かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~

木下望太郎

文字の大きさ
上 下
25 / 134
一ノ巻  誘う惑い路、地獄地蔵

第24話  帰命頂礼(きみょうちょうらい)

しおりを挟む
 百見が口を開く。
「おそらく、大いに関係があるかと。さっきも言おうとしたんですが、見てもらった方が早いでしょうね。僕が地獄の幻に囚われていたときのこと……これか」
 広目天が筆を操り、斉藤の映像を元の大きさに縮めた。そして別の映像を、同じように視界へ広げる。

 それは地獄のような光景だった。霧に煙る中、辺り一面に針の山が立ち並び、血の池が泡立つ音が響く。
 そこには石の閻摩天が――崇春が倒したというそれが――、粗く削り出したような石の剣を持ち、憤怒ふんぬの顔を見せていた。

 ――さて、地獄に迷うた咎人とがびとどもよ。受けるがよいわこの刑罰、焦熱地獄の火刑をのう!――
 閻摩が剣を振るうと、辺りの地面から炎が噴き上がる。
 小さく悲鳴を上げ、周りにいた生徒らが後ずさる。その中には口を引き結び、油断なく閻魔を見据える百見の姿もあった。
 閻摩の笑い声が響く。
――はははは! さあ誰から受ける、勤めるがよいわこの刑罰! ははは、は……は――
 不意にその声が止まる。

 そして、しばらく間を空けて。同じ声が、しかし落ち着いた響きで上がる。
 ――だが……今だけ特別、出血御奉仕……なんじらの罰、取り消しにはできぬが。身代わりに受けよう、この我が。この地蔵菩薩がの――
 音を立てて、閻摩の顔にひびが走った。たちまちそれが割れ落ちて、下から現れたのは地蔵の柔和な顔だった。
 地蔵は手にしていた剣を捨てると、合掌して歩んだ。炎の中へ。
 ――一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため――
 巻き上がる炎の中でたたずみながら、地蔵は声を上げた。
 ――悔い、改めよ。さすればなんじらの罰、我が代わろう……ウス――
 生徒らは遠巻きに、黙ったままそれを見ていた。百見は地蔵を見据え、合掌していた。

 こちら側の百見が言う。
「と、まあこんな感じで。囚われていた間のことについては、僕や他の生徒も全然無事だったわけだが」
 かすみが言う。
「でも、本当に大丈夫だったんですか? いつもこうだったわけじゃないんじゃ……」
 かすみが地獄の幻に迷い込んだとき、針山などに苦しめられる生徒の姿が見えた。
 百見が答える。
「確かに少しは責め苦も受けたわけだが」
「やっぱり、苦しかったですよね……」
「ああ、大いに苦しめられたさ。一日五分ぐらい」
「そう五分も…………五分!?」

 百見は肩をすくめた。
「少なくとも僕が囚われていたときはそれぐらいだ。後は皆暇そうにしてたな……僕の方は離れて座禅か、経典を暗唱するかしていたが」
 崇春が嬉しげに笑う。
「おう、さすがは百見! 地獄で経を上げるなぞ、坊主のかがみじゃい!」

「それはいいんだが。そもそも全員、一日の大半は意識を失うようにして眠っていた。怪仏の依代よりしろである彼の生活もあるから、いつも僕たちに構ってはいられないだろうしね」

 崇春が腕を組む。
「むう。ということはじゃ、このおとこ……斉藤逸人そると

 全員が横たわる斉藤を見る。その顔は、石の地蔵のようだった。
「決して悪いおとこではなかった。むしろ、怪仏から意識に干渉を受けながらも、皆を苦しめまいとした」

 百見がうなずく。
「経典『延命地蔵菩薩経』や『地蔵菩薩本願経』には、苦しむ者があれば地蔵菩薩が代わってそれを受けよう、という『代受苦だいじゅく』の誓願が語られているが。まさにそのような光景だったよ」

 渦生が唸る。
「なるほど……それにその前の光景、こいつはいじめられてたが。怪仏の力を得たとて、そいつらに復讐するわけでもねえ……巻き込まれたのは賀来の書き込みにあった奴だけ、他の学校で被害が出てるって話も聞かねえ。いわば賀来のためにだけ、この力は使われてる」

「なるほどのう――」
 崇春が懐から数珠を取り出す。
「ガーライルと話している光景が、何故なにゆえここに残っていたか分からなんだが。あれもおそらく、怪仏を形造るごう。ただし、閻摩天の『裁き』を求める、『復讐心』ではなく。同体たる地蔵菩薩に通ずる『救い』を与える『慈悲』の心。それが斉藤の……そして怪仏の中にあった」

 かすみはつぶやく。
「怪仏の、中に……」

 崇春は合掌し、祈るように目を閉じる。
「良かったのう、怪仏よ。汝の中に仏あり。汝、すでに救われたり。帰命頂礼きみょうちょうらい――帰依きえし礼拝したてまつる――地蔵菩薩。帰命頂礼きみょうちょうらい閻摩えんま天」
 百見も合掌し、渦生も続く。かすみも遅れてそれにならった。

 息をついて合掌を解き、百見が言う。
「さて。そろそろ始末をつけようか。いつものとおり、あれでね」
「おう」
「うむ」
 渦生と崇春がうなずく。

 かすみは分からずに三人の顔を見回す。
「始末、って」

 百見が印を結び、片目だけ開けて笑いかける。
「何、心配は要らない。――オン・ビロバキシャ・ナギャ・ジハタ・エイ・ソワカ」
 広目天が腕を掲げ、空間に何度も筆を振るった。斉藤の内から空間へ広げた墨――怪仏を形造る業であり、その映像――を、拭い去るように何度も。
 やがて、辺りに映し出されていた映像は全て消え去る。そしてその筆には、滴るほどにたっぷりと墨が含まれていた。

