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第22話 〝鼠を統べる者〟
しおりを挟む奴隷オークションは行われているが、イヴァは困った顔で責任者ルーミアの釈明を聞いている。奴隷商人ギルドの警備網が破られて、目玉商品である翡翠解放団長ゲイルが脱走したのである。
濡羽色の髪を持つ美青年は表情を固くして、全力で捜索させていると話しているが、その所在はまだわかっていない。
「不祥事を隠さずにきちんと報告したのは褒めてあげるけど……。奴隷商人ギルドの管理体制はいつからこんなに甘くなったの?」
からかうような口調で言った後、イヴァは相手が何かを言う前に言葉を紡ぐ。
「いや、今はそれよりも大事なことがあるね。商品管理の責任はそっちが後でやるとして、まずはこの自体をどう処理するかだよ。名も知らない奴隷だったら、まだ誤魔化しも効いたけど、ゲイル君はダメだ」
「それはもちろん、理解しております」
今回の奴隷オークションに来ている顧客の多くは大量の奴隷を必要としているものに加えて、もう1つ翡翠解放団に恨みを持つものも多く参加している。これは別にいちいち厳選するまでもなく、奴隷売買を行う者ならば誰でも恨みを抱いているのだが、今回集まった者たちの多くは、今までの負債を晴らすために大枚を叩ける連中なのだ。
資金集めに加えて、イヴァが領主として相応しいと認められるための話題作りにもなるはずであった。
それなのに肝心要の首領がいないとなれば、その怒りが何処に向かうかは明白である。商品管理を行っていた奴隷商人ギルドはもちろん、出品者であるイヴァに対しても理不尽な怒りが降りかかるのは疑いない。
エルカバラードの民度の低さは、闘技場にて証明済みである。
「ボクには非難の嵐、領主会議の席で主導権を握ることは難しくなるだろう。まさかとは思うけど、奴隷商人ギルドはソレを狙っていたなんてことはないよね?」
「ありえません! いくら政敵である貴方様を蹴落とすつもりであっても、このような不祥事が広がれば貿易商人ギルドに市場を奪われます」
「そうだよね。ただの確認だよ、君たちは盗賊ギルドのような馬鹿じゃない」
イヴァは心の中で(本当に倒したい相手はボクなんかじゃなく、貿易商人ギルド――海賊たちだものね)と付け加えた。少なくとも、奴隷商人ギルドは身を切るような作戦を行ってまで〝|蟲の皇子(ヴァーミン・プリンス)〟を排除するつもりはない。
今はまだ。
「それに真っ先に責任を追求されるのは……」
「私でしょうね」
管理者であるルーミアは少し顔を青ざめさせているが、それでもはっきりとした口調で応じた。
奴隷商人ギルドが不祥事を起こした組員に与える罰則は、盗賊ギルドの残虐さに勝るとも劣らない。ルーミアは自分の属する組織に忠誠を誓ってはいるが、だからといって捨て駒になるつもりは欠片もない。
「それじゃあボクらは、なんとしても不祥事がバレる前に片付けなければならないわけだ。もう一度確認するけど、ゲイル君に施した拘束術式は機能しているんだね?」
「はい、商品番号K778番――元翡翠解放団長ゲイルに施された第10階級(ロー・マスター)レベルの拘束術式は、未だに効力を発揮しております。たとえ巨人族であろうとも、独力では脱走はおろか歩くことすらできないはずです」
「でも、動いている。ゲイル君自身に対魔能力はなかったはずだから、誰かが助けたことは明白だね。さてさて、救い主となったのは誰かな? ソイツは何を狙って助けたのか?」
イヴァの破滅、奴隷商人ギルドの信用低下、ゲイル自身の身の安全、他にも無数の可能性が存在しており、どれが正しいのか見極めるのは、全知全能でもない限り不可能である。
「まあ、ソイツが何を狙っているとしても、ゲイル君を誘い出す手段はある。此処は一つ、彼の元恋人に活躍してもらおう」
イヴァはまるで悪戯を思いついた少年のように口元を歪めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
悪徳の都エルカバラードには無数の陰謀が渦巻いている。
そして今回、ゲイルの脱走を手助けしたのは盗賊ギルドの幹部〝|鼠を統べる者(ラット・ロード)〟である。ただし、これは盗賊ギルドの思惑ではなく彼個人の動機によるものだ。
「俺は元々、革命前のスレヴェニアにエルカバラードの内情を伝えるための工作員だったんだよ。エルカバラードを帝国から奪い取ったまでは良かったが、いろいろと問題が起きてスレヴェニアでは革命が起きた。諜報機関は解散、非合法な作戦を行った罪で、国に帰れば犯罪者ってわけだ」
「それじゃあ、俺を助ける意味なんてないだろ?」
元翡翠解放団長ゲイルは疑念混じりに問う。牢獄につながれ、魔法で拘束された彼を救出したのは鼠であった。もちろん、ただの鼠ではない。
銀色に輝く刃のような体毛に、歯には破魔の刻印が施された特殊な鼠だ。
〝鼠を統べる者〟と意識も共有しており、人語を解することもできる分身のような存在である。
