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第23話 喜劇の終わり

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 ゲイルは熱病に浮かされたように、恋人の助けを求める声に導かれるまま歩みを進めた。〝|鼠を統べる者(ラット・ロード)〟の使い魔は破魔の力を維持する為、掴んだままである。
 鼠は必死に抗議の声を上げ、ゲイルの手を爪や歯で引っ掻いた。しかし、感覚が麻痺しているのか、男は気にせずに前に進む。

 そして、恋人の待つ舞台の上に立った。

「レイナ!」

 自分を支え、共に戦い、共に生きていこうと誓った愛する女の名を叫ぶ。

「ゲイル……、来てくれたんだ」

 自分の為に危険を顧みずに現れた恋人の姿を見て、美しいエルフの娘は壇上から熱い涙を流す。
 無論、この場にいるのは彼ら2人だけではない。
 奴隷オークションに参加した顧客たちや彼らを守る護衛、そしてもちろん、奴隷商人ギルドの警備兵たちが待ち構えている。

 しかし、ゲイルに恐れはなかった。
 勝算はなくとも、恋人の――レイナの為であれば、百万の敵が相手であろうとも戦ってみせる!
 そんな決意をみなぎらせながら、自分たちを囲もうとする兵士たちを睨みつける。だが、相手が襲い掛かってくる気配は一向にない。遠巻きにゲイルを牽制しているだけだ。

「?」

 不思議に思うゲイルに対して、パチパチパチと賞賛するというよりもオチョクルような拍手が鳴り響く。音がする方を見上げれば、観客席からダークエルフの少年が手を叩いている。

 エルカバラードの領主〝|蟲の皇子(ヴァーミン・プリンス)〟イヴァは赤い瞳に愉悦の色を浮かべて、道化師(ゲイル)に話しかける。

「君は今、甘い蜜におびき寄せられて、自ら虫カゴに飛び込んできた」

 何らかの魔法を使っているのか、かなりの距離があるにも関わらず近くで話しているかのように、イヴァの声はゲイルに届いた。

「罠があるくらい、わかっている! だがな、そんなもの食い破ってやる」
「ちがう、違うよ。ボクが言っているのはそういうことじゃない。虫取りのコツは商品自体が罠ってことだ」

 吼えるゲイルに対して、イヴァは憐れむように告げた後、罠(レイナ)に対してねぎらいの言葉をかける。

「よくやったね。レイナ」

 その瞬間、エルフの女は表情を一変させる。

「は、はいぃ! イヴァ様ぁ。言われた通りに、助けを求めましたぁ~。元恋人を誘き寄せる餌の役目、きちんと果たしましたぁ!」
「まったく、恥ずかしくないの? 罪悪感とか、一欠片くらいある?」
「ない、まったくないです! だってぇ、だってぇ、やらないと気持ち良くしてくれないんですからぁ! 蟲、動かしてくださいぃ! ご褒美、お願いします!」

 そう言って、美しいエルフの女は強請るように卑猥な動きをした。最低な娼婦でもしないような蕩けた顔で、与えられる快楽を熱望する姿は、ゲイルの知っている恋人とはまったくの別人だ。

「れ、レイナ……」

 恋人の痴態に、ゲイルは顔を青ざめさせる。
 だが、レイナはそんな元恋人の声など聞こえぬように、盛の付いたメスのように吠えた。

「へへ、ああなっちゃ、お終いだな」
「さあテメェも、大人しくしろよ」
「もう生きる気力もねぇだろうが、せいぜい高く売ってやるぜ」

 奴隷商人ギルドの守衛たちが口々に罵倒を浴びせながら、ゲイルに近づく。
 もはや抵抗することはないだろうと高をくくっており、それが彼らの命取りでもあった。

 絶望に震えていたはずの男が、まさしく疾風の如き速度で守衛の半月刀(シャムシール)を奪い取ると、瞬く間に近づいてきた者たちを斬り殺したのだ。

「へぇ」

 イヴァは感心したような声を漏らした。

「言っただろ、罠ごと食い破ってやるって……」
「ゲイル、ああ、ゲイル?」
「レイナなぁああああああ! お前がどうなっていようが、絶対に助けてやる!」

 会場全体に聞こえるかのように、青年は咆哮する。
 それを見ていた観客たちはパチパチと手を叩き始める。最初は小さなさざ波程度でしか無かったが、いつの間にか会場前に響き渡るような万雷の拍手に変わる。

