13 / 15
寛政六年 加文寺僧侶の失踪事件
しおりを挟む
調書
寛政六年七月二十日
山田藩 町奉行所
出席者
吾空 加文寺 僧侶
護章 加文寺 僧侶
八諧 加文寺 僧侶
宮本啓一郎 山田藩 寺社奉行
宮本慎一郎 山田藩 寺社奉行所役人
宮本恒一郎 山田藩 寺社奉行所役人
大岡金四郎 山田藩 町奉行
若木桃太郎 山田藩 町奉行所役人
立花十兵衛 山田藩 関所 伴頭
江戸川根八 山田藩 関所 横目付
太助 山田藩 捜索手伝
平次 山田藩 捜索手伝
新左衛門 山田藩 飯処一休 店主
おサヨ 山田藩 飯処一休 女将
弥次郎 山田藩 農民
喜多八 山田藩 農民
中島良房 山田藩 国家老
事件
七月三日 未明
加文寺僧侶五名 失踪
失踪者
加文寺僧侶 五名
恵理芭 牟張 佐甲 穂石 叙空
捜索者
宮本慎一郎 山田藩 寺社奉行所役人
宮本恒一郎 山田藩 寺社奉行所役人
若木桃太郎 山田藩 町奉行所役人
その他 山田藩役人多数
平次 太助 山田藩 捜索手伝
吾空 護章 八諧 加文寺僧侶
証言
関所 伴頭 立花十兵衛
七月一日 巳の刻
失踪者五名は観光を希望
山田藩は野宿禁止であることを
伝えると 関所閉鎖前には戻る
と約束したことより通行を許可
同日 酉の刻
閉所時間に戻ってこなかったため
町奉行所 寺社奉行所に番士を送り
失踪者五名の対応を依頼した
関所 横目付 江戸川根八
立花十兵衛と同じ
農民 弥次郎
七月一日
作業中に五人の僧侶より宿泊所を
教えろと言われる
宿はあるが予約が必要で当日の
宿泊は断られる
と伝えたところ舌打ちされる
農民 喜多八
弥次郎と同じ
飯処一休 店主 新左衛門
七月二日 午の刻
失踪者五名で来店
まずい
加文寺の末寺を建立する
末寺が出来たら山田寺は廃寺になる
加文寺の信者になれ
巷で恐れられている雷山を従えたら
加文寺の名声はますます広まる
と言われる
飯処一休 女将 おサヨ
新左衛門と同じ
山田藩 寺社奉行 宮本啓一郎
七月二日 申の刻
失踪者五名で山田寺に現れる
参拝することなく 山田寺を
汚い寺
みすぼらしい
既に廃寺
と貶す
山田藩 寺社奉行所役人 宮本慎一郎
七月一日 酉の刻
関所番士より
失踪者五名が立入禁止区域の
古戦場に侵入したとの報告あり
古戦場の近くで一晩中見張るが
動きなし
七月二日 巳の刻
失踪者五名が立入禁止区域の
古戦場より町中へ移動
同日 酉の刻
失踪者五名が立入禁止区域の
古戦場に入り再び野宿
古戦場の近くで一晩中見張るが
暗夜のため動きは不明
ただし此方側に出てくること無
七月三日
夜が明けても古戦場から出てくる
気配がなく 関係者で五名を捜索
したが発見できず
七月二十日
加文寺僧侶 吾空 護章 八諧より
失踪者五名の捜索依頼を受ける
飯処一休
山田寺
古戦場
雷山神社
に行く
雷山神社の石段七十段目 柊の根元
加文寺信者募集の冊子発見
石段百段目の脇に焚火の跡あり
神聖な領域 かつ 火気厳禁にも
関わらず 焚火をし
拝殿の御神酒を盗む
失踪者五名の行為 悪質極まり無
宮本恒一郎 山田藩 寺社奉行所役人
七月一日 酉の刻
関所番士 および 平次より
加文寺僧侶五名が立入禁止区域の
古戦場に侵入したとの報告あり
山田藩国家老 中島良房に報告
七月二日
早朝より五名を追跡
藩中散策
午の刻 飯処一休で食事
申の刻 山田寺を一瞥
酉の刻 古戦場に入り 再び野宿
山田藩国家老 中島良房に報告
七月三日
奉行所開所時 五名が行方不明との
報告を受ける
山田藩役人が総出で五名を捜索
七月四日
再び捜索 日暮れを以って捜索終了
七月二十日
宮本慎一郎と同じ
若木桃太郎 山田藩 町奉行所役人
宮本恒一郎と同じ
判決
大岡金四郎 山田藩 町奉行
失踪者 加文寺僧侶 恵理芭
牟張
佐甲
穂石
叙空
関所伴頭 立花に観光と偽り
立花より野宿禁止と言われ 了承した
にも関わらず 加文寺末寺建立企ての
ために山田藩内を徘徊し
立入禁止区域内の古戦場にて野宿する
神聖な領域 かつ 火気厳禁の
雷山神社での焚火に加え
拝殿の御神酒を盗む
五名の所行は 悪質極まりないと考え
発見された際には断罪に処す
追記
中島良房 山田藩 国家老
江戸幕府 寺社奉行所
加文寺を管理下に置く玄間藩
藩主 林田様
に本件の詳細を報告する
山田藩 国家老 中島良房
⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡
寛政六年(一七九四)七月一日、山田藩関所に五人の僧侶が現れた。刺繍を施した色とりどりの法衣をわざと着崩し、胸元にキラリと光る飾りを見せびらかす。仏に仕える身とはとても信じがたく、野心を抱いている様子がありありと分かる。僧侶というよりは軽佻浮薄な遊侠の徒、歌舞伎者だった。加文寺の僧侶・恵理芭、牟張、佐甲、穂石、叙空の五名が山田藩関所にやって来たのは巳の刻、山田藩を観光したくて来たと言う。身元を証明する通行手形には加文寺の大僧正・道鏡の名が書かれ、印が押してある。断る理由はなく、関所伴頭・立花十兵衛は通すしかなかった。立花は山田藩にある宿泊施設は予約制のため当日の宿泊は受け付けないこと、野宿は禁止のため関所を閉門する酉の刻までに必ず戻ってくることを口酸っぱく伝えた。五人は薄ら笑いを浮かべながら面倒くさそうに立花に
「はいはい、分かりました。夕方に戻ってきますよ」
と約束した。立花の補佐である横目付・江戸川根八の手続きが終わると
「ちぇっ」
「面倒くせぇ」
と聞こえよがしに舌打ちして山田藩中心部へと向かって行った。五人の姿が見えなくなると立花は番士二人に五人の尾行を命じた。
山田藩の中心部に向かう途中、恵理芭ら五人は畑で雑草を抜いている農民・弥次郎と喜多八に宿泊する場所はないかと聞いた。宿がないと言い張る関所の立花を疑っていたからだ。弥次郎と喜多八は
「雷山神社の入り口に宿がありますがねぇ」
「あぁ、あそこは予約制だって聞いてますぜ」
「お坊さん、急に行っても無理でしょう。断られるでしょう」
と伝えた。二人の話で山田藩には本当に当日泊れる宿がないと分かり、五人の僧侶は驚きとともに
「ちぇっ、本当につまんない所だ」
と舌打ちし、山田藩を軽蔑した。山田藩の整備の行き届いた美しい景観は見る者の目を奪うが、歌舞伎者のような僧侶にとって景色など興味の対象外だ。五人は賑わいを求めて山田藩の中心部の城下町に向かった。城下町に入り、ウロウロしてはみたものの朝市は終わっていたし、客引きをするような店はなく目新しいものがない。山田藩には看板を掲げるほどの大店はなかった。中心部なのに人気がなくめぼしいものは何もない、つまらなくなった五人は日が暮れる前に雷山山系の立入禁止区域の古戦場に入っていった。しばらくすると騒ぎが途絶えた。旅の疲れか、寝てしまったようだった。
「今は町奉行所役人二人と太助、宗右衛門の四人が見張っています」
関所の番士と平次が加文寺僧侶五人の行動を町奉行所と寺社奉行所にいる役人たちに伝えた。
「はぁ、馬鹿ですねぇ。仕方ない、見回りに行きますか」
私・宮本恒一郎は思わず不満を口にした。無謀な人たちにはうんざりする。父・宮本慎一郎が後ろから口を挟む。
「今から私が古戦場に行きます。面倒なことを起こされても困りますからね」
父の顔は悲しそうだ。父の反応は曾祖父、祖父、私とちょっと違う。何かあると短気な宮本三人は文句を言って騒ぎ散らすが、父は動じることはない。その目には悲しみと憐れみを湛えている。
「明日と明後日は朝からよく見張って下さい。明日は空腹のために早い時間帯に町にやってくるでしょう。住民の皆さんの安全が第一ですから、みんなで気を付けるようにしましょう。まぁ、二日間のうちにいつものことが起きるでしょう」
ん? 二日間? いつものこと?
