6 / 19
6話 腐れた彼を諭す者は
しおりを挟むその夜。
ジニアを部屋で早めに寝かしつけ、戸締りを確認した後。薄暗い居間でユンシュは椅子に腰かける。深く息をつきながら背を丸め、組んだ指を額につけた。
テーブルの向こうで座っていたマーチが、その表情をうかがうように顔を向ける。
「ああ、大丈夫だ」
ユンシュは顔を上げる。再び息をつきながら、背もたれへ体重を預けた。煙草を取り出し、火をつける。
マーチはテーブルを指で叩く。手を上げ、煙草と自分の口とを指した。
ユンシュは眉根を寄せる。
「煙草? お前、『ありゃあ阿呆の吸うもんだ』と言っておったろう?」
マーチは小さく肩をすくめる。額の穴を示し、指で頭を叩いてみせた。
眉を歪めたままユンシュは笑う。なるほど、腐れてにおう脳髄は、ジニアが目を覚まさないうちに掻き出してしまっている。詰め物をしている他、頭は空っぽに違いなかった。
煙草を差し出す。マーチがくわえたそれに火をかざした。時間がかかってようやく火がつく。
落ち着かない様子で口のあちこちにくわえては離していたが、やがて口の端にくわえた。歯を剝き出しにした方の奥歯、本来なら頬の辺りで、噛み締めるようにして。
やがて口から、そして服の下、おそらくは胸の穴から煙が昇る。顔をうつむけ、においを確かめるように鼻をうごめかした。
ああ、とユンシュは思う。これは奴の香水なのだ。腐れたにおいをまき散らすより、ヤニ臭い方がずっとマシだ。娘の前では。
「どうだ、燻製にでもなれそうか」
マーチは片手を肩まで上げ、掌を上に向けてみせた。奥歯の間から煙を漏らして。それから煙草をつまみ取り、両腕をテーブルに載せる。身を乗り出し、煙草の先をユンシュに向ける。促すように突き出した。
「今後のこと、か? 荷物はもうまとめさせた、早朝にここを出る。……零地址、奴等に頼む」
椅子の音を立ててマーチが腰を浮かす。
「うるさいぞ。娘が起きる」
マーチは立ち上がったまま、手で払うしぐさをした。顔をうつむけ、それからかぶりを振る。
「確かに奴等も黒社会だ。だが、この街は奴等の縄張り……三尖会にいい顔はすまい。その意味では信用できる。連絡はもうつけた」
マーチはテーブルに手をつき、見下ろすようにユンシュの顔をのぞき込む。
座ったままでユンシュは言った。
「それに、そもそも。こうしたことは奴等の仕事だ。誰だろうと金次第で、黒蓮の最奥地――番地無き土地、零地址――へと、匿うのがな」
顔を動かし、視線をさ迷わせながらマーチは歩いた。テーブルを指で小さく叩きながら、行ったり来たりと。
「関わらせたくないだろうな……お前のようには。とはいえ、背に腹は代えられん」
マーチの指が止まる。白く濁った目が、ユンシュの目を見た。
「……昔の話だったな。悪かった、それよりも――ま、座れ」
マーチが腰を下ろすのを待って、新しい煙草に火をつける。煙を吹かしながら口を開いた。
「その体。どの道、長くは保つまい……うちの遺体防腐保全は申し訳程度だ、空気にさらされた死体の腐食は早い。人に、見せられる姿でいられるのはわずかだ」
マーチは椅子にもたれたまま、ユンシュの目を見る。
同じく椅子にもたれたまま、ユンシュはその目を真っ直ぐ見返す。
「前から言い続けてきたことだが。今一度言う、真実を話してやる気はないか。……娘に」
マーチは身じろぎもせず、じっとそのままの姿勢でいた。ユンシュもまた動かなかった。煙草だけが、ちり、と焦げる音を立て、煙を昇らせていた。
やがて、首を一つ横に振る。マーチの返事はそれで終わって、そのまま動きもしなかった。
ユンシュは眉を歪め、指で眼鏡を押し上げた。背を丸めて身を乗り出す。
「それで良いのか、本当に。お前のことだけではない……ジニア。あいつには、自分の親ぐらい知る権利がある……違うか」
突然、目の前にマーチが手を広げた。ユンシュの視界を覆うように、言葉を全てさえぎるように左手を。
ユンシュは眉根を寄せ、マーチの掌を見つめた。その奥に隠れた目を見据えるように。
「重ねて言うぞ、お前の気持ちも分かる。だが娘の――」
断ち切るように、マーチが床を踏み鳴らした。突き刺すみたいに煙草を灰皿へにじり、そのまま立ち上がる。流れるように左脚を出し、床を蹴った右脚はそのままの位置。右掌を腰に添えたそれは、三体式の構え。突き出したままの左掌は変わらず、拒むようにユンシュへと向けられていた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
風と翼
田代剛大
キャラ文芸
相模高校の甲子園球児「風間カイト」はあるとき、くのいちの少女「百地翼」によって甲賀忍者にスカウトされる。時代劇のエキストラ募集と勘違いしたカイトが、翼に連れられてやってきたのは、滋賀県近江にある秘境「望月村」だった。そこでは、甲賀忍者と伊賀忍者、そして新進気鋭の大企業家「織田信長」との三つ巴の戦いが繰り広げられていた。
戦国時代の史実を現代劇にアレンジした新感覚時代小説です!
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
うつろな果実
硯羽未
キャラ文芸
今年大学生になった小野田珠雨は、古民家カフェでバイトしながら居候している。カフェの店主、浅見禅一は現実の色恋は不得手だという草食系の男だ。
ある日母がやってきて、珠雨は忘れていた過去を思い出す。子供の頃に恋心を抱いていた女、あざみは、かつて母の夫であった禅一だったのだ。
女の子でありたくない珠雨と、恋愛に臆病になっている禅一との、複雑な関係のラブストーリー。
主な登場人物
小野田 珠雨(おのだ しゅう)…主人公。19歳の女の子(一人称は俺)大学生
浅見 禅一(あざみ ぜんいち)…31歳バツイチ男性 カフェ経営
※他の投稿サイト掲載分から若干改稿しています。大きくは変わっていません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる