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第8話 かつての仲間と
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次の日。薄闇の部屋でウォレスは待っていた、そう認めたくはなかったが。下着のまま寝転がり、時折起きて酒を呑んで。いつもどおりに過ごしてみせながら、それでもたびたび、あの欠片と引き抜いた剣をいじるのをやめられなかった。
いつどこで会うとも言ってはいないが、きっと不意に来るのだろう、初めて会ったときのように。アレシアの顔をしたあれは。
会ったところでどうするのか、あれは何をしたいのか。この剣と欠片は何なのか、そもそもあれは何者なのか。そして自分はどうしたいのか――分からないまま、それでもウォレスは待ちたかった。
やがて遠く足音が聞こえ、いつもの癖で跳び起きて身構え。ウォレスは大いに落胆した。
一時間と少し後。ようやく足音は扉の前にたどり着き、ウォレスは引き裂くように扉を開けた。腹いせにだいぶ呑んでいる。
「なんだてめえらぁよ、あ? また性懲りもなく来やがったか依頼だか何だか知らねえがよ!」
扉を叩こうと手を伸ばしたままの聖騎士――今は近衛士団長か――ディオン。その後ろには療術師――同じく大司教の――シーヤ。そして元戦士のアランと元魔導師サリウス。見知った顔が、揃って口を開けていた。王宮からつけられたのだろう、知らない戦士と解錠師もいた。つまるところウォレスが聞いた足音は複数で、その多くに聞き覚えがあった。
ディオンはゆっくりと口を閉じ、大きく口角を上げて――変わらないわざとらしい笑みだ、だが今は頬との境にほうれい線が目立つ――笑った。
「まずは久しぶり、ウォレス。次に訂正しよう、依頼ではなく命令。そう理解して欲しかったな先日の文書は」
ディオンは兜の間から渦を巻いて伸びた、栗色の髪に指を伸ばす。かきむしりながら頬を歪めた。
「その文書を破り捨てたらしいな読みもせずに! え? 大体何なんだ君は、何が悲しくて九年間何の音沙汰もなしに――」
アランが苦笑して間に入る。
「その辺はゆっくり話すとして、中に入っても? どうもここは居心地悪い」
見知らぬ連れの二人は青ざめた顔で、道の先の様子をしきりに窺っている。
不死鳥の唐黍酎を勧めたが、ディオンは手をつけなかった。兜を脱ぎ、灯りを掲げて部屋の中を歩き回っていた。
ウォレスは立ったまま、裸足の足で何度か床を蹴る。
「で? 何だよ騎士団長様よ、九年ぶりに会っといてよ。怒鳴り上げといてお宅拝見って、何しに来たんだ」
ディオンは巻き毛を揺らして振り向きざま、ウォレスを指差して歯を剥いた。
「先に怒鳴ったのは君の方だ! 九年ぶりに会っておいてな! そもそも君な、一度ぐらい――」
白い法衣をまとった女、シーヤが手でさえぎる。
「先輩、その辺で。ウォレス先輩、お久しぶりです。早速ですが、用件の方よろしいでしょうか」
ウォレスの返事も待たず、王宮からつけられた解錠師らに目配せする。見知らぬ二人は後ろを向いて耳を覆った。
小柄なシーヤは爪先立ちに、ウォレスに口を寄せてささやく。褐色の肌は相変わらずきめが細かい。絹色をした髪も同様だ。
「王宮よりの依頼です、ご内密に。『宮廷から失われた、龍の宝珠を探し出せ』と」
「龍の宝珠?」
龍という言葉自体は知っている。伝説上の生物。竜に似てしかし細長く、翼もない体で空を駆けるという架空の存在。確か、古代には神として崇める文明もあったという。喪失迷宮のどこかに隠れ棲む、という噂もある。もちろん嘘だ。見たこともない宝や魔物を見かけただのという、冒険者なら飽きるほど聞き、自分でも一度は言ってみる類のほら話。
「龍の宝珠ね――で、何だそりゃ」
ディオンがたちまち声を上げた。
「機密だと言ってるだろうが! 口に出す奴があるか」
ウォレスは小指で耳をほじる。
「で? だから何なんだよそりゃ」
