かもす仏議の四天王  ~崇春坊・怪仏退治~

木下望太郎

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一ノ巻  誘う惑い路、地獄地蔵

第4話  仏像検分

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 そうして帰りのホームルームが終わった後。
 かすみは席で小さくため息をついた。が、思い直して目をつむる。軽く両手で頬を二度はたく。
 考えてみれば何人もの子が酷い目に遭わされて、自分だってそうなりかけたのだ。自分たちの手で何かできるなら、何とかしなければ。
 息を吸い、大きく吐いて、また大きく吸い。席を立って二人の所へ向かった。

「じゃあ、行きましょうか」
 崇春が顔をほころばせる。
「おお、谷﨑はすっかりやる気じゃのう。頼もしい限りじゃい」
 百見も笑ってうなずく。
「まったくだ。君が頼りだ、よろしく頼むよ」

 地蔵を調べると言っても、かすみにもそうそう心当たりがあるわけではないのだが。子供の頃から斑野|《まだらの》町に住んでいる以上、少なくとも道には詳しい。
「はい!」

 そうして教室から出ようとしたとき、出口の前で斉藤逸人|《そると》と鉢合わせる。立ち止まって道を譲ろうとしたが。斉藤は無言のまま分厚い手で出口を示し、同じく道を譲ってくる。

 百見が小さく礼をする。
「すまない。そう言えば今朝も良くしてくれたね、ありがとう。ああ、先にどうぞ」
「……ウス」
 顔をうつむけたままそう言って、鞄と大きなスポーツバッグをかついで斉藤は出ていった。部活に向かうのだろう、確か柔道部だと聞いたことがある。がちゃがちゃと重たげな音がするのはトレーニング用品を入れているのか。

 崇春が言う。
「むう、大したおとこよ。見てみい、体にブレが無いわい……あの大荷物をかついでおっても、頭が全く上下せんじゃろう。相当の強者つわものと見た」

 確かに、背を向けて去っていく斉藤の頭はその巨体にも関わらず上下せず、空間を滑るように進んでいく。

「へえ……」
 かすみはうなずき、その後で首をかしげた。
「でも、それがどう強さに関係あるんです?」
「知らん」
「知らないで言ったんですかーーっ!」
 百見が言う。
「まあ、別に根拠のないことじゃあない。体にブレが無いということは常にバランスが取れている、あらゆる方向に対応できる体勢ということさ。日本武道の達人ともなれば、普通に歩いていても頭が上下することは無いと聞く」
「うむ、そういうことじゃあ!」
 大きくうなずいて笑う崇春に、かすみは苦く笑った。

 教室から出てしばらく歩いたところで。待ち受けていたようにそこにいた、品ノ川先生に声をかけられた。
「谷﨑。すっかり転校生と仲良しみたいだな。いいことだ」
「え、ええ、はい」

 先生は一瞬だけ崇春と百見を見、すぐに目をそらして言った。
「あー、二人ともぉ。急な転校で大変だと思うが、他の子とも仲良くなぁ。それと我が校の校訓、それに外れることのないように。……遅くなる前に帰れよ。あんなことになってる生徒も出てるしな」

 先生はすぐにきびすを返す。どうも返事をされる前に立ち去りたかったようだが。

押忍オス、ごっつぁんじゃあ先生! 南無阿弥陀仏なむあみだんぶ南無阿弥陀仏なむあみだんぶ!」
 崇春がその背に大声を浴びせ、合掌した。

先生はびくり、と肩を震わせ、振り返ることなく足早に去った。
 かすみは思わずため息をつく。大変なのは先生の方だ、そう考え。同時に思った、なぜ一クラスに二人も転校生が来たか――きっと崇春一人よりは、その扱い方を知った百見がいる方がましだ。そう判断されたのだろう。