「では、私たちは関所に戻ります。立花殿も江戸川殿もさぞ困っておられるでしょうから」
番士は私たちに一礼をすると関所に向かった。山田藩は野宿禁止にしているから戻ってこない五人に関所の役人は気を揉んでいるだろう。次は平次が話し始めた。
「宮本様、分かりました。町の取りまとめ者、店を営む者に伝えます」
「あぁ、もう遅いですから伝達は夜が明けてからで大丈夫です。明日は忙しくなるので今夜は静かに休んで下さい。平次が誰よりも頼もしいのは知っていますが自分を大事にして欲しいです」
「宮本様、私には勿体ないお言葉です」
父は誰にでも丁寧語を使う。優しい父、人気者は違うなぁ。
「山田藩の皆さんに夜は外出禁止とお願いしている身分なのでね。それに、雷様に睨まれるかもしれませんからね」
「そうですね、舐めてかかると禍が降ってきますからな、身内とはいえ」
父と平次は含み笑いをした。
「ご苦労様でした。すみませんが明日と明後日は夜明けとともによろしくお願いします」
「分かりました。帰ってさっさと寝ます。それでは宮本様、失礼致します」
平次は去っていった。
「恒一郎、今から中島殿のところに行って、番士と平次に説明した内容と私が今から古戦場に見張りに行くことを報告してきてくれ」
それにしてもさっきの話・・・。
「中島殿への報告の件、了解しました。父上、さっきの『二日間のうちに』とはなんのことでしょう」
父は私をじっと見た。祖父なら怒りながらもすぐに答えてくれるのに・・・。沈黙が続く。私は父のことが分からない、不気味な感じというか・・・、物凄く深い闇があるような気がする。養子とはいえ親子、肌合いの違いでは終わらせたくないが違い過ぎる、目が合わせられない。ようやく重い口が開く。
「お前は宮本家の世継ぎ、これまで人生の中で起こった事件を思い返してみよ。そして推測しろ。宮本家の世継ぎは頭を巡らし、察する能力を養わねばいかん。山田藩が良からぬことに巻き込まれぬために」
書物狂の中島良房殿は書院の『あはれの彼方』に入っていた。朝から日暮れまで書に親しむ、というよりは取り憑かれているような感じだ。中島殿は書院長の仕事として山田藩であったことを全て記録している。中島殿の影響を受けて藩主の神山様も書物が大好き、当代きっての風流人、文化人だ。神山様は教育のためには金を惜しまないので山田藩には文盲がいない。その成果は山田藩を離れた人間の振舞いに現れた。どの人間も勤勉で山田藩の名を汚すような厄介者はいなかった。私は三年前から藩校と寺子屋で武道と歴史の授業を受け持っているために武道関係の本や歴史書を繙くことがある。その時に必ず思うのは、住民が勤勉なのは途切れることなく続く中島家が影響している、ということだ。中島殿に調べたい項目が書いてある資料をお願いすると書庫から山のように持ってくる、それも嬉々として。
「知識は人を強くします。ぜひ知識を深めてください。それらは頭の奥に記憶されます。時間が経っても思い出せるようにして下さい」
国家老という偉い地位にありながら薬院の見学も女性への山田藩政策説明も自ら喜んで実施している。記憶させるためには力を惜しまない。
「そうですか。お父上の慎一郎殿が見張っていて下さるならば安心ですね」
私の話に中島殿は動じなかった。父と同じだ、何事にも動じない。中島殿は自身が管理する薬院に行く途中、父に会いにわざわざ寺社奉行所に寄る。父は誘われると一緒に薬院に向かう。父は中島殿のお気に入りだ。宮本家の中でも父は中島親子に愛されている。曾祖父が二人の歩く姿を見て言ったことを思い出す。
「中島良房殿の父親・中島孝明殿が幼い慎一郎を気に入ってのぉ。中島孝明殿は今は江戸家老だが、確か宝暦六年(一七五六)だっだか、国家老のときに慎一郎と出会い、その時から慎一郎の手を取り、四六時中付き添わせていた。そういうことになったのも私と啓一郎が困っていたからだ。屈託なく笑う慎一郎は他の子どもと比べ、極端に言葉が遅かった。今でも口数は多くないだろう。私と啓一郎は慎一郎が耳の聞こえがよくない聾唖かと疑った。頭の作りや発達に問題があるのかとも疑った。宮本家の世継ぎは寺社奉行所の役人、話すことが必須だ。それなのに話すことがない慎一郎に私たちは焦った。育てることに不安を抱いた私たち二人に対して、中島孝明殿は慎一郎を一目見た途端、飛び上がって喜んだ。『あはれなり! この子は特別な宮本ですよ!』と。慎一郎はこの屋敷の中にいる宮本でもぶっちぎり変わっている。戦うことが嫌い、稽古が大嫌いだった慎一郎に対して私も啓一郎も怒りたかったが、中島孝明殿にくっついていたから何も注意できなかった。武芸全般を免除してもらうなんて宮本家で始まって以来だ。それも殿からの直々の武芸禁止命令だ。本当にありえない。中島殿と言えばいろんな肩書を持つが、私が最初に思い浮かぶ姿は国家老でもなく、薬院長でもなく、書院長で『あはれの彼方』の管理者だ。その管理者にくっついていた慎一郎は山田藩の歴史はもとより中島家が代々集めた文芸作品を片っ端から読み漁っている。だから本好きの中島殿と話が合う。薬院関係では『大和本草』や『救民妙薬』などの専門書を読み込んで植物を操れるまでになっておる。薬院の隣に慎一郎が自ら建てた温室で砂糖黍など暖かい地方でしか育たない植物を栽培しているほどだ。宮本家の人間は喜怒哀楽が激しいのが特徴なのだが、いつも『えへへ』と笑っている慎一郎は喜と楽しかない。あっ、哀といえば腹が減って死にそうな時とお菓子が無くなったときに泣きそうになっておるな。才走っているうえに面白いこと、エロいことをこよなく愛する中島孝明殿が慎一郎をバカにした。いや、中島孝明殿がとんでもないバカだから二人揃ってバーカバカだ。お前には理解しづらいだろうが慎一郎は私たちとは生い立ちが違う。私と啓一郎にとっても慎一郎は理解不能だよ」
今の国家老・中島良房殿と父は年齢も近いこともあり幼い時から仲良しなのは年配の人ならみんな知っている。二人の仲よさそうな姿を見てみんな嬉しそうだ。天才肌かつ努力を惜しまない二人と比較すると自分の至らなさを認めざるを得ない。
「昔の記録に同じような事がありますよ、やっぱり、野営をするのは古戦場ですね。大昔、敵が陣を構えたんですよ。藩校で習いましたよね」
中島家は生き字引、山田藩のことならなんでも間髪入れず詳しく話し出す。昔の記録も中島殿のご先祖が記したものだ。その記録によると、群雄割拠する戦国時代、武将・鳥居幹三が我が殿の先祖に全面降伏をさせようと軍を率いて押し寄せてきた。鳥居は密偵により、山田国には武士が少なく戦闘能力を欠いていることを知った。整備された美しい景観を無駄に荒らすことはない、そっくりそのまま得ようと話し合いを申し出た。わざわざ軍を率いてきたのは威嚇のためだ。山田城城主・神山は敵の使いに対し、『明日 山田城で話し合いの場を設ける』と伝えた。それに気をよくした前夜、野営先で宴が催された。野営するのに格好なその場所は雷山山系の山際の森の空き地『古戦場』だ。住民は絶対入らない立入禁止区域だ。翌日、話し合いは開かれなかった。その場所で全員、勝手に死んでいた、と。
「私は恒一郎殿が教えてくれたことを書にして江戸に送りますよ。大変ですが、騒ぎが起らぬよう明日と明後日の二日間は山田藩内で目を光らせて下さい」
二日間・・・、やっぱり・・・。私は静かに書院を辞した。
人生の中で起こった事故を思い巡らす。私は見た、十九歳の時、目の前で越後屋吉右衛門が崖の下に落ちていったのを。その事故では祖父はいなかったから祖父は関係ない。だが、父は先頭だった。私もいたが手をかけていない、だって転落事故の瞬間は太助と一緒にいたから。雷山神社で待っていた十六歳の時は崇同院の法慧が帰ってこなかった。この時は祖父と父が関わっていた。その時に見た過去十年分の雷山神社の記録帳、宮本家が関わると誰か一人いなくっていた。しかし、今回の五人は雷山に入山していない。今夜の居場所は立入禁止区域、そこは過去に戦わずして勝った場所、大量の死者が出た古戦場だ。その場所へ父がさっき向かった。ここで宮本家が関わった。そうなると、また五人のうち誰かが消えるのか? それが明日、明後日の二日間で起こるのか? 父が手にかける? 大体、一人で見張りをするってなんだよ。山田藩で一番強いおじい様よりもはるかに強いと言われる父だが相手は五人、倒せるのか・・・。
七月二日、夜明けとともに屋敷を出て町を見回った。商売の準備をしていたり、洗濯をしていたり、とみんな通常の生活を営んでいた。山田藩の朝は早い。その代わり夜は異様に早い。これは山田藩には燃料になる薪が少ないことによる。私は町の中心部の飯処・一休に行った。
「お早う御座います」
「恒一郎様、お早う御座います。お忙しい中、わざわざ、ご苦労様です」
主人・新左衛門は卵を攪拌する手を止める。女将・おサヨがお茶を勧める。
「恒一郎様がわざわざこんな早い時間にいらっしゃるってことは、例の昨日の五人組のことですかね」
「お茶、頂きます。さっそく噂になっているんですね」
「三日前から変な輩が来るかも、と噂が流れていたんですよ。今朝、水を汲みに行くと太助さんがやって来まして、『今日は面倒くさい五人組がうろつくから極力関わらないように』と言っていました。派手な五人組らしいですね」
「どうやら昨夜は立入禁止区域で野宿したらしいです。腹を空かしているでしょうから今日この店にやってくるかもしれません」
私の言葉に新左衛門は戸惑う。
「恒一郎様、どうすればよろしいでしょう?」
「とりあえず注文されたものを出して下さい。支払いが悪くてもその場は引き下がって下さい。関所・伴頭の立花殿の言うことを聞かない厄介な集団ですから素行が悪いかもしれません。とにかくお二人が怪我のないようにして下さい」
「有難いお言葉です。恒一郎様は大じい様の孝一郎様に益々似てきましたな」
「いえいえ、曾祖父には私など足元にも及びません。ま、何かあったらこの辺りをウロウロしていますので呼んで下さい。ご馳走様でした」
私はお茶を飲み干し、次の店に向かった。
「恒一郎様も立派になられまして」
女将・おサヨの言葉に、店の奥に隠れていた曾祖父・宮本孝一郎は照れる。
「あぁ、町の皆さんでこれからも曾孫を良きように育ててやって下さい。あいつは真面目で堅物で融通が利かなくて困っています。まぁ、鈍感ですな。ちょっと捻くれているのも頭の痛いところです。どうか皆さんで盛り立ててやって下さい」
案の定、昼前に五人は飯処・一休に来た。何かあったら飛び込めるように刀の柄に手をかけ店の外でじっと待つ。町奉行所役人の若木桃太郎殿も一緒に控えている。御用の際に取り押さえるためだ。太助も脇差を帯びている。五人は店内で騒いでいる、下品だなぁ。しばらくして腹いっぱいになった五人は馬鹿騒ぎをしながら店から出てきた。そして雷山神社の方へ歩いて行った。若木殿と太助が五人の後を追った。私は店に入る。店主・新左衛門が聞いた五人の会話の搔い摘むと、
加文寺は全国に末寺を作って信仰を広めている最中だ
山田藩内に末寺を作るために下見に来ている
末寺が出来たら山田藩にある寺院は廃寺になるだろう
雷山の麓に新たに末寺できれば巷で恐れられている霊山雷山をも従えたということで加文寺はさらに名声が上がる
とのことだった。
「食べ散らかす行儀の悪い坊さんから『加文寺のおかげで町も潤うだろうからお前も貧乏から抜け出せるぞ』『信者になったらいいことあるぞ』なんて言われましたよ」
あぁ、面倒くさい輩だ。
「余計なお世話って言いたかったんですけど、そこは我慢しました」
店主はギラギラした僧侶たちが過ぎ去ったことに緊張が解けたか、矢継ぎ早に話した。
「よく我慢して下さいました。それで、支払いの方はどうでした?」
歌舞伎者は弱いものに対して情け容赦ない。威嚇で飯代をチャラにしようとしなかったか?
「勘定は無事頂きました。五人のうちの一人が支払わなくてもいいようなことを言いだしたのですが一番派手な坊さんが『面倒くさいことは起こすなって親分から言われているだろう』と言って自ら払いました。随分、豪勢な生活をしているようですね。店にないものばかり注文しやがるんですよ。鰻とか寿司とか天婦羅とか食通気取りでさぁ。嫌なら食べなきゃいいのにたらふく食べた上に『まずい』と言われました。お父上の慎一郎様は『ほっぺが落ちるぅ』と満面の笑顔で食べて下さるのにね」
「それは大変でしたね」
店主に私は労った。
「料理の文句は言われるし、山田藩は何もないつまらないところだと貶されるし、早く作れと急かされるし、とにかく大変でした。まぁ、何事もなくて良かったです。なんだか疲れました。店内の食べ物はほとんど無くなりました。今日はもう店を閉めます」
新左衛門もおサヨも緊張したのだろう、一仕事終えて草臥れ果てていた。
「本当にご苦労様でした。とりあえずホッとしております。あっ、これ、清めの塩です。後で撒いておいて下さい」
真固度村の塩が入った小さな紙包みを渡し、店を出た。
「曾孫の恒一郎様、ほんとに立派になられて」
おサヨの言葉に店の奥に隠れていた曾祖父・宮本孝一郎は嬉しそうだ。
「世代交代してもいいですかな」
「そんな、若い恒一郎様がかっこいいのはもちろんですが、年上の孝一郎様も素敵です。世代交代にはまだ早いですわ」
「そうですか、私もまだまだイケてますか?」
「そりゃもう、私の世代やそれより上の女性はみんな孝一郎様を慕っております」
おサヨの潤んだ目に宮本孝一郎は微笑む。思い出が二人の脳裏に蘇る。記憶・・・、思い出・・・。
山田寺には祖父・宮本啓一郎が控えていた。目立つ五人は境内をウロウロした。藩主・神山家を始め全ての住人の菩提寺である山田寺は見る者の心を落ち着かせる趣深い立派な建物だった。ところが加文寺の僧侶五人はなにも感じないらしい。本堂を一瞥するだけで、手を合わせることはなかった。
「汚い寺だなぁ」
「みすぼらしいなぁ」
「実はもう廃寺だったりして」
と吐き捨てるように言い放ち、馬鹿笑いした。広間には読み書きを習う子どもたちが集まっていたが興味を示さなかった。和尚のところに寄ることもなく出ていった。見下げられたのだろう。宮本啓一郎はそのまま居残った、子どもたちに危害が及ばないようにするために。
加文寺の僧侶たちは山田寺を出た後は山沿いの薬院、温室を横目に古戦場に戻っていった。五人をずっと見張っている若木殿と太助からは町の八百屋や物売りから食料を購入しなかったと聞いた。夕飯、山のものを盗るのか・・・、住人は山のものを盗らない。山のものを勝手に盗ると雷様にお仕置きされると信じられているから。
若木殿と太助に見張りを任せて、私はいったん町奉行所と寺社奉行所に戻ることにした。町奉行所の役人は見張りに駆り出され出払っていた。寺社奉行所も同様だった。少し腹が減ったので屋敷に戻ると父は早めの夕飯を食べていた。
「これから古戦場で野宿する五人の見張りに行く」
と言う。私は
「同行させて下さい」
と願い出た。
「駄目! お前は騒がしい。気付かれる」
と速攻で断られた。その通りだ、私は落ち着きがない。思ったことをすぐ口に出してしまう、どうしても父に問い質してしまう。それは父の気に入らぬことだ、分かっているのに聞いてしまう。父は食べ終わると部屋から出ていった。私は佇む。この様子をずっと見ていた曾祖父は笑う。
「慎一郎を父に持つお前の気持ちはよく分かる、腹立たしいよな。お前がいくら騒いでも、慎一郎は孤高だから相手にしない。慎一郎は不真面目なようで努力家だ。あの肉体は中途半端な鍛え方ではない。雷山で一人修行を積んでおるのだろう。駆除で捕らえた熊や猪を見たことあるだろう、一刀両断だ。凄まじい集中力と破壊力だ。そのくせに常にヘラヘラしておる。私の言うことも黙って聞いているがいつの間にか逃げていく。私が言わなくてもあいつはちゃんと役割をこなすから、結局、騒いだこちらが馬鹿を見る。私は慣れたし、年も離れているから気にならないが、慎一郎を息子に持つ啓一郎はいつも怒っている。苛々して気が変になりそうだ、と言っておる。慎一郎はちゃんと寺社奉行所の役人としての仕事はこなすし、雷山神社の神職を務め、その他の面倒な雑用を全てやっている。言葉ではなく行動で示すのはよいとは分かっているが、まぁ、何も言わぬのが困る。宮本家は仕事の分担が多いのだからもっと話し合いたいのだが、慎一郎の口は重いし、逃げ足が速い。間髪入れぬ討論を好む啓一郎とお前に慎一郎は合わないだろう。殿と中島殿が穏やかなので城での話し合いもグダグダだ。勘定奉行の桐間殿が『倹約して下さい』『使い過ぎです』と騒ぐときに啓一郎が『分かっていますよ』と突っ込むから話し合いに熱が入ってよいのだが同じ宮本でも慎一郎は自分から話そうとしない」
曾祖父の言う通り、父は無口だ。もっとはっきりして欲しい。私は世継ぎだからいろいろ教えてもらわないといけないのに、あの目でじっと見られると私が痴れ者のようだ。
「お前がいくら武芸を上達しても慎一郎を倒せない、だって、あいつは武芸禁止だからな。武芸禁止は殿から直々のお達しだから一生手を合わせることはないだろう。お前は武芸を教える立場、山田藩においては立派な師範だから分かるだろう、慎一郎の隙のなさを。抜群の体幹、平衡感覚の良さ、視野の広さ、察しの良さ、まぁ、見事なもんだ。あんな巨体なのに身軽で足も速く一番で逃げていく。逃げ足が速いから面倒なことが嫌いかと言えばそうでもない。さっきも言ったが道の整備、建物の修繕、草刈り、溝掃除、雪かき、みんなが躊躇するような雑用はなんだって先頭を切って行動に移す。みんなが恐れる雷山はもちろんのこと、真固度村から遠く離れた噴煙を上げる火山島に一人で行く勇気、宮本の中でも並外れておる。その癖、みんなに優しくて、エロくて、バカだ。お前は慎一郎に振り回される自分をなんとかせんと苦しみは続くぞ」
父を見送った後、国家老の中島殿に今日一日の出来事を報告するため城の書院に向かった。書院に行くと中島殿が歴史書を認めていた。中島殿の書く歴史書は日記と同じらしい。
「宮本さん一家は面白くていいですね。書くネタに困りません」
と時々嬉しそうに私に話しかけてくる。面白いことをしているつもりはないのだが・・・、真面目で堅物と言われている私のどこが面白いのかなぁ?
私が来たことに気付くと筆を止めた。
「ご苦労様です。門番から聞いていますよ、恒一郎殿の活躍を」
爽やかな笑顔、不埒な僧侶五人に対してなんの不安も抱いてなさそうだ。
「再び古戦場に入りました。今は若木殿や太助などが見張っています。父が先ほど向かいました」
私の報告に中島殿は嬉しそうだ。
「慎一郎殿は二日連続で見張りに行きましたか。そりゃ、安心ですね。私は枕を高くして寝られますよ。五人とも早く出て行ってくれるといいですね」
中島殿の話は嘘を含んでいる。五人はただでは済まされない、だって雷様の怒りに触れただろうから。何かが起こる。
七月三日、朝、徹夜で見張りをしていた父は直接、寺社奉行所にやってきた。なぜか中島殿も一緒だ。朝一番の打ち合わせが始まる。一番に開口したのは父だった。
「加文寺の僧侶五名ですが、夜中のうちにいなくなってしまいました。すみません、私の不注意です。昨夜は月明かりがなく、確認しづらかったのです。太陽の光でようやく見えるようになった時にはいませんでした。しかし、どんなに暗くても野宿した古戦場から私の方へ出てくるのは気付きますので山の奥に入ったと思われます」
「宮本殿が言うのならば間違いありませんよ。お疲れ様でした。二日連続徹夜で見張っていたんですよね、さすがです」
笑顔の中島殿が父の腕に軽く肘鉄を喰らわすと、父が大げさに蹌踉ける。二人の三文芝居に周囲は和んだ。
「おやすみなさーい」
と父は大欠伸をしながら屋敷に向かった。それを見た中島殿がクックッと笑う。よく見る二人の歩く姿だが・・・、古戦場で何かあった、やっぱり消えた・・・、それも五人、父が消した?
いなくなったとはいえ、また山田藩内をウロウロされても困るからと町奉行・大岡金四郎殿は町奉行所役人と寺社奉行所役人に山田藩の要所に見張りに行くよう命じた。山に隠れているかもしれないので私と若木殿は山田藩を囲む山の際を馬で廻った。古戦場の入口に着いた。私は入ろうとしたが若木殿が割って入る。
「宮本殿とはいえ立入禁止です」
さすが町奉行所の役人だ、警備には厳しい。入口から覗き込むと荒れ地が広がっているだけだった。古戦場の周りは森だ。
「入ったら抜けられそうにない闇の森ですね・・・」
若木殿が呟く。その通りだ、好んでは奥には入っていかないだろう。一体どこに消えたんだ?
山田藩の山際を一周すると小雨が降ってきた。雷山からやってきた雨雲だ。
「もう帰れ」
と催促しているように思われた。私と若木殿は何も言わず町奉行所へ馬を走らせた。
町奉行所に戻ったのは私たち二人が最後だった。捜索にでた役人はみな戻ってきていた。私と若木殿は町奉行・大岡金四郎殿、寺社奉行・宮本啓一郎に捜索結果を報告した。大岡殿と祖父は二人で中島殿のいる書院に向かった。二人が戻ってきたころには辺りは暗くなっていた。二日目が終了した。
七月四日、昨日、役人総出で山田藩中を隈無く探したものの一向に見当たらなかったんだから今日も見つからないだろうと予想しながらも一応山田藩中を馬で廻った。住民に危害が及ばぬよう殿が『失踪者に関係しそうなものにはしばらく関わらないよう 山際に行かぬよう』と御触を出した。大岡殿が日暮れとともに捜索終了を宣言した。中島殿は今回の件を記した書を江戸だけでなく玄間藩藩主・林田様にも送った。玄間藩は加文寺を管理する藩だ。何かあったら通達するように幕府から命じられていたし、要らぬ嫌疑をかけられぬようにするためだ。相変わらず書くのが速い、抜かりない。
七月二十日、加文寺より吾空、護章、八諧と名乗る三人の僧侶が寺社奉行所にやってきた。恵理芭ら五人が戻ってこぬ、どうしたものか、と。私を始め、みんなすっかり忘れていた。今回やってきた三人の僧侶は前の五人と違って托鉢僧の如く地味だった。しかし、持ち物を入れる振分け荷物には魔除けの札が貼られていた。なんだよ、山田藩に魔物がいるって?
