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三ノ巻 たどる双路の怪仏探し
三ノ巻34話 最強の怪仏
しおりを挟む何者だ、そう問われてにらまれ、かすみは口を開けた。それから、頬を引きつらせた。
何者も何もあるものか。こっちが聞きたいぐらいだ、この怪仏が何なのか――いや。そもそもなぜかすみに、突然怪仏の力が現れたのか。
あるいはそれは、帝釈天が言うように。かすみが潜在的に望んでいたことなのかも知れないが――黒幕を止める力、平和な学校生活を崇春たちと送るため、怪仏事件を終わらせる力を――。
それがなぜ、今?
自分で問うてみて、かすみはまた口を開ける。
そうだ、目の前のことに必死で、そこまで考えていなかったが。どうしてこんな力を得たのか。何が原因で?
思い返せば鈴下は言っていた、かすみが吉祥天を喚んだとき。『なぜあの怪仏が出ない』『どれだけ準備したと思ってるんだ』と。
そしてかすみが問い詰めると認めた、自らが賀来に怪仏を憑けた黒幕と。
だが。鈴下はこうも言っていた、毘沙門天を目にしたとき。『叶うぞあの人の――私たちの望みが』『私と一緒にあの人のもとへ』と。
それは帝釈天も同じく、『我と共に来るがよい、あの御方の下に』と――鈴下のことではない、震える鈴下を指して『かの者』と言っていた――。
そして鈴下はこうも言っていた。賀来をその手にかけようとしたときに。『彼とて自らを本地としない怪仏を使いこなせるわけじゃあない、吉祥果は二つきり――一つは回収させてもらう』
吉祥果、というものが何を指すのかは分からないが。鈴下の口ぶりからすれば、怪仏を生み出す要因となるもの。それを賀来とかすみに憑けた。
つまりは。
黒幕は他にいる。――少なくとも、鈴下の上にもう一人。
そしてその人物が――吉祥果、という何かを使って――賀来とかすみに怪仏を憑けた。
そう考えてふと気づいた。ある意味ではこれは、思惑通りなのかもしれない。かすみと賀来の、賀来を囮として黒幕の接触を待つ作戦の。紆余曲折あったとはいえ、実際に黒幕の一人、鈴下はあぶり出せたのだから。
そこまで考えて、また気づいた。
昨晩に帝釈天と接触して以降、黒幕に情報が――賀来に怪仏を憑け得るような悩みがあると――伝わったとして。それ以降に賀来とかすみが共通して接触した人物、二人に怪物を憑け得る、黒幕たる可能性のある人物は。平坂たちが戦い、すでに怪仏の力を封じてある黒田を除くとすれば。
鈴下と、生徒会長――東条紫苑。
表情を消してかすみは言う。
「……そんなことより。あなたまで、あの人みたいなことを言うんですね」
いぶかしげに眉を寄せる、帝釈天へ重ねて言う。
「もう、その人からもお誘いは受けています。承諾してはいませんけど……その人の下に来い、って。生徒会に入らないか、って……生徒会長、東条紫苑さんから」
帝釈天の目を見据えて続ける。
「その人が、黒幕。そうですね」
帝釈天は目を瞬かせ、首をかしげた。
「――……さて。そのような名、いったいどこから出てきたものかな」
「質問しているのは私です。答えて下さい」
今日の休み時間、かすみと賀来はずっと一緒にいた。そして怪仏騒ぎにかかりっ切りだった以上、崇春たちの他、特に接触した者はない。下校時、生徒会の二人と会うまでは。
いったいどのようにして、怪仏を憑けられたのかは分からない。少なくとも、かつて百見が広目天の力で見せてくれた、黒幕が怪仏を憑けるやり方――悩みを相談する斉藤に、怪仏の姿をした黒いもやのようなものを与えていた――とは違うようだ。
だが、今回はそもそも状況が違う。斉藤は『怪仏・閻摩天』を与えられていたのに対し、かすみたちの場合は――毘沙門天の出現を期待されていたようだが――何の怪仏が現れるか分からなかったはず。
だからこそ、吉祥天が現れたときに鈴下は怒り。だからこそ、賀来を殺して吉祥果を回収し、怪仏を出現させ直そうとした――あるいは、何らかの怪仏を発生させることが、吉祥果というものの効力なのか――。
そのため、今回のことを斉藤のときと比べるのは難しいのだが。少なくとも、何の接触もなく怪仏を発現させることはできないだろう。そう考えればやはり黒幕は――少なくともその一人は――東条紫苑。その可能性が、限りなく高い。