シーヤから聞くと。それはウォレスたちがかつて魔王――反逆の魔導王、メイデル・アンセマス――を倒したとき、戦利品として持ち帰った品の一つだそうだった。掌からはみ出るくらいの、いびつな球状の宝珠。透明性はなくざらついて白く、宝石というよりはくすんだ真珠のような印象。強い魔力を感じさせるも何のためにあるのか分からないそれを、ウォレスたちは王宮への献上品の一つとした――面倒なので押しつけた――のだった。
だが、それが宮廷の宝物庫から失われたという。二日に一度中を確認されるそこは、もちろん転移魔法の類を封じられており。壁を壊された跡も鍵を盗まれた様子もなく、その宝珠だけが消えていた。
「そんなのもあったっけ? で、なくなってどう困るんだ」
ウォレスが頭をかいていると、ディオンが険しい顔で怒鳴った、あくまで小声で。
「そういう問題ではない! 王宮からまんまと盗み出された、というのが大問題だろうが」
「だとしたって、何で俺が探すんだよ」
ディオンは唇を閉じ、明らかに目をそらした。
シーヤが言う。
「それは。『龍の宝珠を奪った者は、必ず喪失迷宮に現れる』からと。『あれは喪失迷宮で使われる』からと」
「あ?」
ウォレスの頬がさすがに引きつる。
腐っても王家だ、秘密の伝承などもあるだろうしそれなりの情報網だって存在するだろう。いくら迷宮の底まで潜ったとはいえ、一介の冒険者とは情報量が違う。それは分かる、だが。
「なんでそれを俺らに言わなかった、そいつを献上したときに。機密ってんならそれでもいいが、そのくせ王家で使うってわけでもねえ」
あるいは危険なものということか。だが、ならば魔法を幾重にもかけて封印すればいいだろう、地の底にでも埋めて。宝物庫などという取り出せる場所でなく。
「王宮は何を知ってる」
口元を苦く歪めてディオンが首を横に振る。
「知らん。知らんよ、私だって。聞かされたのはそこまでで『迷宮をよく知る汝|《うぬ》らが探せ。それが道理よ、英雄殿ら』とよ。つまりは私たち、身重のヴェニィ以外と、そこにいる不幸な私の部下――何を探すかも知らんと駆り出された奴らだ。それに君だ」
ウォレスは眉根を寄せていた。ディオンの物言いに――ディオンが伝えた、別の人物の物言いに――引っかかるものを感じていた。
「……なあおい。それを言ってよこしたのは、つうか、宝珠を探せって言ってんのは。王宮っつうより、姫君か?」
サリウスが鼻息を詰まらせた。細身の体を震わせ、ひとしきり笑った後に言う。
「そらお前、そらそうだろうな! お前の元彼女だよ、その齢で『姫』って言えるんならよ」
かつてウォレスが無理やり抱えて駆けた――迷宮から救出した――姫君。
確かにそう、まさに姫君だった。腰はウォレスの抱える片腕にすっぽりと収まり、そのまま軽々と駆けられた。透き通るような肌、柔らかな体、まるで触った端から指に染み込んでいってしまいそうな。慎ましく波打つ灰色の髪からは、黴くさい迷宮に似合わぬ甘い香りがした。鼓動が高鳴ったのは決して、駆け続けた疲労のせいだけではなかった。
救出した当時、姫は確か十八だった。ウォレスより三つ下。となれば、今は三十一か。そのはずだ、時が誰にも平等ならば。
ディオンが大きく咳払いをする。
「王女殿下、だ。いいな。とにかく、殿下個人のご意思というわけではない。お立場からして深く関わっておいでなのは間違いないがな。まあ、我々に直接命じたのは殿下だ」
姫の殿下のとは言っても、どの姫なのかは誰も口にしなかったし、その必要もないはずだった。かつて魔王にさらわれた、ウォレスらが救出したその人。王の第五子、第一王女――ウォレスの記憶が正しければだ、迷宮に住み着く前の――だけが王宮に居ついていた、妹らのように嫁ぎもせず。何々伯夫人だのではない『王女』は彼女一人だった。
無理もない話だ。少女の時分に魔王――王宮に反逆した宮廷魔導師――にさらわれ、以来七年を迷宮で暮らした姫。多感な時期を黴臭い闇とうごめく魔物と、冒険者の悲鳴と。それらに満ちた迷宮で過ごした王女。花咲くような十七、八才の時を、魔王と共に生きた娘。
貰い手などあるべくもない、表に出すのもはばかられる王女。それが帰ってきて、それで?
