蟲の皇子 ~ ダークエルフのショタ爺とアマゾネスの筋肉娘がおりなすアラビアン・ファンタジー ~

雨竜秀樹

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第8話 海戦2

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 島亀(アスピドケロン)の改造された甲羅からは、まるで蟻塚から這い出るようにして、盗賊ギルドのメンバーが次々と現れてきた。
 盗賊ギルドはエルカバラード内で、人数だけなら最大の勢力である。
 武装商船『フレイミング・リーヴァー』号も、船としては破格の兵数を保有しているが、それを圧倒するほどの数であった。
 最も数が多いのはゴブリン種で、その次が人間種、オーク種やギルマン種などである。彼らの武装は貧弱で錆びた剣や斧、ボロボロの服などであり、統制は取れてはいないが、士気だけは異様に高い。

「撃てぇーーーー!!!」

 海賊側がマスケットによる砲撃を開始して、同時に側面の大砲も火を噴く。
 爆発音と煙を抜けて、仲間の死体を無視して、目を血走らせたゴブリンの群れが海兵たちの胸に、喉に、目に短剣を突き刺す。

「弾込メの暇ヲ与えるナ!」
「進め、進め、冥王カムフシャイールの供物を捧げよ!」
「אויב עייף האם、עכשיו הזדמנות」

 盗賊ギルドのリーダーたちは味方を鼓舞して戦意を煽る。多種多様な混成部隊だけあり様々な言語が入り乱れているが、要約すると「敵を殺せ」という物騒な言葉ばかりである。

 少なくとも最初の移乗攻撃(いじょうこうげき)は成功しており、砲火にさらされながらも、盗賊ギルドのメンバーは乱戦に持ち込むことに成功した。こうなれば、同士討ちの危険から下手な射撃は行えなくなる。そして、島亀の改造された甲羅からは続々と援軍が送られてきている。

 これに対して、海賊側も負けてはいなかった。まず、船長であるアデルラシードが船首に取り付けられていた上位精霊イフリートを解放する呪文を唱える。

「海戦じゃこっちが上なんだよ! ――حرق!」

〝海賊卿〟の命令を受けると、炎の上位精霊は灼熱の劫火(ごうか)を巻き起こして、船と島亀の間にある鉤爪付きの縄や鎖などを燃やし尽くした。当然、乗り込もうとしてきた者たちも纏めて消し炭となる。

「孤立した奴らを始末するわよ」

 筋骨隆々の大男が女みたいな声音を出して、海賊たちを指揮する。
 彼はアデルラシードの片腕、副長ノイリークである。ミノタウロスが持つような巨大な大斧を振り回しながら、侵入者たちをひき肉に変えていく。
 その他の幹部たちも部下を率いて、乗り込んできた者を次々と打ち倒す。

「ご主人様、どうする?」

 最前線からある程度離れた場所で、多頭竜(ヒドラ)を倒した奴隷戦士は〝|蟲の皇子(ヴァーミン・プリンス)〟にどうするのか問う。

「しばらく待機して。相手がイフリートをどうにかできないなら、この戦いは問題なく終わる。だけど……」

 イヴァが話し終えるよりも早く事態が推移する。
 敵の乗船を拒んでいた炎の上位精霊に異変が起こった。真っ赤に燃え盛る身体が、まるで疫病に侵されたかのように黒く変色を始めたのである。そして、苦悶の表情を浮かべながら、全身を激しく痙攣(けいれん)させ始める。

「くそ、いったいなんだ? ――عودة」

 使役者であるアデルラシードはイフリートの異変に気がつくと、一時的にその姿を消させようとする。しかし、その詠唱に炎の上位精霊は答えることなく、黒く変色した腕を『フレイミング・リーヴァー』号の方に向ける。

「にげ……」

〝海賊卿〟が警告を発するよりも早く、劫火が仲間であるはずの水兵たちを襲う。下位精霊であるサラマンダーでは上位精霊イフリートの炎を止めることができずに、盗賊ギルドのメンバーと同じく彼らも灰燼となる……はずであった。

「アデル、大技を出すときは、その技が返された時の対策もきちんとしなきゃダメだよ」

 イヴァはまるで弟子を諭す師匠のように、古エリシュアン語で語る。

「炎が飲まれる?」

 アデルラシードは呟く。
 言った通り、イフリートの炎が勢いを削がれて、何かに飲み込まれていた。ふわふわと光り輝きながら浮遊する生き物は、砲火と怒声の飛び交う戦場では気にもとめられないほど小さな存在である。