帝釈天は息をこぼし、苦く笑った。
「――ふ、くはは。なかなかに面白い問いだが。我の口からあの御方の名、明かすわけにもいかぬな」
かすみは目をそらさない。
「つまり、正解。そういうことで、いいんですね」
帝釈天は肩をすくめる。
「――我にも立場というものがある……そう察してほしいものよ。さて……それで、如何にしようと? 知らぬ仲でもなし、汝のいうその方の下、ついてくれるとでもいうのか」
無論、あり得ない。
ここでやることはただ一つ。この場をどうにか脱して――賀来と斉藤も無事に――、崇春らに黒幕の正体を伝えること。
帝釈天は口を開く。
「――汝の腹積もりは。他の仲間に黒幕の名を伝える、そのために我を倒してこの場を逃れる。そういったことであろうな。なれど――させると思うたか」
開いて掲げた、帝釈天の大きな手に。地に落ちていた金色の独鈷が飛びくる。再び握られたそれが音を立てて火花を散らした。
その目を見据えながらかすみは言う。
「別に、あなたを倒す必要はありません。だから……引きませんか、お互い」
辺りを――倒れた賀来と斉藤を、鈴下を、呻いている怪仏たちを見て続ける。
「それぞれ、介抱すべき人たちがいます……お互いに引いて、痛み分けと――」
さえぎるように帝釈天が言う。口の両端を吊り上げて――まるで牙を剥くように――、笑って。
「――ほう、面白い提案よ。互いに引いて、汝が情報を持ち帰って。それで痛み分けとはな!」
言うなり、独鈷杵から電光が上がる。火花を散らしつつ、剣の形を取ろうとした――
それが、吹き飛ばされた。
そばから吹き上がった黒いもや。気流の、いや激流の勢いを持って流れ出たそれによって。吹き上がる端から火花の欠片となって、散らされた。
「――オ、オ、オ……ォヲヲヲヲッッ!」
刀八毘沙門天。四つの顔で天を仰いで咆える、その怪仏から上がる、黒いもやによって。かすみが命じたわけでもなく。
「――な……!?」
頬を引きつらせた帝釈天は、武器を毘沙門天に向けるが。そこから放たれた幾筋もの電光、その全てが。黒い気流に軌道を逸らされ、あるいは渦を巻くもやにぶち当たって散り。あるいは呑まれて、くすぶり消えた。
「――なん、だと……!」
毘沙門天は帝釈天を見据え、歯を軋らせ。声を上げる。
「――オオ、オ……裂ク……引キ、裂ク……叩キ、潰ス」
かすみが命じたわけでもなく。毘沙門天は持っていた戟を地に突き立て、手放した。空いたその手に、地に刺さっていた黒い独鈷杵が飛び来たり、握られる。
「――オォォォオ! 【血河……決、壊】」
帝釈天へと向けた独鈷と宝塔から。さらに黒く流れ出たもやが、渦巻く濁流となって放たれた。
「――がああぁぁ!?」
叫んだ帝釈天はその波を受け、打ち流されたが。
「え……わああああっ!?」
その後ろにいたかすみにまで、黒い波は迫り。帝釈天と共に、押し流されていた。
水とは違う、冷たさのない黒い激流。風の流れとは違う、ざらりとした感触の黒い気流。渦を巻くそれに呑まれ、浮き上げられては何度も地に叩きつけられ。わけも分からぬまま、気づけば地面に倒れていた。
「ぐ……う……」
体が、重い。水に濡れているわけでもないのに、黒いもやが未だ体にまとわりついて。あるいはそれに、打ちつけられた痛みも加わってか。首を起こして辺りを見回すのが精一杯だった。
そばには帝釈天の大きな体が横たわり、身を震わせながら手をつき、体を起こそうとして――崩れ落ちた。
後ろでは波に巻き込まれたか、鈴下があお向けに横たわり、空を仰いだまま胸を大きく上下させている。
そして帝釈天と反対側、横の方に目をやれば。未だ賀来と斉藤が倒れ、そばに吉祥天が伏していた。
「――おのれ……!」
どうにか身を起こした帝釈天が唸り、幾筋もの稲妻を放つが。その全てが毘沙門天の周りで渦巻く黒いもやに呑まれ、いなされ。どうにかかいくぐったものも全て、その刀に打ち散らされていた。
独鈷杵を握り締めたまま帝釈天がつぶやく。
「――まさか、これほどとは……! これが刀八毘沙門天、天部にて、否――あるいは仏典中の神仏、その怪仏にて最強の力……」
独鈷と宝刀を掲げ、残る手でそれぞれ刀を構え。毘沙門天は空を仰いだ。
