喪失迷宮の続きを

木下望太郎

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第13話  英雄と王女と、お見合いと怨みと

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 十年と少し前のこと、魔王を倒した後のこと。邪神は未だ現れぬ、平和な時分。何度か王宮に招かれ、茶なり食事なり共にして、話して顔を見合わせて。
よく晴れたある日、中庭のあずま屋で。後は若いお二人でと、お付きの者が引っ込んだ後。咳払いの後ウォレスは言った。

「何ですな、その。お互いこう、迷宮暮らしが長いってわけですが。相性がいいっちゃあ、いいんでしょうが。つまりその、似合いかと思いたいわけで――」
 さえぎるように王女が言う。薄い唇の間から洩れる声は低く、心地よくウォレスの鼓膜を揺らす。
「お待ちを。……その先をおっしゃる前に、どうぞこれだけはお知り置き下さいまし」
 王女は椅子を立ち、ウォレスのそばに立つ。ウォレスが身を引こうとするより先に、王女は細い指でウォレスの袖をつまむ。耳元に唇を寄せた。体のぬくもりを感じるほど近くに。

「不調法ながら申します、財貨や栄達を望んでわたくしに近づかれるのならば、道をお間違えであると存じます。何せ、わたくしは――」
 はばかるように辺りをうかがい、それからウォレスの目を見た。
「この先は、他言無用に願います。わたくしでなく、王家の名誉のために。……貴方だけに、お伝えします」
 口を開けたままウォレスは浅く、何度もうなずく。揺れる髪の甘い匂い。

 目を伏せ、唇を湿してから王女は続けた。
「わたくしに近づかれたところで、王宮への道筋などつながりはしません。わたくしからして、そこに居場所などありませんもの。何せ、わたくしは。……王の、私生児に過ぎませんので」
 ウォレスが目を瞬かせるうち、王女は続けた。目を伏せ、か細い声で、早口に。
「いえ、表向きは違います、王と王妃の間の子。けれど事実は召使めしつかいの子、王がお手をつけられた」

 冗談だろうと、ウォレスは言ってやろうとしたが。できなかった、むしろ納得できた。
地下へ人質に取られてなお、悠長な――ウォレスがそうするまで七年かかった――救出がなされて。その後、どこの馬の骨とも知れぬ――民衆人気というあやふやなものの他、政略的な強みもない――英雄との婚約話が持ち上がる。
要ははなから、旨味のない子。後ろ楯も糞もない、母の話は出したらマズい――母親は王宮から出されただろう。どこぞの貴族の養女だとか、それなりの後づけは互いのために、名目上でなされたかもしれないが――。そんな王女。

 王女は笑う、ほがらかに。目を伏せたまま、早口で喋りながら。
「ね、だから、まことに。わたくしに近づかれたところで、王宮に立場などは築けません。疎んじられた王女の身内として、疎んじられるだけでしょう。わたくしに心から仕える者とて、もはやありはしませんもの。……だから、そう。わたくしなどは放っておかれて、他の立派な女性をお探しになっては。英雄の名に釣り合うお方を」
 ウォレスは口を開けていた。そうして思う。――似たようなものだ、俺だって。

 魔王を倒して戦いが終わって。そうして後に何がある? 
友はない、仲間たちの他に。その仲間たちももう、今さら迷宮に降りはすまい。両親はすでにない、父母の故郷にいるだろう身寄りとは面識すらない。迷宮に潜ることの他、やりたいことなど思いもつかない。地上に居場所などはない。

 震える声でウォレスは言った。
「さようで、それはまことに、その。……せんえつながら、そんなことは関係なく」
 もつれる舌を無理やりに動かす。
「できれば、わたくしめがせめて、貴女様の居場所に、や、なれればいいかと。その、お互い」

 ――そう思いたい。俺はきっと、迷宮を離れては生きていけないけれど。あるいはそうでなくても、王宮の隅で疎んじられても。嫁の脛をかじりながらでも、生きていけなくはないのかもしれない。そう、思いたい。思わせて欲しい。あるいは思わせてやれる、だろうか――。

 鍛冶屋に叩かれる鉄のように、顔が火照るのを感じながらその時のウォレスは言った。
「要は、姫君。ぜひ、わたくしめと婚約、を」

 そこで王女は、ふわり、と笑う。
「ありがとう――」
 ウォレスが息を飲んだとき。柔らかな手がウォレスの手を握った。冷たかった、迷宮の積み石よりも。花が咲くような満面の笑みの中、目だけは貫くようにウォレスに向けられていた。

 王女は重く、すり潰したような声を上げた。堅い笑顔のままで。
「――断わる。わたくしは、わたしはな」
 その目はウォレスの目を見つめ、瞬きすらしない。細い手は震えるほど、食い込むほどにきつくウォレスの手を握っていた。
 言い聞かせるように、刻むように、一言一言区切って続けた。
「私は、うぬを、怨んでおる。その顔、生涯、忘れはせぬし、うぬを、決して、許しはせぬ」
 そう言った、そして懐からつかみ出した物は――




「どうした、呆けて。申したいことは他にあるか」
 そう言った、今の王女は。灰色の目でウォレスの顔をのぞき込みながら。

 ごまかすように笑いながら、ウォレスは何度か瞬きをした。
昔の話だ、昔の。当時はあれからずいぶん、自棄やけになって呑んだくれたのだったか――いや、違った。しばらくはそれどころではなくなっていた。誰もかれもが。何しろ、それから現れたのだ。邪神が。