どこにも行き場のあるはずはなく。英雄との縁談も無かったことになり。が、魔王に手ほどきされた魔導、実地に長年見てきた迷宮、それがどうにか立場を繋いだ。他の宮廷魔導師らを束ね、迷宮と魔導の研究に当たる者としてのみ、その王女は生きていた。少なくとも、ウォレスが迷宮で暮らす前には。
ウォレスは小さく息をついた。
「そうか。……あの姫がね」
サリウスが肩をすくめた。
「ま、何だ。そーいうこと、オレやアランにも命令が出た。前金もたっぷりもらっちまってな。こいつはお前の分だ」
膨れ上がった小袋を両手で持って放ってくる。
受け止めたそれはずしりと重く、金貨だと察せられた。中も見ずに床へ落とす。重い音を立てたそれはほどなく、外の布が端から崩れ薄れて喪失され、金貨の山だけが残っていた。
ウォレスは長く息をついた。ディオンが眉をひそめたが、何か言われる前に口を開く。
「分かった。やる、やるよ。お前らがやるんなら俺もやる」
ディオンが目を見開き、サリウスとアランは意外そうに目を見交わした。
なるほど、ウォレスも意外だった。だがまあ、どうでもいいことだった、王宮も姫も何もかも。どうでもいいから請け合った。大事なことはもっと別で、これはそのつなぎだった。それでも口は、どうでもいいことばかり喋る。
「ただし。……そうだな、半分。地下三百五十階まではお前らが、それより下は俺一人でやる」
「しかし――」
言いかけるディオンを制してアランが言う。
「そうだな……それがいいかもな。おれたちがいても、下層じゃ足手まといなくらいだ……今のお前からしたら」
苦く笑って続けた。
「でも一人じゃ難だ、せめて五百階まではおれたちが――」
「三百五十だ」
「じゃあ四百」
ウォレスは首を横に振る。
「三百五十。俺に手間をかけさせるな」
アランは息をつく。前髪の逆立った頭をくしゃくしゃとかいた。
「分かった、半分だろ。地下三百六十二階、そこまではおれたちでやる」
うなずいた後、ウォレスはディオンの方を向く。さっきよりは大事なこと。
「それと、浅いとこには妙な連中もいるだろうが。世話になってる奴もいる、見ないでおいてくれると助かる」
ディオンは顔をそむけて鼻息をつく。
「私に言うか! ……だが、今は最優先の任務がこれだ。他は優先されないのが事実だ」
ウォレスは笑う。そうだ、言うんだ。もっと、ずっと大事なこと。
「ありがたい。それと、ああそうだ――」
そうだ、言うんだ。さりげなく。
「――やっぱり、地下五十階から少しは俺がやるよ。迷宮|《した》の住人には顔が利くんだ、情報も入るだろう。地下五十から百三十、そこまでやる」
違う、そうじゃない、そんなことなんかどうでもいい。もっと、最も大事なこと。
アランが声を上げる。
「ええ? 半分だろ、だったら……地下四十九階までおれたち、五十から百三十がウォレス。百三十一からええと…………四百四十二まで俺たち、合ってる?」
サリウスが顔をしかめる。
「メンドくせぇな、四百五十まででいいだろ」
ウォレスは何度も素早くうなずく。――そんなことより言うんだ、これを――
「ああ、それで頼む、悪いな、それと――」
――それと。また一緒に呑もう。みんなで。ヴェニィは今、酒はだめだろうけど。それでもみんなで。山獅子亭、いやサリウスには悪いが地下がいいな、覇王樹亭で。お前らさえよければ俺の部屋でもいい。一緒に呑もう、あの頃と同じに。安物のつまみと酒を、競うようにたらふく。明日になっても動けなくて、結局その日も寝て過ごして。それからまた、呑み始めてしまうような日を過ごそう。融け合ってしまうような日を。仕事が全て終わった後で、いや今からでも――。
「――いや、何でもない」
かつての仲間たちは真っすぐにウォレスを見て、それでウォレスは目をそらした。視線を泳がせたまま続ける。
「じゃあまたな、早速取りかかるよ。お前らはいったん帰れ。あ、それより疲れたろ、不死鳥の唐黍酎呑んでくか」
――呑もう。呑もうよ、俺と。今からでも――。
ディオンは笑って首を横に振る。
「無用だ、可能な限り戦闘は避けてきた。最下四層は充分抜けられるさ。……それより」