「ああ、これは、これは珍しい」
「競りはまだ始まらんのか? 皆思っているだろう、アイツらが欲しいと!」
「無論欲しい、なんとしても欲しい」

 愛だ。
 あれは間違いなく愛という形だ。

「アイツラを買い取り、幸せにしてやりたい。その美しさを見届けたい」
「いいや、壊したい。〝蟲の皇子〟以上の悪辣さを持って、愛を塗りつぶしてやる」
「助けてやりたい。この悪徳に満ちた生涯で、ただ一度の善行をするに値する相手だ」

 悪徳の都にいる者達の欲望がギラギラと輝き始める。
 そんな熱狂の中で、盗賊ギルドの幹部たちが居座っている場所には奇妙な静けさが漂っていた。理由はもちろん、ゲイルの手にある破魔の力を有する鼠の使い魔の所為である。
〝鼠を統べる者〟はもちろん〝|疫病の従者(プレーグ・フォロワー)〟や〝|美食家(グルメ)〟も、この使い魔が何であるか知っている。そして同時に、奴隷商人ギルドの守衛たちがこちらに視線を向けていることも!

(やばい、やばいやばいやばい)

〝鼠を統べる者〟は焦っていた。
 事態をどのように収拾するべきか?
 ゲイルの手に証拠がある以上、どのような言い訳も意味をなさない気がした。仮に、自分が嵌められたと主張したところで、盗賊ギルドと奴隷商人ギルドの調査を拒絶することはできない。そうなればスレヴェニア関係の事情はどうしても漏れてしまう。

「残念です」

 そんな言葉が聞こえ、ポンっと肩に手を置かれた。
 いつの間にか、幽鬼のような存在感のなさで〝疫病の従者〟が触れている!

「あぁああ……」
「〝|黒い図書館 (ブラック・ライブラリー)〟の下に連れて行かれるよりはマシでしょう。同僚のよしみです。何も言わずに静かに逝ってください」

〝疫病の従者〟の手を通して、即効性の病毒が〝鼠を統べる者〟の体を駆け巡った。ドクンと心臓が大きく脈打ち、ソレが最後の鼓動となる。

「病死ね」
「ええ、突然の病死です」

〝美食家〟はつまらなそうにつぶやき、〝疫病の従者〟も同意する。
 それとほとんど同時に奴隷商人ギルドの私兵が、奴隷の脱走に関与している疑いで同行を求めてきた。

 そんな一幕は、未だに奮闘を続けるゲイルの活躍で話題にも登らなかった。

 ゲイルの実力は確かであり、奴隷商人ギルドの守衛を、すでに30人以上も斬り伏せている。だが〝鼠を統べる者〟が死んだことで、使い魔の呪力も急激に消え始めている。
 肉体的にも精神的にも限界を迎え、十数分もすれば指一本動かすことはできなくなるだろう。それでも男は愚鈍にも――あるいは勇猛にも、手を休めることなく前に進む。

 そんな男の前に立ちはだかったのは、今回の奴隷オークション責任者である青年ルーミアである。濡羽色の髪を持つ美青年は守衛たちを下がらせると、ゲイルに対して深々と一礼した。

「色々とかき乱していただき……」

 口上の途中で、ゲイルは斬りかかる。
 時間がないのだ。当然の反応と言えよう。ルーミアもソレを予想していたのか、大きく後ろに飛んで回避した。そして、当然のように口上を再開する。

「かき乱していただきましたが、ショーはここでおしまいです。ご安心ください。貴方の恋人と一緒に競りにかけるようにしますから、大人しく地べたに這いつくばってください」

 そう言うと、まるで手品師のように2本の短剣を取り出して構える。
 ルーミアが手にしているのは、スティレットと呼ばれる刃のついていない刺突用の短剣である。ゲイルが手にしている半月刀の方がリーチで勝ってはいるが、先程の身のこなしを見る限り、一流の武芸者でもあるようだ。

 拘束の呪いに加えて、体内では蟲も暴れ始め、体力も限界に近いゲイルでは、万に一つの勝ち目もない。加えて、一連の出来事を奴隷が逃亡したという不祥事ではなく寸劇(ショー)として終わらせたいルーミアには油断も隙もない。

「……」

 獲物に迫るカマキリのように、ルーミアは足を滑らせる。
 ゆっくりしているようで素早い、素人であれば何が起こったのかもわからずに、瞬く間に倒される独特の歩法だ。

(だけど、コイツには俺を殺せない!)

