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piece7 償いの道筋
行く先には何も
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***
とぼとぼと歩くエリカの頬を、止めどなく涙が伝う。
別れ際に見た悠里の姿を、心に思い描く。
辛くて怖くて悲しくて、仕方ないはずなのに。
力を振り絞って、自分を見送ってくれた。
お礼まで言ってくれた。
自分の苦しさよりも、エリカを気遣ってくれた悠里の優しさが、胸に突き刺さる。
改めて感じる。
こんなに優しくて可愛らしい子を、傷つけてしまったのだと。
こんなにも美しく温かい子を、絶望に突き落としてしまったのだと。
罪の重さに、くずおれてしまいそうだった。
しかし、エリカはグイッと乱暴に涙を拭う。
泣いている場合ではない。
今は、自分がやるべきことをしなくては。
エリカは、無事に悠里を送り届けた旨を、高木にメッセージする。
心配で胸が張り裂けそうになっているであろう剛士に、早く、報告しなくては。
高木からは、すぐに電話が掛かってきた。
エリカは涙を押し込み、気を引き締めて応答する。
「うん。悠里ちゃん、無事にお家に送れたよ。タクシー、ありがとうね」
『うん。……剛士が、ありがとうって』
「……うん」
危うく泣いてしまいそうになり、エリカはスマートフォンを口元から離す。
自分は、お礼を言って貰える立場ではない。
むしろ、カンナの暴走を止められなかったことを責められなければならない人間だ。
それなのに、どうして。
悠里も、剛士も、自分に『ありがとう』と、言ってくれるのだろう……
堪えきれなかった罪悪感は、ひと筋の涙となり、エリカの頬を伝った。
高木が、気遣わしげな声音で問うてくる。
「……あの子、どんな様子だった?」
「……相当、消耗してる」
リビングルームに辿り着いた瞬間、ぐったりと床にへたり込んでしまった悠里の小さな背中が、脳裏をよぎる。
何より、エリカの伸ばした手に脅えて震えていた、あの痛々しい瞳が――
エリカは、絞り出すように呟いた。
「私が話しかけたりしたら、一生懸命、応えてはくれるんだけど……本当はすごく、脅えてる」
高木の質問の意図は、剛士が悠里に連絡を取ることができそうか、という確認だ。
剛士としては、一刻も早く悠里と話をしたい、会いたい、そして触れたいだろう。
彼の気持ちを慮ると、辛い。
しかしエリカは、悠里の心を刺激させないために、率直に告げる。
「……少なくとも今日は、悠里ちゃんと話すのは、難しいと思う」
『……そうか』
高木が、いま傍らにいるのであろう剛士を気遣う気配が、電話越しに感じられる。
『明日、予定通り会おうって、剛士にもオッケー貰ったからさ。明日いろいろ、剛士に話してあげてくれ』
「うん……」
高木がいま、剛士に電話を代わろうとしない。
剛士も、憔悴しきっているのだろうと、エリカは察した。
高木の傍にいる彼の心情を思い、更に胸が痛む。
『……あ、剛士。帰る?』
電話の向こうで、高木が声を掛けているのが聞こえた。
『そうか。大丈夫か? 気をつけて帰れよ。また明日、連絡取り合おう』
明日の約束を念押しする、高木の言葉。
きっと剛士の方は、乗り気ではないのだということが窺えた。
もしかしたら剛士は、エリカや高木の顔など、もう見たくないかも知れない。
そう思われても、仕方ない。
エリカは、ぎゅっとスマートフォンを握り締め、電話の向こうのやり取りを聞いていた。
『……ごめん。剛士、いま帰ったわ』
ややあって、高木の声がエリカに戻ってきた。
「……剛士はもう、私たちと話したくないよね……」
エリカの声に涙が混じっていることに気がつき、高木が慌てたように否定する。
『い、いや。剛士が帰ったのは、俺たちがゆっくり話せるように、気を遣ってくれたんだと思うぞ』
答えることもできず、エリカはグスッと鼻を啜った。
カンナのこと。そして、悠里と剛士のこと。
罪の意識に、胸が押し潰される。
エリカは足を止め、冷たい涙を拭った。
悠里を自宅に送るまではと、張り詰めることができていた意識も、とうに限界を超えていた。
『……エリカ。いまどこ歩いてる? まだ、駅に着いてない?』
「……うん」
高木からの問いかけに、辛うじて返事をする。
『俺、すぐ迎えに行くから。待ってろよ』
高木が早口で、嬉しい言葉をくれた。
縋りたい、本当は。
今すぐここで崩れ落ちて、高木が助けに来てくれるのを待っていたい。
もうひとりで、歩きたくない……
しかしエリカは、努めてしっかりと、明るい声音で答えた。
「大丈夫だよ。もうすぐ駅に着くし! 私たちも、今日はもう帰ろ。明日もあるし、私、きちんと剛士に報告できるように、頭の整理もしたいから」
悠里はいま、ひとりでいる。
剛士もいま、ひとりでいる。
2人で一緒にいるはずだった彼らを、自分は引き裂いた。
紛れもなく、自分のせいなのだ。
自分だけ、恋人に甘えるわけにはいかない。
「……正信。巻き込んでごめんね」
エリカは、静かに呟いた。
『何言ってんだよ。全部、エリカと一緒に背負う。俺、そう言っただろ?』
私は、そんなふうに言って貰っていい人間ではないのに。
全ての元凶は、私なのに。
頭の中で、うずくまる自分がいる。
しかしエリカは、歯を食いしばってそれを押し込めた。
いまは、悠里と剛士のために、力が必要だ。
自分の感情など、どうでもいい。
高木の力も何でも借りて、できることをやらなくちゃ。
全てが終わったら、私も、彼から離れよう。
たくさんの人を不幸にしてしまった私は、ひとりにならなくちゃ。
そんな思いに囚われ、エリカは暗い笑みを浮かべた。
電話の向こうで、心配そうな気配を発している高木に向かい、エリカは、しっかりとした声音で言った。
「じゃあ私、駅に着いたから。これから電車に乗るね」
本当は電話をしている間、一歩も歩いてはいない。
駅など、まだ影も形も見えない。
けれどエリカは、電話を切り上げるのに都合の良い言葉を選んだ。
「正信。今日は来てくれてありがとう。また明日」
『エリカ……』
何か、感じるものがあっただろう。
高木の声が、寂しげに掠れる。
しかし彼も、いまは追及するべきではないと思ったのか、優しく応えてくれた。
『うん。じゃあ明日な。また、連絡する』
「……うん」
電話を切り、エリカは誰もいない、薄暗くなった道の先を、ぼんやりと見つめた。
これから先、どうなってしまうのだろう。
自分は一体、どうやって償えばいいのだろう――
誰も、いない。
行く先は何にも、見えなかった。
とぼとぼと歩くエリカの頬を、止めどなく涙が伝う。
別れ際に見た悠里の姿を、心に思い描く。
辛くて怖くて悲しくて、仕方ないはずなのに。
力を振り絞って、自分を見送ってくれた。
お礼まで言ってくれた。
自分の苦しさよりも、エリカを気遣ってくれた悠里の優しさが、胸に突き刺さる。
改めて感じる。
こんなに優しくて可愛らしい子を、傷つけてしまったのだと。
こんなにも美しく温かい子を、絶望に突き落としてしまったのだと。
罪の重さに、くずおれてしまいそうだった。
しかし、エリカはグイッと乱暴に涙を拭う。
泣いている場合ではない。
今は、自分がやるべきことをしなくては。
エリカは、無事に悠里を送り届けた旨を、高木にメッセージする。
心配で胸が張り裂けそうになっているであろう剛士に、早く、報告しなくては。
高木からは、すぐに電話が掛かってきた。
エリカは涙を押し込み、気を引き締めて応答する。
「うん。悠里ちゃん、無事にお家に送れたよ。タクシー、ありがとうね」
『うん。……剛士が、ありがとうって』
「……うん」
危うく泣いてしまいそうになり、エリカはスマートフォンを口元から離す。
自分は、お礼を言って貰える立場ではない。
むしろ、カンナの暴走を止められなかったことを責められなければならない人間だ。
それなのに、どうして。
悠里も、剛士も、自分に『ありがとう』と、言ってくれるのだろう……
堪えきれなかった罪悪感は、ひと筋の涙となり、エリカの頬を伝った。
高木が、気遣わしげな声音で問うてくる。
「……あの子、どんな様子だった?」
「……相当、消耗してる」
リビングルームに辿り着いた瞬間、ぐったりと床にへたり込んでしまった悠里の小さな背中が、脳裏をよぎる。
何より、エリカの伸ばした手に脅えて震えていた、あの痛々しい瞳が――
エリカは、絞り出すように呟いた。
「私が話しかけたりしたら、一生懸命、応えてはくれるんだけど……本当はすごく、脅えてる」