 愛用の本、白紙のページを広げて百見が言う。
「広目天、【神筆写仏しゃぶつ】!」

 筆が本の上に、素早く滑らかに走っていく。その先が力強くも繊細な線を描き出し、何かを形造っていく。
程なくして。白紙のページの上には、墨で描かれた絵があった。古代中国風の冠を被った閻摩天。ただ、その顔は地蔵菩薩のように柔和だった。

「怪仏・閻摩天。これにて封じた」
 百見がそう言い、音を立てて本を閉じる。

 渦生が言う。
「よくやってくれた。百見、それに崇春」
「がっはっは! なあに、わしにかかりゃあざっとこんなもんじゃい!」
 百見が背表紙で軽く崇春を叩く。
「君は馬鹿か。僕らだけじゃあない、他によくやってくれた人がいるだろう」
 かすみの方に向き直り、頭を下げる。
「谷﨑さん。すまなかった、巻き込んでしまった形だが……よく頑張ってくれた」
 崇春も深く頭を下げる。
 かすみはさえぎるように両手を出し、首を横に振る。
「いえ、私は何も……」

 そう言ったとき気づいた。かすみなどよりずっと貢献した人のことに。
「それを言うなら、賀来さん。あの人が子供の頃の斉藤さんにかけた言葉、あれがなかったら……」
 おそらく無事では済まなかった。百見も、倒れた生徒らも。

 百見は息をつく。
「なるほどね。認めたくはないが、確かにそうか。……後で礼にでも行くとしようか。最高のバームクーヘンを買って、ね」

 かすみは苦笑する。
「いや、だからそれは……。ともかく、賀来さんのおかげですよ。優しいんですね、本当は」
 もちろんそのときの呪いが利いたり、いじめられていたのがそれで解決したりはしなかったのだろうが。それでも斉藤には、救いに感じられたのだろう。少なくとも今、復讐をしない程に。

 と、そう考えていたとき。百見の傍らに立っていた、広目天の筆から墨が滴る。
 畳の上に落ちたそれは、先ほどと同じように白黒の映像を映し出した。

 その光景は、どうやら学校の廊下のようだった。行き交う生徒たちは皆、見覚えのある制服を着ている。かすみたちの通う、斑野まだらの高校の制服。

「え?」
 かすみがつぶやく間にも、もっと見覚えのある者が映像の廊下を歩いた。くせ毛の波打つ、銀髪交じりのツインテール。鞄には首を括られたウサギや、骸骨デザインのマスコット。

 崇春が言う。
「むう? あれはガーライルではないか」

 賀来が通り過ぎた後ろから、生徒たちの立ち話しが聞こえた。

 ――ていうか、何なの? アレ――
 ――中学の頃は普通だったんだけどねー。高校デビューっていうの?――
 ――デビューったって……アレに? わざわざアレに?――
 笑い声が響く。
 賀来は一度立ち止まり、それから足早に歩いた。角を曲がった後で拳を握りしめ、つぶやく。
 ――おのれ、おのれ奴らめ……! 魔王女たるこの私、いや我、カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルスに向かって、なんたる侮辱を……!――

 隠れるように柱の陰に入るとスマートフォンを取り出した。歯を噛みしめた憤怒の形相で操作する。
 ――呪われよ、呪われよ呪われよ奴らめ! 死ね、死ね死ね死ね死ねぇぇい!――
 それからふと指を止め、表情も素に戻る。
 ――いや、死ぬのはちょっと……。そうだ、落ちろ! 地獄に! 二ヶ月ぐらい! 二ヶ月ぐらい! ふ……ふはは、はーはっはっは! 呪われよ!――
 その様子を、通りかかった斉藤が足を止めて見ていた。遠巻きに――。

「…………」
 かすみも、誰もが黙っていたが。

 やがて、渦生が映像を指差した。
「優しいか? こいつ」
 かすみは黙って目をそらせた。

 しばらくの後、百見が咳払いする。閻摩天の描かれたページを再び開いた。
「とりあえず。広目天、それも頼む」
 広目天は筆をさばき、拭き取るように映像を消す。いかつい鬼神はいかめしい顔のまま、その墨で閻摩天の顔に描き足した。漫画の表現のような、垂れる冷や汗を。

「ん……」
 百見は何か考えるように、その筆を――絵ではなく筆を――見ていたが。

 崇春が大きく手を叩く。
「さて、これにて一件落着じゃあ! いっちょ、パーティーと行くかい!」

「え」
 それより斉藤を起こして話を聞くとか、賀来に連絡して説明するとか、やることがあると思ったが。

 渦生が野太い声を上げた。
「うーし、肉パーティーだ! 解決した祝いだ、俺が肉をおごるぞ!」
「よっしゃあああ!」
 崇春が快哉を上げ、百見が肩をすくめる。それで、かすみも流されるようにうなずいた。

 渦生が笑顔でうなずいた。
「じゃ、夕飯どきにはここ集合な。準備は俺に任せろ」

 かすみは遠慮がちに言う。
「あの、でも。斉藤さんのこととか――」

 それには答えず、渦生は笑顔のまま手を突き出す。手の平を上に向けて開いて。
「で、一人千円な」
「えぇ!? ……あの、おごりとか言ったのは」

 渦生は眉を寄せる。
「いや、肉は俺のおごりだが。バーベキューだぞ、炭代とか飲み物代とかあんだろうが。心配すんな、買い物とか火おこしとか全部やっといてやるから――」
 畳の上で小さくうなって身じろぎした、斉藤を目で示す。
「他は頼んだぞ。そいつのこととか賀来のこと、全部」
 渦生の大きな手が、重くかすみの肩にのしかかる。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...