 ゲイルは捨て身の一撃を加えようと、あえて危険な踏み込みをした。もしもこれが死合であれば彼は殺されていただろう。だが、奴隷として売りたいルーミアは、絶命の一撃を加えることはできない。

「っ!!」

 ゲイルの気迫に押されるようにして、ルーミアの型が崩れる!
 そのまま力で押し切られそうになったが、ゲイルの快進撃はここまでだった。

 まず、ルーミアの服に張り付いていたイヴァの虫が牙を向く。
 いや正確には牙ではなく、針である。

 蜂だ。
 まるでブローチか刺繍のような自然な形で服に張り付いていた蜂が、ルーミアの危機を察知して、弾丸のように飛び立った。強力な麻痺毒のある一刺しを受けて、青年はついに限界を迎えた!

「――רוח להגן」

 さらに、止めとばかりにエルフが拘束の魔法を唱える。

「レイナ……」
「邪魔、邪魔しないでよ。ゲイル」

 口から涎を垂らしながら、女は最後まで男を裏切った。
 いや、彼女の中ではすでに裏切りでもないのかもしれない。いずれにせよ、風の鎖が青年を縛り、ここに笑劇は終止符を打つことになる。オークション会場は憐れみと嘲笑、怒りと悲哀の混ざりあった拍手で満ちて、ようやく値付けが開始されることとなった。


  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「悲劇だったね。困ったことに彼はまだ諦めていない。恋は盲目と言ったものだけど、愛に溺れる男の愚かさだ。でも、笑わないよ。むしろ、羨ましくもある。誰か1人にこれほど愛を捧げることができるなんて、悪徳の都エルカバラードにおいては希少な宝石のようなものだ」

 ダークエルフの少年は宣言通り、その目も口も笑っていない。
 代わりに宝石で装飾された黄金の杯を手にすると、祝杯を上げるかのように高々と掲げて、中身を一息に飲み干す。

「ペルセネアは何か思うところはあるかな?」
「最後の攻防は見応えがあったな。あの気力でこられたら、砂漠での戦いは敗北していたかもしれない」

 アマゾネスの奴隷戦士は、相手の本気を引き出せなかったことを少し残念そうに言った。

「ところでご主人様、ここにいる刺客はいつまで放っておくのかな?」
「ああ、もういいよ」

 飽きた玩具を捨てるように、イヴァは返事をする。
 その瞬間、ペルセネアは――そしてもう2人の護衛トルティとテタルナも弾かれたように動き出す。

 まず屋根裏に潜んでいた蠍が半月刀の餌食となり、透明化の魔法で部屋の隅に隠れ潜んでいた暗殺者が格闘用刀剣(ジャマダハル)の一撃で串刺しにされた。最後に、床下に隠れ潜んでいた蛇頭の怪物ナーガの頭が大斧で叩き割られる。
 贅を凝らした部屋は一瞬にして暴風が吹き荒れたかのような惨状となった。

「絞殺具使いの暗殺者はいないようだな」
「油断しなければ動かない。まあ、暗殺者っていうのはそういうものだよね」

 イヴァは奇跡的に原型をとどめている机の上に黄金の杯を置く。
 慌てて駆けつけてくる警備兵に対する説明を考えながら、今後の予定を考える。鰻登りに上がっている値段を聞けば、ペルセネアの借金返済はほとんど問題ないだろう。

 他には〝美食家〟との取引。盗賊ギルドとの抗争。奴隷商人ギルドへの対処。
 やるべきことはまだまだ多い。

「次は観客じゃなく、役者として舞台に上がるとしようか」

 イヴァの言葉に、ペルセネアは無言で、しかし力強く首を縦に振った。



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 理論上、通信魔法に限界はない。
 大陸の端から端まで、それどころか別世界との通話さえも可能である。ただし、それだけの距離を会話するだけの膨大な魔力が必要だ。さらに通信魔法を傍受、妨害する手段は豊富である為、軍事的な有用性は高くない。
 だが、相手側の傍受・妨害を無効化する通信魔法技術を開発する研究を怠ってはならない。例え一時的であろうとも軍事的な優位を失うわけにはいかない。

       ―― スレヴェニア軍事顧問の発言 ――
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