「サラマンダーの残り火? いや、焔揚羽か!」

 いつの間にか、水兵たちの周囲には焔揚羽が舞っていた。

 焔揚羽が生息する場所では、火事が起こってもすぐに消えてしまう。
 その理由は、この蟲が「炎」を食べるからである。炎を克服して、炎と一体となったこの蟲は、自分たちで草木を燃やした後、その炎が広がる前に食べるのだ。
 補足すると、イヴァが品種改良した焔揚羽は、野生のものよりも遥かに貪欲に炎を食らっている。

 飛竜(ワイバーン)を焼き払う踏み台に使われた焔揚羽は、焼けた敵の熱を奪うために舞い降りてきていたのだ。そのことに気がついていたのは、実際に焔揚羽を使役しているイヴァとその力を利用したアデルラシードくらいだろう。他の者達は、派手な見た目のサラマンダーやイフリートに目がいっており、ここに至るまで、焔揚羽を気にもしなかっただろう。

「さあ、炎を食べてしまえ」

 イヴァの指示で、焔揚羽は水兵たちを襲った炎を飲み込んで、それでも足りぬとイフリートに食らいつき、暴威を振りまいていた炎の上位精霊はその姿を見る見る小さくさせていく。

「ジジイ、その蟲はまさか……、交渉が決裂した場合、俺と戦う時に使うつもりだったんじゃねぇだろうな?」
「せっかく助けてあげたのに、そんな風に言われるなんて心外だな。そんなことよりも前に、お礼の一つがあっていいんじゃないの?」

 実際、アデルラシードの指摘は当たらずといえども遠からずであったが、イヴァは笑顔という花で、心の中の毒を覆い隠す。

「……助かった。この借りはいつか返す。――عودة」

 アデルラシードが再度呪文を唱えると、弱っていたイフリートは船首の像に戻る。再度召喚するには、数日の時間が必要であった。

「できれば、今すぐ返して欲しいな。同盟の約束を取り付けてもらえる?」
「俺個人の貸しだ。海賊……貿易商人ギルド全体の意見を、俺の一存で決めるわけにはいかない」
「〝海賊卿〟とはいっても、しがらみが多いんだね。まあいいや、それじゃあ剣をもらえるかな? ペルセネアに貸した剣だよ。特別な力はないけどそれでも魔法の品物だ。彼女の負債返済のため、頼むよ」

〝海賊卿〟は少し苦い顔をした。彼にとって、あの剣はそれなりに愛着のある品物である。だが〝蟲の皇子〟にいつまでも借りを作っているよりはマシだと判断して、首を縦に振る。

「わかった。好きに使え」
「ありがとう。そうだ。どうやら敵は怯んでいるみたいだし、島亀から伸びていた鎖も焼き切ったんだから、後は距離を取って、他の船と合流すればいいんじゃないかな?」

 ダークエルフの少年はそう助言する。
〝海賊卿〟は「今言おうとしていたところだ」と言って、船員たちに指示を出す。奇襲をしのいでしまえば、島亀は図体がデカイだけの生き物でしかない。
 幸い島亀は船の真下に浮上してきたわけでもないので、敵の攻撃をしのいだ今ならば移動は可能である。そして速度では『フレイミング・リーヴァー』号の方が島亀よりも遥かに速い。

(やれやれ、なんとか危機は去ったか)

 イヴァがそう思った瞬間、ペルセネアはいきなり半月刀を振るう。
 ダークエルフの少年はもちろん、傍にいた〝海賊卿〟や水兵、軽歩兵の誰もが反応できない速度である。唯一対抗できたのは、気を抜いた標的を仕留めようとしていた暗殺者だけである。

「まだ敵が!」

 侵入してきた敵はすべて倒し終わったものだと思っていたが、完全に気配を消してイヴァを仕留める機会を窺(うかが)っていた暗殺者が1人だけ残っていたのである。

「すまない、警告する余裕がなかった」

 ペルセネアはそう言って、イヴァを自分の方に引き寄せる。
〝海賊卿〟や水兵、軽歩兵も武器を構えて、暗殺者を取り囲むが、奇妙なことに誰もが相手を包囲しているという気持ちになれないでいた。
 それほどまでに目の前の暗殺者は存在感が希薄である。
 まるで蜃気楼のように、見えているのに存在していないかのような、そんな気分にさせる。

 そんな暗殺者が手にしているのは、細長い鋼鉄の紐だ。

 絞殺具(ギャロット)と呼ばれる首を絞めて殺すのに特化した武器である。
 いや武器というよりも道具といったほうが正しいかもしれない。死ぬまでの時間や接敵した相手の抵抗を考えると、武器として効率が悪い。つまり絞殺具は処刑用の道具として使われるのが普通なのだが、存在感のない暗殺者が手にしているだけで、その道具はどんな魔法の武器よりも危険なものに見えた。

