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第29話 魔竜戦
しおりを挟む上位悪魔グレーター・デーモンの爪や牙、尾による一撃は、ペルセネアの肉体を容易に破壊してしまうほど凶悪なものであった。しかし、その攻撃はことごとく回避されて、逆に半月刀シャムシールによる反撃を受けて、悪魔は肉体を引き裂かれていく。
「――汝、我が怒りを受けよ」
上位悪魔は憤怒と共に、呪詛の言葉を吐き出す。
それは魔力を宿した力ある言葉であった。
回避不能な闇の波動!
しかし〝蟲の皇子ヴァーミン・プリンス〟は慌てることなく、ピアスについた宝石を放り投げて、その中に封じられていた蟲を呼び出す。
「大丈夫、魔法や特殊能力のたぐいは封じるよ」
宝石が割れて呼び出されたのは、小指ほどの蛆虫たちである。蛆虫の群れは悪魔の放った邪悪な力を吸収して、親指ほどの大きさに膨れ上がる。これは呪いの類を餌に成長する蛆虫だ。蝿となった瞬間に、呪詛を撒き散らした相手に向かって特攻して、体内に卵を植え付ける特性がある。
イヴァはさらに指輪や服の宝石を放り投げて、無数の蟲を呼び出す。
毒を中和する蜂はちや呪文詠唱をかき乱す螽蟖きりぎりす、異次元からの攻撃を絡め取る蜘蛛など、対悪魔用とでもいうべき布陣であった。もちろんイヴァは、悪魔以外にもどのような相手が出てきても対応できるように、様々な蟲を封じている宝石を用意している。
相手を見てから対抗する蟲を出す必要があるので、後攻を取らなくてはならないというのが欠点であるが、その為のペルセネアだ。
(上位悪魔なんて、魔法と特殊な能力を無効化してしまえば、重武装の戦士数十人分の化物だ! ……頑張れ、ペルセネア!)
冷静に戦力を分析してみて、イヴァは苦笑する。
仮に彼一人であれば、上位悪魔は無数の蟲をゆうゆうと蹴散らして、鉈のような鉤爪で、自分を引き裂いたに違いない。
「では、手早く倒そう」
主人の不安を気にしていないのか、ペルセネアの剣速が鋭さを増していく。
「――邪神よ、守りを! 癒やしを! 再生を!」
あまりの猛攻に、上位悪魔は態勢を立て直そうと、三重の邪悪な祝福を願う。
鋼鉄のような肌はさらに厚さを増し、傷は見る間に癒えて、新たにつけられた傷もすぐにふさがり始める。上位悪魔は恐ろしげな見た目に反して多くの知恵を有しており、敵が呼び出した蟲の中に、これらの祝福を妨害するタイプの蟲がいないことを見抜いていたのだ。
だが邪神への加護を祈った隙を、ペルセネアが見逃すはずもない。
「貰ったぁ!」
女蛮族は獲物に襲いかかる毒蛇コブラのように素早く半月刀を振るい、上位悪魔の首を叩き斬る。驚いたことに、上位悪魔は頭だけの状態でも生き残っていたが、反撃は許されなかった。呪詛を蓄えた蛆虫はアッという間に蛹となり、蝿の姿となって、耳障りな羽音を響かせながら弾丸のように上位悪魔の頭に群がったのだ。
数秒、悪魔と蝿の攻防が行われたが、軍配は蟲の群れに上がり、上位悪魔はこの世界で存在するだけの力を失い、頭も、身体も塵となって崩れ去っていく。
時間にして数分程度の戦闘であったが、女蛮族は満足いく戦闘だったのか、身体は燃えるように火照り、薄っすらと汗をかいている。
(やっぱり、美しいなぁ)
一刻を争う事態であるということを理解しながら、ダークエルフの少年はそんな感想を胸に抱く。だがいつまでも、この彫像のように美しい女蛮族の姿を見ているわけにもいかない。
「さて、なにやら外で事態が動いているみたいだ。ボクらは去るけど、盗賊ギルドの動きは止めてもらうよ」
イヴァはそう言って、王座に背を預けたままの老人――〝ギルド・マスター〟の方を見た。
「やめろと言って、やめる程度に、こちらが負けていれば良いがね」
「その心配は無用だよ。君らの指揮官がこんな状態なら、黄金宮殿はもちろん、他のギルドも遅れを取ることはないさ」