 三人で町を歩く。空は薄く雲が出て、暑くもなく寒くもない。
 そういえば中学生の頃、街中から転校してきた子が「ここは無駄に空が広い」と言っていた。言われて見れば確かに、この町に三階建て以上の建物は数えるほどしかない。学校と役場の他は会社のビルとマンションがいくつか、という程度。大きなスーパー――ショッピングモール、と言うほどの規模ではない――も二階建てだ。学校の最寄り駅にも駅ビルなんかはなく、そもそも無人駅だ。

 広い空に錫杖の音を響かせ、三人で道を行く。辺りには民家と、田植えを終えたばかりの水田が広がる。

「すみません、なんか……田舎で」
 かすみがそう言うと、崇春が口を開いた。
「いいや、ええ所じゃないかい。空気が美味い、食いもんも美味い! のう百見」
 百見は呆れたように首を横に振る。
「君は何を食べた上で言っているんだ? この町に着いて、学食の他はカップ麺とコンビニのパンぐらいしか食べていないだろ! まったく、もっと早く着いておけば自炊ぐらいできたろうに……転校前夜に到着する奴があるか」

 そういえば、昨日の崇春はずいぶんな大荷物を背負っていた。あれは引越しの荷物というわけか。

 かすみは言う。
「でも、自炊って。ご家族はまだ越して来てないんですか?」
「ああ、この町に来たのは僕たちだけだ。今は部屋を借りて住んでいる」
 崇春が歯を見せて笑う。
「おうよ、今流行りのシェアハウスっちゅうやつじゃい!」
 まだ流行っているのかどうかは分からないが、それにしても高校生だけで生活なんて。うらやましくはあるが、何か事情があるのだろう。

 百見が息をつく。
「家族世帯用のアパートを二人一緒に借りてるだけだろう……大体、三日前に駅で合流する予定だったろう。何で僕一人で掃除や荷解きをしなければいけなかったんだ」
 むう、と崇春が唸る。
「仕方あるまい。旅の道すがら、見かけた寺社に参りながら来たけえのう。ちいと道に迷うてしもうたが」
「信仰を忘れないのは結構だが、待ち合わせのことも忘れないで欲しかったね」
「あの」
 かすみは思わず口を挟む。
「そもそも……駅で待ち合わせなんですし、電車で来れば良かったんじゃあ……」

 崇春がしばし動きを止め、それから口を開く。遠く空を見上げながら。
「ふ……わしゃあ、仏教な男じゃけえ……」
 どうも『不器用な男』と言いたいらしい。

 そうこうするうち、地蔵像のある場所についた。
 田んぼ横の道路、信号もない小さな交差点の脇にその地蔵はあった。何の変哲もない石地蔵。古いものではあるようだが、歴史的と言えるほどの古さかは分からない。一応、形としては錫杖と宝珠を手にしており、昨日の地蔵と同じではあった。

 崇春は地蔵に正対すると、大きな音を立てて合掌し――神社に参るような拍手かしわでを打ったわけではないが――目をつむる。
 百見も静かに合掌する。かすみも小さくそれにならって、その後で言う。
「とりあえず、一番近くのはこれだと思いますけど……普通の、お地蔵さんですよね」

 百見がうなずく。
「ああ、頭髪は僧形――僧のように頭を丸めた姿――、持物じぶつ錫杖しゃくじょう如意宝珠にょいほうじゅ。ごく一般的な形の、何の変哲もない地蔵像だね」
「そもそも、何がどうなってたらあの地蔵に関係あるんですか?」
 ふむ、と百見は息をつく。
「それについては、僕もはっきりとしたことは言えないね。とにかく、何か異常があれば手がかりになると考えている。たとえば移動したような形跡や、あるいは大きな破損。そう、昨日は崇春が地蔵の顔を殴ったそうだね。その跡があっても面白い」
「それって、こういうお地蔵さんが歩き出して、昨日みたいなことをしてるってこと……ですか?」