私の背後にいる父は何も言わない。私が相手をするよう促しているのだろう。面倒な輩の初対面は上から目線で大いに不満げにするのが祖父のやり方だ。
「あなたたちの言い分は分かりますが、山田藩として大変迷惑なんですよ」
私は自分の大きな体を利用して三人を見下した。三人に比べ年端も行かぬ私だが、頭一つ分以上高い六尺の高身長は威圧するには十分だ。三人は機嫌の悪い私に怖気づいた。三人は関所の伴頭・立花十兵衛より寺社奉行所に行くように言われたと口を揃える。そりゃそうだ、町奉行の大岡金四郎殿だったら三人は速攻で断罪に処されてしまう。きっと中島殿の差し金だろう。中島殿はいつも宮本を頼る、長年の付き合いだから仕方ない。私は怒る練習をせねばならない、山田藩が有利になるよう言い負かす技を習得しなければならないからこれはいい機会だ。
「私たちは加文寺に戻って報告しなければなりません。なぜかというと厳命されたからです。お願いです、五人の行動で知っていることを教えて下さい」
吾空、護章、八諧、三人とも半泣きだった、目上の者から怒られているんだろうな。中島殿が江戸に報告したことが伝わっているかもしれない。
父と私は三人を飯処・一休に連れていき、店主の新左衛門と女将のおサヨに五人の食べた料理や店内での様子を話させた。『加文寺の末寺を建てる』という言葉が新左衛門の口から出た時、三人は私の方を見てぺこりと頭を下げた。『山田藩が貧乏』という言葉が出ると
「失礼しました」
と話の途中にも関わらず謝罪した。新左衛門もおサヨも上機嫌で次々と五人の不愉快な言動を話す。『飯がまずい』という言葉が出ると、
「本当に申し訳ありません」
と身内の恥を詫びた。最初の訪問場所の飯処・一休を出るころには三人は打ちのめされてフラフラになっていた。次に山田寺に行くと曾祖父・宮本孝一郎が子どもたちに儒学を教えていた。
己所不欲
勿施於人
在邦無怨
在家無怨
己の欲せざる所は
人に施すこと勿れ
邦に在りては怨み無く
家に在りても怨み無し
恵理芭ら五人は己の欲望に従ったら山田藩のみんなの怨みを買っちゃった。大じい様、教える内容がドンピシャすぎる! 吾空、護章、八諧は恥ずかしくて顔を覆っている。管理事務所では和尚・宗純が待っていた。
「五人さんによると山田寺は廃寺の如くおんぼろらしいですなぁ」
吾空、護章、八諧の謝罪する姿は見るも無残、情なかった。宗純が畳みかける。
「宗派が違うとお参りをしてはならんもんですかな?」
「いいえ、そんなことはありません。山田寺は立派な古刹で御在います。恵理芭たちのような不届き者がお参りするような場所ではありません」
「ほぉ、古刹と言いなさりますか。つまらない寺と言っておったのですがな、五人さんは」
「あぁ、誠にすみません」
新左衛門にしろ、曾祖父にしろ、宗純にしろ、みんな悉く嫌味を言う、それもてんこ盛りだ。三人の謝る姿に最初は笑っていたもののそろそろ飽きてきてしまった。
次に父や太助が見張っていた立入禁止区域の古戦場の近くまで行く。
「ここで途絶えました」
三人は先に進もうとする。
「ここから先は立入禁止です。五人は関所の伴頭・立花十兵衛殿が口酸っぱく注意したにも関わらず立入禁止区内に入り野宿しました。一体、加文寺の僧侶は耳が悪いのですか?」
私は厭味を存分に含んだ言葉を吾空、護章、八諧に投げかける。
「あなたたち三人も立入禁止区内に入るんですか? それも私の目の前で!」
正当に怒るのは気が晴れる、すっきりする。こんなこと怒らなきゃやってられない。
父と私が吾空、護章、八諧を連れて山田藩を歩いているのが噂になっているようだ。
「宮本様が調査している、何かあったのでは」
と住人が後ろから付いてきていた。住人も気になるのだろう、変な五人が来たときはみんな気を付けろと注意されたのだから。飯処・一休の新左衛門やおサヨさんも言いふらしたんだろうな。だって、とっても面白かったんだもの。笑うのを我慢するの辛かったもんなぁ。最後に雷山神社に寄ることになった。父の管轄だから住人はワクワクしていた。
「何が起こるのかしら。きゃいきゃい♡」
「きゃっ♡♡♡ 正義の味方と悪者が登場、楽しみぃ」
「分かりやすい悪党だなぁ」
「よそ者の三人、いかにも悪者面、宮本様の引き立て役にぴったり!」
父は優しい顔の大男、私は自分で言うのもなんだがキリッとした爽やか武士だ。それに比べ、三人は矮小だ。吾空は額が狭く、口が大きく、鼻の下が長い猿顔だ。護章は河童のようで頭に皿を載せたくなる。八諧は太っていて鼻が上を向いるから豚ちゃんだ、豚舎に入れたくなる。なんとも分かりやすい配役だ。付いてきた住人は大衆演劇を楽しむかのようだった。
父が大鳥居の前で参拝する、厳かだ。父はいつもヘラヘラしているが雷山に関わることになるとがらりと変わる。この隔たりに女性は萌えるらしい。付いてきた住人もぴたりと動きを止める。父に続いて参拝する吾空、護章、八諧は全く様になってなかった。住人たちは慣れたもので吾空、護章、八諧より上手だった。普段の父は脇目も振らずに一直線に進むのだが、いつもと違い足元や脇に植えられている柊を確認しながら石段を上る。石段を七十段上ったところで父が左脇の柊の前に跪いた。
「これはなんですか?」
父が吾空、護章、八諧に拾った紙を見せる。
「加文寺の冊子です」
「ここに来たんだな・・・」
地に這うような太い声で呟く父、山田藩で最も大きい父は三人を見下す。父の持つ闇の目は不気味だ、威圧感が半端ない。怯える三人に父は冊子を読む。
「『この冊子を手にしたあなたは超幸運!』と書いてありますね。私は超幸運なのですか?」
「・・・」
闇の目を持つ父に見つめられる三人、答えに窮している。
「『来世で幸せいっぱい夢いっぱい あなたも加文寺の信者になりませんか』と書いてあります。信者になれば幸せいっぱい夢いっぱいになれるのですか?」
「・・・上の者はそう教えています」
聞こえるギリギリの小さな声で吾空が話す。
「私は雷山神社の関係者なので信者になるのは難しいですね・・・」
父は静かに怒っている、本当に静かに怒っている。三人とも父が怖くて顔を上げられない。
「『知り合いを紹介してくれたあなたはさらに来世で優待されます』、『寄付すればするほど来世で贅沢が出来ます』と書いてありますね。私にはこれらの冊子を配布する加文寺が鼠講のように思われるのですが、あなたたちはどう思いますか?」
「はい、おっしゃる通りです!」
あーあ、身内が鼠講と認めちゃった。それにしても、なんてベタな勧誘だ。ある意味凄いな、こんなので引っかかるのかよ。
百段ある石段を上りきったその傍らの空地に父が目を向ける。そこには焚火の跡が残っていた。
「雷山神社は神聖な場所なのに火を焚くとは・・・、ありえない!」
父の体が小刻みに震えている、物凄く怒っている。怒りに満ちた声に吾空、護章、八諧はよほど怖かったのか抱き合っている。
拝殿の方へ進むと管理事務所の手伝いが泣きながら出てきた。
「宮本様、御神酒が無くなっております」
父が先頭を切って拝殿に上がり、瓶子をひっくり返した。しかし、一滴たりとも落ちなかった。
「御神酒を盗むとは、なんという不届き者!」
握り拳で仁王立ちする父、その太くて大きい怒りの声はまさしく雷鳴だ。その凄まじい気迫、怒りの気が立ち上っているかのようだ。普段の穏やかな父はいない、初めて見る父の怒る姿、みんな震え上がった。この人はやっぱり雷山の管理者だ、守護神が宿っている。武士に必要とされる武芸の稽古は出ないし、試合も出ないのにみんなが口を揃えて言う『天下無双』、やっと意味が分かった、威圧感・迫力の桁が違うんだ。父はしばらく天を仰いでいる。深い呼吸を繰り返す、自分の怒りを抑え込むのに必死なのが分かった。みんな父が怖くて固まっている。しばらくして振り返る。三人の使いは抱き合って泣いている。
「不明になってからずいぶん日日が経っています」
「はい・・・」
「では、聞きますが、あなたたちはこれからどうしますか?」
父の声が低く響く、三人を見下ろす姿は守護神そのものだ。
「あ、あの・・・、この辺りの山に入って探したいです」
護章の泣いて震える声が鎮守の森に響き渡る。しかし、誰も同情しない。山田藩の住人は雷様のお仕置きを恐れて雷山に入らない。真固度村の往来で雷山の山道に慣れている平次、太助でさえも入りたがらなかった。集まってきた町民、農民、みな目を逸らし手伝おうとしなかった。吾空、護章、八諧がどんなに縋っても無理だった。
「私は怖いので無理です」
と父は伝えた。ん、怖い? いつも喜んで雷山に行くのに。
「で、では、私たちが・・・、入って探します」
加文寺の目上の者から捜索を押し付けられ、引くに引けなくなった三人の使い、父の前で小さくなって泣いて震えている。
「あなたたちが不明になったらそれこそ本末転倒です」
父の言葉、それはこれ以上悲しいことを増やさないための父の深い愛だった。沈黙が続いた。付いてきた一人の若い女性が雷様のわらべ歌を歌いだした。すると周りにいたみんなも歌いだした。
ごろごろごろごろ
雷様がお怒りだ
嘘をつくもの
欲深きもの
盗みとるもの
あさましきもの
雷様が罰を下す
雷様のお仕置きだ
風の雷によりさらわれる
水の雷により溺れ死に
石の雷により潰される
気の雷により狂い死に
雷様を怒らすまい
雷様を怒らすまい
吾空、護章、八諧は固まっていた。みんなが雷様のわらべ歌を歌うなんて思いもしなかっただろう。わらべ歌なのに恐ろしい内容だ。得体の知れない恐怖が三人を襲った。集まった住人の目からから逃れたくて山の奥へと進んでいった。少し進んで振り返ったが、誰も付いていかない、みんな憐れみの目をして三人を見ている。すぐ、踵を返して戻って父の足元に座り込んだ。父は三人を見下ろす。
「納得いきましたか? さぁ、戻りましょう」
父は泣き崩れる三人を立ち上がらせる。父は付いてきた住人の方を向く。
「みなさん、これ以上、山に近寄らないで下さい。身に禍が降りかからぬよう気を付けて下さい。お騒がせして申し訳ありませんでした。ご協力有難う御在いました」
父は三人を従え、町奉行所へと向かった。集まってきたみんなも戻り始めた。
「さすが宮本様♡」
「宮本様、素敵♡♡♡」
「いいもの見れたぁ」
「あー、面白かった」
「マジ笑う!」
「慎一郎様がやっぱり守護神だ」
みんなの呟きや溜め息が聞こえた。女性は口や胸に手を当て、父の去っていく後ろ姿を見つめている。人気者の父、美味しいところを全て持っていく、勝てねぇっ!