イヴァは肩をすくめて、絶命した頭かしらの死体を見る。信じた相手が悪かった盗賊ギルドの幹部がいなくなったことで、しばらくすれば盗賊ギルドの統制は大きく乱れるだろう。
烏合の衆をまとめ上げた才覚は惜しむべきものであった。だが、仮に彼が生きていたとしても、イヴァの足元に膝を屈する事はなかったはずである。
なので、ダークエルフの少年は惜しいという気持ちをあっさりと割り切った。
「それと……、先程から暗殺の機会を伺っている暗殺者――名前は知らないけど、絞殺具ギャロット使い! 聞こえているでしょ? 君の雇い主が、ここで死体になっている盗賊ギルドの幹部か、あの仮面の魔法使いなのか、どちらかはわからないけど、片方は死んでいるし、もう片方もすぐに死体になるよ。成功報酬を貰いたいなら、早めに動くことをおすすめするよ」
もちろん、返事はない。
だが、恐らく聞こえたはずである。
「ご主人様、無用の挑発ではないか?」
「いいや、少し考えがある。相手が乗ってくれるかどうかは不明だけどね。まあ、乗らずにトンズラしてくれた方が楽でいいんだけど……」
ペルセネアの問いに、イヴァは困ったように言葉を返す。
会話したこともない相手であるが、どうにも無駄なプロ根性を持っていそうな気がする。職業が暗殺者でなければ、いや、自分が狙われていなければ、褒め称えても良い気質である。
(騒動が終わった後で、下手に潜伏されるのは厄介だからね)
できればこの機会に、一緒に片付けてしまいたい。と、イヴァは考えている。
今までも、厄介な暗殺者を直接相手にするよりも、その裏にいる雇い主を倒した方が手っ取り早いということを、彼は経験から学んでいる。
念のためにと、イヴァは〝ギルド・マスター〟の体内に1匹の蛭を張り付かせる。瀕死の老人にどれだけ意味があるのかは分からないが、下手に死なないようにする為の処置である。
「それじゃあ、ペルセネア。外に出ようか」
「わかった」
ペルセネアはイヴァを抱きかかえる。そして、ダークエルフの少年は落ちないように女蛮族の首に手を回す。
男女の構図は逆であるが、横抱き――お姫様抱っこというやつである。長距離の運搬には適さないのだが、女蛮族はさほど気にせずに、ダークエルフの少年が身体を密着させたのを確認すると、外を目指して勢い良く走り出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
魔竜アジ・ダハーカの暴威に対して、最初に抵抗したのは海賊ギルドであった。武装商船『フレイミング・リーヴァー』号の大砲から対海蛇アンチ・シーサーペントの砲弾が雨あられと撃ち出されて、〝海賊卿〟アデルラシードの命令を受けた炎や風の精霊も猛攻撃を仕掛けた。
彼らがこれほど積極的に介入した理由は単純で、魔竜の攻撃で吹き飛ばされた区画に、彼らの貿易所があったからだ。表の顔は貿易商人ギルドで通しているので、相応の護衛と財産があったのだが、それが一瞬で吹き飛ばされたとなれば、報復は当然である。なにより海賊や盗賊などの無法者は舐められたら終わりである。被害を受けて何もせずに逃げれば、その瞬間に今まで築いた地位を失うのだから、黙って引き下がるという選択肢は彼らにはない。
「とはいえ、あんまり効いている様子もねぇな」
〝海賊卿〟アデルラシードは呻くように言った。
上空に存在する魔竜は砲弾や精霊の攻撃に対して、数十もの魔法の防壁を張り巡らせている。竜の上位種は高度な魔法を操るので、その事自体は驚くことではないのだが、それを込みで砲弾や精霊には魔法を打ち破る術を仕掛けていた。それなのに手傷を与えられていないのは予想外であった。
「砲術長スキーニットに伝えろ。砲弾を対海蛇から、対大海魔アンチ・クラーケンに変更だ。一撃で沈めたら、秘蔵の酒を贈呈するぞ。しっかり狙え!」
そんな命令を出してから数十秒後に、雷鳴にも似た轟音を響かせて対大海魔砲弾が放たれた。
弾丸は魔竜の生み出した数十の魔法防壁を紙くずのように貫いて、鱗を突き抜け体内に潜り込む。そして、内部で爆発四散した!
