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一ノ巻  誘う惑い路、地獄地蔵

第7話  魔王女……?

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 次の日。未だ残る――一晩経ってよりひどくなった――筋肉痛の脚を引きずりながら。かすみは通学路を歩いていた。

「うう……」
 声が漏れたのは脚の痛みのせいばかりではない。それよりもむしろ、あからさまに怪しい人影がかすみの後方を、一定の距離を保ってついてきていることに対して、うめき声の一つも上げたかった。

「…………」
 怪しい人物は無言のまま、電柱の陰に隠れている。いや、隠れているつもりなのだろう。体を横向きにしていても、あからさまに大きな体格が、分厚い胸板が、何より頭の笠――顔を隠しているつもりなのだろう、やけに目深にかぶっている――と、体からはみ出す巨大なリュックが。電柱から完全にはみ出している。

「……おはようございます、崇春さん」
 怪しい人影はびくりと身を震わせ、背を向けて一つ向こうの電柱の陰まで走り去った。

 かすみは小さく息をつき、そちらまで歩み寄った。
「だから、おはようございます、崇春さん」

 怪しい人影は後ろを向いたまま、固い声で言う。
「むう、崇春? 一体誰のことかのう、拙僧せっそうはただの修行僧にて、今は托鉢行たくはつぎょうの途中……南無阿弥陀仏なみあみだんぶ南無阿弥陀仏なむあみだんぶ
「いえ、あの。私に正体隠しても意味ないんじゃあ……」

 結局、昨日は本当に野宿をしたらしい。かすみは外に出ないよう百見から言われていたので、どこにいたのかは知らないが。
 しかし、昨晩はなかなか寝つけなかった。狙われているということよりも、崇春がその辺で野宿ということで。申し訳ないような、正直やめてほしいような。

 そこまで考えて、かすみは小さくかぶりを振った。そうだ、そんな風に思うべきではない。かすみのためにわざわざしてくれたことだ。
 意識して笑顔を向ける。
「崇春さん。ありがとうございました、大丈夫でしたか? 寒かったりとかは」

 崇春はまだ後ろを向いている。
「むう、拙僧は崇春などではないが……崇春坊なら、昨日は何もなかったとのことじゃ」
 かすみは小さくため息をついた。

 そのとき。どこからか駆け寄った百見が、笠の上から本を振り落とす。
「崇春! 君は馬鹿かっ!」
 かすみは言った。
「百見さん! そこまでしなくても」
「いいや、こういうことはきちんとしておかなくては。いい加減にしろ崇春! 説明しただろう、托鉢免許の無い者の托鉢行為は禁止だ!」
「そういうことじゃありませんからーー! ……そもそも免許制なんですか、それ」
 百見は眼鏡を指で押し上げる。
「法律上のものではないが、各宗派で出されているはずだ。正当な修行だと示すための免許がね」

 その話はそこで終わり、学校へ向けて歩きながら話をする。
「昨日は何もなかったようで何よりだ。崇春も役に立ったかな」
 崇春が口元を緩める。
「ふ……どうやら、敵もこのわしに恐れをなしたようだのう」
「だといいが。しかし、ここから先の動きは読みづらいな。襲ってくるなら迎え討つまでだが、僕らが継続的にガードしていると向こうが知ったなら。無理には襲ってこない可能性もある。そうなるとどこから調べるか」
 その口ぶりだと相変わらず、かすみを囮に使う発想は残っているようだ。そう考えたのが表情に出てしまったと、自分でも分かった。

だが百見は気づいたのかどうか、変わらない調子で続ける。
「まあ、もちろん手立ては考えているが。しかし逆に、僕らがいると知ってまで襲ってくるなら……相当の理由があって君を狙っているということになる。失礼だが、何か心当たりは? 他人から恨みを買うような」
「いえ、そういうのは思い当たりませんけど」
 人に恨まれる覚えもないし、基本的に人とトラブルになったことはないはずだ。