ディオンはウォレスの目を見た。わずかに目を細め、瞳の奥まで見通すように。
「なあ、ウォレス。そろそろ地上に出てきたらどうだ。褒賞にも手をつけてないだろう、勲功年金だって貯まってる。たとえ働かなくたって、それなりに暮らしていけるはずだ」
ウォレスは薄く口を開いて、何も言葉は出なかった。視線さえもそらせなかった。
ディオンはまた言う。
「大体。何が悲しくて九年もいたんだ……こんな地獄の底に」
ウォレスの動きが止まる。
地獄の底、それはそのとおりだろう。だが、何でいた? そう聞かれると。
「……何で、だろうな?」
そう笑うのが精一杯だった。それでも続けて言う。
「ま……とにかく、仕事にはかかるさ。何か分かればそうだな、地下十六階の『西風堂』、そこへ伝言しとく」
そこならまあ健全な店だ、ディオンも店主も困りはすまい。ただ、そこへの伝言は覇王樹亭の主人に頼むつもりだ。地下十六階では、地上のにおいが強すぎる。
「了解した、こちらからもそこへ伝えよう。収穫がなくても一日一度は伝言して、こちらの伝言も確認してくれ。では、またな」
ディオンが片手を掲げる。他の仲間たちも口々に別れを述べ、部屋を出ていった。
ウォレスは長く息をついた。掲げ返していた片手をその後で下ろす。いつもと変わらないはずの薄闇がずいぶん暗く、寒かった。
笑いをこらえたような声、喉を鳴らす音が背後から聞こえた。ころころころ、と、床石に小石を転がしたような。
それでウォレスは初めて気づいた。振り向く。
「……いつからいた」
部屋の隅の方、武器が溢れた棚の陰に、アレシアの顔をした女はいた。唄うように口を開く。
「ずっと前から。ずっといたよ、そばにいたよ」
いつどこで会うとも言ってはいないが、きっと不意に来るのだろう、初めて会ったときのように。アレシアの顔をしたあれは。
会ったところでどうするのか、あれは何をしたいのか。この剣と欠片は何なのか、そもそもあれは何者なのか。そして自分はどうしたいのか――分からないまま、それでもウォレスは待ちたかった。
やがて遠く足音が聞こえ、いつもの癖で跳び起きて身構え。ウォレスは大いに落胆した。
一時間と少し後。ようやく足音は扉の前にたどり着き、ウォレスは引き裂くように扉を開けた。腹いせにだいぶ呑んでいる。
「なんだてめえらぁよ、あ? また性懲りもなく来やがったか依頼だか何だか知らねえがよ!」
扉を叩こうと手を伸ばしたままの聖騎士――今は近衛士団長か――ディオン。その後ろには療術師――同じく大司教の――シーヤ。そして元戦士のアランと元魔導師サリウス。見知った顔が、揃って口を開けていた。王宮からつけられたのだろう、知らない戦士と解錠師もいた。つまるところウォレスが聞いた足音は複数で、その多くに聞き覚えがあった。
ディオンはゆっくりと口を閉じ、大きく口角を上げて――変わらないわざとらしい笑みだ、だが今は頬との境にほうれい線が目立つ――笑った。
「まずは久しぶり、ウォレス。次に訂正しよう、依頼ではなく命令。そう理解して欲しかったな先日の文書は」
ディオンは兜の間から渦を巻いて伸びた、栗色の髪に指を伸ばす。かきむしりながら頬を歪めた。
「その文書を破り捨てたらしいな読みもせずに! え? 大体何なんだ君は、何が悲しくて九年間何の音沙汰もなしに――」
アランが苦笑して間に入る。
「その辺はゆっくり話すとして、中に入っても? どうもここは居心地悪い」
見知らぬ連れの二人は青ざめた顔で、道の先の様子をしきりに窺っている。
不死鳥の唐黍酎を勧めたが、ディオンは手をつけなかった。兜を脱ぎ、灯りを掲げて部屋の中を歩き回っていた。
ウォレスは立ったまま、裸足の足で何度か床を蹴る。
「で? 何だよ騎士団長様よ、九年ぶりに会っといてよ。怒鳴り上げといてお宅拝見って、何しに来たんだ」
ディオンは巻き毛を揺らして振り向きざま、ウォレスを指差して歯を剥いた。
「先に怒鳴ったのは君の方だ! 九年ぶりに会っておいてな! そもそも君な、一度ぐらい――」
白い法衣をまとった女、シーヤが手でさえぎる。
