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第17話  殺そうと思った、殺されてもいいと思った

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 腰を打った痛みにオレは顔をしかめていたが。そんなことはどうでもよかった。
ウサミが刀を上げるのが見えた。両手で握った刀が真っすぐ、空を斬り裂くような速さで振り上げられる。ウサミの頭上に真っすぐ掲げられたそれが、昼前の日を反射して脂ぎった光を放つ。刀はそこで止まらず、勢いを緩めることなく後ろに振るわれる。切っ先がウサミのケツに当たり、服をはたく音を立てた。

 その刀の動きも気になったが。それ以上に、ウサミの顔から目を離すことができなかった。
ほんのわずか開いた唇、その奥からのぞく、食いしばられた白い歯。震えるほどに力のこもった頬。振りかぶる腕が当たってずり落ちかけたメガネ。限界まで見開かれた目。

 その目は確かにオレへ向けられていた、なのに、オレはウサミがどこを見ているか分からなかった。何を見ているか分からなかった。何も見えていない、何も見ていないような目。まるでそう、初めてコイツを見たときのようだった。表情こそ違うが、橋の欄干に立って川をのぞき込んでたときの目だった。
 見えてない、見ようとしてないのだコイツは、オレの顔もオレそのものも。まるでオレじゃなく、オレの後ろの地面をぶった斬ろうとしてるみたいな。そうだきっとそうだ。確かにぶった斬れるだろうぜ、そんだけ振りかぶりゃオレごと地面まで。

 そう考えて、オレの顔が泣きそうな形に歪む。
 待てよ、待てよオイ。オレだぜ? オレだぜオマエ? ここにいるのはオレだ、他の誰でもねぇオレだ。オマエと人殺ししたかったオレだ。なんでそれが斬られようとしてンだ?
 オマエはオレを見てない、見えてない。なら、オマエが斬ろうとしてンのは誰だ? オマエ自身か、殺したい他の誰かか。何にしろ……それはオレじゃねぇ。オマエが斬ろうとしてる奴はここにはいねぇ。
ってか、なんでオレ斬られンの?

 立とうとして腰に力が入らなかった。後ずさろうとしても、足が地面の上をかくばかりだった。ウサミを見上げたまま右手で刀を探したが、手の届く範囲にはないようだった。
 ウサミがさらに背をそらし、溜めを作るのが見えた。まるでウサミ自身が大きな弓になって、自分を引き絞っているように思えた。
 ああ、斬る気だ。コイツはもう全力で、ひとかけらの容赦もなく、真っ二つにぶった斬る気だ。

 オレは不意に、息をついていた。ほんの少し笑えた。いっそ、小気味よかった。

やっぱ、いいか。斬られてやっても。それでもう、いいか。コイツがその気なら、迷いがないなら。

 そんな風に思って、目を閉じかけたとき。ウサミの腕が、ピクリと動くのが見えた。振り下ろされる刀が、スローになって見えた。




 僕は刀を振り下ろしていた。全力で振るっているのに、妙にゆっくりと感じられた。まるで弾力のある空気を斬っているみたいに。
 腕に、足に、腰に背中に力をこめ、ぬったりとまとわりつく空気を斬る。そのまま振り下ろす。切っ先が僕の頭を通り過ぎ、胸の前へとようやく降りる。もうすぐ、もうすぐだ。
 しかし、だ。僕は何を斬ろうとしているんだ?

 そう考えて腕を止めそうになる。
 殺すべき奴らは他にいる、それは分かる。なら、なぜ。
 今すぐ僕の優越を、誰かより優れていることを確認したい、だからか。
いや。そうじゃない、確認したいのは僕だ。僕自身を確認したい。僕がいることを、僕が、殺すと決めたことを遂げられる僕であることを。

 力を込めて刀を振るった。ゆっくりと流れる世界の中で、目の辺りに力がこもり、熱がこもる。
 永塚を斬れなかった。他の奴らも、殺そうとさえ思えなかった。殺せなかった、逃げ出した。
 だから、今度は逃げない。今度こそ殺す、目の前のこいつを。