 かすみは改めて、目の前の石地蔵をまじまじと見る。やはりただの、ごく普通の地蔵だ。少なくとも、百見の言うような痕跡は見当たらない。

 百見は肩をすくめた。
「さて、ね。ただ、崇春が本気で殴ったとすれば、石地蔵だって無傷では済まないさ」
 ふ、と崇春が口の端を上げる。
「そうよ。何せ、わしのパンチは時速……二トン!」
 かすみは何度か目を瞬かせて崇春を見た。その後、同じ表情で百見を見た。
 百見はかぶりを振る。
「気にしないでくれ。彼は馬鹿なんだ」
 でしょうね、と思ったが、口にはしなかった。

 再び次の地蔵へと向かった。少し歩いてアーケード街へ入る。と言って、都市部にあるような立派なものとは比べるべくもない、所々に薄錆びの浮いた骨組み、日差しを白く遮るのは半透明のトタン材。
 そもそも商店街と言っていいのか、開いている店が数えるほどしかない――理髪店、お好み焼き屋にうどん屋、学生服の取り扱いだけで採算を取っているのだろう服飾店には、煮しめたような色か派手すぎる柄の婦人服しか並べられていない。同じような営業形態らしい本屋は、店舗の半分が教科書の倉庫みたいな有様だ――。その他道の両側には、埃の積もったシャッターを閉めた元店舗が並んでいる。
 物珍しげに辺りを見回す、百見の視線が気恥ずかしくて。かすみは目的地へ歩みを速めた。

 やがて着いたのはアーケード街の片隅。小さな交差点の脇に、先ほどのよりも小柄な地蔵が並んでいた。その数は六体。

 先ほどのように三人で合掌した後、かすみは聞く。
「どうですか」
「ふむ……」

 一体ずつ地蔵に近づき、裏表を観察しながら百見が口を開く。
「ところで、これも先ほどのものも立像りゅうぞう、立った姿の仏像だが。坐像ざぞう、座った形の地蔵像を見たことがあるかい」

 急に言われると自信はないし、そもそも注意して地蔵を見たことなどないが。
「ない……ですかね。よく覚えてはないですけど」
「だろうね、坐像の作例も無いわけではないが。地蔵菩薩に限っては、圧倒的に立像が多い。その理由は、この地蔵が六体セットになっていることとも関係している」

 地蔵を見ながら百見は続ける。
「六体あるのはそれぞれが、六道りくどう――人間が生まれ変わっていくと考えられている六つの世界――の、全てにおいて救いをもたらすことを示している。神々の天道、人の人道、争い絶え間なき修羅道。本能に生きる獣の畜生道、飢えに苦しむ餓鬼道、そして厳罰の地獄道。その全てに分け隔てなく、ね。そして立像なのも、六つの世界を休むことなく巡って救いをもたらしている、という意味があるのだね。旅する僧侶のように錫杖を携えているのも同様だ」

 崇春がなぜか自慢げに錫杖を鳴らす。
「そうさの、わしとお揃いじゃあ!」
 百見は眼鏡を指で押し上げ、地蔵から身を引いた。
「ま、今のは余談だ。ここも特に変わった点は見当たらないね」

 次に向かったのは小さなお堂。細い川沿いの道路脇に建てられたそれは古い木造で、屋根をく瓦も所々剥げ落ちている。

辺りに生い茂る草をかき分け、木の格子で造られた扉を引き開ける。次の瞬間、かすみは声を上げていた。
「あ」
 お堂の奥、床の間のように一段高くなったそこに座している、古い石の仏像には。首が無かった。

「これ……これじゃないですかね、これ! 首が無いなんて、崇春さんのパンチで壊れたとか……どうですかね、ね!」

 思わず指差す、かすみの声にも構わぬように。百見はあごに手を当て、お堂の外で仏像を見ていた。しばらくの後靴を脱ぎ、お堂の板の間に上がる。顔を近づけ、像を見ながら言った。
「君。まず、この仏像に首があったのを見たことが?」
「え」

