14 / 15
挿話 雷山入山の手引き
しおりを挟む
中島は自分が経営している店や宿の状況把握のために折を見て大坂を訪れる。そのついでに馴染みの版元と交流した。五代将軍・徳川綱吉の頃に上方を中心に発展した町人文化の元禄文化は人間性を重んずる町人気質を特徴としており、殿の好みに合っていた。娯楽に徹し、当世の風俗や人情を描いた浮世草子を殿は好んで読んでいた。とりわけ井原西鶴の『好色一代男』を愛読していた。殿のために、そして自分のために中島は商売の儲けのお小遣いで浮世絵、読本、西洋医学など様々な種類の書を手に入れた。書院の『あはれの彼方』の棚に目利きとしての成果が増えることは書院の主として特別な喜びだ。
「中島ぁ、暇だぁ」
「中島ぁ、山田藩に戻りたぁい」
参勤交代で江戸に蟄居している殿の暇つぶしにこれらの書や絵を送っていた。色男の殿は中島の用意する書や絵により当世きっての風流人・文化人であった。
大坂から馬を走らせる。遠くからでも雷山の頂は確認できた。雷山から吹き下ろす風はひんやり心地よい。山田藩まであと一里のところで、前方に平伏す者を見つけた。
「中島様ぁ!」
と呼ぶ旅の男は笠を目深に被り、布で皮膚を露出しないようにしていた。人前に出るのを憚る病に罹っていることがすぐに分かった。
「中島様、お止めして申し訳ありません。中島様に御礼を申し上げたくて。漸と山田藩に伝わるわらべ歌の意味が分かりました。この歌は中島様が私どものためにお作り下さったのですね」
「関所には伝えてあります。他の通行者のいないときにこっそり入ってくださいね」
中島は優しく伝える。布でぐるぐる巻きの顔は腫れた目しか分からないが、そこから涙が零れ落ちている。
「病に臥したときに、このまま一人、江戸で果てるものと諦めておりました。よもや雷様の懐に入れるとは思ってもみませんでした」
「山田藩に生まれたものの特権です。宮本殿が人別改でしっかり管理して下さっているからですよ」
中島はさらに続ける。
「山田藩としましては雷山の片づけをお願いしています。これからが大変です。山にいるものたちと協力してください。雷様の懐は深く優しいので安心して下さい。それでは」
中島は一礼して、馬を走らせた。男はずっと平伏していた。
「天明のときのような飢饉が再び起きねば良いのだが・・・」
中島は雷山に向かって馬を無我夢中で走らせた。
災患相寄りて逃るべからず
災いはやってくる、なんとか踏ん張らねば・・・。
漂う香りに導かれ
稲妻のあとを辿りゆく
もう気にせんでよい
もう気にせんでよい
闇の森で静かに生きよ
雷様の息吹に触れて
身も心も浄められる
「中島ぁ、暇だぁ」
「中島ぁ、山田藩に戻りたぁい」
参勤交代で江戸に蟄居している殿の暇つぶしにこれらの書や絵を送っていた。色男の殿は中島の用意する書や絵により当世きっての風流人・文化人であった。
大坂から馬を走らせる。遠くからでも雷山の頂は確認できた。雷山から吹き下ろす風はひんやり心地よい。山田藩まであと一里のところで、前方に平伏す者を見つけた。
「中島様ぁ!」
と呼ぶ旅の男は笠を目深に被り、布で皮膚を露出しないようにしていた。人前に出るのを憚る病に罹っていることがすぐに分かった。
「中島様、お止めして申し訳ありません。中島様に御礼を申し上げたくて。漸と山田藩に伝わるわらべ歌の意味が分かりました。この歌は中島様が私どものためにお作り下さったのですね」
「関所には伝えてあります。他の通行者のいないときにこっそり入ってくださいね」
中島は優しく伝える。布でぐるぐる巻きの顔は腫れた目しか分からないが、そこから涙が零れ落ちている。
「病に臥したときに、このまま一人、江戸で果てるものと諦めておりました。よもや雷様の懐に入れるとは思ってもみませんでした」
「山田藩に生まれたものの特権です。宮本殿が人別改でしっかり管理して下さっているからですよ」
中島はさらに続ける。
「山田藩としましては雷山の片づけをお願いしています。これからが大変です。山にいるものたちと協力してください。雷様の懐は深く優しいので安心して下さい。それでは」
中島は一礼して、馬を走らせた。男はずっと平伏していた。
「天明のときのような飢饉が再び起きねば良いのだが・・・」
中島は雷山に向かって馬を無我夢中で走らせた。
災患相寄りて逃るべからず
災いはやってくる、なんとか踏ん張らねば・・・。
漂う香りに導かれ
稲妻のあとを辿りゆく
もう気にせんでよい
もう気にせんでよい
闇の森で静かに生きよ
雷様の息吹に触れて
身も心も浄められる
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
あはれの継続
宮島永劫
ミステリー
一人の学芸員が行方不明になった。その学芸員はある美術品を追って片田舎の山田村に入ったらしい。その山田村は財政が健全で、美しい町並み、手つかずの自然が残っている。そこに目を付けた隣の市長・酒井は国から財政優遇措置を受けるため『平成の大合併』という名の侵略を企む。拒む山田村村長・宮本に対し、県知事・柳沢、秘書・柳生、秘境映像を狙うTVディレクター・水野、美術品を狙う学芸員・田沼など欲の深い人間が攻めてくる。祖父の田舎・山田村を守るために主人公・中島良文が立ち上がる。『あはれ』と美術品を巡る青春ミステリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
コドク 〜ミドウとクロ〜
藤井ことなり
ミステリー
刑事課黒田班に配属されて数ヶ月経ったある日、マキこと牧里子巡査は[ミドウ案件]という言葉を知る。
それはTMS探偵事務所のミドウこと、西御堂あずらが関係する事件のことだった。
ミドウはマキの上司であるクロこと黒田誠悟とは元同僚で上司と部下の関係。
警察を辞め探偵になったミドウは事件を掘り起こして、あとは警察に任せるという厄介な人物となっていた。
事件で関わってしまったマキは、その後お目付け役としてミドウと行動を共にする[ミドウ番]となってしまい、黒田班として刑事でありながらミドウのパートナーとして事件に関わっていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる