上 下
8 / 23
piece3 持てる者と、持てない者

カンナの思惑

しおりを挟む
「……え?」
言われた言葉の意味を、うまく噛み砕くことができなかった。
悠里は、くぐもった疑問の吐息を零す。

「今までこんだけ、カンナさんから嫌がらせ受けてさぁ。その可能性を一瞬でも、考えたことなかった?」
ユタカの笑みは、さらに広がっていく。
「キミって、ホント、鈍いんだね?」

「で、でも……」
悠里は恐る恐る、ユタカとカンナを見つめた。
「お2人はお付き合い、されているんですよね?」

「はぁ? 私が? ユタカと? 何言ってんのよ冗談でしょ?」
カンナが、冷ややかな声で言う。
悠里は、ビクッと肩を竦ませながら、しどろもどろに答えた。
「だ、だって……」

「あー、オレたちが、キスしたから?」
ポン、と手を打ち、ユタカが後を受けた。
それを聞き、カンナが呆れた顔で悠里を見下ろす。

ユタカは、戯けたようにカンナを後ろから抱き寄せてみせた。
そうして悠里を見返しながら、カンナの胸元に手を這わせる。
「……これで、オレたちの関係性、理解できた?」

悠里は身を固くしたまま、グッと唇を噛み締める。
「あれぇ? わかんない?」
ユタカは薄笑いを浮かべながら、カンナの胸をジャケット越しに揉みしだき、その首筋にキスをした。

カンナが艶然と微笑み、くすぐったそうに身を捩る。
「ちょっと。そういうのは、また後で」
「えー? いいじゃーん」
2人は甘い声を出し、悠里に見せつけるように顔を寄せ合った。


目の前で繰り広げられる行為が、何を意味するのか。
悠里には理解ができず、ただただ息を詰める。

ユタカは楽しげに笑い、答え合わせをした。
「つまり、セフレなのよ、オレたちって」


悠里が目を見開いたのを見ながら、ユタカは軽い調子で続けた。
「オレたちは、お互いの隙間を埋めるために。エッチしたり、遊んだりしてるわけ。今みたいにね?」

カンナも同調し、頷いた。
「そ。そこに恋愛感情なんて、あるわけないでしょ?」
「えー? オレは結構、カンナさんのこと、好きだけどー?」
「はあ? ウッザ」
「ははっ、そういうとこも、オレは好きよ?」
ユタカは、あっけらかんと笑い、カンナの身体から手を離した。


我知らず、悠里の身体は震える。

『好き』という言葉を、彼は使った。
しかし関係性は、『セフレ』だという。
その言葉からは、真心を感じられない。
つまりユタカにとって、『遊び』なのだろう。
カンナとの関係も。
今の、この状況も。


1年生の後輩2人は、ニヤニヤと笑みを浮かべ、口々に言う。
「いいよなあ、セフレ。オレたちも欲しいわあ」
「な! それにはやっぱり、マリ女との交流が不可欠よ!」

ユタカは笑いながら、後輩たちに向かって大きく頷いた。
「そうそう。剛士ってさあ。自分は交流の中で、ソッコー美人な彼女捕まえて? 別れたら交流断絶して?」
ユタカの冷たい笑みが、悠里に向く。

「それで、未だに交流は断絶させたままなくせに、ちゃっかり自分だけ、カワイイ女の子捕まえてさぁ。ズルいよなぁ?」
同意を求めるように、ユタカが首を傾げてみせると、後輩たちは賛同の声を上げた。


「ちょっと! そんな言い方やめてよ。剛士くんは悪くない!」
対してカンナが、不機嫌な声を出す。
「悪いのは、剛士くんと付き合ってんのに、他の男に目移りしたエリカなんだから」

カンナの口から、エリカへの非難の言葉が出たことに、悠里は驚愕する。
自分の行動は全て、エリカのためだと、豪語していたのに。
異常なまでの憎しみを、悠里にぶつけてきたのに。
エリカへの、崇拝にも似た激しい思いを原動力に、カンナは暴走を繰り返しているのに――


「あーあ。まーた固まっちゃった」
ユタカが笑いながら、悠里の様子を揶揄った。
そうして、意地の悪い声で囁きかける。
「キミには、カンナさんの気持ちなんて、わからないだろうねぇ?」

