上 下
20 / 134
一ノ巻  誘う惑い路、地獄地蔵

第19話  正体見たり

しおりを挟む

「うおおおおお! どこじゃあああっ!」

 崇春は走っていた。校舎の廊下を、ぺちぺちぺちと裸足の足音も高く。靴箱に行く暇も、上履き――用の別の草鞋わらじ――に履き替える暇も惜しかった。小脇に抱えた錫杖が、ぢゃりぢゃりぢゃりと音を刻む。

 教室には探している者の姿はなかった。ならばどこだ、帰ったか――帰り道を待ち伏せる気ならそうかもしれない――。
 だが、その者は見てきたはずだ。今日一日、崇春が賀来を説得し続けるのを。ならば放課後も、崇春たちの動向を見ていたはず。だとしたら今、そうすることのできる場所は。

 やがて崇春は足を止めた。化学室など特別教室の並んだ、人の気配がない三階の廊下。その窓から下をのぞけば、ちょうど裏門が――今もその横では、谷﨑と賀来が話している――見える位置。
 正にそこに、その者はいた。隠れようとしたのか、窓際の柱の陰から、その巨体をはみ出させて。

「おう、こんな所におったんかい! 探したぞ」
「……ウス。何、スか」

 同じクラスの巨漢、斉藤逸人そると。のっそりと体を向き直らせ、視線をうつむけてそう言った。

 崇春は笑って言う。
「いや、何。大したことじゃあないんじゃ。ただ、ちょっと呪いを解いてほしゅうての。おんしが地蔵の姿に変じ、皆にかけた呪いをの」
「……」
 斉藤は視線をうつむけたまま何も言わない。

 崇春は言う。
「ときにおんし、柔道部じゃったか。今日は部活は休みなんかの」

 右手に巻いた包帯――手の甲と手首を覆い、袖に隠れた腕の中までおそらく続いている――に、ちらりと目をやり、斉藤は答えた。
「ウス、ちょっと、故障で……昨日、今日も、欠席、ス」
「なるほど……しかし、はて。昨日はそんな物巻いとらんかったの」
 包帯に覆われた手が、ぴくり、と動く。

 崇春は続けた。
「故障で休んだもんが、新たな怪我を負うほどの鍛錬をするっちゅうことはなかろう。ましてやおんしの動き、一昨日と変わらぬ滑るような足取りをしとった……そもそも大きな怪我を負ったようには見えん」

 そこでわずかに、斉藤の方へ、裸足の足をにじり寄らせる。
「いったい何故なにゆえ巻いたのか、さてさて妙な包帯よ。見せてはくれんか……その下、いかほど黒いかをのう」
「……!」

 表情をこわばらせた斉藤が、滑るような足取りで身を引こうとしたが。一瞬早く突き出していた、崇春の錫杖の先が包帯をさらった。

 その下には、太く筆で払ったような跡が二筋ついていた。いや、一筋というべきか。手の甲には黒々と、強く起筆を打った跡。手首の辺りには――ちょうど拳一つ分ほど――跡がなく、その先、前腕の辺りから、急に生えたみたいに跡が続く。急いだように、かするように払った、収筆の跡が。
 その二つの跡の間に、百見の手に残った筆跡を添えたなら。起筆、送筆、収筆を備えた――本来なら収筆で払う字ではないが――、一の字が完成するだろう。

「そもそも妙じゃったわい、百見ほどのおとこが何の手もなくやられるものかよ。やられるとしたなら不意打ちじゃが、奴が警戒を怠るとは思えん。それでも不意をつけたとするなら。警戒しとらんものの姿で近づいたんじゃろ……つまり怪仏でなく、人の姿のままでの」

 崇春は右腕を胸の前で横たえる。
「おんしの腕がこうあるところに。手の左右はともかくとして、百見の手がこう」
 左手で、その手首をつかんでみせる。
「さらに不意打ちと考えるなら、こうではないかの」
 崇春は自分の首に、巻きつけるように右腕を沿わせる。手首をつかんだ左手は、それを引きがそうとする形。

「背後から柔道の締め技をかけられ、それに抵抗する百見の手……そこをまとめて、広目天の筆が走ったか。そのせいで奴の腕には、起筆も収筆もない線のみが残っとった。とっさにび出せたわずかな力で、目印を残してくれたんじゃろう……法力のこもった神筆の墨、そう簡単に消えはせん」
「……」

 斉藤は何も言わず、視線をうつむけたままだったが。墨の跡が残る手を、今は強く握り締めていた。

 崇春は続ける。
頚動脈けいどうみゃくを締める技なら、完全に決まれば十数秒ほどで失神するというの。おんしなら充分にできるじゃろうし、外傷も残るまい。その後で怪仏の力を用い、百見を地獄の幻に引きずり込んだか……と、そう思うんじゃが。どうじゃろうか」
「……」

 斉藤は何も言わなかった。ややうつむけたままの視線を動かすこともなく、ただ上着のボタンを外した。その下のワイシャツも。それらをまとめて脱ぎ捨て、アンダーシャツも同じく脱いだ。でっぷりと垂れて見える脂肪の奥に、それ以上の体積と質量を持つ筋肉を備えた、力士かレスラーにも似た体躯たいく

 斉藤は後ろを向く。広背筋こうはいきんを包む脂肪が隆起した、広いその背には。はっきりと×の字に筆跡が走っていた。

「なるほど、一昨日百見がたたこうたとき。最後に振るうた筆も当たっとったか……それで昨日も、部活を休んどったんか。道着に着替えるとき、人に見とがめられるのを怖れてのう。……それにしても、まだ分からんこともある。いったいおんしが何でまた、ガーライルの呪いを実行しようとしたんか。あの呪いの暗号にしたって、パッと見て分かるもんでもなかろうに。どうしてそれを知れたんか」
 錫杖で軽く自分の肩を叩く。
「じゃが、ま。そんなことはどうでもええ、皆の呪いを解いてくれんか。おんしがどういうつもりかはともかく、ガーライル……賀来は、呪いをもう解いた――解こうとしたぞ」
「……!」

 ぴくり、と斉藤の筋肉がこわばり、脂肪が震える。そうして背を向けたまま、ズボンの尻ポケット――背中の筆跡のちょうど先――から、スマートフォンをつまみ出した。広目天の墨を浴びたか、画面は真っ黒に汚れていた。
 斉藤はそのボタンを押し、画面を指で操作しようとしたが。画面が明るくなったのが分かるのみで、墨で何も見えなかった。

「そう、スか……知らなかった、スね……一昨日から、こんななんで」
 崇春は言う。
「なるほどのう。それではガーライルが呪いの文を消しても、分からんっちゅうことか……ん?」
 崇春は首をかしげた。
「一昨日から分からなんだとしたら。昨日は何で百見を襲うたんじゃ? 呪われよだの何だのと、ガーライルも喋ってはおったが……呪いの文自体は見れとらんはず」

 錫杖を床について鳴らし、声を上げる。
「一つ聞く。此度こたびのこと、まことにおんしの意思か。それにもう一つ――」
 左足を前に踏み出しながら問う。
「――怪仏の力。いったいどこで手に入れた」

 背を向けたまま斉藤が言う。
「ウス……それ、は――」

 そのとき、その声にかぶさるように。別の声が聞こえた。地の底から響くような、石を擦り合わせたような。
「――それ、は。お前の意思ぞ、斉藤逸人そると――」

 斉藤の動きが止まっていた。スマートフォンを手にしたまま、まるで石になったように。

「――お前の意思ぞ。お前の守りたい者を守る、当然の意思ではないか。この世の誰も、それを否定できはせぬ」
「むう……!」
 崇春は身構える。

 さらに声が響く。
「――さあ、遠慮は無用、我が許そう。石の如く堅きその意思を以て、存分に振るえ我が力。唱えるがいい我が真言しんごん――」
「ウ……ス」
 斉藤の手が震え、スマートフォンが離れた。それが音を立てて床に落ちる。

 ゆっくりと振り向く。その両手が胸の前に上がり、太い指が不器用に組み合わせられる――手を合わせた、いわゆる合掌の形。だがその指のうち、伸ばされているのは親指、中指、薬指のみ。人差指と小指はそれぞれ向かい合わせに内へ曲げられ、爪を合わせるような形――。