 崇春は深くうなずく。
「じゃろうな。谷﨑に限って人から恨まれることなぞなかろう」
 百見は肩をすくめた。
「どうかな。人は殺されるとき、大抵その理由を知らずに死ぬというしね」
 縁起でもないことを言う。

 同じように思ったのかどうか、崇春が考えるように腕組みをする。
「むう……もしそうだったとしても、じゃ。恨みなんぞ捨ててしまった方が楽じゃろうに。誰に取ってものう」

 誰に取っても――つまり、恨みを持っている人自身に取っても、ということか。
 かすみはうなずく。
「なるほど……深いですね」

 百見は口の端を嬉しげに持ち上げた。
「『おんの中にあっいきどおらず、極めて楽しく生を過ごさん』――自分を恨む人々の中にあっても恨みを返すことなく、大いに楽しく生きよう――。『法句経ほっくきょう』こと原始仏教の経典、『ダンマパダ』の一節か。なかなかよく勉強しているじゃないか」

 かすみは口を開けた。
「へえ……そういうのがあるんですか」
 崇春も口を開けた。
「ほう……そういうんがあるんか」
「って、分かってて言ったんじゃないんですかーー!?」

 百見はなぜか腕組みして何度もうなずく。
「なるほどね……さすが崇春、僕の見込んだ男だ」
「何でちょっと嬉しそうなんですかーー!?」
 崇春は口の端を持ち上げ、頭の後ろをかく。
「ふ……そう誉められると照れるわい」
「だから何で嬉しそうなんですかーー!?」

 そんなやり取りに時間を取られ、結局気になっていたこと――百見の不思議な力のこと――は聞けないまま学校に着き、教室の前まで来た――

「――色不異空しきふいくう空不異色くうふいしきー色即是空しきそくぜーくう空即是色くうそくぜーしき受想行識じゅーそうぎょうしき亦復如是やくぶーにょーぜー――」
 ――なぜか崇春が錫杖を鳴らし、お経を唱えながら。崇春いわく、勉強不足だったことへの反省を込めた修行、ということらしいが。

 かすみは二人から数歩後をついて歩いていた。正直もっと離れていたかったが、二人の手前そうもいかない。できる限り、他人のような顔はした。
 教室の中からこちらを見るクラスの子たちは、崇春に奇異の視線を送るも、騒いだりはしなかった。昨日のである程度慣れてはいるのか。
 だが、廊下にいた他のクラスの子からはざわめきが上がったし、それに。同じクラスでも、驚いた声を上げた女子がいた。

「……な、なん……あ、え……?」

 ちょうど廊下の反対側から歩いてきて、二人と出くわす形になったその子は。多分崇春がこの場にいなければ、相当目立っていただろう――実際、崇春が転校してくるまではそうだった――。

 一言で言えば間違ったアリスだ、何もかもを間違えた感じの。
 捕まえるのに成功したのか、時計を持ったウサギは彼女の鞄にぶら下がっている。絞首刑のように、粗い縄を首にかけられた状態で。その周りには同じようなマスコット、トランプの兵隊、玉子のハンプティダンプティ、首を刎ねよとのたまう赤の女王、首だけのチェシャ猫が、同じく縛り首になってぶら下がっている。
他にも幾つか、人体骨格模型のようなミニチュアの飾り物も同じ目に遭っていた。それらの頭蓋骨にはどれも、中南米風の極彩色の模様が描かれている。

 鞄を――と言うべきか、それらマスコットをと言うべきか――持った、彼女の背丈はかすみより頭半分低い。しかし目線は同じ位置にある――ひどく厚底の、ヒールではなく全体が高いブーツのせいで。
 銀色に染められたものが交じった黒髪はくせ毛なのか波打ちながら、ツインテールに分けられて顔の両側に垂れている。小さめの顔は人形のように整っていたが、それよりは大げさな付けまつ毛と真っ赤な口紅が人目を引いた。
 制服のブレザーをきっちりと身につけてはいたが、その襟元や裾は――手縫いだろう、ちょっと歪んだ――黒地に白のチェック柄の布で縁取(ふちど)られていたし、ボタンは――どこに売っていたのか――黒い頭蓋骨の形をしていた。胸元のリボンの中央にも同じ飾りがついている。

 かすみは苦笑いした。そういえば彼女は昨日休んでいたようだし、初めて崇春を見たら誰だって驚くだろう。

 かすみは足を速めて崇春の前に出、その女子に軽く頭を下げた。別に親しいわけではないが、説明しておいた方がいいだろう。
「おはようございます、賀来がらいさん。こちらは昨日うちのクラスに転校してきた方で――」
「おう、わしが崇春じゃい! おんしもこのクラスのもんか、よろしゅう頼むわい!」
 かすみの言葉を食い気味に、崇春が声を上げた。

 賀来がらいは口を開けたまま、かすみと崇春の顔を交互に見ていた。
 かすみは一つ咳払いして口を開く。
「と、とにかく。こちらは転校生の丸藤崇春まるとうたかはるさんと、岸山一見かずみさんです。二人ともうちのクラスなんですよ、珍しいですよね? で、こちらが賀来留美子がらいるみこさ――」
 二人に向かって賀来を示したとき。

「カラベラ」
 遮るように賀来がらいがそう言った。先ほどの驚いた様子とは打って変わった、低く響く声で。
「カラベラ・ドゥ・イルシオン。賀来がらいなどと、人の子としての名に過ぎぬ……。カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス……『魔王女たるカラベラ』それが我が真の名よ」

 かすみは黙って目をそらし、曖昧に微笑んだ。
 こういう子だった、こういう子だった、彼女は。特に友人というわけではないが、未だにどう接していいのか分からない――他の人たちも同じらしく、彼女と親しく話す子は見たことがない――。
まったく、先生が頭を抱えるのも無理はない。昨日だって崇春を見て言っていた、――面倒なのが増えたな、また――と。

「カラ……イル……?」
 眉根を寄せ、舌をもつれさせている崇春。
 フ、と――なぜか勝ち誇ったような――息をついて賀来がらいが笑う。

「カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス。よいわ、奇異の目で見られることには我も慣れておる。言いがたければ、カラベラとだけ覚えおけ」
 ――それより一人称は『我』でいいのか――思いながらかすみは、視線を決して合わせなかった。

 賀来がらいはなおも優しく微笑む。
「それでも言い難いなら、そうだな。略して『ベラ』と呼ぶことを特別に許そう」
 ――しかも略称を自己申告してくる――かすみの頬が引きつり、変な位置で固まった。吹き出しかけた息をこらえる。

 崇春はまだ首をひねっている。
「ベラ……ド……?」
手を一つ叩き、賀来がらいはさらに言った。
「そうだ! 『ベラドンナ』そう呼んでくれても構わないぞ」
 ――略称伸びた! ――かすみの頬は引きつったままひどく震えたが、それでも耐えた。

 崇春は大きくうなずいた。
「うむ! よろしく頼むぞ、魔王……『魔王たるガーライル』よ!」
「ぜんっぜんっ違いますからーー!!」
 叫んだのは賀来がらいではなくかすみだった。

「む、むう?」
 崇春は目を瞬かせたが、かすみはもう止まらなかった。
「いいですか? まず賀来がらい留美子という本名があってですね、それをファンタジーな感じにもじって『カラ』ベラ・ドゥ・『イルシオ』ン……で、さらに箔をつける感じで称号というか尊称というかでフォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス、悪魔の王女とかそういう意味ですかね、をつなげるわけで……そうやって違う自分を演出というか、ね? ここではないどこかの私ではない私? とか凡百の徒とは違う私、といった自己表現をですね、……ですよ、ね?」
 身振り手振りを交えながら早口でそう言って、息も整わないまま賀来の方を見る。

