喪失迷宮の続きを

木下望太郎

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第14話  迷宮

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せっかく最下四層を出たんだ、覇王樹亭カクタスへ行こう。わけも分からないまま考え込むよりマシだ。もやついたものを腹に抱えたままカウンターに突っ伏して、店主に延々と愚痴ろう。たまには最悪の客になるのも悪くない――店主にとってどうかは知らないが――。少なくとも、一人で鬱々と呑むよりマシだ――店主にとってどうかは知らないが――。

 何度か転移して覇王樹亭カクタスの前へとたどり着く。監獄のように分厚いドアに手をかけたときには、もうよだれが湧いていた。最初は何の麦酒エールにするか、葡萄ぶどう酒からいくのも悪くない。ああそうだ、ディオンたちに伝言しておかないといけないか。呑んだ後に覚えてるといいが。

 引き開けたドアの上で、取りつけられた小さな鐘が鳴る。店主の迎える声を聞きながら中に入ると、見知った顔を店内に見つけた。
 船の操舵輪そうだりんを横倒しに吊るして燭台をいくつも取りつけた、無骨なシャンデリアの下。床に銅板を敷いた上、酒樽のテーブルで、脚の高い椅子に座る白髭の男。聖騎士ジェイナスだった。

「どうも、旦那。……お友達は」
 赤葡萄酒のグラスを持ったまま突っ伏したジェイナスは、耳まで赤らんだ顔を上げた。充血した目をウォレスに向ける。
「やあ、ウォレス。やあ。バルタザールは、帰ったよ。囚われた、かな」
「そりゃあ……その、迷宮に? なんていうか壁に、飲み込まれるみたいに?」
 とろりとしていたジェイナスの目が焦点を取り戻す。ウォレスの目を見た。
「友よ。お主もか? 喪失された、誰かを見たか」
 しばらく動きを止めていた後、ウォレスは小さくうなずいた。

 ジェイナスは両手を握り合わせ、視線をそこへ落とす。
「そうか。そうよな、誰しもそうよなあ。誰しも誰かを喪失している、我々の如きはなおいっそう、な」
「んなこたぁいい、旦那。迷宮に飲まれていったのか、お友達は」
「そうよ、床が崩れ、沈むように。壁に取り込まれていくように。バルタザールはそこへ姿を消した。……共に一瓶、す間もなかったわ」
「そいつぁ……」
 ウォレスは小さく頭を下げた。その後で店主へ、赤葡萄酒と水を頼む。

 水をジェイナスへ差し出し、酒で口を湿した後言う。
「旦那。俺もそうです、知った奴を見た。おんなじように迷宮へ飲み込まれた。……あいつは、彼らは……本物、ですかね」
 裏切られたようにジェイナスが顔を歪める。
「何を言っている、友よ。友でなければ何だというのだ、拙者と肩を抱き合ったあの男は。他に何だというのだ!」

 ウォレスは目を伏せ、酒を含んだ。ジェイナスは真っ直ぐすぎる。酔っているのを抜きにしても、やりにくい話だった。
「何ていうか、ですな。そもそもあるんでしょうか、喪失された人間が、帰ってくるってのが。有り得るんですかな」

 ジェイナスは長く口を開けていたが。水を一息に飲み、それから言った。
「若き友よ。そもそも、迷宮とは何なのかね? 尽きせぬ程に魔物が湧き、それと共に宝も湧き。壊れもせずに罠が作動し、魔法のかかった区域まである。この不可解な場所は何なのかね?」
「そりゃあ――」

 迷宮と呼ばれる場所はそもそも、ただの洞窟や城砦などとは違う。魔術的な場所だった。人工的にそうされたものもあれば、魔力が溜まり易い地形の洞窟が自然となったものもある。その両方であるものも。
 迷宮が造られる目的は様々だった、防衛の拠点として、あるいは大がかりな魔導儀式として、ときにそれ自体を魔導実験として。造られた時期もまた様々だ、古代からの遺跡もあれば現代に造られたものもあった。

 ともかく、迷宮は魔術的な存在だった。それ自体が巨大な立体魔方陣。だからこそ強制転移する床や転移魔法禁止区域、様々な罠。それらが半永久的に稼動できる。
 そして、だからこそ迷宮は魔物を呼んだ。そこに溜まる魔力に、あるいは訪れる冒険者や魔物の死による瘴気に、呼ばれるように外から住み着く魔物もいた。さらには迷宮それ自身が――侵入者を阻む罠の一環として――魔力により空間を越えて、あるいは異界からさえ魔物を召喚する。彼らが隠し持つ宝の類も。それゆえ、迷宮には常に魔物がいた。宝があった。

 そんなことをウォレスが喋ると、ジェイナスはうなずいた。
「そのとおりよ、若き友よ。魔術的、魔術的な場なのだ、ここは。……ならば、こうは考えられまいか。ここは、そういう魔術の場なのだと。人が喪失され、そしてまた蘇る、そういう魔方陣の中なのだと」

 喪失迷宮、その場所については何も判っていない。ウォレスが住む街の――住んでいた街の――郊外にあるという他は。それがいつからそこにあり、何のために造られたのか。加えて言えば、ウォレスらが制覇するまではどれほど深いのか。何も判っていなかった。
ただ、無限とも思われた深さと存在する魔物の強大さ、それに比例する宝の価値。それらをして究極の迷宮と謳われているのみだった。魔王――反逆の魔導王――はそれを利用し身を守るため、あるいは何らかの魔導研究のためか、その深部へ陣取っていた。

 だが、とウォレスは思う。
 仮にジェイナスの言うとおり、そうした魔術の場だとして。そうすることで迷宮側に、あるいはそれを造った側に、何の得がある? 人を消して、そして戻して。何の意味が? 

 腹の中に座りの悪いものを感じ、ウォレスは酒を呑み下した。椅子を前へ寄せ、樽に肘をつく。床の上では椅子の脚が、そこに貼られた銅版が、こすれる音を立てた。木の椅子が喪失されないようにするためのものだ。おおよそこの迷宮に住む者の部屋では、あらゆる家具に同様の細工がしてあった。

 そもそもそうだ、この迷宮でのみ喪失が起こることも、なぜなのかは判っていない。
 罠の一種というのが普通の答えだ。不死鳥の唐黍酎フェニリクスのような蘇生の道具や魔法は存在するが、よほど即座に使わない限りここでは意味をなさない。守る側からすれば意義のある仕掛けだった。もっとも、攻める側にはそこまで変わりはないともいえた。蘇生の道具は高価過ぎて、蘇生の魔法は高等過ぎる。よほど上級の冒険者でない限り、死はどうあれ死でしかなかった。

 あるいは迷宮内を清潔に保つためではないかともいう。住んでみれば実際分かるが、魔物の死骸も汚物も消えるというのはありがたい。他の迷宮では朽ちた死骸に虫がたかったまま捨て置かれ、あるいは黴の生えたまま悪魔の類が乗り移って動き回る。日にさらし続けた生ごみのような死体のにおいと、初級冒険者の反吐へどのにおいが迷宮中に漂っていることも珍しくない。

 ともかく。喪失迷宮について、誰も何も知りはしない。

 ウォレスはジェイナスへ曖昧にうなずいた後、目をそらす。
席を立った。店主につけを頼み、それから伝言を頼む。宝珠探索の状況と、もう一つ。

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