「……オン・ヤマラジャ・ウグラビリャ・アガッシャ・ソワカ……南無なむ・怪仏――閻摩天えんまてん

 ぴき、と、ひび割れるような音が斉藤の足元から上がった。と思う間に、その音は巨体を駆け上がる。床から靴、脚、腹、腕、組んだ手へと。まるで凍りついてゆくかのように、その全てを石で覆いながら。
さらに肩、首、頭までも石に覆われ尽くした、その姿は大きな地蔵だった。崇春がかすみと出会ったときと、次の夜に戦ったのと同じ。
 だがその姿が完成しても、ひび割れるような音は止まらない。まるで怒り狂うようにその全身を震わせ、柔和な顔にひびが走った。割れ落ちたその顔の下から、盛り上がるように石作りの牙が飛び出し、とげのように鋭く尖った、石のひげが同じく突き出し。

 震えが収まったそこには。体は地蔵のそのままに、古代中国風の冠の下、憤怒に歪んだ顔をした、石の閻摩えんまがそこにいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

はずれスキル『模倣』で廃村スローライフ!

さとう
ファンタジー
異世界にクラス丸ごと召喚され、一人一つずつスキルを与えられたけど……俺、有馬慧(ありまけい)のスキルは『模倣』でした。おかげで、クラスのカースト上位連中が持つ『勇者』や『聖女』や『賢者』をコピーしまくったが……自分たちが活躍できないとの理由でカースト上位連中にハメられ、なんと追放されてしまう。 しかも、追放先はとっくの昔に滅んだ廃村……しかもしかも、せっかくコピーしたスキルは初期化されてしまった。 とりあえず、廃村でしばらく暮らすことを決意したのだが、俺に前に『女神の遣い』とかいう猫が現れこう言った。 『女神様、あんたに頼みたいことあるんだって』 これは……異世界召喚の真実を知った俺、有馬慧が送る廃村スローライフ。そして、魔王討伐とかやってるクラスメイトたちがいかに小さいことで騒いでいるのかを知る物語。

婚約破棄?それならこの国を返して頂きます

Ruhuna
ファンタジー
大陸の西側に位置するアルティマ王国 500年の時を経てその国は元の国へと返り咲くために時が動き出すーーー 根暗公爵の娘と、笑われていたマーガレット・ウィンザーは婚約者であるナラード・アルティマから婚約破棄されたことで反撃を開始した

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~

雪月 夜狐
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。 辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。 しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。 他作品の詳細はこちら: 『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】 『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】 『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】

小さな大魔法使いの自分探しの旅 親に見捨てられたけど、無自覚チートで街の人を笑顔にします

藤なごみ
ファンタジー
※2024年10月下旬に、第2巻刊行予定です  2024年6月中旬に第一巻が発売されます  2024年6月16日出荷、19日販売となります  発売に伴い、題名を「小さな大魔法使いの自分探しの旅~親に見捨てられたけど、元気いっぱいに無自覚チートで街の人を笑顔にします~」→「小さな大魔法使いの自分探しの旅~親に見捨てられたけど、無自覚チートで街の人を笑顔にします~」 中世ヨーロッパに似ているようで少し違う世界。 数少ないですが魔法使いがが存在し、様々な魔導具も生産され、人々の生活を支えています。 また、未開発の土地も多く、数多くの冒険者が活動しています この世界のとある地域では、シェルフィード王国とタターランド帝国という二つの国が争いを続けています 戦争を行る理由は様ながら長年戦争をしては停戦を繰り返していて、今は辛うじて平和な時が訪れています そんな世界の田舎で、男の子は産まれました 男の子の両親は浪費家で、親の資産を一気に食いつぶしてしまい、あろうことかお金を得るために両親は行商人に幼い男の子を売ってしまいました 男の子は行商人に連れていかれながら街道を進んでいくが、ここで行商人一行が盗賊に襲われます そして盗賊により行商人一行が殺害される中、男の子にも命の危険が迫ります 絶体絶命の中、男の子の中に眠っていた力が目覚めて…… この物語は、男の子が各地を旅しながら自分というものを探すものです 各地で出会う人との繋がりを通じて、男の子は少しずつ成長していきます そして、自分の中にある魔法の力と向かいながら、色々な事を覚えていきます カクヨム様と小説家になろう様にも投稿しております

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

余命半年のはずが?異世界生活始めます

ゆぃ♫
ファンタジー
静波杏花、本日病院で健康診断の結果を聞きに行き半年の余命と判明… 不運が重なり、途方に暮れていると… 確認はしていますが、拙い文章で誤字脱字もありますが読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...