高木の質問の意図は、剛士が悠里に連絡を取ることができそうか、という確認だ。
剛士としては、一刻も早く悠里と話をしたい、会いたい、そして触れたいだろう。
彼の気持ちを慮ると、辛い。
しかしエリカは、悠里の心を刺激させないために、率直に告げる。
「……少なくとも今日は、悠里ちゃんと話すのは、難しいと思う」
『……そうか』
高木が、いま傍らにいるのであろう剛士を気遣う気配が、電話越しに感じられる。
『明日、予定通り会おうって、剛士にもオッケー貰ったからさ。明日いろいろ、剛士に話してあげてくれ』
「うん……」
高木がいま、剛士に電話を代わろうとしない。
剛士も、憔悴しきっているのだろうと、エリカは察した。
高木の傍にいる彼の心情を思い、更に胸が痛む。
『……あ、剛士。帰る?』
電話の向こうで、高木が声を掛けているのが聞こえた。
『そうか。大丈夫か? 気をつけて帰れよ。また明日、連絡取り合おう』
明日の約束を念押しする、高木の言葉。
きっと剛士の方は、乗り気ではないのだということが窺えた。
もしかしたら剛士は、エリカや高木の顔など、もう見たくないかも知れない。
そう思われても、仕方ない。
エリカは、ぎゅっとスマートフォンを握り締め、電話の向こうのやり取りを聞いていた。
『……ごめん。剛士、いま帰ったわ』
ややあって、高木の声がエリカに戻ってきた。
「……剛士はもう、私たちと話したくないよね……」
エリカの声に涙が混じっていることに気がつき、高木が慌てたように否定する。
『い、いや。剛士が帰ったのは、俺たちがゆっくり話せるように、気を遣ってくれたんだと思うぞ』
答えることもできず、エリカはグスッと鼻を啜った。
カンナのこと。そして、悠里と剛士のこと。
罪の意識に、胸が押し潰される。
エリカは足を止め、冷たい涙を拭った。
悠里を自宅に送るまではと、張り詰めることができていた意識も、とうに限界を超えていた。
『……エリカ。いまどこ歩いてる? まだ、駅に着いてない?』
「……うん」
高木からの問いかけに、辛うじて返事をする。
『俺、すぐ迎えに行くから。待ってろよ』
高木が早口で、嬉しい言葉をくれた。
縋りたい、本当は。
今すぐここで崩れ落ちて、高木が助けに来てくれるのを待っていたい。
もうひとりで、歩きたくない……
しかしエリカは、努めてしっかりと、明るい声音で答えた。
「大丈夫だよ。もうすぐ駅に着くし! 私たちも、今日はもう帰ろ。明日もあるし、私、きちんと剛士に報告できるように、頭の整理もしたいから」
悠里はいま、ひとりでいる。
剛士もいま、ひとりでいる。
2人で一緒にいるはずだった彼らを、自分は引き裂いた。
紛れもなく、自分のせいなのだ。
自分だけ、恋人に甘えるわけにはいかない。
「……正信。巻き込んでごめんね」
エリカは、静かに呟いた。
『何言ってんだよ。全部、エリカと一緒に背負う。俺、そう言っただろ?』
私は、そんなふうに言って貰っていい人間ではないのに。
全ての元凶は、私なのに。
頭の中で、うずくまる自分がいる。
しかしエリカは、歯を食いしばってそれを押し込めた。
いまは、悠里と剛士のために、力が必要だ。
自分の感情など、どうでもいい。
高木の力も何でも借りて、できることをやらなくちゃ。
全てが終わったら、私も、彼から離れよう。
たくさんの人を不幸にしてしまった私は、ひとりにならなくちゃ。
そんな思いに囚われ、エリカは暗い笑みを浮かべた。
電話の向こうで、心配そうな気配を発している高木に向かい、エリカは、しっかりとした声音で言った。
「じゃあ私、駅に着いたから。これから電車に乗るね」
本当は電話をしている間、一歩も歩いてはいない。
駅など、まだ影も形も見えない。
けれどエリカは、電話を切り上げるのに都合の良い言葉を選んだ。
「正信。今日は来てくれてありがとう。また明日」
『エリカ……』
何か、感じるものがあっただろう。
高木の声が、寂しげに掠れる。
しかし彼も、いまは追及するべきではないと思ったのか、優しく応えてくれた。
『うん。じゃあ明日な。また、連絡する』
「……うん」
電話を切り、エリカは誰もいない、薄暗くなった道の先を、ぼんやりと見つめた。
これから先、どうなってしまうのだろう。
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