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piece6 深い傷跡
拒絶
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「悠里」
高木の羽交い締めから解放された剛士は、悠里の傍に駆け寄る。
エリカに抱かれ、固く縋りついたままの悠里。
一刻も早く、抱き締めたかった。
自分の腕の中で、泣いて欲しかった。
しかし悠里が示す反応は、剛士の思いとは、かけ離れたものだった――
「悠里……」
剛士が、そっと悠里の背に触れた瞬間、悠里は悲鳴を上げた。
「いやっいやああ! やめ、やめて!」
必死に剛士の手を振り払い、逃げようと脚をバタつかせる。
「ゆう……」
「いやっいや! 怖い! 怖いよぉっ」
泣き叫ぶ悲しい瞳が、一瞬、剛士を向いた。
恐怖と絶望に竦んだ、大きな目。
幾筋もの涙が伝った、真っ赤な頬。
ガタガタと震えて、それでも必死に抗おうと、力を振り絞る小さな身体。
見たことのない、痛々しく、ささくれ立った悠里の姿が、鋭く剛士の心を貫いた。
その華奢な身体からは想像もつかない力で、悠里はエリカの腕の中で暴れ出す。
「いやああっやめてっ!もう、いや……やめ、て……っ」
悠里の唇が苦しげに開き、悲鳴混じりの荒い呼吸を始めた。
「ひっ……! はあっ、はあっはあっ……!」
慌ててエリカは悠里を抱きしめ、震える背中を摩る。
「悠里ちゃん、大丈夫、大丈夫だよ……ゆっくりだよ、ゆっくり、息をしようね……」
悠里は、引き攣れた呻き声を上げながら、肩を上下させている。
彼女の細い指が、エリカの腕に食い込むほど強く、握り締められていた。
「悠里……」
掠れた声で、剛士は彼女を呼ぶ。
エリカは心を鬼にして、剛士に向かって首を横に振る。
いま、悠里に触れてはいけないと、強く強く諌める。
悲しみに震える彼の瞳を見つめたエリカの目に、壁時計が映った。
ハッと現実に返る。
まずい、タイムリミットだ。
自分が、バスケ部の1年生2人に伝えた、30分という制限時間。
それを既に、超えてしまっていた。
エリカは、気持ちを振り絞って、高木を見上げる。
「正信。剛士を連れて、今すぐ逃げて。先生が来る」
高木は、驚きを目に浮かべたが、すぐに顔を引き締めて頷いた。
「行こう、剛士」
しかし剛士は、息を乱し、泣き続けている悠里から目を離さなかった。
「悠里」
悲しい声で、悠里を呼ぶ。
「悠里……」
「剛士、出るぞ。ここで見つかったら、下手すりゃ分校に島流しだ」
しっかりと剛士の肩を掴み、高木が説得する。
エリカも必死に言った。
「お願い、行って。私と悠里ちゃんだけなら、何とか誤魔化せる。でも、剛士たちが見つかったら、庇い切れない」
高木が、やや強引に剛士の腕を取り、ドアに引き摺っていく。
「行くぞ、剛士」
高木に引き摺られながらも、剛士は悠里の背に向かい、呼びかける。
「悠里、悠里……」
「いまはエリカに任せろ。その子のためにも」
エリカは、少しでも剛士を安心させようと、無理やりに微笑んでみせた。
「剛士。大丈夫だよ。絶対に悠里ちゃんのこと、守るから」
***
高木と剛士が、出て行った。
エリカは必死に、頭を働かせる。
1年生の2人組は恐らく、先生を呼び、こちらに向かっているだろう。
本当は自分と悠里も、直ちにこの場を離れるのが一番いい。
しかし、いまの悠里にそれを求めるのは酷だ。
エリカは、優しく、優しく悠里の背を撫でた。
「悠里ちゃん。少しだけ、我慢できる? もう少しで先生が来るから、うまく誤魔化すからね? 悠里ちゃんは、奥のスペースに隠れていてくれるかな?」
悠里は息を乱しながらも、何とか頷いてくれた。
エリカは、悠里から反応があったことに、少しだけホッとして微笑んだ。
優しく彼女を立たせ、エリカは彼女を部屋の奥へと誘なう。
大きな棚と、パーティションで区切られた小さなスペース。
そこに悠里を座らせ、エリカは彼女の頭を撫でた。
「大丈夫。先生に隠せるように、うまくやるからね」
この出来事が先生に――学校に知れてしまったら。
悠里の心に、更に深く大きな傷をつける。
下手をすれば、彼女はもう学校に通えなくなってしまうかも知れない。
そんなことに、なってたまるか。
絶対に、悠里の名誉を……心を守る。
エリカは、未だ小さく震えている悠里の肩に、そっと剛士のジャケットを掛けた。
剛士の思いが、悠里を守ってくれるよう、祈った。
エリカはもう一度、悠里の髪を撫でると、部屋の真ん中に戻った。
そして、手近にあった棚から段ボールをいくつか下ろし、中に入っていた道具を床にばら撒いた。
その直後、ドアがノックされた。