 賀来は中途半端に口を開け、目を瞬かせていたが。曖昧あいまいにうなずいた。
「え、あー……うん。まあ、そう……いや違っ、違うぞ! 何が、何が演出だ、カラベラこそ我が真名――」
「むう……よく分からんが、魔王よ」
 崇春が錫杖を手に賀来へと向き直る。
「第六天の魔王かはたまた、天魔波旬はじゅんか知らねども。おんしが真に魔王というなら、何ぞ悪さをするのなら。いずれ、この崇春が調伏ちょうぶくしてくれようわい。……じゃが、今はともかく同じクラスの仲間よ。よろしく頼むわい」

 賀来は口を開けていたが、やがて小さく――おそらく、意識して小さく――笑った。
「……ふ、ふん。異教の僧侶か何か知らんが。この魔王女たるカラベラを退しりぞけようと申すか。面白い奴……よかろう、貴様を殺すのは最後にしてやる。最後の最後にじっくりと、なぶり殺してくれるとしよう……楽しみにしておくがいい」

 崇春は笑ってうなずく。
「おう、楽しみじゃわい!」
「楽しまないで下さーーい!」
 かすみは思わずそう言ったが、その後で我に返った。とにかく、こうしていても面倒なだけだ、この人たちが集まっていても。

そう判断して、さりげなく二人の肩を押す。
「えと、そういうことですから、じゃ――」
 そうやって立ち去ろうとしたのに。百見はかすみの手を離れ、前に出ていた。

 賀来の前でなぜか、うやうやしく頭を下げる。右手を胸につけ、左足を引いて身をかがめる、西洋貴族風の礼。
「これはこれは、カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス嬢、ご丁寧な挨拶痛み入ります。僕は先ほど紹介に預かりました岸山一見。そちらの丸藤崇春同様、今後ともよろしくお願いいたします」

 賀来が小さく口を開けたが、すぐに固い表情に戻る。
「ふむ……なかなか殊勝ではないか、こちらこそ――」
「ところで。不躾ぶしつけながら、魔王女たるカラベラ嬢はどちらのご出身で」
「どちら、とはー―」
 賀来が口を開きかけるのも構わず、百見は続けた。
「スペイン語で『頭蓋骨ずがいこつ』『幻想』、カラベラ・ドゥ・イルシオン……それはよろしゅうございますが。間の『ドゥ』、これは浅学非才なるわたくしの知る限り、フランス語の前置詞――英語でいうところの『ofオブ』では? スペイン語ならば『デ』の方がより近い発音かと」

 賀来の表情が固まるのに気づいたかどうか、変わらぬ口調で続ける。
「フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルス、こちらはかなり正確なフランス語でございますが。やはりその前置詞である『フォン』、こちらはドイツ語における、やはり『ofオブ』の意を持つ語では? つまるところ……魔王女たるカラベラ嬢は、いったいどちらのお国のお生まれかと思いまして」

 賀来の表情がはっきりとこわばる。

 百見は続けた。
「いえ、もちろんどちらのお生まれであっても、それによって貴女の価値が上下するわけではございません。いみじくも釈尊は最古の仏典、『経集きょうしゅう』こと『スッタニパータ』においてこうおっしゃいました。『生まれによってバラモン――僧侶階級――となるのではない』『行為によってバラモンとなるのである』と」

 賀来の表情が、固まったまま、ぎりり、と引きつる。

 それでも構わず百見は言う。
「とはいえ。言語を統一しておいた方が設定としてはスマートなのでは――」

 そこまで聞いて――賀来の頬がけいれんしたように震えるのを見ると同時に――、かすみは百見の肩を両手で押していた。
「ちょ、その辺で、その辺でいいですからーー!」

 席まで押していった後で、声をひそめて言う。
「何やってるんですか! あれじゃバカにしてるみたいじゃないですか」
「それはもちろん、バカにしたんだが」
「何やってるんですかーー!!」

 席についた百見を、教室の反対側の席についた賀来は無言でにらみ続けていた。それはつまり、崇春とかすみの方も同時に睨まれている格好だった。
 昨日小規模な席替えが行なわれ、転校生二人の席は――品ノ川先生の思いやりなのかそれとも――かすみの左隣とその後ろに決まった。かすみの意見は特に――何か言ったわけではなく、意見を聞かれもしていないが――反映されていない。
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