「――ォオオ……、ヲヲ……! 斬リ、裂ク……! 叩キ壊ス――何モカモヲ、阻ム全テヲ……!」
天に吼えるその声は、その言葉は。かすみにも覚えがあった。胸の内で叫んだ言葉、毘沙門天に願った言葉。
――そうだ引き裂いて、こんな霧。そうだ叩き潰して、どんな悪意も企みも。そうだ斬り裂いて、全ての敵を。そうだ叩き壊して。何もかもを。阻む全てを――。
毘沙門天が前を向き、八つの目が注がれた。未だ倒れたままの鈴下に。
そうだ、とかすみは思う、見慣れた色のその目を見ながら。
毘沙門天はあるいは、かすみが願っていたとおり。怪仏事件の黒幕――そう思っていた――、鈴下を。止めようとしているのではないか。
ただ。その力で、倒れた鈴下にそれをやれば。間違いなく、今度は死ぬ。
震える手で身を起こし、かすみは叫ぶ。
「やめなさい、やめて毘沙門天! そこまではだめ! それに、黒幕は他に!」
聞いた風もなく、毘沙門天は歯を軋らせ。歪んだ顔で鈴下をにらみ。今、全ての刀を頭上へ構えた。黒いもやをそこへまとわりつかせながら。
だめだった、だめだった。止めようと強く念じているのに、かすみの意思など知らぬかのように。毘沙門天の動きは止まらない。
かすみは首を振り回すように辺りを見回し、考える――どうしたらいい、どうしたら。鈴下だけではない、辺りには賀来たちもいる、きっと巻き込まれる。かすみ自身も立ち上がることさえおぼつかない。
このままでは。死ぬ、この場の全員が。
そしてそれでも、毘沙門天は止まらず。その刀の周りに、なおも濃く黒く速く、気流となったもやが渦を巻く。やがてそれは形作った、一本の――大木のような太さ、長さの――気流の刀を。
思わず、きつく目をつむった。
助けて。そう思った。
助けて――誰か、誰でもいい、神様仏様――は、ある意味目の前にいるのだが。
――助けて。崇春さん――。
そう願った、そのとき。
「六根清浄、六根清浄――」
そんな声が遠く聞こえた。歩んでくる足音と共に。
ただ、それは。野太く響く崇春の声ではなかった。聞き覚えのない声、繊細さを感じさせて細く、しかし遠く通る、やや高い男の声。
「懺悔、懺悔、六根清浄、六根清浄――」
白い霧の向こうから、姿を現したその男は。細い身を、一言で言えば山伏の装束に包んでいた。
足袋と草鞋履きの足、裾を絞った白い袴。白い衣の首元には、丸い房飾りのついた布が、大きな首飾りのように垂れ下がっている。手には木の杖、背には木の箱をリュックのように背負っている。
そして、困ったように眉の下がる、線の細い顔はなぜか。尼僧がかぶるような、白い布の頭巾にゆったりと包まれていた。齢は若いのか、そうでないのか分からないが。かすみよりはずっと上のようだった。
困ったような眉で、困ったような顔のまま。男は、困ったような声を発した。
「あの……お取り込みのところ申しわけございませんが。困ります」
かすみにではなく毘沙門天にでもなく、倒れたまま目を瞬かせる帝釈天に向かい。深く頭を下げた後、顔を上げて言う。
「困ります、勘違いなさっては。恐縮です、最強の怪仏はこの拙僧が司るところ――」
片手を胸に当ててみせる、男の後ろで。ごう、と音を立て、突然炎が渦を巻いて上がった。
その背丈を大きく越えて舞った炎、それが治まった後には。
炎を背にした怪仏がいた。男の背をわずかに越える背丈、青い肌に簡素な衣をまとい、ただ一本の剣を手にした、鬼のような形相の怪仏が。
男は深々と頭を下げた。帝釈天と毘沙門天、倒れている吉祥天に向かってそれぞれ、一度ずつ。
顔を上げてまっすぐ、静かに言う。
「怪仏の皆様方に対しまして、大変恐縮ですが。拙僧は南贍部宗が僧。最強、の調伏師……至寂と申します。最強、の怪仏はこの拙僧の守護仏。『大日大聖不動明王』、なのです」
不動明王、そう呼ばれた怪仏が剣を振るうと。
斬り開かれた、辺りに散って漂う黒いもやが。白く、鋭く。そして、その身に宿す炎に照らされ、赤く。
「恐縮です」
頭を下げる至寂の白い衣は。燃え上がる炎に照らされ赤く、揺らめくその陰りに黒く。だんだらに染まって見えた。
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