「――حرق!」

〝海賊卿〟は不安を振り払うようにサラマンダーに命じる。
 炎の精霊は相手の熱を感知して、四方八方から襲いかかる。これを回避するのは不可能に思えたが、驚いたことに暗殺者はすべて紙一重で回避すると、周囲にいる兵士たちをすり抜けて海の奥底に逃亡した。

「なんて奴だ」

 アデルラシードは思わず吐息を漏らす。

「ペルセネア、助かったよ。ありがとう」
「あの男、強いな。逃がしてすまない」

 ペルセネアは先程の気配のない暗殺者をそう評す。
 アマゾネスは野性的な直感で斬りつけたが、ペルセネア自身も相手の位置を正確に捕捉できてはいなかった。

「逃げられたのは残念だけど、多分また会えるんじゃないかな?」

 長年、暗殺者に狙われてきたせいだろうか? イヴァは気にした様子を見せずにそう答えた。その後で、付け加えるように言う。

「けど、女の子じゃないのか~。残念だな」
「捕縛する必要はないということか?」
「わずか2日の付き合いで、言葉の裏側が読まれちゃったか。いや、我ながら底の浅い奴だよね」

 ダークエルフの少年はそう言いながら、焔揚羽を宝石箱の中に呼び戻す。
 今度こそ、危機は完全に去ったようだ。
 すくなくとも、今のところは……。


  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 武装商船『フレイミング・リーヴァー』号の危機を見て、貿易商人ギルドの海賊たちが遅れながらも駆けつけた。しかし、その時にはすでに島亀は海の底に逃げていた。今は半魚人(ギルマン)の一団が追跡しているが、相手が罠を仕掛けている可能性もあるので、難航しているようだ。

 その間に武装商船は再び港に戻った。
 今度は魔物の襲撃にも対抗できるようにと、都市の中であるにもかかわらず対召喚用の魔法陣を展開する魔法使いを雇わなくてはならない。一日中警戒しているとなれば費用は安くはないだろうが、今回の被害自体が予定外の損害である。

 船から降りるイヴァに、アデルラシードが言う。

「都市で魔物の群れを召喚して暴れさせるだけならまだしも、俺から上位精霊の支配権を奪ったとなれば、敵は最低でも上位達人(ハイ・マスター)レベルの実力者だぞ」

 アルアリード大陸では、魔術師の階位を強さ順に16に分類している。
〝海賊卿〟の言った上位達人とは、王侯貴族の相談役に選ばれるほどの実力者に与えられる第9階位のことで、地上で権勢を振るう者の最高位である。それより先となる第8階位以上は英雄や神々の領域だ。

 上位精霊を操れるアデルラシードの魔術階位は第10位の下位達人(ロー・マスター)、イヴァが雇っている魔術師はそれよりも大きく格落ちして、第11階位の賢者(セージ)1人、第12階位の後継者(サクセサー)1人、第13階位の助言者(メントーア)9人だ。

「あまりに雲の上過ぎて、ピンと来ないや」

 イヴァ自身は蟲が魔法で操られた場合の対策として、少しだけ魔法を学んだ第14階位の挑戦者(チャレンジャー)にすぎない。エルフ種の魔法的な才能はある事情でほとんど受け継がれていないのだ。

「そんな奴らに狙われても、領主の地位が欲しいのか?」
「うん。このエルカバラードは、両親が残してくれた唯一の故郷だからね。この地を離れないし、譲らない。そして15年前の悲劇を繰り返させたりはしない」

 東西貿易の要所、無法者たちが集まる悪徳の坩堝(るつぼ)、黄金と血で繁栄する穢れた地など、エルカバラードを表す言葉は多く存在するが、イヴァにとっては愛しい故郷である。

「だからまずは、大きな力に押しつぶされない権力(ちから)が必要なんだ。それを手に入れるためなら、凄腕の暗殺者や凶悪な魔術師を敵に回しても構わない」

 ダークエルフの少年はそう言い終えると「それじゃあね」と、アマゾネスと軽歩兵を引き連れて人混みの中に紛れてしまう。

「クソジジイが、昔からちっとも変わらねぇ」

〝海賊卿〟は空を仰ぐ。
 エルフ種の生は長いが、イヴァはアデルラシードよりも遥かに長い時間を生きている。そして、それだけ長い時間を生きているというのに、出会った時から肉体的にも精神的にもほとんど変化がない。