 魔王が怨みを込めて――その死後に時間を空けて発動する術式でも造っていたのだろう、そう噂された――異界から召喚した、とされている最悪の魔物――存在するだけで煤のような瘴気をまき散らし、草木を枯らし雲を穢し、雨もまた黒く穢し。その水を口にした者はあるいは倒れあるいは気が触れたように暴れた――。

 邪神は街で瘴気を放った後、迷宮へと姿を消した。軍と冒険者らが――多大な犠牲を払いながら――迷宮内をくまなく探すも、かつて魔王が陣取っていた最深部、地下六百五十四階までどこにも見当たらず。だが瘴気はその下から噴き出す。

 王族は退避し民も去り、人の気配が消え失せた、黒く汚れた王都の中を。国からの依頼を受けたウォレスとその仲間たち、それに数組の歴戦の冒険者。彼らだけが迷宮へと向かった。そうしてさらなる深部、隠された地下七百二十四階で。多くの冒険者が倒れる中、ウォレスたちが邪神を討った。殊に邪神へとどめを刺した、ウォレスが一の英雄となった。

 そんなことをウォレスが思い返すうちに、王女は笑う。
「ずいぶんと無口になったものだ。あの頃はまた、髪を誉め服を誉め、庭木を誉めては目の色を誉め。熱心に口説いてくれたものだが」
 ウォレスは苦く笑ってかぶりを振った。
「まあ、若かったってことで」

 若かった。そう、昔の話だ。
思えば、王女は魔王を好いていたのだろう。救出したそのときも感謝する様子はなく、魔王から習い覚えたのだろう魔導を放ってきた――当時の仲間の一人が突風に跳ね飛ばされ、一人が全身を炎に巻かれた――。ウォレスもそれで可能な限り優しくみぞおちに拳をぶち込み――敵意などはない、当然だ。大手柄と褒賞金そのもののような彼女に――、眠らせた上で連れ帰った。

 あり得ないロマンスか、王女と、自身を地の底へ閉じ込めた魔王と? ありふれたロマンスか、退屈な王宮から自分をさらってくれた男と? 王女と反逆者、敵対するはずの男と女の? 

 いずれにせよ彼女はウォレスを仇と定め、そのせいでウォレスはフラれた。――そのはずだ、決まってる。あまりに魅力がなさ過ぎるだとか、そういったわけではなく――。

「それより何です、そう……どうやってこんなとこまで?」
 ディオンたちが一緒なのかとも思ったが、近くに姿が見えない。下層でわずかでも離れ離れになることは死を意味する。それを彼らが忘れたはずはなく、王女に許すはずもない。

 得意げに口の端で微笑み、王女は首飾りを掲げてみせる。
「『王家の魔宝珠アミュレット』、二つ名を『双呪の魔宝珠アミュレット』。その力、聞き及んだことはないか」

 噂には漏れ聞いたことがある――その秘宝には二つの呪力が込められているという。『不可視インビシブル』と『不可侵インビンシブル』。身につけた者に対して『その姿と気配を完全に消す』『敵意ある攻撃の全てを体に触れさせない』効力を持つという、二つの強大な防護魔導。王家の血を引く者のみがその力を――併用はできずどちらか一方を魔力の続く限り、自分から攻撃しない限りは――引き出せるという。
 相当な秘宝のはずだが、探索のために借り受けたのだろう。なるほど、その力と転移魔法、それに迷宮の土地勘があれば。よほどのことがない限り困りはすまい。

 王女はそこで歩き出し、ウォレスの横を通り過ぎた。そのまま無言で歩を進める。
「ちょ、ちょっと待った。用は何です? 何しにこんなとこまで来たんだ」
 振り向きもせず王女は言う。
「言わなかったか、探索だ。龍の宝珠の。汝に会いに来たわけではない」
 歩調を緩めずに続ける。
「それと、これだけは頼んでおくか。アミタ、あの子の居場所が分かれば知らせよ。久々に顔が見たいし、話もしたいものだ。汝に申しつけたいのはそれだけよ」

 アミタ、か。やはり何か知っているのか、あいつは。あるいは王女の隠している何ごとかを。

 遠ざかっていく背に、ウォレスは声をかけてみた。
「殿下。承りました、それに。ご安心を、今も内緒ですよ、これからも。あれらのことは」
 王女の足が止まる。
「……ああ、助かる」
 それだけ応えると――魔宝珠アミュレットの力か――姿を消した。誰もいない通路の中、甘い香りだけが漂う。抱えて逃げたかつてのような、彼女の髪の残り香か。あるいはただ、かじっていた菓子のそれか。

 ウォレスは大きく息をついた。膝に手をつき、肩を落とし、再び深く息をつく。体が、頭が重かった。
「復讐、ね」
 未だに仇と思われているのか、十一年も前のことを。それほどに魔王は、彼女にとって大きな存在なのか――フラれるわけだ、ああそうだ――。大切な人が持っていた龍の宝珠をウォレスなどに触れさせない、それが一種の復讐か。

 それは分かる。依頼されながら達成できないとなれば英雄の面目は――そんなものがあるのなら、だが――潰れる、それは分かる。だが、『護ってやる』とは何だ? 彼女は言った、『うぬらは私が護ってやる』と。何から? 

 考え込んで分からず、ウォレスは大きく息をついた。一つうなずく。決めた。

 呑もう。そう決めた。
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