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二ノ巻 闇に響くは修羅天剣
二ノ巻8話(後編) 居合練剣
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風が吹いた。枝葉が鳴った。平坂の頭上、木の枝が揺れ、幾枚かの葉が舞い落ちる。
平坂は、目を見開きはしなかった。ただ木刀を鞘から抜いた――いや、逆だ。かすみの目にはまるで、木刀が空間に固定されて。半歩下がりざま、大きく腰を引いた平坂が。いわば、鞘を木刀から抜いた、ように見えた――。
そう認識した瞬間には。すでに、平坂の右腕は振り抜かれていた。わずかに手首をひねり、横一文字に。その切先が宙に舞う葉を捉え、裂いていた。
あるいはその光景に気を取られていたせいか。かすみは、遅れて音を聞いた気さえした。しゅらり、ぱん、と。木刀を抜いて葉を打った音を、切り裂いた光景より遅れて。
平坂は鞘から手を離し、木刀を両手で握って振り上げる。さらに落ち来る別の葉へ向け、真っ向から打ち下ろす。
その後片手で木刀を、左の額の辺りへ掲げ。血を払うように振った後、峰を鞘の口へつけた。そのまま刀身を滑らせ、切先が鞘の口へ入った後。抜いたときと同じように、鞘の方を刀身へ納めるかのように。腰を入れた体全体の動きで、滑るように納刀した。
かすみの隣で崇春が、ほう、と唸る。
それからも平坂は剣を振るった。同じように刀を納め、手を垂らした状態から。
あるいは舞う木の葉へ抜き打ち、返す刀でさらに裂き。
あるいは何もない空間へ、半歩踏み出し抜刀せずに、鞘に込めたままの柄で突き打ち。そのまま半歩下がりざま、まだ抜刀せずに鞘で――おそらく背後に想定した敵へ――突き打ち。流れるように刀身を抜き、前の敵へと斬りつける。
あるいは大きく右脚を引いて、仮想の攻撃をかわしたときには。すでに鞘から刀身を抜き、右腰へ引いて溜めを作った体勢。そのまま相手へ突きを返す。
あるいは半歩踏み出しながら、斜め上へと抜刀し。左手を添えつつ手を返し、斜め下へと斬り落とす。風を切る音を上げながら。
そのどれもが舞うような、沢から水が流れ落ちるような、淀みのない動きだった。捉えどころがないと同時に、地から足腰を伝って繰り出す、確かな力を感じさせる動きだった。あるいは古典芸能の舞台を見れば、これに近いものを感じるだろうか。
「……きれい……」
かすみは思わずつぶやいて、それで平坂の動きが止まった。納刀し、柄に手をやった姿勢のままで。
そのまま平坂はきびすを返し、かすみたちの方を見た。いつでも木刀を抜ける体勢で。
「……何だ、てめェら」
かすみは顔を引きつらせ、何か言おうと口を開いたが。
崇春が、錫杖と手を拍手のように打ち鳴らした。
「見事! 見事なもんじゃ、その剣技! やはりお主、相当の強者じゃの!」
姿勢を変えず平坂が言う。
「だったらどうしたってンだ。たとえば……さっきの続きを、やり合おうとでも」
崇春が拍手をやめ、音を立てて錫杖を地に突く。
「ほう……それは面白そうじゃの。じゃが、残念ながら結果は見えちょるわ――」
平坂の視線は変わらなかった。ただ、柄にやった手の指が、わずかに握りを強めた。
崇春は声を上げた。親指を立て、自らを指して。
「――どう考えても。斬られるのはこのわしじゃあああ!」
平坂の口が、かくり、と開く。
「……あ?」
崇春は拳で胸板を叩く。
「じゃがのう、ただで斬られはせんぞ! この崇春、一世一代の斬られざま見せちゃる! たとえ勝負に負けたとて、目立ち勝つのはこのわしじゃあああ! お主がどれほど羨んだとて、目立ちだけは譲ってやらぬわ!」
かすみは思わず口を開いた。
「何言ってるか分かりませんからーーーっっ! せめて、試合に負けて勝負に勝つとか、そういうこと言って下さいよ!」
がっはっは、と崇春はほがらかに笑う。
「何言うちょんじゃ、奴の技前を見ちょろうが。どう考えても斬られるわい」
かすみは肩を落とす。
「いいんですかそれで……」
百見が言う。
「いや、崇春の言うことにも一理はある。何せ、僕らの目的では別にない。強さを競うことも戦うことも、ね」