通常の生物なら即死。
独自の法則で動く魔獣であっても致命傷は免れず、伝説に歌われる竜種であってもタダではすまない。
――にたり。
魔竜アジ・ダハーカは嫌らしい笑みを浮かべた。
死ぬほどの痛み、苦しみ、なんと甘美なことか! 全身を駆け巡る激痛に歓喜しながら、魔竜は猛毒の吐息を吐き出す。
緑色のガスがエルカバラード全域を覆う。
ガスを吸い込んだ者は、アジ・ダハーカが受けた痛み、苦しみを、そっくりそのまま味わうことになる。
さらに砲弾で貫かれた傷口からは血の代わりに――蠍さそり、蝗いなご、蝿はえ、蚊か、蚰蜒げじ、虱しらみ、蟻あり、虻あぶ、日避虫目ひよけむし、蟷螂かまきり、蛭ひる、蜂はち、蛞蝓なめくじ、毛虫けむし、亀虫かめむし、蛾が、蜘蛛くも、蚤のみ、蜚蠊ごきぶり、毒蜘蛛タランチュラ、甲虫スカラベ、毒蛇コブラ、蜥蜴トカゲ、船喰虫フナクイムシ、蛙かえるなどなど、忌み嫌われる生き物が這い出てきた。
「船長、第二射を放ちますか?」
「……いや、ダメだ。あの竜、こっちの攻撃を受けて喜んでやがる」
副官の問いかけに、〝海賊卿〟は望遠鏡で相手の状態を確認しながら忌々しそうに唸る。
「あの竜は最初の攻撃を魔法で防ぎました。それは、当たると困るからではありませんか?」
「困るのは竜じゃない。おそらく、あの竜を呼び出した奴だ」
「やはり、召喚されたものですか?」
「十中八九、そうだろうな。まあ、エルカバラードの何処かに封印されていた魔竜が解放されたって線もあるが……。ともかく、竜本体を攻撃しても埒が明かない。幸い防御結界を張っている間、奴は攻撃できないみたいだ。通常砲撃と精霊で動きを止めている間に、先日雇った鷲獅子騎兵グリフォンライダーを偵察に出して術者を見つけるぞ」
そう言って飛行騎兵を呼び出そうとする。
だがその指示を出すよりも早く、アデルラシードの耳に不愉快な報告がもたらされた。
「せ、船長! 脱走です。鷲獅子騎兵の連中が逃げ出しました!」
「なんだと……、クソ。俺の目も濁ったな」
脱走兵の臆病さと、それを見抜けなかった自分に腹を立て、〝海賊卿〟は次の手を打つことにした。
「冒険者ギルドに連絡を取れ、討伐依頼だ。すでに他のギルドも依頼を行っているだろうが、命知らず共が喜んで戦いに行くだけの報酬を出すと言ってやれ」
本来なら自分の手勢だけで仕留めたかったが、その手が打てない以上、次善の策として冒険者を使うのが一番であった。冒険者は特殊な社会的立ち位置に存在しており、依頼を達成した場合の報酬は彼らのものとなるが、その依頼による社会的な名声などは依頼を出した者が受け取ることになるのだ。
今回の場合、おそらく複数の依頼人が存在しているので、受け取る名声は出した報酬額に比例することになるだろう。
「……万が一、冒険者でも討伐できなかった場合は?」
「その時は、エルカバラードも終わりだな」
アデルラシードは精悍な顔を曇らせて、最悪の予想が当たらないことを祈った。そして、ふと思い出したように問う。
「そういえばジジイ……〝蟲の皇子〟はどうしている?」
「盗賊ギルドに向かって以降、見張りからの連絡はありません。まだ死んではいないと思いますが……。船長は、あの少年がこの状況をどうにかできるとお考えなのですか?」