「先輩、その辺で。ウォレス先輩、お久しぶりです。早速ですが、用件の方よろしいでしょうか」
ウォレスの返事も待たず、王宮からつけられた解錠師らに目配せする。見知らぬ二人は後ろを向いて耳を覆った。
小柄なシーヤは爪先立ちに、ウォレスに口を寄せてささやく。褐色の肌は相変わらずきめが細かい。絹色をした髪も同様だ。
「王宮よりの依頼です、ご内密に。『宮廷から失われた、龍の宝珠を探し出せ』と」
「龍の宝珠?」
龍という言葉自体は知っている。伝説上の生物。竜に似てしかし細長く、翼もない体で空を駆けるという架空の存在。確か、古代には神として崇める文明もあったという。喪失迷宮のどこかに隠れ棲む、という噂もある。もちろん嘘だ。見たこともない宝や魔物を見かけただのという、冒険者なら飽きるほど聞き、自分でも一度は言ってみる類のほら話。
「龍の宝珠ね――で、何だそりゃ」
ディオンがたちまち声を上げた。
「機密だと言ってるだろうが! 口に出す奴があるか」
ウォレスは小指で耳をほじる。
「で? だから何なんだよそりゃ」
シーヤから聞くと。それはウォレスたちがかつて魔王――反逆の魔導王、メイデル・アンセマス――を倒したとき、戦利品として持ち帰った品の一つだそうだった。掌からはみ出るくらいの、いびつな球状の宝珠。透明性はなくざらついて白く、宝石というよりはくすんだ真珠のような印象。強い魔力を感じさせるも何のためにあるのか分からないそれを、ウォレスたちは王宮への献上品の一つとした――面倒なので押しつけた――のだった。
だが、それが宮廷の宝物庫から失われたという。二日に一度中を確認されるそこは、もちろん転移魔法の類を封じられており。壁を壊された跡も鍵を盗まれた様子もなく、その宝珠だけが消えていた。
「そんなのもあったっけ? で、なくなってどう困るんだ」
ウォレスが頭をかいていると、ディオンが険しい顔で怒鳴った、あくまで小声で。
「そういう問題ではない! 王宮からまんまと盗み出された、というのが大問題だろうが」
「だとしたって、何で俺が探すんだよ」
ディオンは唇を閉じ、明らかに目をそらした。
シーヤが言う。
「それは。『龍の宝珠を奪った者は、必ず喪失迷宮に現れる』からと。『あれは喪失迷宮で使われる』からと」
「あ?」
ウォレスの頬がさすがに引きつる。
腐っても王家だ、秘密の伝承などもあるだろうしそれなりの情報網だって存在するだろう。いくら迷宮の底まで潜ったとはいえ、一介の冒険者とは情報量が違う。それは分かる、だが。
「なんでそれを俺らに言わなかった、そいつを献上したときに。機密ってんならそれでもいいが、そのくせ王家で使うってわけでもねえ」
あるいは危険なものということか。だが、ならば魔法を幾重にもかけて封印すればいいだろう、地の底にでも埋めて。宝物庫などという取り出せる場所でなく。
「王宮は何を知ってる」
口元を苦く歪めてディオンが首を横に振る。
「知らん。知らんよ、私だって。聞かされたのはそこまでで『迷宮をよく知る汝|《うぬ》らが探せ。それが道理よ、英雄殿ら』とよ。つまりは私たち、身重のヴェニィ以外と、そこにいる不幸な私の部下――何を探すかも知らんと駆り出された奴らだ。それに君だ」
ウォレスは眉根を寄せていた。ディオンの物言いに――ディオンが伝えた、別の人物の物言いに――引っかかるものを感じていた。
「……なあおい。それを言ってよこしたのは、つうか、宝珠を探せって言ってんのは。王宮っつうより、姫君か?」
サリウスが鼻息を詰まらせた。細身の体を震わせ、ひとしきり笑った後に言う。
「そらお前、そらそうだろうな! お前の元彼女だよ、その齢で『姫』って言えるんならよ」
かつてウォレスが無理やり抱えて駆けた――迷宮から救出した――姫君。
確かにそう、まさに姫君だった。腰はウォレスの抱える片腕にすっぽりと収まり、そのまま軽々と駆けられた。透き通るような肌、柔らかな体、まるで触った端から指に染み込んでいってしまいそうな。慎ましく波打つ灰色の髪からは、黴くさい迷宮に似合わぬ甘い香りがした。鼓動が高鳴ったのは決して、駆け続けた疲労のせいだけではなかった。