言われてみれば、それはそうか。崇春たちの目的は怪仏事件を収めること。戦うことや強く在ることは、手段であって目的ではない――あるいは、戦わずに解決できるならそれに越したことはないのか――。
そう考えて、かすみは何度かうなずいた。そうだ、戦わないで済むならそっちの方がいい。
平坂は何度も目を瞬かせていたが、やがて大きく息をこぼした。笑うように。
「……ッたく。何なンだよ、てめェは」
崇春へ向き直って続けた。すでに手は柄から離している。
「本当に何なンだ? 昨日からうろうろと……オレに何の用があるってンだ」
崇春は言う。
「なあに、大した用じゃないんじゃ。お主がもしも、怪仏の力――人の業が積もり積もった、人智を越えた歪んだ力。それを持っておるんなら。捨ててくれんか」
平坂がわずかに眉を寄せる。
「人智を越えた、力……」
崇春がうなずく。
「そうよ、仏の姿形を取った、業の塊。それは力を与えるが、人の心を振り回し、業のままに操る……そんなものじゃ。わしらはそれを、封じて回っておる」
また真正面から言ってしまった。
いいのかと思い、かすみは百見の顔を見るが。
百見は腕を組んだまま、平坂に目を向けていた。その動向を観察するように。
平坂は真っ直ぐに、崇春に目を向けていた。
「信用しろッてのか、そんなもんがあると。オマエらがそれをどうにかできると」
崇春は大きくうなずく。
「そのとおりよ」
「ふン……」
平坂は目をそらせた。そして崇春に背を向け、歩き出す。
「待てい!」
崇春の声に振り向きはせず、平坂は言う。
「分かった。明日持ってきてやる、その力――ただし」
歩きながら続ける。
「今日一晩。昨日オマエらと会った神社、あそこには近づくな」
崇春が眉をひそめる。
「むう? そりゃあどういう――」
さえぎるように平坂が言う。
「約束しろ。オレも約束する、誰も死んだりはしねェ。明日には何事もなく終わる」
かすみは呼び止める声を上げた。
「ちょっと、あの――」
怪仏の力を持つであろう人間、それが目の前にいるのに。いくらなんでも話がはっきりしなさすぎる。
しかし、崇春はかすみを手で制した。
「平坂よ。まこと、それを誓えるか」
平坂は振り向き、崇春の目を見た。腰の木刀に手をかける。
「ああ。誓うさ、刀の柄に懸けて」
そうして、傾いた日の下を歩み去った。
平坂は、目を見開きはしなかった。ただ木刀を鞘から抜いた――いや、逆だ。かすみの目にはまるで、木刀が空間に固定されて。半歩下がりざま、大きく腰を引いた平坂が。いわば、鞘を木刀から抜いた、ように見えた――。
そう認識した瞬間には。すでに、平坂の右腕は振り抜かれていた。わずかに手首をひねり、横一文字に。その切先が宙に舞う葉を捉え、裂いていた。
あるいはその光景に気を取られていたせいか。かすみは、遅れて音を聞いた気さえした。しゅらり、ぱん、と。木刀を抜いて葉を打った音を、切り裂いた光景より遅れて。
平坂は鞘から手を離し、木刀を両手で握って振り上げる。さらに落ち来る別の葉へ向け、真っ向から打ち下ろす。
その後片手で木刀を、左の額の辺りへ掲げ。血を払うように振った後、峰を鞘の口へつけた。そのまま刀身を滑らせ、切先が鞘の口へ入った後。抜いたときと同じように、鞘の方を刀身へ納めるかのように。腰を入れた体全体の動きで、滑るように納刀した。
かすみの隣で崇春が、ほう、と唸る。
それからも平坂は剣を振るった。同じように刀を納め、手を垂らした状態から。
あるいは舞う木の葉へ抜き打ち、返す刀でさらに裂き。
あるいは何もない空間へ、半歩踏み出し抜刀せずに、鞘に込めたままの柄で突き打ち。そのまま半歩下がりざま、まだ抜刀せずに鞘で――おそらく背後に想定した敵へ――突き打ち。流れるように刀身を抜き、前の敵へと斬りつける。
あるいは大きく右脚を引いて、仮想の攻撃をかわしたときには。すでに鞘から刀身を抜き、右腰へ引いて溜めを作った体勢。そのまま相手へ突きを返す。
あるいは半歩踏み出しながら、斜め上へと抜刀し。左手を添えつつ手を返し、斜め下へと斬り落とす。風を切る音を上げながら。
そのどれもが舞うような、沢から水が流れ落ちるような、淀みのない動きだった。捉えどころがないと同時に、地から足腰を伝って繰り出す、確かな力を感じさせる動きだった。あるいは古典芸能の舞台を見れば、これに近いものを感じるだろうか。