早速、町奉行所の御白州でお裁きが始まった。町奉行・大岡金四郎殿が開廷の合図をする。町奉行所の書き役が記録するが、国家老・中島良房殿も筆を執る、江戸への報告のためだ。大岡殿は失踪した五人に関わった人の証言を聞く。関所伴頭・立花十兵衛殿と目付・江戸川根八殿、農民・弥次郎と喜多八、飯処・一休・新左衛門とおサヨ、父と私の話を聞き取った。次から次へと明らかになる五人の愚かな行動、聞く者みな失笑している。最後に町奉行所役人・若木桃太郎殿が話し始める。
「ーつ、人の世の生き血を啜り、二つ、不埒な悪行三昧 三つ、醜い浮き世の鬼を退治てくれよう桃太郎!」
「はいはい、もう結構です。どうせ残りの証言は宮本恒一郎殿と一緒ですよね」
大岡殿は露骨に嫌な顔をした。中島殿が扇子で顔を隠している、絶対笑っている。若木殿、ウキウキしながら私と捜索していたのはここで証言する機会を得るためだ。お気に入りのお決まりの台詞を言いたかっただけだ。
全ての証言を聞き終わった大岡殿は
「加文寺僧侶・恵理芭、牟張、佐甲、穂石、叙空の山田藩における言動、断じて許せぬ」
と吾空、護章、八諧を睨みつける。
「三人を引っ立てぃ」
「はいはい、三人は悪いことはしていませんよ。引っ立てることはしなくていいです」
中島殿が真面目な顔で大岡殿を諫める。大岡殿も言いたいんだ、お裁きの台詞。
「五人が見つかりし時は江戸幕府、および玄間藩の林田様に断罪に処するよう通達する」
と大岡殿は三人に言い渡した。
「これにて一件落着!」
キッと真顔で遠くを見ながら閉会宣言してお裁きを終えた。大岡殿はこの決め台詞をどうしても最後に言いたかったんだ。山田藩の町奉行所には訴訟の裁断や罪人を取り調べのための御白洲があった。大岡殿や若木殿の先祖が江戸幕府の南町奉行所や北町奉行所の御白州に憧れ、殿の先祖に設置を頼み込んだ。勝ち戦で思わぬ褒美が転がり込んだ時だったし、今の殿と同様、先祖の殿も勧善懲悪の分かりやすい大衆娯楽は大好きだったから設置を許可した。しかし、犯罪、訴訟が全くない山田藩では無用の長物だった。
中島殿の記した書は時を移さず江戸と玄間藩藩主・林田様に送られた。翌日、中島殿の認めた別の書を祖父が持って吾空、護章、八諧と加文寺に向かうことになった。私は祖父に願い、同行した。
総本山加文寺は山田寺より敷地は広く全ての建物が大きくて立派だが、なんとなく落ち着かなかった。月日が経ってなさそうだし、塗り直しの朱が調和していないし、僧侶の袈裟も色がちぐはぐで目がチカチカした。僧侶が多くていろんな階級があるんだろうな。山田寺と言えば和尚・宗純と小坊主・陳念の二人、世襲制で増減が全くない。どの建物にも寄進者の名前が入った提灯が吊り下げられ、どの灯篭にも広く知れ渡った大店の名が彫られていた。寄付者銘板にはこれでもかというほど名前が羅列していた。山田寺は・・・・、寄付が全くない。山田寺に回ってくるお金と言えば、山田藩からの修繕費だけだ。恵理芭らの言う通り、山田寺は貧乏寺だぁ。加文寺の敷地内の至る所に金集めのためか賽銭箱が設置されている、一体いくつ設置しているんだ。そう言えば山田寺も雷山神社も賽銭箱は設置していないなぁ・・・。見渡す限り加文寺に寄付を募るけばけばしい宣伝が飛び込んでくる、目のやり場に困った。
「信じる者は救われる」
というよりは
「たくさん寄付をする者は救われる」
というのが加文寺の一番の教えのように思われる、とにかく金、金、金だぁ。
祖父と私の周りにはたくさんの僧侶がご機嫌を取ろうと集まってきた。多分、恵理芭らの山田藩における不祥事のことを知っているのだろう。中島殿が江戸へ書を送ったことが効いている。山田藩の朱の印のある書も手伝って僧侶全員が私たちに跪く。祖父と私は一番奥の部屋に通された。誰もいない、人払いしたのだろう。
「うちの恵理芭ら五名が山田藩の皆様に迷惑を掛けましたようで」
緋色の法衣を身に着けた僧とその従者が奥から現れた。多分、最上位の僧だ、どれほどの醜い争いを超えてきたのだろう。笑みを浮かべながら挨拶をする。
「お初にお目に掛かります。私、加文寺の大僧正・道鏡と申します」
「立派な席を用意して頂き、有難う御座います」
祖父は役人らしく、礼儀を弁えていた。
「人払いをしましたので楽にお過ごし下さい。さて、国家老の中島様からの書を読みました。霊山雷山の神域で焚火をし、雷山神社の御神酒を盗むとは、極めて恥ずべき行為、申し訳御在いませんでした」
「全くですな!」
ただでさえ見かけが怖い祖父の大声が部屋中に響き渡った。その声に道鏡は総本山加文寺の最高位とは思えぬほどたじろいだ。おじい様の最初の掴み、完璧だ。私も見習わなければ、やれるようにならなければ、この役はきっと私に回ってくるのだから。山田藩の規則性、宮本家の規則性、歴史は繰り返される。
「申し訳御座いません、本当に申し訳御在いません。しかし、五名が消えるとは・・・、なんですかのぉ、噂に聞く霊山雷山の雷様のせいでしょうか」
怯え切った道鏡が祖父の顔色を伺う。
「私ども山田藩の住民は雷山に近寄りません。怖くて近寄れないのです」
「宮本様のような偉丈夫でも怖いのでしょうか」
道鏡にとってこの世で一番怖いのは目の前にいる祖父だ。その祖父にも怖いものがあるとは、道鏡は意外そうな顔をする。
「それはもう、関わった人は何らかの形で罰を受けています。私も仕事柄、罰を受けた事例に関わっています。昔から雷山神社に罰されたものの記録が残っています」
「ほう、記録ですか」
「えぇ、私ども藩主・神山様の先祖が山田藩に落ち着いた時からの記録が残されております。雷山に気軽に近寄らないよう、今回のことも詳細に記録をつけ、そのまま江戸の寺社奉行に渡します」
「お上に見せるのですか?」
「えぇ、いつもです。今回のような不祥事は寺社奉行所を経て、お上の耳に届くことでしょう」
「今回の恵理芭らの行い如きで江戸へ報告されるのですか」
「当たり前です。すぐに江戸へ飛脚を走らせ伝えました。江戸幕府からのお達しでもあるように何かあったら報告するのが武士の務めですからな」
「それはそうですね。御迷惑をお掛けしました」
「全くです。因みにうちの殿の神山様は譜代大名ですぞ、御存じですか? ふ・だ・い・だ・い・みょ・う!」
「それはもちろんです」
「その上、我が殿は江戸で徳川様より寺社奉行を仰せつかっているんですぞ! じ・しゃ・ぶ・ぎょ・う! 全国の寺社とその領地を管理する寺社奉行ですぞ! 分かっていますか?」
「全く、なんともはや、申し訳御在いません」
おじい様、情け容赦ないなぁ、ここぞとばかりこてんぱんにやっつけてるなぁ。
「あなたは霊山雷山についてはご存じでしょう、下見に参らせるぐらいですから」
「はい、聞こえにくくなった爺の耳にも霊山雷山の噂は聞こえてきました」
「雷山の恐ろしさ故、欲深きものがやってきます。あなたと同じようなものですよ。雷山を利用しようとするとんでもない輩がね」
道鏡は顔を上げられなかった、欲深きものだ。
「霊山雷山は特別な管理ですので、何かあれば逐次報告するようにしております。ですから今回、恵理芭ら五人が山田藩と雷山神社が決める立入禁止区域に入り不明になったこと、三人の使いをよこしたことも江戸に知らせました」
「よう分かります、面倒をかけて本当にすみません」
「えぇ。行方不明など本当に恥ずかしいですな。管理が悪いと嫌疑がかけられたら我が藩の一大事ですぞ!」
「あぁ、誠に申し訳ありません」
「あなたの藩主・林田様に迷惑が掛かるのが想像できなかったのですか?」
響き渡る祖父の怒号、怖え! 道鏡も従者も祖父に手を合わせている。おいおい、御仏に仕える身ながら祖父を拝むとは。