救出した当時、姫は確か十八だった。ウォレスより三つ下。となれば、今は三十一か。そのはずだ、時が誰にも平等ならば。
ディオンが大きく咳払いをする。
「王女殿下、だ。いいな。とにかく、殿下個人のご意思というわけではない。お立場からして深く関わっておいでなのは間違いないがな。まあ、我々に直接命じたのは殿下だ」
姫の殿下のとは言っても、どの姫なのかは誰も口にしなかったし、その必要もないはずだった。かつて魔王にさらわれた、ウォレスらが救出したその人。王の第五子、第一王女――ウォレスの記憶が正しければだ、迷宮に住み着く前の――だけが王宮に居ついていた、妹らのように嫁ぎもせず。何々伯夫人だのではない『王女』は彼女一人だった。
無理もない話だ。少女の時分に魔王――王宮に反逆した宮廷魔導師――にさらわれ、以来七年を迷宮で暮らした姫。多感な時期を黴臭い闇とうごめく魔物と、冒険者の悲鳴と。それらに満ちた迷宮で過ごした王女。花咲くような十七、八才の時を、魔王と共に生きた娘。
貰い手などあるべくもない、表に出すのもはばかられる王女。それが帰ってきて、それで?
どこにも行き場のあるはずはなく。英雄との縁談も無かったことになり。が、魔王に手ほどきされた魔導、実地に長年見てきた迷宮、それがどうにか立場を繋いだ。他の宮廷魔導師らを束ね、迷宮と魔導の研究に当たる者としてのみ、その王女は生きていた。少なくとも、ウォレスが迷宮で暮らす前には。
ウォレスは小さく息をついた。
「そうか。……あの姫がね」
サリウスが肩をすくめた。
「ま、何だ。そーいうこと、オレやアランにも命令が出た。前金もたっぷりもらっちまってな。こいつはお前の分だ」
膨れ上がった小袋を両手で持って放ってくる。
受け止めたそれはずしりと重く、金貨だと察せられた。中も見ずに床へ落とす。重い音を立てたそれはほどなく、外の布が端から崩れ薄れて喪失され、金貨の山だけが残っていた。
ウォレスは長く息をついた。ディオンが眉をひそめたが、何か言われる前に口を開く。
「分かった。やる、やるよ。お前らがやるんなら俺もやる」
ディオンが目を見開き、サリウスとアランは意外そうに目を見交わした。
なるほど、ウォレスも意外だった。だがまあ、どうでもいいことだった、王宮も姫も何もかも。どうでもいいから請け合った。大事なことはもっと別で、これはそのつなぎだった。それでも口は、どうでもいいことばかり喋る。
「ただし。……そうだな、半分。地下三百五十階まではお前らが、それより下は俺一人でやる」
「しかし――」
言いかけるディオンを制してアランが言う。
「そうだな……それがいいかもな。おれたちがいても、下層じゃ足手まといなくらいだ……今のお前からしたら」
苦く笑って続けた。
「でも一人じゃ難だ、せめて五百階まではおれたちが――」
「三百五十だ」
「じゃあ四百」
ウォレスは首を横に振る。
「三百五十。俺に手間をかけさせるな」
アランは息をつく。前髪の逆立った頭をくしゃくしゃとかいた。
「分かった、半分だろ。地下三百六十二階、そこまではおれたちでやる」
うなずいた後、ウォレスはディオンの方を向く。さっきよりは大事なこと。
「それと、浅いとこには妙な連中もいるだろうが。世話になってる奴もいる、見ないでおいてくれると助かる」
ディオンは顔をそむけて鼻息をつく。
「私に言うか! ……だが、今は最優先の任務がこれだ。他は優先されないのが事実だ」
ウォレスは笑う。そうだ、言うんだ。もっと、ずっと大事なこと。
「ありがたい。それと、ああそうだ――」
そうだ、言うんだ。さりげなく。
「――やっぱり、地下五十階から少しは俺がやるよ。迷宮|《した》の住人には顔が利くんだ、情報も入るだろう。地下五十から百三十、そこまでやる」
違う、そうじゃない、そんなことなんかどうでもいい。もっと、最も大事なこと。
アランが声を上げる。
「ええ? 半分だろ、だったら……地下四十九階までおれたち、五十から百三十がウォレス。百三十一からええと…………四百四十二まで俺たち、合ってる?」
サリウスが顔をしかめる。
「メンドくせぇな、四百五十まででいいだろ」
ウォレスは何度も素早くうなずく。――そんなことより言うんだ、これを――
「ああ、それで頼む、悪いな、それと――」
――それと。また一緒に呑もう。みんなで。ヴェニィは今、酒はだめだろうけど。それでもみんなで。山獅子亭、いやサリウスには悪いが地下がいいな、覇王樹亭で。お前らさえよければ俺の部屋でもいい。一緒に呑もう、あの頃と同じに。安物のつまみと酒を、競うようにたらふく。明日になっても動けなくて、結局その日も寝て過ごして。それからまた、呑み始めてしまうような日を過ごそう。融け合ってしまうような日を。仕事が全て終わった後で、いや今からでも――。
「――いや、何でもない」
かつての仲間たちは真っすぐにウォレスを見て、それでウォレスは目をそらした。視線を泳がせたまま続ける。
「じゃあまたな、早速取りかかるよ。お前らはいったん帰れ。あ、それより疲れたろ、不死鳥の唐黍酎呑んでくか」
――呑もう。呑もうよ、俺と。今からでも――。
ディオンは笑って首を横に振る。
「無用だ、可能な限り戦闘は避けてきた。最下四層は充分抜けられるさ。……それより」
ディオンはウォレスの目を見た。わずかに目を細め、瞳の奥まで見通すように。
「なあ、ウォレス。そろそろ地上に出てきたらどうだ。褒賞にも手をつけてないだろう、勲功年金だって貯まってる。たとえ働かなくたって、それなりに暮らしていけるはずだ」
ウォレスは薄く口を開いて、何も言葉は出なかった。視線さえもそらせなかった。
ディオンはまた言う。
「大体。何が悲しくて九年もいたんだ……こんな地獄の底に」
ウォレスの動きが止まる。
地獄の底、それはそのとおりだろう。だが、何でいた? そう聞かれると。
「……何で、だろうな?」
そう笑うのが精一杯だった。それでも続けて言う。
「ま……とにかく、仕事にはかかるさ。何か分かればそうだな、地下十六階の『西風堂』、そこへ伝言しとく」
そこならまあ健全な店だ、ディオンも店主も困りはすまい。ただ、そこへの伝言は覇王樹亭の主人に頼むつもりだ。地下十六階では、地上のにおいが強すぎる。
「了解した、こちらからもそこへ伝えよう。収穫がなくても一日一度は伝言して、こちらの伝言も確認してくれ。では、またな」
ディオンが片手を掲げる。他の仲間たちも口々に別れを述べ、部屋を出ていった。
ウォレスは長く息をついた。掲げ返していた片手をその後で下ろす。いつもと変わらないはずの薄闇がずいぶん暗く、寒かった。
笑いをこらえたような声、喉を鳴らす音が背後から聞こえた。ころころころ、と、床石に小石を転がしたような。
それでウォレスは初めて気づいた。振り向く。
「……いつからいた」
部屋の隅の方、武器が溢れた棚の陰に、アレシアの顔をした女はいた。唄うように口を開く。
「ずっと前から。ずっといたよ、そばにいたよ」
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しかしこの話はそこから始まりを告げる。殺された主人公がなんと、ゴブリンに転生してしまったのだ。普通ならパニックになる所だろうがしかし切り替えが非常に早い主人公はそれでも生きていく事を決意。そして何故か持ち越してしまった能力と知識を駆使し、弱肉強食な世界で力強く生きていくのであった。
しかし彼はまだ知らない。全てはとある存在によって監視されているという事を……。
◆ ◆ ◆
今回は召喚から転生モノに挑戦。普通とはちょっと違った物語を目指します。主人公の能力は基本チート性能ですが、前作程では無いと思われます。
あと日記帳風? で気楽に書かせてもらうので、説明不足な所も多々あるでしょうが納得して下さい。
不定期更新、更新遅進です。
話数は少ないですが、その割には文量が多いので暇なら読んでやって下さい。
※ダイジェ禁止に伴いなろうでは本編を削除し、外伝を掲載しています。

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