「……きれい……」
かすみは思わずつぶやいて、それで平坂の動きが止まった。納刀し、柄に手をやった姿勢のままで。
そのまま平坂はきびすを返し、かすみたちの方を見た。いつでも木刀を抜ける体勢で。
「……何だ、てめェら」
かすみは顔を引きつらせ、何か言おうと口を開いたが。
崇春が、錫杖と手を拍手のように打ち鳴らした。
「見事! 見事なもんじゃ、その剣技! やはりお主、相当の強者じゃの!」
姿勢を変えず平坂が言う。
「だったらどうしたってンだ。たとえば……さっきの続きを、やり合おうとでも」
崇春が拍手をやめ、音を立てて錫杖を地に突く。
「ほう……それは面白そうじゃの。じゃが、残念ながら結果は見えちょるわ――」
平坂の視線は変わらなかった。ただ、柄にやった手の指が、わずかに握りを強めた。
崇春は声を上げた。親指を立て、自らを指して。
「――どう考えても。斬られるのはこのわしじゃあああ!」
平坂の口が、かくり、と開く。
「……あ?」
崇春は拳で胸板を叩く。
「じゃがのう、ただで斬られはせんぞ! この崇春、一世一代の斬られざま見せちゃる! たとえ勝負に負けたとて、目立ち勝つのはこのわしじゃあああ! お主がどれほど羨んだとて、目立ちだけは譲ってやらぬわ!」
かすみは思わず口を開いた。
「何言ってるか分かりませんからーーーっっ! せめて、試合に負けて勝負に勝つとか、そういうこと言って下さいよ!」
がっはっは、と崇春はほがらかに笑う。
「何言うちょんじゃ、奴の技前を見ちょろうが。どう考えても斬られるわい」
かすみは肩を落とす。
「いいんですかそれで……」
百見が言う。
「いや、崇春の言うことにも一理はある。何せ、僕らの目的では別にない。強さを競うことも戦うことも、ね」
言われてみれば、それはそうか。崇春たちの目的は怪仏事件を収めること。戦うことや強く在ることは、手段であって目的ではない――あるいは、戦わずに解決できるならそれに越したことはないのか――。
そう考えて、かすみは何度かうなずいた。そうだ、戦わないで済むならそっちの方がいい。
平坂は何度も目を瞬かせていたが、やがて大きく息をこぼした。笑うように。
「……ッたく。何なンだよ、てめェは」
崇春へ向き直って続けた。すでに手は柄から離している。
「本当に何なンだ? 昨日からうろうろと……オレに何の用があるってンだ」
崇春は言う。
「なあに、大した用じゃないんじゃ。お主がもしも、怪仏の力――人の業が積もり積もった、人智を越えた歪んだ力。それを持っておるんなら。捨ててくれんか」
平坂がわずかに眉を寄せる。
「人智を越えた、力……」
崇春がうなずく。
「そうよ、仏の姿形を取った、業の塊。それは力を与えるが、人の心を振り回し、業のままに操る……そんなものじゃ。わしらはそれを、封じて回っておる」
また真正面から言ってしまった。
いいのかと思い、かすみは百見の顔を見るが。
百見は腕を組んだまま、平坂に目を向けていた。その動向を観察するように。
平坂は真っ直ぐに、崇春に目を向けていた。
「信用しろッてのか、そんなもんがあると。オマエらがそれをどうにかできると」
崇春は大きくうなずく。
「そのとおりよ」
「ふン……」
平坂は目をそらせた。そして崇春に背を向け、歩き出す。
「待てい!」
崇春の声に振り向きはせず、平坂は言う。
「分かった。明日持ってきてやる、その力――ただし」
歩きながら続ける。
「今日一晩。昨日オマエらと会った神社、あそこには近づくな」
崇春が眉をひそめる。
「むう? そりゃあどういう――」
さえぎるように平坂が言う。
「約束しろ。オレも約束する、誰も死んだりはしねェ。明日には何事もなく終わる」
かすみは呼び止める声を上げた。
「ちょっと、あの――」
怪仏の力を持つであろう人間、それが目の前にいるのに。いくらなんでも話がはっきりしなさすぎる。
しかし、崇春はかすみを手で制した。
「平坂よ。まこと、それを誓えるか」
平坂は振り向き、崇春の目を見た。腰の木刀に手をかける。
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