「――誰か、いますか?」
訝しむような、少し不安げな、女性の声だった。
エリカは小さく息を吸い、元気に答えた。
「はーい!」
そうして、慌てたふうを装い、ドアを開けた。
ドアの外に立っていたのは、若い女性教師と、例の1年生2人組だった。
担任になったことも、教科の担当もされたこともない教師だ。
1年生の担任で、担当科目は英語。
名前は確か――皆川先生。
連れてきた先生が1人で、生活指導教諭でもない先生だったことに、エリカは内心、胸を撫で下ろす。
2人組は、半分泣きながら、驚いたようにエリカを見上げていた。
女性教師もエリカを見つめ、きょとんと目を丸くする。
「貴女、卒業生の……?」
「はい、三田エリカです!」
エリカは、にっこりと笑い、頭を下げた。
教師の皆川は、エリカと、室内の惨状を交互に見て、心配そうに問いかける。
「どうしたの? 何かあった? この2人に、準備室で大きな物音がしたって聞いたから、様子を見に来たの」
「ああ~、そうでしたか。すみません」
2人組が、自分の指示通りの説明をしてくれていたことに、エリカは感謝する。
エリカは皆川に向かい、済まなそうに微笑んでみせた。
「私、大学に提出する書類にハンコを押して貰いたくて、今日学校に来たんですけど。せっかく来たし、準備室の整理でもして帰ろうかなって思ったんです。そしたら、」
そこでエリカは、部屋の中を皆川が見渡せるように身体を横に向け、道具の散乱した床を示した。
「段ボールを持った瞬間、箱の底が、抜けてしまって……」
恥ずかしそうな微笑みを浮かべ、エリカは皆川の顔を窺った。
「そうだったの。大きな物音がしたというのは、そのときかしらね」
皆川は目を丸くして、大きく頷いた。
そして、エリカを労るように優しく目を向ける。
「三田さんは、大丈夫? ケガはない?」
「はい! 私は全然!」
「そう。なら良かった」
皆川はもう一度頷き、首を傾げた。
「整理、終わりそう? お手伝いが必要かしら?」
「大丈夫です!」
エリカは微笑み、答えた。
「床に落ちたものだけ戻せば終了です。終わったら、鍵も戻しておきますね!」
「そう?」
皆川は柔らかく微笑み、頷いた。
「じゃあ、良いところで切り上げて、早めに帰るようにしてね。お疲れ様」
「はい! 先生もお忙しいのに、ご心配をおかけして、すみませんでした」
エリカが、深々と頭を下げて挨拶をすると、皆川もにっこりと笑い、職員室へと戻っていった。
高木の羽交い締めから解放された剛士は、悠里の傍に駆け寄る。
エリカに抱かれ、固く縋りついたままの悠里。
一刻も早く、抱き締めたかった。
自分の腕の中で、泣いて欲しかった。
しかし悠里が示す反応は、剛士の思いとは、かけ離れたものだった――
「悠里……」
剛士が、そっと悠里の背に触れた瞬間、悠里は悲鳴を上げた。
「いやっいやああ! やめ、やめて!」
必死に剛士の手を振り払い、逃げようと脚をバタつかせる。
「ゆう……」
「いやっいや! 怖い! 怖いよぉっ」
泣き叫ぶ悲しい瞳が、一瞬、剛士を向いた。
恐怖と絶望に竦んだ、大きな目。
幾筋もの涙が伝った、真っ赤な頬。
ガタガタと震えて、それでも必死に抗おうと、力を振り絞る小さな身体。
見たことのない、痛々しく、ささくれ立った悠里の姿が、鋭く剛士の心を貫いた。
その華奢な身体からは想像もつかない力で、悠里はエリカの腕の中で暴れ出す。
「いやああっやめてっ!もう、いや……やめ、て……っ」
悠里の唇が苦しげに開き、悲鳴混じりの荒い呼吸を始めた。
「ひっ……! はあっ、はあっはあっ……!」
慌ててエリカは悠里を抱きしめ、震える背中を摩る。
「悠里ちゃん、大丈夫、大丈夫だよ……ゆっくりだよ、ゆっくり、息をしようね……」
悠里は、引き攣れた呻き声を上げながら、肩を上下させている。
彼女の細い指が、エリカの腕に食い込むほど強く、握り締められていた。
「悠里……」
掠れた声で、剛士は彼女を呼ぶ。
エリカは心を鬼にして、剛士に向かって首を横に振る。
いま、悠里に触れてはいけないと、強く強く諌める。
悲しみに震える彼の瞳を見つめたエリカの目に、壁時計が映った。
ハッと現実に返る。
まずい、タイムリミットだ。
自分が、バスケ部の1年生2人に伝えた、30分という制限時間。
それを既に、超えてしまっていた。
エリカは、気持ちを振り絞って、高木を見上げる。
「正信。剛士を連れて、今すぐ逃げて。先生が来る」
高木は、驚きを目に浮かべたが、すぐに顔を引き締めて頷いた。
「行こう、剛士」
しかし剛士は、息を乱し、泣き続けている悠里から目を離さなかった。
「悠里」
悲しい声で、悠里を呼ぶ。
「悠里……」
