5 / 19
5話 彼と、娘とその義父と
しおりを挟むジニアは横たわっている自分に気づいた。目をつむっていることにも。身じろぎをすると、覚えのある固さと弾力が下から返ってくる。自宅のソファーの上に寝ているらしかった。
ひどい夢を見たと、目を閉じたまま思う。マーチと初めて会ったときのことはともかく、その前の夢。追われたり、マーチがゾンビのようになっていたり。あれはひどいにおいだった、夢の中だというのに。
そこまで考えたところで、そのにおいが今もすることに気づいた。幾分マシになり、何か消毒液の匂いが混ざっているけれど、確かに同じ。腐れた生ゴミのようなにおい。
目を開けると。こちらに背を向け、椅子に座ったマーチがいた。服は夢の中のものでなく、古いコートを羽織っていた。
父はその前で、何やらマーチの体に包帯を巻いていた。丸眼鏡をかけたその目がこちらを向く。
「気がついたか。もう少し横になっていろ」
マーチもジニアの方を振り向いた。その目は、歯を剝いた口元は、額の穴は。夢の中と同じだった、腐れていた。血肉こそ拭われていたものの。
魚のように口を開け閉めしながらマーチを指差すジニアに、父は首を横に振る。
「はしたない。失礼に当たることだぞ、母さんの祖国ではな」
ジニアは思わずソファーをはたく。
「そうじゃないでしょ! その、マーチ、マーチが、死ん、あの……」
いつものように眉間に皺を寄せたまま、父はまた首を振った。
「騒ぐな。稀にあることだ、死体が歩き出すことはな。話したことがなかったか?」
首を横へ振り回すジニア。
表情も変えずに父は言った。
「葬儀屋なぞやっとれば、嫌でも何度かは目にする。わしも見た、ガキの頃と十五年ほど前だな。一人は婚礼前に事故死した若僧。もう一人は大往生した爺様だった」
「何それ、何、それ、なんで、なんでそうなんの」
父はまた首を横に振る。
「さあてな。たまたま、だろう。さっき言った若僧、あれには未練があったろうな。蘇えった後も嫁さんの所へ行こうとしとった……向こうさんの家族に火をかけられて、また死んだが。もう一人の爺様はただ、日なたで土に還るのを待っておった。――どちらも、立派な死に様だったよ」
「はあ……へ、え……?」
顔をこわばらせるジニアをよそに、父はまた包帯を巻く。
「さ、これで良し」
何をしているかはジニアにも分かった、消毒液の匂いや、ビニールを敷いたテーブルの上、容器の中で煙を上げるドライアイスを見て。
スオン葬儀店ではごく簡素な遺体防腐保全も行なっている。今度もそうしたのだろう、消毒して防腐剤を打つなり、消臭剤やドライアイスを仕込むなり。そんな光景には慣れていたはずだったが、さすがに頭が痛くなる。
服を着せ直しながら父がマーチにささやく。
「多少はマシなはずだ、そのまま腐れるよりはな。それと……心配するな、忘れ物は隠しておいた。あそこにな」
マーチはうなずくように小さく頭を下げた。体の具合を確かめるように、手を握っては開き、腕を曲げ伸ばしする。その左掌にはナイフの傷口が細く口を開けていた。ただ、そこから血が流れ落ちることはなく、青白い肌の中に肉が薄赤くのぞいているだけだった。
じっとその手を見た後、マーチは立ち上がる。腰を落として構えを取った。ゆっくりと腕を振るい、振り上げた掌を打ち落とす。踏み込んだ後脚が、同時に軽く床を鳴らす。続けて下から拳を打ち上げる、やはり後脚を引きつけると同時に。それらは大きな動作ではあったが、黒服たちを倒したのと同じ動きだった。
父が言う。
「懐かしいな。形意拳……お前もわしも、あの流派ではしごかれたものだ。お前は強かった、特に――」
マーチは続けて右拳を振るう。後脚の踏み込みと同時、斜め下へと突き込む縦拳。最後の黒服へ放った技、ジニアが夢の中で見たのと同じ技。
「――崩拳。お前のそれを受けて、立っていられる者などいなかった……あるいは、息をしていられる者など、な」
マーチは構えを解く。小さく首を横に振り、わずかに肩をすくめた。
父もマーチの目を見ながら、首を横に振る。
「さて、と」
洗面器の水で手を洗い、入念に消毒した後。父は煙草に火をつけた。ジニアを横目に見る。
「それよりも。お前、何かしたか。おっかない連中に」
ジニアが激しく首を横に振ると、父はテーブルに何かを置いた。ナイフ。刀身の根元に三又の矢印が彫られた、黒服がジニアに突きつけていたもの。
「この紋。三尖会のものだ……妙なことにな。黒蓮は奴らの縄張りではない。抗争だのといった話も聞かん」
ゆっくりと煙を吐き出し、煙草を灰皿に置いてジニアの目をのぞき込む。
「黒社会は、あれで中々社会性のある連中だ。野良犬よりは多少な。わざわざ縄張りを侵してうろつきはせん、三尖会がここにいる理由が無い。……お前、何をした?」
「んなこと言われたって……」
