抱え込んで丸くなると、全身をジャケットに包み込むことができる。


――あったかい……

不思議と、身体の震えが収まっていった。
悠里は、ゆっくりとベッドに身を任せ、目を閉じる。
今なら、眠りに心を委ねられる気がした。


悠里は、とろとろと、優しい眠りに落ちていく。

苦しい夢は、もう見なかった。
その代わりに、幸せな、幸せな夢を見た。
笑顔と優しい温もりに包まれた、幸せだった頃の夢を見た。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

じれったい夜の残像

ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、 ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。 そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。 再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。 再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、 美咲は「じれったい」感情に翻弄される。

#秒恋7 それぞれの翌日――壊れた日常を取り戻すために

ReN
恋愛
#秒恋7 それぞれの翌日――壊れた日常を取り戻すために 悠里と剛士を襲った悲しい大事件の翌日と翌々日を描いた今作。 それぞれの家族や、剛士の部活、そして2人の親友を巻き込み、悲しみが膨れ上がっていきます。 壊れてしまった幸せな日常を、傷つき閉ざされてしまった悠里の心を、剛士は取り戻すことはできるのでしょうか。 過去に登場した悠里の弟や、これまで登場したことのなかった剛士の家族。 そして、剛士のバスケ部のメンバー。 何より、親友の彩奈と拓真。 周りの人々に助けられながら、壊れた日常を取り戻そうと足掻いていきます。 やはりあの日の大事件のショックは大きくて、簡単にハッピーエンドとはいかないようです…… それでも、2人がもう一度、手を取り合って、抱き合って。 心から笑い合える未来を掴むために、剛士くんも悠里ちゃんもがんばっていきます。 心の傷。トラウマ。 少しずつ、乗り越えていきます。 ぜひ見守ってあげてください!

最愛の彼

詩織
恋愛
部長の愛人がバレてた。 彼の言うとおりに従ってるうちに私の中で気持ちが揺れ動く

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

パパのお嫁さん

詩織
恋愛
幼い時に両親は離婚し、新しいお父さんは私の13歳上。 決して嫌いではないが、父として思えなくって。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

処理中です...