「剛士、出るぞ。ここで見つかったら、下手すりゃ分校に島流しだ」
しっかりと剛士の肩を掴み、高木が説得する。
エリカも必死に言った。
「お願い、行って。私と悠里ちゃんだけなら、何とか誤魔化せる。でも、剛士たちが見つかったら、庇い切れない」
高木が、やや強引に剛士の腕を取り、ドアに引き摺っていく。
「行くぞ、剛士」
高木に引き摺られながらも、剛士は悠里の背に向かい、呼びかける。
「悠里、悠里……」
「いまはエリカに任せろ。その子のためにも」
エリカは、少しでも剛士を安心させようと、無理やりに微笑んでみせた。
「剛士。大丈夫だよ。絶対に悠里ちゃんのこと、守るから」
***
高木と剛士が、出て行った。
エリカは必死に、頭を働かせる。
1年生の2人組は恐らく、先生を呼び、こちらに向かっているだろう。
本当は自分と悠里も、直ちにこの場を離れるのが一番いい。
しかし、いまの悠里にそれを求めるのは酷だ。
エリカは、優しく、優しく悠里の背を撫でた。
「悠里ちゃん。少しだけ、我慢できる? もう少しで先生が来るから、うまく誤魔化すからね? 悠里ちゃんは、奥のスペースに隠れていてくれるかな?」
悠里は息を乱しながらも、何とか頷いてくれた。
エリカは、悠里から反応があったことに、少しだけホッとして微笑んだ。
優しく彼女を立たせ、エリカは彼女を部屋の奥へと誘なう。
大きな棚と、パーティションで区切られた小さなスペース。
そこに悠里を座らせ、エリカは彼女の頭を撫でた。
「大丈夫。先生に隠せるように、うまくやるからね」
この出来事が先生に――学校に知れてしまったら。
悠里の心に、更に深く大きな傷をつける。
下手をすれば、彼女はもう学校に通えなくなってしまうかも知れない。
そんなことに、なってたまるか。
絶対に、悠里の名誉を……心を守る。
エリカは、未だ小さく震えている悠里の肩に、そっと剛士のジャケットを掛けた。
剛士の思いが、悠里を守ってくれるよう、祈った。
エリカはもう一度、悠里の髪を撫でると、部屋の真ん中に戻った。
そして、手近にあった棚から段ボールをいくつか下ろし、中に入っていた道具を床にばら撒いた。
その直後、ドアがノックされた。
「――誰か、いますか?」
訝しむような、少し不安げな、女性の声だった。
エリカは小さく息を吸い、元気に答えた。
「はーい!」
そうして、慌てたふうを装い、ドアを開けた。
ドアの外に立っていたのは、若い女性教師と、例の1年生2人組だった。
担任になったことも、教科の担当もされたこともない教師だ。
1年生の担任で、担当科目は英語。
名前は確か――皆川先生。
連れてきた先生が1人で、生活指導教諭でもない先生だったことに、エリカは内心、胸を撫で下ろす。
2人組は、半分泣きながら、驚いたようにエリカを見上げていた。
女性教師もエリカを見つめ、きょとんと目を丸くする。
「貴女、卒業生の……?」
「はい、三田エリカです!」
エリカは、にっこりと笑い、頭を下げた。
教師の皆川は、エリカと、室内の惨状を交互に見て、心配そうに問いかける。
「どうしたの? 何かあった? この2人に、準備室で大きな物音がしたって聞いたから、様子を見に来たの」
「ああ~、そうでしたか。すみません」
2人組が、自分の指示通りの説明をしてくれていたことに、エリカは感謝する。
エリカは皆川に向かい、済まなそうに微笑んでみせた。
「私、大学に提出する書類にハンコを押して貰いたくて、今日学校に来たんですけど。せっかく来たし、準備室の整理でもして帰ろうかなって思ったんです。そしたら、」
そこでエリカは、部屋の中を皆川が見渡せるように身体を横に向け、道具の散乱した床を示した。
「段ボールを持った瞬間、箱の底が、抜けてしまって……」
恥ずかしそうな微笑みを浮かべ、エリカは皆川の顔を窺った。
「そうだったの。大きな物音がしたというのは、そのときかしらね」
皆川は目を丸くして、大きく頷いた。
そして、エリカを労るように優しく目を向ける。
「三田さんは、大丈夫? ケガはない?」
「はい! 私は全然!」
「そう。なら良かった」
皆川はもう一度頷き、首を傾げた。
「整理、終わりそう? お手伝いが必要かしら?」
「大丈夫です!」
エリカは微笑み、答えた。
「床に落ちたものだけ戻せば終了です。終わったら、鍵も戻しておきますね!」
「そう?」
皆川は柔らかく微笑み、頷いた。
「じゃあ、良いところで切り上げて、早めに帰るようにしてね。お疲れ様」
「はい! 先生もお忙しいのに、ご心配をおかけして、すみませんでした」
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