「あぁ、許して下さい」
祖父はもはや加文寺の仏様よりも上の地位にいる。憤怒の顔は東大寺の仁王様のよう。仁王様に道鏡は縋り付く。
「そのお願いですが、その一つ、なんというか・・・」
「はぁっ?」
祖父が発する一言一言に道鏡は反応する。
「お願いがございまして・・・」
「なんですか?」
「懇ろにしては頂けませんでしょうか」
「はぁっ、どういうことでしょう?」
緋色の高僧は身の回りを世話する従者に耳打ちした。従者は引き下がっていった。
「宮本様・・・、なぜ、雷山はこうも怖いのでしょう。仏に仕える身でも禍が降りかかるとは」
「御神酒を盗むものが仏に仕えているんですか、この寺では?」
「あぁ、それは誠になんの言い訳できません、あぁ、みっともない・・・」
道鏡は大僧正に成り上がったんだから恥ずかしいことや自分に都合の悪いことを捻り潰すことには慣れ切っているはずだが、身内の僧侶の御神酒の盗み飲みはさすがに捻り潰せないか。有り得ないないよなぁ・・・。打ちのめされ、顔が上げられぬ道鏡に祖父は話し始める。
「まぁ、怖いですな。それはもう、雷山の麓で生きる私どもは雷様を怒らせぬように必死です」
道鏡は恐る恐る顔を上げる。
「恐ろしい場所としての伝説のようなものではないのですか?」
「記録に残っていますし、ここにいる私たち二人とも惨事を目の当たりにしております」
「雷様が一番怖いですか?」
「本当に怖くて、逃げ出したいくらいです」
奥から従者が持ってきたのは、重なり合う金色の楕円状の板だ。あっ、享保大判だ。本当にキラキラ、私は驚きを隠すのに必死だった。
「宮本様、これで懇ろにして頂けないでしょうか」
「・・・」
祖父は答えなかった。私は冷や汗が滴り落ちた。
「加文寺は信者の多い、それなりに世間に知れ渡った寺で御在います。我が藩主・林田様の菩提寺で御在います。この寺から霊山雷山の雷様により罰が下された僧が五名も出たとなると林田様の悲しみと苦しみは計り知れません。それも雷山神社境内という神聖な領域で焚火をした上に拝殿の御神酒の盗むという情ない行為によってです。信者の悲しみを増やすのは仏に仕える身としてはこの上もない悲しみ、苦しみで御在います。どうか懇ろにして頂けないでしょうか」
祖父はしばらく黙っていた。腕組みをしていた。
「何卒、お願い致します」
道鏡は深々と頭を下げた。総本山の最高位とはこんなに弱いもの、情ないものなのか。
「懇ろとは何ですか? 既に本件は江戸と林田様には伝えてありますが」
「これ以上、山田藩の皆様から広めることはないよう、お咎めがないようお願いしたいのです」
目の前で平伏すのは欲に溺れた情ない老人だった。
「お願いで御在いますぅ」
祖父はしばらく考え込んでいた。そして低い声で話し始めた。
「では、お願いがあります」
「ははぁ、なんで御在いましょう」
涙と鼻水でびしょ濡れになった顔を上げた老人はとてもみすぼらしかった。
「私どもが山田藩に帰るまで従者を付けて頂きたい。山田藩が疑われるようになったらそれこそ一大事です。我が藩のような小さい藩はあっという間に潰れてしまいます。嫌疑が掛からぬよう取り計らって頂きたいですな。江戸から嫌疑が掛かったら我が藩主の神山様はもちろんのこと、林田様に迷惑が掛かることは分かっておりますな。もう一度言いますが、我が藩主・神山様は譜代大名で寺社奉行ですぞ!」
「分かりました。嫌疑が掛かったら我が身から出た錆、加文寺の責任とします」
「それと、二度と雷山に近づかないよう願いたい。このようなことはあってはならぬこと、分かっておりますかな?」
「それはもう、極めて恥ずかしいことで御在います」
「二度と山田藩に関わらぬよう願いたい」
「それはもう、もちろんのことです」
「ここであった話を今から私が記しますので、その書に署名し、印を押して頂けますか」
「ぜひとも署名させて下さい。印を押させて下さい」
「世に知れた立派な加文寺の和尚様が約束するのですから、それは効き目がありましょう」
「恐れ入ります。私など宮本様の足元にも及びません」
「そして、もちろん、今日のことは他言してはなりませんぞ。あなたたちが勝手に江戸に報告するのは以ての外、山田藩との関わりを記録に残してはいけませんぞ。もし今回のことが世間に広まるようでしたら、あなたたちの内部からの告発ということでよいですか?」
「もちろんで御在います、もちろんで御在います」
「それでは」
祖父はさらさらと証文を三枚書いた。何があっても絶対山田藩が不利にならないよう記してある。祖父の後に私も署名、押印する。手が震える。その後に大僧正・道鏡と従者・有明の署名と押印が続く。最後に契約の割印がなされた。従者・有明がさっと金の大判を白地の風呂敷に二つに分け、祖父と私に渡した。祖父に倣って風呂敷を肩から掛けた、ずっしりと重かった。祖父は立ち上がる。
「それではお暇します」
「もうお帰りですか、宴を用意させますが」
魂が抜けてしまった道鏡が祖父の顔色を伺う。
「いえいえ、嫌疑を掛けられるのは怖いですから。お互い、この場を離れたほうが良いかと存じます」
「そうですか、宮本様は立派なお役人様ですな。山田藩が古来より存続できているのは宮本様のような人がいらっしゃるからですな」
「いえいえ、ただの使いっ走りですよ」
「宮本様のような立派な人物がこの寺に一人でもいればこのような事態にはならずに済んだでしょうに・・・」
勢力拡大に目が眩んで仏の心を忘れていた大僧正・道鏡、祖父に宿る守護神を見ることで目が覚めたのだろう。
「宮本様とこれで縁が切れるとは、誠に残念です」
「仕方ありません。これが雷山の麓に住むものの生き方です」
一礼して加文寺を辞した。
加文寺の従者が山田藩の関所を出ると伴頭・立花殿は塩を撒き閉門した。祖父、私は関所からそのまま寺社奉行所に行き、父を誘って書院に向かった。中島殿はいつものように書院の広間で書を読んでいた。祖父、父、私に気付くと書院の別室へ誘った。戸を閉めた途端、
「宮本殿!」
「中島殿!」
中島殿、祖父、父の三人は大笑いした。
「なんだなんだ、騒がしいのぉ」
奥で待ち構えていた殿が笑いながらやってきた。
「殿、これを」
祖父は背負った風呂敷を広げた。
「おぉ、ようやった! 宮本、でかしたぞ!」
殿は祖父に抱き着いた。
「恒一郎も早く出しなさい」
私も風呂敷を広げた。
「でかしたぞ! 恒一郎君、よくやった!」
殿の言葉に私は平伏した。何のことやらさっぱり分からなかった。
「今回は大物だったな」
「そりゃそうです、総本山加文寺の御大が出てきました」
「よほど商人と絡んでいるんだなぁ、大判百枚をその場で用意できるなんて金持ちだなぁ」
「お上と言った途端、イチコロでした。なぁ、恒一郎」
祖父が急に私の方を見た。その目から涙が流れている、笑い過ぎだ。
「はい、お上と藩主・林田様のことを祖父が話すと、おいおいと泣いてしまいました。今回は加文寺だけでなく玄間藩の足元を揺るがす事件と考えられます。相手の道鏡は大僧正と言っておりましたから最高位の僧で御在いましょう。祖父を仏の如く拝んでいました」
「宮本、お前、役者じゃのぉ。お前も悪よのぉ」
四人とも笑いすぎだ。私はドン引きした。
「恒一郎、こんなにうまくいくことは滅多にない。肝に銘じて置け」
「これはうまく行き過ぎだ、谷底に転がり落ちるぞ」
「走野老にやられるかも、怖い怖い」
「雷様に怒られる、くわばらくわばら」
この四人は分かっていたんだ、五人が行方不明になること、加文寺の関係者がやってくること、そして多額の口止め料を貰うことを。しかし、五人はどうしていなくなった?