ジニアは苦く笑ってみせたが。父はじっとジニアを見ていた。
笑みを消し、顔を歪ませ、ジニアは力なくかぶりを振る。
「ホントに、分かんない。分かんないよ」
マーチが手を伸ばし、指でテーブルを、こつ、と叩いた。それからその手を自分に向け、胸と腹を指で叩く。人差し指で、す、と切り裂く動きをした。
父が言う。
「臓器、か……確かに三尖会は、そうしたものも売買している。しかし何故、ここで」
ふと思い出して、ジニアは口を開いた。
「あのさ、そういやなんか、あいつらがさ。持ってたんだ、写真。前にあった健康診断の時撮ったの。あたしにだけ丸印つけて」
父は目を見開いて、それから煙草を口にくわえた。噛み潰しながら、口全体で煙を吐き出す。
「そういう名目で、適合者を見繕っていたわけか……? 糞め」
灰皿ににじった後、新しい煙草に火をつけた。鼻から煙を昇らせて、歪めた顔から力を抜く。
「縄張りの外でまで探すとは解せんが……やれやれ、お前を買いたいのはよほどの金持ちか? まったく」
手を伸ばし、ジニアの頭を引き寄せてなでた。骨ばった手でごりごりと。
「そうと知っとれば、とっとと売っ払ってやるところだわ。ん?」
「ちょっ――」
ジニアは顔をしかめ、手を払おうと腕を上げる。
なでていた手を返し、ジニアのその手を父は握った。
「冗談だ。どら娘め、お前を親父以外の所にやりはせん。婿さんの当てができるまではな」
口を開け、父を見て、それからジニアはうつむいた。
パパ。そう言いたかったけれど。
「……ん」
ただ曖昧にうなずいた。頬が少し熱かった。
顔を上げると、マーチが、じっ、とジニアを見ていた。ただれた顔に表情はなく、白く濁った目からは、どんな感情もうかがえなかった。
ジニアは父に言う。
「それより、あのさ。…………何で死んじゃったの、マーチ」
一度マーチに目をやり、また父を見上げる。
「何で死んじゃって、何で、それにどうすんのこれから! ……どうなんの。ねぇ、ねぇ――」
さえぎるように、マーチが掌を突き出した。消毒液の匂いがする大きな手。掌に爪跡が残る他、色のない青白い手。黒服たちを打ちのめし、殴り潰していた、手。
思わず、身を引いてしまった。弾かれたように素早く。
マーチは姿勢も表情も変えず、濁った目でジニアを見ていた。そしてゆっくり、顔をそむける。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
クラウンクレイド零和
茶竹抹茶竹
SF
「私達はそれを魔法と呼んだ」
学校を襲うゾンビの群れ! 突然のゾンビパンデミックに逃げ惑う女子高生の祷は、生き残りをかけてゾンビと戦う事を決意する。そんな彼女の手にはあるのは、異能の力だった。
先の読めない展開と張り巡らされた伏線、全ての謎をあなたは解けるか。異能力xゾンビ小説が此処に開幕!。
※死、流血等のグロテスクな描写・過激ではない性的描写・肉体の腐敗等の嫌悪感を抱かせる描写・等を含みます。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
浪漫的女英雄三国志
はぎわら歓
歴史・時代
女性の身でありながら天下泰平を志す劉備玄徳は、関羽、張飛、趙雲、諸葛亮を得て、宿敵の女王、曹操孟徳と戦う。
184年黄巾の乱がおこり、義勇軍として劉備玄徳は立ち上がる。宦官の孫である曹操孟徳も挙兵し、名を上げる。
二人の英雄は火花を散らしながら、それぞれの国を建国していく。その二国の均衡を保つのが孫権の呉である。
222年に三国が鼎立し、曹操孟徳、劉備玄徳がなくなった後、呉の孫権仲謀の妹、孫仁尚香が三国の行く末を見守る。
玄徳と曹操は女性です。
他は三国志演義と性別は一緒の予定です。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
死霊術士が暴れたり建国したりするお話
白斎
ファンタジー
日本人がファンタジー異世界にとばされてネクロマンサーになり、暴れたりダラダラしたり命を狙われたりしながら、いずれ建国してなんやかんやするお話です。 ヒロイン登場は遅めです。 ライバルは錬金術師です。
金蘭大夜総会 GoldenOrchidClub
ましら佳
キャラ文芸
震災後、母親の故郷の香港で初めて対面する祖母から語られる、在りし日の華やかな物語。
彼女の周囲を彩った人々の思い出。
今に続いていく物語です。
こちらは、恋愛ジャンルでアップしました、"仔猫のスープ"に関連したお話になります。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/84504822/42897235
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる