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第30話 そっくりだ、俺と貴女は
しおりを挟むウォレスの思考を店主の鋭い声がさえぎる。
「先生、こいつぁ敵ですね? ……この迷宮にいて人間じゃねえんなら。ですね?」
店主の視線はウォレスではなく、傷口から積み石をのぞかせるアレシアに向けられていた。彼の長い指は準備運動をするように、ゆるりと曲げては伸ばされていた。
口を開けていたウォレスはそれで我に返れた。刀を構え直す。
「……ああ。そうだ、一から十までそのとおりだ」
そうだ、全部はその後でいい。
アレシアは店主に微笑みかける。
「マスター、お酒はまだ来ないの? けれどねでもね、言っとくけどね。グラスは一つじゃ足りないね」
アレシアの指――床の、斬り落とされた方の手――が、弾く音を一つ鳴らす。
挑発されたと思ったか、それとも不気味に感じたか、店主がわずかに顔をしかめて。その後、視線がわずかに動く。背後の扉で、来客を示す鐘が鳴ったから。
「悪いが今日はお仕舞いで、命が惜しけりゃまたの機に」
アレシアに視線を戻したまま店主は言ったが。聞こえないように客は入り込み、カウンター席へ腰かけた。何か重い音を立て、手にした物をカウンターに置く。
「おい――」
舌打ち一つ、言いかけて。店主の口がそこで止まった。
ウォレスもそちらへ目を向けると。客の首には頭がなくて、客の頭はカウンターにあった。ねじ切られたような荒い傷口から血を流し、カウンター上の頭は何も言わず店主を見つめた。
アレシアが唄うように声を上げ、それに合わせて指を鳴らす。
「グラスは一つじゃ足りないね、一つっきりじゃあ足りないね」
客は他にもいた。カウンターの向こうから立ち上がった。酒樽の陰から姿を見せた。いつの間にかテーブルを囲んでいた。同じく首を手にした者もいたし、内臓をこぼした者もいた。服一面を血で濡らした者もいたし、特に傷のない者もいた。何人かはウォレスにも見覚えがあった、喪失されていった者たちだった。
辺りを見回すウォレスを嘲笑うように、王女は喉を鳴らした。
「どうだ、どうだ見よ英雄殿! 解いてやった、解いてやったぞ封印なぞ! 先生が護った封印なぞなぁ!」
「てめえ……!」
ウォレスは王女の襟首をつかんだ。――どういうことだ。護るんじゃなかったのか、魔王の遺志によって? ――言ってやりたかったが言葉にはならず、ウォレスはただ歯を軋らせた。
頬を、唇を、目の端を震わせ、歪んだ顔で王女は笑う。
「なあ、覚えておるか? 汝らが王宮へ参った日のことを。何を持って参ったかなあ?」
魔王を討ち、その首を王へと献上した日――王女とウォレスが引き合わされた日――か。だが、それがどうした。
歯を剥いたままウォレスの目を見据え、王女は続けた。
「そうよ、私も覚えておるぞ。汝らのこともだが、その夜のことをよ。盗み聞いたのよ、王が、我が父が。魔導師どもと話すのをよ。――龍復活の法を知る、魔王が死んだことについて。無論、汝らへの愚痴もあったが、何より話し合われたのは。首だけで、人を蘇生させる魔導はないかということだった」
王女は笑った。喉を鳴らし、体の肉を震わせ、笑った。にらみ殺すような目をして。
「燃やした。燃やしたよ私は、先生の首を。保管された場所へ、密かに忍び込んでなあ――」
続けてつぶやく王女の顔から、表情は消えていた。
「――そうだ、私が殺した、先生を。あるいはまだ、首だけにせよ、蘇れたであるかもしれぬのに。殺した」
ウォレスは口を開けていた。――ああ、こいつは。そっくりだ、俺と。同じだ――。
捻じ切るように頬を歪めて王女は語った。
「そうよ、私が殺したのだ。それが分かった、再び迷宮に降りて。封印が解けていくにつれ現れた、喪失された者を見て――先生の、首のないお体を見て!」
まるですがりつくように、両手でウォレスの胸ぐらをつかむ。柔らかな肉づきをした手は生温かく、震えていた。
「どうだ、他の者らは還って来ているというのに。どうだ、先生だけは! どうなろうとあのお体のままだ、語らうことすらできぬのだ! ――だから、あの騎士の誘いに乗った。償いをすることを許した。何もかもを犠牲にしてでも、騎士は友と会いたかった。誰もかれもを見捨ててでも、私は殺したかった。汝を、私を」
ウォレスは黙って王女を見た。すがりつく彼女は子供のように縮こまり、赤子のような顔で、涙を流して震えていた。小さかった。迷宮から抱えて駆けた、その日のように。
ウォレスは緩やかに息をつく。
「……なるほど」
なるほど、と、ただそう思った。
会いたかったんだ。俺もあんたも、ジェイナスも。会えなかったんだ、あんただけ。
「気の毒に」
王女の頭をなでた。汗に湿ったその髪は、野の草のようにごわごわと手に絡みつく。それでもなでた。
そっくりだ、俺とあんたは。あんたが俺ならこうなっただろうし、俺があんたならそうしただろう。そうだ、それなら無理もない。俺をあの日フったのも。――眺めて暮らしたいもんじゃない、仇の顔、しかも自分の顔なぞ。
そうだ、あれだって無理もない。俺をフったその直後、自らの手で。邪神を召喚したのも。
魔王がかつて召喚しようとして、地上への影響を懸念して。中途のまま放棄していた魔方陣、それを彼女が完成させた――そう彼女はかつて語った、懐から出した羊皮紙を広げ、最後の術式を目の前で、己の血で書き入れながら――。俺を、英雄らを殺すために。そもそも彼女の居場所のない、地上への影響など省みず。
「気の毒に」
もう一度それだけ言って、さらに増える人だかりの中へ、ウォレスは王女を突き放した。群集の中、未だ辺りを見回す店主と、首のない魔導師の――きっと魔王の――姿が見えた。
人ごみをかき分け――跳ね飛ばし――、ウォレスはアレシアの方へ向かう。途中で人の波の中、テーブル席を囲む壮年の男を見かけた。鎧も剣も身に帯びてはいなかった、怪我はどこにもなかった。低い笑い声を響かせる、彼の分厚い胸板には藻のような白髭が長く揺れていた。同じく笑ってテーブルを囲む、五人のうち一人には見覚えがある。確か、戦士バルタザール。
ひしゃげた空の鎧を足元で蹴散らし、アレシアの背中を追う。アレシアは扉の鐘を鳴らし、外へ出た後だった。
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