44 / 134
二ノ巻 闇に響くは修羅天剣
二ノ巻8話(後編) 居合練剣
しおりを挟む
風が吹いた。枝葉が鳴った。平坂の頭上、木の枝が揺れ、幾枚かの葉が舞い落ちる。
平坂は、目を見開きはしなかった。ただ木刀を鞘から抜いた――いや、逆だ。かすみの目にはまるで、木刀が空間に固定されて。半歩下がりざま、大きく腰を引いた平坂が。いわば、鞘を木刀から抜いた、ように見えた――。
そう認識した瞬間には。すでに、平坂の右腕は振り抜かれていた。わずかに手首をひねり、横一文字に。その切先が宙に舞う葉を捉え、裂いていた。
あるいはその光景に気を取られていたせいか。かすみは、遅れて音を聞いた気さえした。しゅらり、ぱん、と。木刀を抜いて葉を打った音を、切り裂いた光景より遅れて。
平坂は鞘から手を離し、木刀を両手で握って振り上げる。さらに落ち来る別の葉へ向け、真っ向から打ち下ろす。
その後片手で木刀を、左の額の辺りへ掲げ。血を払うように振った後、峰を鞘の口へつけた。そのまま刀身を滑らせ、切先が鞘の口へ入った後。抜いたときと同じように、鞘の方を刀身へ納めるかのように。腰を入れた体全体の動きで、滑るように納刀した。
かすみの隣で崇春が、ほう、と唸る。
それからも平坂は剣を振るった。同じように刀を納め、手を垂らした状態から。
あるいは舞う木の葉へ抜き打ち、返す刀でさらに裂き。
あるいは何もない空間へ、半歩踏み出し抜刀せずに、鞘に込めたままの柄で突き打ち。そのまま半歩下がりざま、まだ抜刀せずに鞘で――おそらく背後に想定した敵へ――突き打ち。流れるように刀身を抜き、前の敵へと斬りつける。
あるいは大きく右脚を引いて、仮想の攻撃をかわしたときには。すでに鞘から刀身を抜き、右腰へ引いて溜めを作った体勢。そのまま相手へ突きを返す。
あるいは半歩踏み出しながら、斜め上へと抜刀し。左手を添えつつ手を返し、斜め下へと斬り落とす。風を切る音を上げながら。
そのどれもが舞うような、沢から水が流れ落ちるような、淀みのない動きだった。捉えどころがないと同時に、地から足腰を伝って繰り出す、確かな力を感じさせる動きだった。あるいは古典芸能の舞台を見れば、これに近いものを感じるだろうか。
「……きれい……」
かすみは思わずつぶやいて、それで平坂の動きが止まった。納刀し、柄に手をやった姿勢のままで。
そのまま平坂はきびすを返し、かすみたちの方を見た。いつでも木刀を抜ける体勢で。
「……何だ、てめェら」
かすみは顔を引きつらせ、何か言おうと口を開いたが。
崇春が、錫杖と手を拍手のように打ち鳴らした。
「見事! 見事なもんじゃ、その剣技! やはりお主、相当の強者じゃの!」
姿勢を変えず平坂が言う。
「だったらどうしたってンだ。たとえば……さっきの続きを、やり合おうとでも」
崇春が拍手をやめ、音を立てて錫杖を地に突く。
「ほう……それは面白そうじゃの。じゃが、残念ながら結果は見えちょるわ――」
平坂の視線は変わらなかった。ただ、柄にやった手の指が、わずかに握りを強めた。
崇春は声を上げた。親指を立て、自らを指して。
「――どう考えても。斬られるのはこのわしじゃあああ!」
平坂の口が、かくり、と開く。
「……あ?」
崇春は拳で胸板を叩く。
「じゃがのう、ただで斬られはせんぞ! この崇春、一世一代の斬られざま見せちゃる! たとえ勝負に負けたとて、目立ち勝つのはこのわしじゃあああ! お主がどれほど羨んだとて、目立ちだけは譲ってやらぬわ!」
かすみは思わず口を開いた。
「何言ってるか分かりませんからーーーっっ! せめて、試合に負けて勝負に勝つとか、そういうこと言って下さいよ!」
がっはっは、と崇春はほがらかに笑う。
「何言うちょんじゃ、奴の技前を見ちょろうが。どう考えても斬られるわい」
かすみは肩を落とす。
「いいんですかそれで……」
百見が言う。
「いや、崇春の言うことにも一理はある。何せ、僕らの目的では別にない。強さを競うことも戦うことも、ね」
言われてみれば、それはそうか。崇春たちの目的は怪仏事件を収めること。戦うことや強く在ることは、手段であって目的ではない――あるいは、戦わずに解決できるならそれに越したことはないのか――。
そう考えて、かすみは何度かうなずいた。そうだ、戦わないで済むならそっちの方がいい。
平坂は何度も目を瞬かせていたが、やがて大きく息をこぼした。笑うように。
「……ッたく。何なンだよ、てめェは」
崇春へ向き直って続けた。すでに手は柄から離している。
「本当に何なンだ? 昨日からうろうろと……オレに何の用があるってンだ」
崇春は言う。
「なあに、大した用じゃないんじゃ。お主がもしも、怪仏の力――人の業が積もり積もった、人智を越えた歪んだ力。それを持っておるんなら。捨ててくれんか」
平坂がわずかに眉を寄せる。
「人智を越えた、力……」
崇春がうなずく。
「そうよ、仏の姿形を取った、業の塊。それは力を与えるが、人の心を振り回し、業のままに操る……そんなものじゃ。わしらはそれを、封じて回っておる」
また真正面から言ってしまった。
いいのかと思い、かすみは百見の顔を見るが。
百見は腕を組んだまま、平坂に目を向けていた。その動向を観察するように。
平坂は真っ直ぐに、崇春に目を向けていた。
「信用しろッてのか、そんなもんがあると。オマエらがそれをどうにかできると」
崇春は大きくうなずく。
「そのとおりよ」
「ふン……」
平坂は目をそらせた。そして崇春に背を向け、歩き出す。
「待てい!」
崇春の声に振り向きはせず、平坂は言う。
「分かった。明日持ってきてやる、その力――ただし」
歩きながら続ける。
「今日一晩。昨日オマエらと会った神社、あそこには近づくな」
崇春が眉をひそめる。
「むう? そりゃあどういう――」
さえぎるように平坂が言う。
「約束しろ。オレも約束する、誰も死んだりはしねェ。明日には何事もなく終わる」
かすみは呼び止める声を上げた。
「ちょっと、あの――」
怪仏の力を持つであろう人間、それが目の前にいるのに。いくらなんでも話がはっきりしなさすぎる。
しかし、崇春はかすみを手で制した。
「平坂よ。まこと、それを誓えるか」
平坂は振り向き、崇春の目を見た。腰の木刀に手をかける。
「ああ。誓うさ、刀の柄に懸けて」
そうして、傾いた日の下を歩み去った。
平坂は、目を見開きはしなかった。ただ木刀を鞘から抜いた――いや、逆だ。かすみの目にはまるで、木刀が空間に固定されて。半歩下がりざま、大きく腰を引いた平坂が。いわば、鞘を木刀から抜いた、ように見えた――。
そう認識した瞬間には。すでに、平坂の右腕は振り抜かれていた。わずかに手首をひねり、横一文字に。その切先が宙に舞う葉を捉え、裂いていた。
あるいはその光景に気を取られていたせいか。かすみは、遅れて音を聞いた気さえした。しゅらり、ぱん、と。木刀を抜いて葉を打った音を、切り裂いた光景より遅れて。
平坂は鞘から手を離し、木刀を両手で握って振り上げる。さらに落ち来る別の葉へ向け、真っ向から打ち下ろす。
その後片手で木刀を、左の額の辺りへ掲げ。血を払うように振った後、峰を鞘の口へつけた。そのまま刀身を滑らせ、切先が鞘の口へ入った後。抜いたときと同じように、鞘の方を刀身へ納めるかのように。腰を入れた体全体の動きで、滑るように納刀した。
かすみの隣で崇春が、ほう、と唸る。
それからも平坂は剣を振るった。同じように刀を納め、手を垂らした状態から。
あるいは舞う木の葉へ抜き打ち、返す刀でさらに裂き。
あるいは何もない空間へ、半歩踏み出し抜刀せずに、鞘に込めたままの柄で突き打ち。そのまま半歩下がりざま、まだ抜刀せずに鞘で――おそらく背後に想定した敵へ――突き打ち。流れるように刀身を抜き、前の敵へと斬りつける。
あるいは大きく右脚を引いて、仮想の攻撃をかわしたときには。すでに鞘から刀身を抜き、右腰へ引いて溜めを作った体勢。そのまま相手へ突きを返す。
あるいは半歩踏み出しながら、斜め上へと抜刀し。左手を添えつつ手を返し、斜め下へと斬り落とす。風を切る音を上げながら。
そのどれもが舞うような、沢から水が流れ落ちるような、淀みのない動きだった。捉えどころがないと同時に、地から足腰を伝って繰り出す、確かな力を感じさせる動きだった。あるいは古典芸能の舞台を見れば、これに近いものを感じるだろうか。
「……きれい……」
かすみは思わずつぶやいて、それで平坂の動きが止まった。納刀し、柄に手をやった姿勢のままで。
そのまま平坂はきびすを返し、かすみたちの方を見た。いつでも木刀を抜ける体勢で。
「……何だ、てめェら」
かすみは顔を引きつらせ、何か言おうと口を開いたが。
崇春が、錫杖と手を拍手のように打ち鳴らした。
「見事! 見事なもんじゃ、その剣技! やはりお主、相当の強者じゃの!」
姿勢を変えず平坂が言う。
「だったらどうしたってンだ。たとえば……さっきの続きを、やり合おうとでも」
崇春が拍手をやめ、音を立てて錫杖を地に突く。
「ほう……それは面白そうじゃの。じゃが、残念ながら結果は見えちょるわ――」
平坂の視線は変わらなかった。ただ、柄にやった手の指が、わずかに握りを強めた。
崇春は声を上げた。親指を立て、自らを指して。