この銀鼠は見張りの牢番をあっという間に殺すと、鍵を奪い、囚人を解放した。だが鼠に刻まれた破魔の刻印も、さすがに拘束術式を完全に無効化させることは不可能で、わずかに効果を弱めているに過ぎない。
その為、ゲイルの歩みは非常に遅い。だがアルアーク大聖堂の迷宮のような複雑な作りに加えて、他の鼠たちのサポートも受けているので、奴隷商人ギルドの衛兵に追いつかれる心配はない。
「先日、俺のところにスレヴェニア革命政府の使者が来たんだ。ゲイルを解放するのを手伝えば罪を恩赦して、新しく組織する密偵団の頭目にしてくれるんだとさ」
「それで乗ったのか?」
「まあな。こんな砂臭い土地に骨を埋める気は無かったし、俺の手下たちも受け入れてくれるって言うからな。利害の一致って奴だよ」
そこまで話して、鼠は人間臭い笑みを浮かべた。
スレヴェニアはイヴァとの交渉を拒否している。だが、革命政府もゲイルの指揮能力は高く買っているようで〝鼠を統べる者〟に接触してきたのである。
成功すれば優秀な指揮官を取り戻せるし、裏仕事を任せることができる人材を手に入れることもできるのだ。失うものがほとんどないこの作戦はすぐに承認されて、今こうして動き出している。
「他の皆は?」
「助けるように依頼されたのはアンタだけだよ。まあ実際問題、俺の力じゃ助けることができるのは1人だけだしな」
その1人を助けることも難しいのだが、〝鼠を統べる者〟はそれを口にすることはなかった。余計な不安を与えたくなかったからである。だが、次のゲイルの発言でそんな気持ちも吹き飛んだ。
「……ダメだ。1人で逃げるなんて、できない」
「おい、おいおいおい、頭湧いているのか? 1人だけでギリギリなんだ。この後、鍛冶職人ギルドの手引で砂漠超えもしなきゃならねぇし、追跡部隊や奴隷狩り、砂賊からも逃げなきゃならないんだぜ。アンタ1人だけでも厳しいのに、他の連中を助けるような余裕はない!」
「スレヴェニアは平等な国だ。身分や能力で差別されることのない国に生まれ変わったんだ。だから、俺1人だけが逃げ出すことなんてできない!」
〝鼠を統べる者〟は怒りと呆れが半々に混じったような声で、ゲイルを翻意させようとする。
「理想と現実の区別をつけろよ! どうやるのか策もないんだろ?」
「ッ、それでもやらなきゃならないときもある」
鼠は目を点にして空を仰ぐ。
現実を見ずに理想を語る青年の姿は、ある種の人間にとってはカリスマ性を発揮するのかもしれないが、〝鼠を統べる者〟が抱いた思いはもっと冷めていた。
(スレヴェニアのお偉いさんよ。この餓鬼の一体何処が優秀な指揮官なんだ?)
個々人で戦わせた時の実力はあるのかもしれない。
人を率いて戦う勇気もあるのかもしれない。
ついでに言えば、この期に及んでも仲間を見捨てない良識と優しさがある。
だが一歩視点を変えてみれば、それらの利点はたやすく欠点に化ける。
実力は慢心に、勇気は無謀に、良識と優しさは視野の狭さに。
それはこのエルカバラードにおいては致命的ともいえた。そして、破滅する時は確実に周囲を巻き込むような迷惑さもある。
「わかった。だけど、とりあえず態勢を立て直さなくちゃいけないだろ? 一度、この奴隷オークション会場から出て、その後で仲間を助ける作戦を立てようじゃないか」
もちろん、そんな気はない。
ゲイルを安全な場所――自分の隠れ家に連れてきたら有無を言わさず気絶させて、そのままエルカバラードから退散だ。
「……」
〝鼠を統べる者〟の提案を、ゲイルは少しばかり考える。
そしてその沈黙が致命的な事態を引き起こした。
「たすけ、たすけて! ゲイル!」
声が、アルアーク大聖堂の全体に響き渡る。
ゲイルのよく知る大切な人――翡翠解放団副長レイナの、恋人の声だ。
「レイナ!」
「ば、馬鹿が! 離せ!」
ゲイルは今までの鈍さが嘘であるかのように、猫のような素早さで喋る鼠を掴むと、声のする方に走り出す。鼠の方は抜け出そうともがくが上手くいかない。この時、ゲイルを殺してしまえば運命は変わったかもしれない。しかし故郷に帰るという目的が、その考えを邪魔した。
そして騒動は一応の決着を迎える。
無論、ゲイルと〝鼠を統べる者〟にとって、良い結末ではない。
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戦斧部隊(ヴァリャーギ)。
オーガやトロール、ジャイアントの混成部隊であり、帝国の決戦兵力である。
政治的な陰謀や謀略とは無縁の存在であり、純粋な武力のみで帝国を支えている。ただし、彼らが無知で愚鈍な兵士であるという考えは誤りだ。彼らは戦場においては極めて高度な戦術を用いて、幾度も勝利をもぎ取ってきた歴戦の猛者たちである。部隊の規律を保つ為、略奪・強姦・虐殺を禁止する鉄の掟が作られており、破れば功績や階級に関係なく即死刑が宣告されて、即日執行される。
―― 帝国の軍隊 その1 ――
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