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第2話  更衣室にて

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 考え込むようにあごに手を当て、哲学的な思索にふけるように視線を落とし、彼は言った。武道場の男子更衣室で。
「いやしかし……女子が着ても、イイよな。袴」

 袴を脱いだ後、不意に思いついたように。紺色の上衣と、その裾にかろうじて隠れたパンツだけの姿でそう言った。まばらに毛の生えたすねをさらしたまま、鋭い目で。

 柔道着や空手着と違い、剣道着は上衣の裾を袴の中に入れてから帯を締める形になっている。そのため、着るときは必ず上衣から、脱ぐときは必ず袴から――なので、着替えるとなると誰だって、この間抜けな姿を通過することになる。

「……なぜそんなバカな格好でバカなことを言い出したの? バカだから?」
 まだ袴を履いたまま汗を拭きながら、僕は言葉のままの意味でそう言ったが。

「うん」
 彼は素直にうなずいて、僕は何も言えなくなった。
 何も言わないまま、ずっと彼を見ていたかった。何の混じり気もないその表情を――いや、その格好はどうにかしてほしいが。

 けれど彼は、その表情をすぐに崩してまた喋り出す。どうでもいいことを。
「そりゃそうと、イイだろ女子の袴。なんていうかこう、凛とした感じッつうか。非日常感ッていうか」

 あー、と相づちを打って僕は言った。
「巫女さんとか?」
「そうそう」
「昔の女学生とか」
「そういうの」
「女子大生が卒業式に着るやつとか」

 彼は頬を緩めて笑う。
「そうそれ! そんなんだよそんなん、分かってンなお前。はーッ、明日になったら袴が制服になってねェかなー、男女とも」

「バカ」
 僕は鼻でため息をつき、それでもその明日を想像した。
 そうなったら僕は絶対、行灯袴あんどんばかまを履こう。剣道着と同じ形の馬乗り袴とは違う、脚を隔てる生地のない、スカートみたいな形の。

 そんなことを思いつつ、僕は袴の前に結んでいた帯を解く。その帯で留められていた、袴の後ろ側の生地が尻の下に垂れた。
「でも、そうなると。皆が皆着替えるとき、この間抜けな格好を経由するんだよねー」

 袴を履くときはまず、前側の生地を下腹に合わせ、体を一周するように帯を結んで留める。その後で後ろ側の生地を腰に沿わせ、その帯を体の前で結ぶ。
 なので。袴を履くときも脱ぐときも、男も女も。どうしたってこの――今の僕みたいな――間抜けな格好になる。つまり袴の前だけ留めて、尻が丸出しの状態――実際には上衣の裾で、太ももの半ばまでは隠れるのだが――。

「な……ッ」
 彼は不意に目を見開き、息を呑んだ。それから力強く、突き刺すように僕を指差す。
「それ! それだそれ、その概念ッ! 女が! 袴で! 尻丸出し! うッわ、裸エプロンみたいじゃん……いい……すごく……今夜から使える概念じゃねェか」

 満面の笑顔で歩み寄り、痛いぐらいに背中をはたいてくる。
「やるなお前! やるやるとは思ってたけど、そこまでやるとはなー! ドスケベ担当大臣だなお前!」

 思わず、僕の頬が引きつる。
 固い表情のまま笑みを作り、冗談のような声音で言ってやった。彼に背を向け、上衣の裾をまくり上げ。
「その概念……実際の見本が、はいこちらにー」
 汗まみれのパンツを下ろした。彼に向けて、尻を出して。

 次の瞬間。思いっきり蹴られた。いい音を立てて、尻を。
 顔を引きつらせた彼が叫ぶ。
「何してくれンだてめェ!」

「そう言いたいのはこっちだけど……」
 顔をしかめながら、僕は上衣の裾を下ろす。

 その間にも彼は頭を抱えて座りこむ。
「うッわお前、うッわお前、もおおォォ! 何してくれンだよ、その状態想像するとき絶ッッ対お前のケツ浮かぶじゃねーか! あーもォォ!」

 その時その瞬間に、彼が僕の姿を思い浮かべるのなら。
 それはいいな、と頬を歪め。
 けれど、それで彼が萎えることを思い。僕は何も言わずうつむいた。

「だーッ! 消えろ! 消えろ俺の記憶ッ!」
 自分の頭をぽこぽこ殴る彼を横目で見ながら。
 僕はとにかく、パンツを着替えた。

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