 腕をさらに振り下ろす。切っ先は胸の前を過ぎ、腰の辺りにあった。

 僕の目が、地面に倒れている男を映す。
 殺すんだ、こいつを。殺すんだ。イヌイを。
 なぜイヌイだ、なぜこいつなんだ。クラスの奴らではなくなぜこいつ? 僕の半分がそう尋ねる。

 イヌイの目と僕の目が合う。イヌイは、なんだか眠るように、穏やかに目を閉じかけていた。斬られてもいいさ、そんな風に言っているように見えた。




 オレは思った、斬られてもいいと思った。だが、だ。

 ウサミが刀を振り下ろす動きがはっきり見えた、ゆっくりと。
肘が、腕が伸ばされ、後ろへ反っていた腰が前に折り曲げられる。手首を利かせて繰り出される刀が、機械仕掛けのように真っすぐ、オレの頭に向かってくる。

 コレに頭をゆっくりと断ち割られると思うと。どうしたって、顔が引きつる光景だった。
ほとんど反射的に顔をそむけようとして――その、オレの動きまでスローだった。毛虫のようにゆっくりと、悪寒が背筋をのたうつ。全身の毛がじわじわと立ち上がる感覚。鳥肌が立っていると気づくのに時間がかかった。

 さらに刃は近づいていた。刀身の横腹が光を反射し、てらり、と光る。
もう何も考える余裕はなかった。身をよじり、かわそうとして、石でできてるみたいに体が重かった。

 刃はさらに近づく。ムリヤリ研いだ刃の粗さ、ザラついた金属の地肌まで見える距離。
オレの顔がゆっくりと引きつり、こわばり、ぐしゃ、ぐしゃと歪む。目をつむり、顔をそむけ、腕を上げようとして。そんなことで防げはしないと分かっていた。
 足はむなしく地面の上の土をかく。その心もとなさは、ガキの頃に橋から突き落とされた感覚にそっくりだった。キンタマがちぢこまりすぎて、消えてしまった気がした。
腕を掲げるより身をかわすより速く、刀は顔の前に来ていた。

 今、髪の先に刃が触れた。




 ああ、そうか。
 刀を振り下ろしながら、僕は思わず微笑んだ。なぜイヌイを殺すのか、それが分かった。

 安心できるからだ。こいつなら、安心して殺せるからだ。

 イヌイが弱いとか、生きるに値しないとかそういうんじゃあない。生きる価値のない奴らは別にいる。

 要するに。イヌイといれば安心するから。

 付き合いが長いわけではないし、そう意識したのは初めてだったが、イヌイといれば安心できる。人殺しの話だって安心してできる。安心して一緒に殺そうとさえできる。殺すだとか憎むとか、おおよそ最低の感情さえ分け合える。僕のほとんど何もかもを、安心してさらけ出せる。

 だから。安心して、殺し合うことさえもできる。こいつなら、僕がなぜこいつを殺すのか、それすらも理解してくれそうな気がする。

 そう考えて、また僕の半分が思う。なら、クラスの奴らを殺せなかったのは、殺そうとも思えなかったのは。
 そうだ、安心できなかったからだ。怖かったからだ。
 僕は小さく笑った。

 僕は誰だろうと殺せやしない。僕が殺せるのは、イヌイだけだ。

 妙な感覚だった。刀を振り下ろしている最中なのに、肩から力が抜ける。そして、それ以上の力がみなぎる。

 僕は笑った。殺そう、と思った。他の誰でもなく、イヌイを。

 けれど、また僕の半分が思う。イヌイを斬ったなら、その後は? それで僕は安心するだろう、イヌイだけでも斬ることができたなら。その先は? イヌイがいなくなって、安心して殺し合うことさえできる人間がいなくなって。僕はそれから、どこで安心したらいい?

 僕の半分が刀を止めようとした。もう半分が、それでもイヌイを殺そうとする。
 止めようとする腕と、振り抜こうとする腕の間で柄がきしむ。

 その時にはもう、切っ先はイヌイの頭に届こうとしていた。

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