「――どう考えても。斬られるのはこのわしじゃあああ!」
平坂の口が、かくり、と開く。
「……あ?」
崇春は拳で胸板を叩く。
「じゃがのう、ただで斬られはせんぞ! この崇春、一世一代の斬られざま見せちゃる! たとえ勝負に負けたとて、目立ち勝つのはこのわしじゃあああ! お主がどれほど羨んだとて、目立ちだけは譲ってやらぬわ!」
かすみは思わず口を開いた。
「何言ってるか分かりませんからーーーっっ! せめて、試合に負けて勝負に勝つとか、そういうこと言って下さいよ!」
がっはっは、と崇春はほがらかに笑う。
「何言うちょんじゃ、奴の技前を見ちょろうが。どう考えても斬られるわい」
かすみは肩を落とす。
「いいんですかそれで……」
百見が言う。
「いや、崇春の言うことにも一理はある。何せ、僕らの目的では別にない。強さを競うことも戦うことも、ね」
言われてみれば、それはそうか。崇春たちの目的は怪仏事件を収めること。戦うことや強く在ることは、手段であって目的ではない――あるいは、戦わずに解決できるならそれに越したことはないのか――。
そう考えて、かすみは何度かうなずいた。そうだ、戦わないで済むならそっちの方がいい。
平坂は何度も目を瞬かせていたが、やがて大きく息をこぼした。笑うように。
「……ッたく。何なンだよ、てめェは」
崇春へ向き直って続けた。すでに手は柄から離している。
「本当に何なンだ? 昨日からうろうろと……オレに何の用があるってンだ」
崇春は言う。
「なあに、大した用じゃないんじゃ。お主がもしも、怪仏の力――人の業が積もり積もった、人智を越えた歪んだ力。それを持っておるんなら。捨ててくれんか」
平坂がわずかに眉を寄せる。
「人智を越えた、力……」
崇春がうなずく。
「そうよ、仏の姿形を取った、業の塊。それは力を与えるが、人の心を振り回し、業のままに操る……そんなものじゃ。わしらはそれを、封じて回っておる」
また真正面から言ってしまった。
いいのかと思い、かすみは百見の顔を見るが。
百見は腕を組んだまま、平坂に目を向けていた。その動向を観察するように。
平坂は真っ直ぐに、崇春に目を向けていた。
「信用しろッてのか、そんなもんがあると。オマエらがそれをどうにかできると」
崇春は大きくうなずく。
「そのとおりよ」
「ふン……」
平坂は目をそらせた。そして崇春に背を向け、歩き出す。
「待てい!」
崇春の声に振り向きはせず、平坂は言う。
「分かった。明日持ってきてやる、その力――ただし」
歩きながら続ける。
「今日一晩。昨日オマエらと会った神社、あそこには近づくな」
崇春が眉をひそめる。
「むう? そりゃあどういう――」
さえぎるように平坂が言う。
「約束しろ。オレも約束する、誰も死んだりはしねェ。明日には何事もなく終わる」
かすみは呼び止める声を上げた。
「ちょっと、あの――」
怪仏の力を持つであろう人間、それが目の前にいるのに。いくらなんでも話がはっきりしなさすぎる。
しかし、崇春はかすみを手で制した。
「平坂よ。まこと、それを誓えるか」
平坂は振り向き、崇春の目を見た。腰の木刀に手をかける。
「ああ。誓うさ、刀の柄に懸けて」
そうして、傾いた日の下を歩み去った。
0
あなたにおすすめの小説
滅せよ! ジリ貧クエスト~悪鬼羅刹と恐れられた僧兵のおれが、ハラペコ女神の料理番(金髪幼女)に!?~
スサノワ
ファンタジー
「ここわぁ、地獄かぁ――!?」
悪鬼羅刹と恐れられた僧兵のおれが、気がつきゃ金糸のような髪の小娘に!?
「えっ、ファンタジーかと思ったぁ? 残っ念っ、ハイ坊主ハラペコSFファンタジーでしたぁ――ウケケケッケッ♪」
やかましぃやぁ。
※小説家になろうさんにも投稿しています。投稿時は初稿そのまま。順次整えます。よろしくお願いします。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います
こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!===
ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。
でも別に最強なんて目指さない。
それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。
フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。
これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる