上 下
1 / 21
piece1 希望に溢れた修了式の日

デートの約束

しおりを挟む
修了式を目前に控えた3日間は、穏やかで、柔らかく輝いていた。
桜の樹々を見上げれば、可憐な花が少しずつほころび、春の訪れを優しく報せてくれる。

朝は、駅で彩奈と拓真と待ち合わせて登校。
帰りは、剛士の部活が終わるのを彩奈と共に待ち、いつもの交差点で4人集まる。
そして剛士は、悠里を自宅まで送り届けてくれた。

まるで、出会った頃の時間を、追体験しているようだった。
彩奈と拓真の舌戦を2人で見守り、そして4人一緒に、笑う。
みんなが笑顔で、剛士が隣りにいる。
悠里の思い悩む日々は終わり、心和らぐ時間が、彼女の脅えて疲れ果てていた心を癒してくれた。

悠里を包む、大きな手。
安心させてくれる優しい笑顔。
剛士を間近に感じられる放課後は、本当に、幸せだった。


いよいよ、修了式を明日に控えた木曜日の放課後。
4人は前夜祭と称して、駅前のファストフード店でお茶を楽しんでいた。
「ゴウ、明日は部活休みなんでしょ?」
「おう。朝練も含めて休み」

――じゃあ明日は、一緒に登校できるかな。
悠里は思わず、ニコニコして隣りに座る剛士を見つめる。
剛士も微笑み、彼女に向かって小さく頷いてみせた。

そんな2人を暖かく見守りながら、拓真が楽しげに言った。
「明日、学校が終わったらさ。みんなで遊ぼうよ!」
パッと皆の空気が華やぐ。
「さんせーい!!」
彩奈が目をキラキラさせ、両手を上げてみせた。
悠里と剛士も、顔を見合わせ微笑む。
明日が終われば、春休み。
そう思うと、ますます心は浮き立った。


「……でも、良かったよね」
頬杖をついた拓真が、優しい笑みを浮かべて皆の顔を見回した。
「あれから何も起こらなくてさ。正直、ホッとしたよ」
「ホント! やっぱりあれ以上の脅し道具は、持ってなかったみたいだね」
彩奈も嬉しそうに頷き、親指を立てる。
拓真も同様に、親指を立ててみせた。

「まあ、あの人も卒業したわけだし。きっと、大学かどっか進学すんでしょ? なら、いつまでも嫌がらせしてないで、新しい世界に踏み出そうって、反省したんじゃないの?」
「反省したんなら、いいけどさあ。だったら悠里に謝れ!って言いたいよね」

拓真と彩奈の言葉を聞き、悠里は微苦笑を浮かべる。
「私はもう……会うことがなければ、それでいいかな」
「もう、悠里はお人好しなんだからー!」
彩奈が呆れながらも、明るく笑った。

いつも通りに戯れ合う2人に暖かい視線を送りつつ、拓真が向かいの剛士に言った。
「ゴウもさ、ようやく安心できたんじゃない?」

「……ん、そうだな」
少しの沈黙を置き、剛士は頷く。
「今のところ何もなくて、ホッとしてる」
「あらー。まだ完全には、安心してない感じ?」

拓真が、金髪頭の下の優しい目を丸くした。
「ゴウはやっこさんのこと、かなり警戒してるよね。そんなにヤバいオンナだったの?」
彩奈も、拓真の言葉に同意して、剛士を見つめる。
「シバさんが、あいつは何するかわからないって、すごい心配して。それで、悠里を送り迎えすることにしたんだもんね」

「……そうだな」
剛士は目を伏せ、微かに頷いた。
「あいつは俺の思う、一般的な常識とか、倫理観が通じない……苦手なんだ。そういう人」

その言葉を聞き、他の3人は思わず顔を見合わせた。
「へえ。ゴウにしては、ちょっと珍しい言い方……っていうか、ゴウが人間批評すること自体、初めて見たかも」
拓真は驚きを笑みで抑え込み、探るように剛士を見つめた。

「嫌いっていうより、苦手なんだ?」
「うん……価値観が違うと言えばそれまでだけど。俺にとって、得体の知れない人間だった」
何を思い出したのか、彼の切れ長の瞳には、暗い色が浮かんだ。

「へえ……そんなのが元カノの親友とか、実はイヤだったんじゃない? 当時もさ」
「まあ……でも、人の交友関係に口を出すのは、駄目だろ?」
剛士が微苦笑を浮かべて、拓真を見つめた。

「逆に俺がさ。例えば自分の彼女に、拓真と友だち辞めろって言われても従わねえし。話し合ってもわかってくれないなら、その彼女とは別れる」
「ゴ、ゴウ……!」
目をキラキラさせ、感動を表現する拓真に、剛士が笑った。
「俺の思う、一般論な?」