 言われてみれば。お堂があるのは知っていたが、中に入ったことはない。仏像も特に注意して見たことはなかった。首があったかどうかも、はっきりとは分からない。

「首の割れ跡は新しいものではないようだし、埃も積もっている。少なくとも昨日壊れたものではないようだ。極端な話、お堂に安置された時点でこの状態だった可能性もある。そもそもこの像、地蔵菩薩なのかい? 誰かに聞いたことでも?」

 仏像――座った形のそれは相当に古く、両手の部分も欠けている――を示して百見は続ける。仏像のそこかしこを観察しながら、若干早口で。

「地蔵菩薩として坐像は珍しいし、頭部が欠けている以上僧形かどうかも分からない――頭を丸めている仏像ならまず地蔵菩薩、まあ神仏習合の僧形八幡大菩薩、あるいは仏弟子や弘法大師なんかの羅漢・高僧像もあるわけだが――。それに手が欠けている、これは痛い。頭や体のデザインが似た仏はそれこそ大量にいるから、それぞれの仏を象徴する持物じぶついん――指のポーズ――で判断するのだけれど。古い仏像はそこが欠けて、何の仏か特定できない例が往々にしてある訳だ。首飾りのような装飾品がないことから如来か地蔵菩薩、あるいは高僧像とは思うのだけれど――待てよ、地蔵菩薩には装飾品がある作例も――。あるいは素人が漠然と仏を彫ったか――いや、しっかりとした彫りだからそれはないか、仏師か少なくとも石工によるもの――で、この石仏について何か聞いたことは、聞いたことはないかい?」

 かすみはお堂の外でいたが。気づけば、何歩か後ずさっていた。目をそらしながら言う。
「いえ、特に聞いたことは……これがお地蔵さんかどうかも……なんだか、すいませんでした」

 そんなやり取りに構うこともなく崇春は草鞋わらじを脱ぎ、板敷きの間に上がった。足音も高く――古びて色あせた床は一歩ごとにたわみ、軋む音を立てた。雨漏りの跡や穴の空いた箇所もある――お堂の中を歩き、辺りを見回しながら言う。

「むう……何の仏か分からんのは残念じゃが。しかし、ここならちょうどええわい」
 仏像の前に、どかり、とあぐらをかくと。懐から取り出した大振りな数珠を左手に掛け、両手を合わせた。
佛説摩訶般若ぶっせつまかはんにゃ心経しんぎょう! 観自かんじ在菩ざいぼさつ――」

 突然のお経――般若心経というやつか――が、朗々とお堂に響き渡った。誰もいないとはいえ当然周囲にも。大音量で。

「ちょ……え?」
 助けを求めるように百見を見ると、なぜか腕組みをしてしきりにうなずいている。
「ふむ……さすが崇春、相変わらずいい読経どきょうだ」
 確かにいい声だ。いい声だが、そういう問題ではない。

 百見はお堂の中を見回しながら言った。
「周りの草むらを見てもそうだが、やはり全く手入れされていないな……人の管理を離れているとすれば、逆にこうして経を上げに来るにはいいかも知れない」
「え?」

 意味が分からずかすみが目を瞬かせていると、百見は眼鏡を指で押し上げながら言った。
「ええい、君は分からんのか! アパートの薄い壁で朝夕の読経などしていたら、ご近所の迷惑になるだろう! 今朝も早速隣の人に怒られたんだぞ!」
「は、はあ……」

 程なく読経が終わったのか、崇春の声が止んだ。目を閉じて力強く合掌したまま、満足げに息をつく。
「ふう……少しばかり目立ってしもうたかのう。さて、もう一丁――」
「待て」
 そう言った、百見も内ポケットから数珠を取り出す。
「僕もやろう。ここしばらく、引越しのごたごたでまともに経を上げていなかったしね」
「おう! では共にやるか! 佛説摩訶般若ぶっせつまかはんにゃー……」

 熱のこもったお経の上がるお堂から、わずかに距離を取りながら。この二人について来てよかったのかと、かすみは考え始めていた。

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