凡人でないのは確かだが、この状況を覆せる英傑のようには見えなかったと、副官は言外に告げる。それに対して〝海賊卿〟は説明するのが難しそうな表情になって、結局うまく言語化できず「可能性はあるさ」と口にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「さて、困ったことに、ボクらにはアレを何とかできる可能性がある」
外に出たイヴァはペルセネアから降りると、上空を支配する巨大な魔竜の存在を確認する。そして〝蟲の皇子〟は愛らしい顔に疲れた表情を浮かべながら、麗しき戦闘奴隷に告げる。
「いっそのことどうしようもない状態だったら、君やザハド達を逃がすだけで良かったんだけどね。あるいはアデルあたりがなんとかしてくれていれば最善だったんだけど……」
世の中というのは思い通りにいかないと嘆き、愚痴はこれまでとばかりに、女蛮族に今後の方針を指示する。
ペルセネアは黄金の瞳に喜びの色を宿して、感心したように笑い、イヴァの提案を飲む。
「ちなみに言うまでもないけど、失敗したらボクらは死ぬ。そのことを理解して、それでも乗ってくれる? 正直に言うけど勝率は5分以下だよ。ボクはエルカバラードの為に退くことはできないけど……」
「ご主人様、それは今更というものだ。戦いとは常に命懸けだろ、そして、それが楽しいのだ」
ダークエルフの少年の言葉を遮って、女蛮族は獰猛な笑みを浮かべた。
「そう、それじゃあ、付き合ってもらおう。今夜の馬鹿騒ぎの最後まで」
イヴァはそう言って、ハンカチを取り出すと、何度か勢い良く振るう。すると、布は見る間に大きくなっていき、一部屋を覆う程度の大きさに広がる。ハンカチというよりも絨毯じゅうたんといったほうが良いかもしれない。
それはふわりと宙に浮かび上がる。
「それじゃあ、行こうか」
絨毯の上に飛び乗ると、イヴァはエスコートするように、ペルセネアに手を差し伸べる。その手を掴みながら、女蛮族は不思議そうに問う。
「魔法の絨毯とは驚いた。てっきり、空飛ぶ蟲に乗っていくものと思ったからな」
「乗って飛ぶ分には、こっちの方が速いし、使い勝手も良いし、なにより座り心地が良いからね」
〝蟲の皇子〟は説明すると、魔法の絨毯は高度を上昇させていく。
上空ではすでに、緊急依頼を受けた冒険者と魔竜から生み出された蟲が激闘を繰り広げていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
--キリギリスは歌を歌い、歓びの内に死んだ!
--働きアリは労働の果てに、惨めに死んだ!
--歌え、歌え、死の時まで!
冒険者の酒場でよく聞く歌の一節。
彼らの死生観が垣間見える歌であると同時に、地道な労働が報われないことに対する痛烈な皮肉も込められている。王侯貴族の権力が強い国では、この手の歌を口にすると(労働者の労働意欲を削ぐというのが理由で)禁固刑になるので注意が必要。
地方によっては、キリギリスがセミやコオロギなどに変更される場合がある。
―― 吟遊詩人同盟より ――
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