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第10話  夏祭り、その日

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 まるで女の子になったみたいだ。一緒に並んで歩きながらそう思った。

 赤く暮れなずむ西の方を残して、空はもう澄んだ深い青。あい色の淡さを通り越した紺色の深さ。彼の浴衣と同じ色。今、隣を歩く彼の着ている。

 肌にまとわりつく、湿度を含んで吹く風。どこかの軒先から聞こえる風鈴の音。
 辺りを歩く人たちの中には、僕らみたいに浴衣を着た姿もぽつぽつと見えた。
 金魚の入ったビニール袋を提げて歩く子供。隣を歩く母親の手には綿あめの袋。横では父親が、クリアカップに入ったビールを口にしながら、しきりにうちわであおいでいた。

 次第に増えてくる人波の中。道路に響く、僕ら二人の下駄の軽い音。
 やがて見えてきた、道路の両端に立ち並ぶ屋台の端。その先にはずらりと様々な出店が並び、それら全ての軒先には薄だいだい色の電球が揺れる。
かき氷機の低く唸る作動音、削られていく氷の立てる、かすれるような音。
 鉄板の上でかき混ぜられる焼きそばから立ち上る湯気、ソースの焦げた香り。


 夏祭り。その場に彼と二人でいた。
 もっとも、公民館の広場で部活の仲間と合流する約束になっている。二人きりでいられるのはそれまでの間だけ。ほんの少しの距離だけ。

 それでも僕らは並んで歩いた。二人とも浴衣で、

 人波をかわして歩きながら、僕は言ってみる。どうしたって笑顔になる。
「お揃いだね」

 扇子――両側の骨が鉄で造られた黒塗りの鉄扇てっせん、彼の愛用の品だ――であおぎながら彼が言う。
「あ? いやお揃いじゃあねェだろ」

 確かに柄は違うのだが。
 負けずに、笑顔のまま僕は言う。
「お揃いだって、浴衣だよ浴衣。他にいないじゃん」
 辺りを見る限り、浴衣姿の女の子や甚平じんべいを着た男子なんかはいるのだが。浴衣を着た男となると僕らだけだ。

 そーだな、と特に感慨もなさげに言って彼は歩く。
 その歩調に引き離されそうになって、僕は歩くペースを速めた。
 それで気づいた。どうして女の子みたいな気がしたのか。

 僕も下駄を履いてはいるが、スーパーの衣料品コーナーで買った浴衣のセットについていた安物。下駄というよりは木製のサンダルといった方が近い、歯のついていない薄っぺらいもの。
 一方彼は、ちゃんとした二本歯のついた、きりの高下駄を履いている。

 だから身長差が出る。僕らの身長はほぼ同じだけれど、今は下駄の歯の分、十センチ近く。まるで男子と女子のように。

「待ってよ、速いって」
 小走りに彼の横へ並ぶ。肩の高さが全然違う。
 そういえば、何かで聞いたことがある。キスしやすい身長差というのがあると。何センチだったかは忘れたが。

 帰ったら検索しよう、そう考える間に彼はまた先へ歩く。下駄で歩き慣れているのだろう、快い足音を立てて軽やかに。歩調を緩める気配も見せず。
 薄情な奴だ。


 また足を速めて、僕が隣に並んだとき。彼がつぶやいた。
「しまったな……下駄で来るンじゃなかった」

 ようやく歩調の差に気づいてくれたのか。
 そう思って目を見開き、顔を向けたが。

 彼は前を見たまま、顔をしかめて言った。
「この人波、まともに動けるスペースも少ねェ……もし不意に攻撃されたら、下駄じゃあまともに身をかわせねェ」
 歯噛みして、荒く波打つ髪をかきむしった。
「しまったな……脱ぎ捨てるにしてもその一手間が致命的だ、やってる間に斬られちまう」

 僕の肩が、がくりと落ちる。
「お前は何と戦ってるんだ」

 彼の剣は剣道ではなく剣術、居合。スポーツではなく武術、すなわち護身術であり殺人術。
 それだけに、日頃から想定しているのだという。もしも目の前の人物が、殴りかかってきたらどうさばくか。通りすがりの人間が襲いかかってきたらどうかわし、反撃の機をつかむか。後ろを歩く人が斬りかかってきたらどう逃げるか。ことあるごとに考えているという。
 暇なのかお前は。

 気持ちを切り替え、僕は笑いかけてみる。
「まあそーだね、ちゃんと動けないと。何かあったときに僕を守れないもんね」
「いや、お前は自分で頑張れよ」

 真顔でそう返され、僕の表情は固まりかけたが。

 彼は表情を変えず、こう続けた。
「――強ェんだからよ」

 歩きながら、僕の表情は固まったまま、そのままで。鼓動が高鳴り、体温が上がっていく。頬に、額に熱が満ちる。

 強いって、僕が。彼が、そう言った。

 彼は僕の方も見ず、武術談議を一人で続ける。
「まーそうだな、どうにかかわせたとして武器えものが欲しいとこだな。お前はそら、そこのアイス屋ののぼりを引っこ抜きゃいい。竹刀にしてはちょっと長ェが。オレはそうだな、かき氷屋のシロップのボトル、あれ取って投げつけるか。で、その隙に下駄脱いで、手にはめて殴る。だが、もし相手が刃物持ってたら――」

 彼の話は続いていたが、僕の耳には入らなかった。
 横を歩き続けながら、何度も彼の言った言葉が耳に、頭に響く。
 強いって、僕が強いって――そう言った言葉が。

 熱い風が僕の髪を、頬をなぶる。けれど僕の体温は、それよりも熱かった。

 熱に浮かされたような頭のまま、前を見やる。夕日の赤味が残る空、その下、信号のある交差点。この横断歩道を渡れば公民館まですぐ、二人きりの時間はそれでおしまい。まるでシンデレラだ、下駄を履いたシンデレラ、面白くもない――

「おいッ!」
 突然、彼の声が聞こえた。同時、手を握られる。握り潰すように強く。
 抱き締められていた。片腕で、彼の体に押しつけるように。歩いていた僕を無理やり引き止めるように。

「何やってンだ! どこ見てるお前!」
 叱るような彼の声に、目を瞬かせて彼を見、辺りを見る。
 赤信号。目の前の横断歩道、歩行者信号はまだ赤で、まさに今、車が通り過ぎていった。

「……ごめん」
 僕が視線を落として言うと、彼は腕を離した。力強く、僕を抱き止めていた腕を。
 足下に転がった鉄扇を拾う。アスファルトに打ち当たったそれには真新しい傷がついていたが、何も言わず彼はまたあおぐ。

 信号が青になった。彼の後をついて歩く。

 彼の背中に向けてつぶやいた。
「ごめん。……ありがとう」

「……いいけどよ」
 懐に手をやり、腹をかきながら彼は言う。
「しっかし、こう暑いと呑みたくなるな。冷やした日本酒さけをキュッと」

 さすがに僕は言う。
「買うなよ。……君が問題を起こしたら部全体が――」
「分かってるッて。帰ってから呑む」
「しばくぞ」


 公民館の広場、部の仲間たちを見つけ、そちらへ歩きながら思う。
 どこかにメモしておこう、今日は特別な日。


 彼に、強いと誉められた日。彼に命を助けられた日。
彼に、強引に抱かれた日。
 ――そういうことに、しておこう。

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