124 / 134
四ノ巻 胸中語るは大暗黒天
四ノ巻16話 明王の過ぎし日(前編)
しおりを挟む時間もありません、手短に話させていただきましょう――そう前置きして至寂は語り始めた。
――あれは十三年、いや十四年も前になりましょうか。
拙僧と沙羅は当時、南贍部宗本山にて僧侶として勤めておりました。
南贍部宗と申しますのはまあ、基本的には普通のお寺さんでございまして。ただ一つだけ違いますのは、『怪仏を扱う』ということでございます。
皆さんはよくご存知のとおり、怪仏とは人の業――執着、欲望――が積もり積もって、権の――仮の――形として仏の姿を取り、仏を模した力を得てしまった存在。
人に害なす怪仏を、守護仏――自らが扱う怪仏――の力を以て払い、あるいは封じる。また、封じた怪仏を保管し、封じ続けておく。それが、南贍部宗の裏の勤め――
「しかもそれがタダ働きだぜクソが」
渦生が顔をしかめて口を挟む。
「命がけで戦って何の報酬もなし。人目を忍んでやる仕事だ、他人に感謝されるってことすらねぇ……マジでクソみてぇな仕事よ」
「沙羅」
至寂は微笑んで渦生を見る。
「何も南贍部宗の僧、全てが調伏師となるわけではありません。……貴方がどうしてもなるというので、私もそれを志したのですよ」
渦生は舌打ちをし、そっぽを向いて黙った。
――さて、どこまで話しましたか。そうそう、拙僧と沙羅が調伏師となっていたということでした。
その頃の拙僧たちはピチピチのヤングメン、沙羅はともかくとしても拙僧は今以上に水も滴る超ハンサム調伏師で……いえ、話が逸れました。
ともかく、二人とももはや見習いではなく、それぞれ幾度も怪仏を調伏してきた一人前でした。
拙僧の扱う怪仏――守護仏――は『不動明王』。
大日大聖不動明王とも呼ばれるそれは、仏の教えでも救い難い者を憤怒を以て力ずくにも救うといわれる、『明王部』の一尊。
さらには仏法そのもの、宇宙そのものの化身とされる『大日如来』が人々を救うため姿を変えた、直接の化身……そのようにも解釈される、最強、の仏……それを模した怪仏。その背負う業は『破邪』――悪を破ること――。
沙羅の守護仏は烏枢沙摩明王。
同じく明王部の一尊、その原型は古代インド神話の火神『アグニ』ともいわれる、炎の化身たる仏。
厠の護り本尊ともいわれるその実体は、火焔を以て一切の不浄を焼き尽くす浄化の神仏。それを模した怪仏、背負う業は『顕正』――正義を顕すこと――。
ところで仏教、殊に密教において『仏』とは四つの種類があるとされております。そのことについて話しておいた方が分かり易いかとも存じますので、ひとつ説明させていただきましょうか。
無論、沙羅たちにはまさに釈迦に説法、今さらといった話でしょうが。
さてその四つの種類、上から、と申しますのもおかしいのですが、『如来部』『菩薩部』『明王部』『天部』とございます。
第一に『如来部』。厳密な意味で『仏』――つまるところ、悟りを開いた者――といえるのはこの存在のみです。
釈迦その人が提唱した原始仏教においては、単に『悟りを開いた修行者』の名称ですが。
釈迦入滅――亡くなったこと――後の上座部仏教において神格化が進み、その後の大乗仏教、密教においては神の如き救済者と見なされてゆきます。
第二に『菩薩部』。大乗仏教において提唱された、悟りを開く前の段階にいる者。
これらは『修行の途上にある者』と解釈されることもあれば『自らが悟りを開くことは後に回し、他の人々を救うことに尽力する者』とされる場合もあります。
自ら修行して悟りを開くことがままならない多くの人々、彼らはいかにして救われればよいのか? という問いに対する、大乗仏教による回答。
自らの身を呈してでも他者を救う、まさに大乗仏教の象徴といえる存在といえましょう。
第三に『明王部』。先ほど申し上げたように、仏の教えでも救い難い者を憤怒を以て力ずくに救う。密教において提唱された尊格です。
第四には『天部』。古代インド神話由来の神々が密教に取り入れられ、仏法の守護者とされた存在。
悟りに直接関わるというより、仏法守護と現世利益を与える存在とされています。四天王や大暗黒天、帝釈天などもこれに当たります。
さて、拙僧と沙羅の守護仏は『明王』、いわば荒事専門の仏。
怪仏は仏そのものではない以上、必ずしも元の尊格と同じ立場にある訳ではないのですが。それでも、自分たちの守護仏は強いといってよいはずでした。
ですが、ある人物の扱う怪仏には一度も勝てたことがないのでした。
その人物とは、我ら二人の師僧たる挨律。その守護仏は、帝釈天。
なるほど帝釈天も、天部といえど雷神にして四天王を束ねる軍神……高い武力を具えた存在です。とはいえ、格上たる明王にまではその地力において敵いはしない。
そのはずですが。試闘行において一対一では、一度も師の帝釈天に勝てたことはございません。
それは力よりも、経験に裏打ちされた戦術、立ち回り、駆け引き。そうした部分での差でございましたのでしょう。
……そういえば、あるとき師はこうおっしゃいました。――『業を捨てよ』と。
それはなるほど、僧としてはごく当たり前のおっしゃりようでございます。業を、すなわち執着を捨てることこそが仏教の眼目ですので。
しかし怪仏はその『業』より成るもの。殊に私たちの破邪顕正の想い、業。それこそは怪仏との戦いに必要なもののはずでした。
あるいは沙羅の方は、調伏のための遠出にかこつけて般若湯――酒――に溺れ、女色を貪ることも多いようでしたが。拙僧は左様なことをいたした覚えはございません。
……師は、いったい私に何を見たのでしょうか。
また話が逸れましたが。……そのようにおっしゃっていた師僧でさえ、業に惑う時があった。その日がやってきてしまったのです。
……師は決して、悪心があったわけではないのです。むしろ人として、当然の情であったとさえ思います。……仏教ではそれをも、執着と断ずるのでしょうけれど。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

備蓄スキルで異世界転移もナンノソノ
ちかず
ファンタジー
久しぶりの早帰りの金曜日の夜(但し、矢作基準)ラッキーの連続に浮かれた矢作の行った先は。
見た事のない空き地に1人。異世界だと気づかない矢作のした事は?
異世界アニメも見た事のない矢作が、自分のスキルに気づく日はいつ来るのだろうか。スキル【備蓄】で異世界に騒動を起こすもちょっぴりズレた矢作はそれに気づかずマイペースに頑張るお話。
鈍感な主人公が降り注ぐ困難もナンノソノとクリアしながら仲間を増やして居場所を作るまで。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる