あはれの彼方

宮島永劫

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挿話 雷山入山の手引き

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 中島は自分が経営している店や宿の状況把握のために折を見て大坂を訪れる。そのついでに馴染みの版元と交流した。五代将軍・徳川綱吉の頃に上方を中心に発展した町人文化の元禄文化は人間性を重んずる町人気質を特徴としており、殿の好みに合っていた。娯楽に徹し、当世の風俗や人情を描いた浮世草子を殿は好んで読んでいた。とりわけ井原西鶴の『好色一代男』を愛読していた。殿のために、そして自分のために中島は商売の儲けのお小遣いで浮世絵、読本、西洋医学など様々な種類の書を手に入れた。書院の『あはれの彼方』の棚に目利きとしての成果が増えることは書院の主として特別な喜びだ。
「中島ぁ、暇だぁ」
「中島ぁ、山田藩に戻りたぁい」
参勤交代で江戸に蟄居している殿の暇つぶしにこれらの書や絵を送っていた。色男の殿は中島の用意する書や絵により当世きっての風流人・文化人であった。
 大坂から馬を走らせる。遠くからでも雷山の頂は確認できた。雷山から吹き下ろす風はひんやり心地よい。山田藩まであと一里のところで、前方に平伏す者を見つけた。
「中島様ぁ!」
と呼ぶ旅の男は笠を目深に被り、布で皮膚を露出しないようにしていた。人前に出るのをはばかる病に罹っていることがすぐに分かった。
「中島様、お止めして申し訳ありません。中島様に御礼を申し上げたくて。やっと山田藩に伝わるわらべ歌の意味が分かりました。この歌は中島様が私どものためにお作り下さったのですね」
「関所には伝えてあります。他の通行者のいないときにこっそり入ってくださいね」
中島は優しく伝える。布でぐるぐる巻きの顔は腫れた目しか分からないが、そこから涙が零れ落ちている。
「病にしたときに、このまま一人、江戸で果てるものと諦めておりました。よもや雷様の懐に入れるとは思ってもみませんでした」
「山田藩に生まれたものの特権です。宮本殿が人別改でしっかり管理して下さっているからですよ」
中島はさらに続ける。
「山田藩としましては雷山の片づけをお願いしています。これからが大変です。山にいるものたちと協力してください。雷様の懐は深く優しいので安心して下さい。それでは」
中島は一礼して、馬を走らせた。男はずっと平伏していた。
「天明のときのような飢饉が再び起きねば良いのだが・・・」
中島は雷山に向かって馬を無我夢中で走らせた。
  災患さいかんあいりてのがるべからず
災いはやってくる、なんとか踏ん張らねば・・・。

  漂う香りに導かれ
   稲妻のあとを辿りゆく
    もう気にせんでよい
     もう気にせんでよい
      闇の森で静かに生きよ
       雷様の息吹に触れて
        身も心も浄められる

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