悠里は震える声で、ユタカの言葉に疑問を返した。
「だって……エリカさんと安藤さんは、親友だって……」
悠里の脳裏に、大輪の花束のような、エリカの美しい笑顔が浮かぶ。


「……そう。親友よ」
ユタカよりも先に、カンナの声が飛んできた。
カンナの目には、様々な感情の炎が燃え盛っている。
悠里を焼き尽くすかのように、真っ直ぐに見据え、詰め寄ってきた。
悠里は思わず、座り込んだままの体勢で、不器用に後ずさる。


「……アンタたちって、いつもそうだよね」
カンナは低い声で、怒りを吐露し始めた。
「自分が当たり前のように持ってるもの。それが、他からすれば喉から手が出るほど、欲しいものなんだってこと。アンタたちは、知ろうともしない」


恐怖に息を詰まらせながらも、悠里は必死に、カンナの言葉の中身を探ろうとする。
『アンタたち』
それは、誰と誰を指す、憎しみの言葉なのか……


カンナが悠里を見下ろし、涼やかな目を、すぅっと細めた。
そうして膝を折り、悠里と目線を合わせる。

カンナが初めて、悠里に対して本音を晒し始めた。
これまで掴みきれなかった彼女の暴走の本当の意味が、悠里に明かされていく――


***


「私、好きになったんだ、剛士くんのこと。エリカの近くにいて、嫌というほど剛士くんのこと、見てきたから」

ガラス玉のように無機質な光を放つ目で、悠里を見つめたまま。
カンナの唇から止めどなく、心が溢れ出した。


「羨ましかった、妬ましかった。エリカのこと。剛士くんに愛されて、みんなに祝福されて、幸せに笑うエリカが。私が、その座に付きたかった、本当は」

在りし日の苦痛が蘇ったのか、カンナの声が、重苦しく掠れた。
それを抑え込むように、彼女は一度、ゆっくりと瞬きをした。


「……でも私は、エリカの親友だから。エリカがどんなに良い子で、剛士くんに相応しいか、わかっていたから」

痛みに堪えかねたのか、カンナの顔が歪む。
「この気持ちは、報われなくていい。エリカが剛士くんと、幸せになってくれるならって、思ってた」


今しがた、カンナが口にした『アンタたち』という、誹りの言葉。
それが、悠里とエリカを指したものであることが、伝わってきた。
しかしカンナは、エリカを妬ましく思う以上に、親友としてエリカを大切に思っているのだろう。

悠里は、痛ましげにカンナの顔を見つめる。
親友の彼氏に恋情を寄せてしまい、自分の心と、友情との板挟みになってしまった。
カンナの苦しみを慮ると、同情の思いを禁じ得ない。


しかし、次にカンナの口から吐き出された言葉は、耳を疑うものだった。
「……だから、私ね? せめてひとつだけ、剛士くんの心に、私の傷跡をつけたかったんだ」

「……え?」
薄らと笑みを浮かべたカンナに、悠里は寒気を覚える。

「エリカのことで話があるって、部活の後に呼び出して。剛士くんのことが好き。2番でいい、エリカの合間でいいから、私と付き合ってって。言ってやったの」


「……おお。それは、オレも初耳」
悠里や後輩の2人組が驚く中、ユタカだけが茶化すような声音で口を挟んだ。
カンナは、ユタカには目もくれなかった。
ただ、その冷ややかな笑みで、悠里の心を射竦めた。

「――もちろん、剛士くんが乗って来ないことは、わかってた。でもこう言えば、たとえ一時でも。剛士くんの心が、私でいっぱいになるでしょう?」

そのときのことを思い出したのか、カンナはニヤリと、頬を緩ませた。


「剛士くんは、すごく真剣に答えてくれたの。『ごめんなさい。俺は、エリを裏切りたくありません』って。きちんと私に向き合って、真っ直ぐに私を見て、答えてくれたよ」

ユタカが、ぷっと吹き出す。
「マジか。剛士、もったいないことすんなぁ。1発ヤっときゃいいのに」


しおりを挟む

処理中です...