(血の所為なのかね。まあ、どうでもいいか)

 アデルラシードはあまり深入りしたくなかったので、適当なところで思考を切り替える。やるべきことは多い、死んだ仲間の葬儀、傷ついた者の手当、海の上で捕虜の尋問、船体の補修、武器弾薬の補充、報復の準備など、ついでにイヴァの監視も行わなくてはならない。

(それにしても|貿易商人ギルド(おれら)に喧嘩売ってくるとは、少し舐めていたかもな)

 陸にいる連中が、自分たちに勝負を仕掛けてくるとは思っていなかった。
 不意討ちに関して文句はない。
 このエルカバラードに限らず、無法者にとって不意討ちは卑怯な行いではなく賢い者の攻撃である。しかし、それは相手を完膚なきまでに叩きのめした時に有効な言葉でもある。
『フレイミング・リーヴァー』号は傷を受けたが、まだまだ戦えるし、船員たちの気力も十分だ。今回の仕掛け人に流血の対価を要求する必要がある。

(さて問題はジジイと組むかどうかだな)

〝海賊卿〟は仲間の意見を聞くために、船に戻っていくのであった。


  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 イヴァは護衛の軽歩兵にはボーナスを支給して解散させた後、ペルセネアを連れて、魔法の武具専門店に向かう。アデルラシードから貰った半月刀の鑑定を依頼する為である。目的地に向かう途中に市場に寄って、羊肉を挟んだパンと赤い色の葡萄、ヌルい麦酒を購入した。

「ペルセネア、どうしたの?」
「いや、ご主人様も値段交渉するんだなと思ってな」

 パンを食べながら、アマゾネスの奴隷戦士はそんな言葉を口にした。
 ダークエルフの少年は屋台の店主と交渉して、最初言われた値段から3割くらい安くしている。

「普通にやっていればこれくらいは安くしてくれるけどね。ザハドだと値段を2割にしちゃうんだけど、どうやっているんだろうね?」

 赤い葡萄を味わいながら、イヴァは優しく微笑んだ。
 数時間前に起きた『フレイミング・リーヴァー』号の戦いは、すでに噂になって広がっているが、この都市の住民はその程度で動揺するほどヤワではない。むしろ、この事件を利用して、一儲けできないかと目を光らせている連中ばかりである。

「けど、君が5,000万っていうのは安かったね。彼には後でお礼をしなきゃならないな。でもその前に……」

 イヴァはそう言ってハンカチを取り出すと、ペルセネアの柔らかく潤いのある唇の感触を楽しみながら口元を拭う。

「先にお金を用立てようか。ザハドのうるさい口を金貨で塞がなきゃね」
「30日以内に2,000万リエルだったな。いや、もう29日以内か」
「まともな方法じゃ、絶対に稼げない金額だけど、幸いなことにボクはまともじゃない方法をいくつか知っている。後で教えるから好きなのを選んでいいよ」

 ダークエルフは少年の赤い瞳は蠱惑的な色を帯びる。

「ボクもずっと出歩いているわけじゃないからね。黄金宮殿で休んでいる間に、お金を稼ぐんだ。安心してよ。君の望みである戦いもきちんと提供するからさ」
「ああ、よろしく頼む。ご主人様」

 そんな会話をした後、イヴァは市場を案内しながら目的地に向かう。
 船で起きたような襲撃などはなく、事件といえば金を掠め盗ろうとした子供たちを何人か捕まえた後、小銭を握らせて解放したくらいである。

 良くも悪くも活気に満ちた場所であるが、乞食や浮浪者の数も少なくない。奴隷にする価値もないと見捨てられた彼らは、この地方特有の昼の暑さと夜の寒さで、1年も生きながらえることができない。
 孤児の数も年々増えており、その多くは盗賊ギルドのメンバーとなるのだ。上納金を納めなければ、子供であろうとも容赦無い罰を与えられて、死ぬことも珍しくはない。
 この都市において、彼らの命の値段は家畜よりも安いのだ。

 そしていよいよ武具専門店に到着した。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 島亀(アスピドケロン)と呼ばれる巨大亀は小島ほどの大きさのある生物で、船乗りにとっては馴染み深いものである。
 大海原を浮島のように移動するこの怪物は基本的に温厚で、積極的に船に危害を加えることはない。だが、その巨体自体が脅威であり、島亀自身に悪意はなくとも船を沈めることがある。
 なので船乗りが「島亀のような奴」という場合は、無自覚に周囲に迷惑をかける相手という意味になる。

         ―― 無名の学者が書いたメモ ――
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