2人の会話を聞きながらも、悠里の笑顔は、少しずつ萎んでいく。
彼女の心の奥底には、形容し難い、不安の種が、芽吹き始めていた。


彩奈が、剛士に向かって頷いた。
「私、シバさんの気持ち、わかるわ。私は、アイツと会ったのは図書室での1回きりだけど。それでも、あのヤバさは伝わって来たよ」
「ええ? マジ?」
拓真が目を丸くし、彩奈に向き直る。

「マジマジ。激情型っていうのかな。好き嫌いの判断が極端で、自分の思い通りにならないものは、全部ぶっ潰す!みたいな。すっごい思い詰めそうな雰囲気のある人だよね」

彩奈の言葉を聞き、悠里も無意識のうちに頷いた。


確かにカンナは、そういう人物だった。
親友のエリカに対する強い感情。
確かに友情ではあるのだろうが、余りにも排他的だった。
エリカの幸せは、剛士と恋人同士に戻ることだと盲信し、それを否定するもの全てを排除しようとしていた。

エリカの現在の恋人に対する、強い憤り。
何より、いま剛士の傍にいる悠里に対する、激しい憎しみ。
その感情には、剛士や、親友のエリカの意志さえ、一切配慮されることがなかった。


悠里は睫毛を伏せ、カンナの言動から感じていた違和感を思い返す。

あれは、エリカの幸せを願った友情というには、激しすぎる感情ではないだろうか。
もはや、エリカの望みなど、関係ない。
悠里を剛士から引き離すことが、カンナ自身の幸せであるかのようだった。

悠里は、小さく唇を噛み締める。
そう。ずっと、考えていた。
一体何が、あそこまでカンナを突き動かしていたのだろうと。

今しがた、剛士の口から聞いた言葉を、悠里は反芻する。
『あいつには、俺の思う一般的な常識とか、倫理観が通じない』

彼の表現した懸念の意味が、悠里にも朧げながら理解できる。
カンナの頑なさには、こちらの常識が通用しない。
だから、彼女を暴走させている感情の正体が、未だに掴めない。

剛士も悠里も、心の中に巣食う懸念や恐怖が、完全には拭えないでいるのだ――


ぽん、と頭に大きな手が伸びてきた。
「えっ?」
悠里はきょとんと、隣りに座る手の主を見つめた。

「……大丈夫だよ」
剛士が、小さく微笑んだ。
「あいつが何を考えてたって……俺が、悠里を守るから」
心配するな、というふうに、彼はしっかりと頷いた。
その目からは、暗い色はすっかりと消え、悠里を励ます暖かい色に変わっていた。

「……うん」
悠里も微笑みを浮かべ直し、しっかりと頷く。

そうだ。不安な顔をすれば、お互いに心配をかけてしまう。
1人で溜め込んで、独りで立ち向かおうとしては、いけない。
2人で助け合って。
親友たちの力も借りて。
みんなで、乗り越えるんだ。

悠里は暖かい決意を、しっかりと胸に抱きしめた。


向かいに座る拓真と彩奈が、顔を見合わせて微笑む。
「……やっぱりさ。明日は、2人でデートしてきなよ」
「え?」
悠里と剛士は、きょとんと目を瞬く。

「で、でも、明日はみんなで……」
遠慮がちに口を開きかけた悠里に、彩奈が笑いかける。
「4人で遊ぶのは、春休み入ったら、いくらでもできるじゃん?」
「そうそう。お花見とかね!」
拓真も、ニコニコと笑って頷いた。
「春休みになったら、4人でいっぱい遊ぼ?」

彩奈が、拓真が、優しい笑顔で悠里たちを見守っている。
悠里は思わず目を潤ませ、向かいに座る親友たちを見つめた。

彩奈の瞳が、柔らかく輝く。
「いろいろ大変だったからさ。悠里とシバさん、最近ゆっくりできてないじゃん。だから明日は、久しぶりに2人きりで、ラブラブの時間過ごしなよ!」

悠里は、剛士と顔を見合わせる。
剛士の瞳も、優しい微笑を浮かべていた。
「……そうさせて貰うか」
「……うん!」
悠里は大きく頷き、彩奈と拓真に向かって微笑んだ。

「2人とも、ありがとう!」
「どういたしまして!」
「デート、楽しんでね!」
幸せな明日の予感に、悠里の胸は甘やかに弾んだ。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】孕まないから離縁?喜んで!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,457pt お気に入り:3,276

平凡な私が選ばれるはずがない

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:5,397pt お気に入り:163

迷惑ですから追いかけてこないでください!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:42,345pt お気に入り:788

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:151,208pt お気に入り:2,636

離婚が決まった日に惚れ薬を飲んでしまった旦那様

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:11,964pt お気に入り:1,303

エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:3,302pt お気に入り:1,659

処理中です...