「殿、今回は平次など関係するものに多めに分けたいと思います」
「もちろん、よう施してやってくれ」
「人気が出そうな俵屋宗理(葛飾北斎)、東洲斎写楽なる絵師に肉筆画を書かせようと思います」
「中島、名品だけ蒐集しろよ。書物、絵は集めだしたら切りがない」
父と中島殿の願いは殿に受け入れられた。殿は上機嫌、ニコニコしている。
大判は流通していないため使えない。中島殿と宮本三人を連れて殿が勘定奉行・桐間貫太郎殿のいる勘定奉行所へ赴いた。桐間殿は貧乏山田藩の財政をきっちりがっちり把握しており、世の中の経済事情に通じていた。城での話し合いではいつも算盤を片手に
「うちの台所は火の車です!」
「稼いで下さい、もっと!」
「江戸はアホですか? とんでもない金食い虫だぁ」
と常に文句を言っている。しかし、転がり込んだ享保大判を手にしたら守銭奴の桐間殿も満面の笑顔になった。普段は金を渡すことになると異様なほどに拒絶反応を示すが、今日は財布の紐が緩かった。殿は中島殿と宮本家三人にそれなりの金額を、さらに宮本家には配布用の一文銭を大量に渡すよう命じた。享保大判を蔵の金庫に入れることを想像してホクホクする桐間殿は、殿の言いつけ通りの金額を中島殿、宮本三人に渡した。みんなに不信感を抱いていた私だが突然のご褒美に心が躍った。わぁ、どうしよう、何に使おっかなぁ♡
「慎一郎、みんなお菓子に使うなよ!」
「えー、お菓子の家を作ってお菓子に囲まれて寝るのが夢なのにぃ」
殿に注意されながらも父は嬉しそうに笑っている。どうせ甘い物をどっさり取り寄せて使い切ってしまうんだろう。そんな殿が私の方を向く。
「恒一郎君は江戸で使わないように! お茶屋や遊郭はダメだ。お前はお人好しでかっこいいから狙われるし、貪られる」
あー、バレちゃった。一度行ってみたいんだよなぁ・・・。
「殿はお茶屋とか吉原に行ったことあるのですか?」
「ないっ! 中島が絶対許してくれないんだ!」
殿は憤慨する。
「私も行ってみたい!」
「私もお茶屋のお嬢さんたちに会ってみたい♡ めっちゃかわいいんだって!」
祖父と父が畳みかける。私たちの方を見る美しい顔の中島殿の目尻がいつもより吊り上がっている。
「絶対絶対ぜぇーったいダメです! あなた方は目立ち過ぎるんです。一番小さい私でさえ目立つのです。第一、病気が移ったらどうするんですか! 雷様からお仕置きされますよ! とにかく、江戸に関係のないことで使って下さい!」
「ゔぅ~」
殿、宮本家三人の嘆きが勘定奉行所に響く。中島殿に言われたらしょうがない。馬具でも新しくしようかな。愛馬・牧場号の特別仕様の鞍と鐙だ。鞍は黒漆で塗って家紋を入れようかな。あっ、殿も中島殿も桐間殿もいる、みんなご機嫌だからついでに相馬の馬をお願いしちゃおうかな。殿のひどい乗り物酔いのせいで参勤交代ではひどい乗り方をするからお馬さんの足が折れちゃう。せっかく大事に育てたお馬さんなのにさ。祖父は情け容赦なく飛ばすからなぁ。生姜醤油で食べる馬肉はおいしいんだけどさ。中島殿も江戸や大坂にしょっちゅう行くんだし馬は必要だよな。それにしても、祖父と父は痩せて欲しいな、二人ともデブなんだよなぁ、馬が可哀想だ。
「恒一郎は馬に使うんだろう。慎一郎と違って賢い使い方だ」
祖父はズバリ言い当てる。祖父の分の鞍も買ってあげようかな。
「お菓子の何が悪いんですか? 自分だって甘い物、好きなくせに!」
父は嫌味を言われながらも笑っている。
「甘い物は慎一郎に任せた。私は山城か関に行って飛び切り切れ味の良い刀にしようかな。宮本家の刀はみんな古くてダサい。お洒落な鍔を作ろうっと」
祖父の口からお洒落とはびっくりだ、キラキラの大判小判は人を変えるなぁ。
「あー、私にも買って下さい。猪や熊を退治したら刃がボロボロになっちゃって。手入れは怠らないのですが新しいのを一つお願いしたいです」
父はここぞとばかり祖父に注文する。
「獣の駆除か。農作物の被害が出ても困るし、ましてや住民に何かあっても困る。しょうがない、お前にも一つ買ってやるか」
「きゃあ、父上、大好きぃ♡♡♡」
「気持ち悪いわ!」
久しぶりだ、祖父と父が冗談を言って笑っている。バカと言いながら祖父は父の強さを認めている。今回の見張りにしろ、山の手入れなど面倒なことをするのは父だからなぁ。それにしても今回の失踪事件、やっぱり、父が仕掛けたんじゃないか? 雷山神社は父の管轄だから焚火や御神酒の細工はいくらでもできる。雷山が大好きな父が敷地内の焚火を放置するはずがないし、御神酒も絶対切らすことはない。三人の使いが来ることを知って細工したに違いない。それにしても今回、父は怒った。察しの悪い私に対して不機嫌な顔は見慣れているが、怒号を聞くのは初めてだ。父は何か隠している、笑顔の中に何か隠している。曾祖父、祖父、私では隠し切れないが父は隠し通す才能がありそうだ。殿も中島殿も祖父も悪巧みの仲間だが、やっぱり父が主犯ではないか? というか私も仲間? 仲間だよなぁ・・・。雷山も三回同行したが常に転落事故が起こる。もはや驚かない、
「やっぱり落ちたぁ」
ぐらいしか思わなくなっちゃったし・・・。
なんだか騒がしいなぁ、と思ったらいつの間にか町奉行所から大岡金四郎殿と若木桃太郎殿が来ていた。若木殿は父を追っかけている、
「退治してやる!」
と。逃げ足の速い父、嬉しそうだ。大岡殿は中島殿に文句を言っている。
「本当はみんなの前でパァーっとやりたかったのにぃ。中島殿が睨むからぁ」
と桃色の紙で作った桜吹雪を中島殿に投げかけている。
「駄目に決まってるじゃないですか! 藩の一大事なのに桜吹雪を散らしちゃったら大衆演劇になっちゃうじゃないですか!」
「えーっ、滅多にない御白州でのお裁きだったのにぃ」
と嘆く。
「あなた方、町奉行所の御二人はおちゃらけ過ぎます。転落事故の時も宮本殿と私が懸命に処理しているのにすぐに割り込もうとする。取り調べは必要ですがお裁きは必要ないんですよ。お裁きをしようと提案するのは決め台詞を言いたいからでしょ! 大体、転落事故で『これにて一件落着』ってなんですか! 意味分かんない!」
中島殿の扇子の風と、父と若木殿の鬼ごっこで勘定奉行所の広間では季節外れの桜吹雪が舞う。
みんなの笑顔でさらに嬉しくなっちゃった殿はついでに自分のお小遣いを桐間殿にせびった。
「今月は使い過ぎです」
と鰾膠も無く断られた。
寛政六年七月二十日
山田藩 町奉行所
出席者
吾空 加文寺 僧侶
護章 加文寺 僧侶
八諧 加文寺 僧侶
宮本啓一郎 山田藩 寺社奉行
宮本慎一郎 山田藩 寺社奉行所役人
宮本恒一郎 山田藩 寺社奉行所役人
大岡金四郎 山田藩 町奉行
若木桃太郎 山田藩 町奉行所役人
立花十兵衛 山田藩 関所 伴頭
江戸川根八 山田藩 関所 横目付
太助 山田藩 捜索手伝
平次 山田藩 捜索手伝
新左衛門 山田藩 飯処一休 店主
おサヨ 山田藩 飯処一休 女将
弥次郎 山田藩 農民
喜多八 山田藩 農民
中島良房 山田藩 国家老
事件
七月三日 未明
加文寺僧侶五名 失踪
失踪者
加文寺僧侶 五名
恵理芭 牟張 佐甲 穂石 叙空
捜索者
宮本慎一郎 山田藩 寺社奉行所役人
宮本恒一郎 山田藩 寺社奉行所役人
若木桃太郎 山田藩 町奉行所役人
その他 山田藩役人多数
平次 太助 山田藩 捜索手伝
吾空 護章 八諧 加文寺僧侶
証言
関所 伴頭 立花十兵衛
七月一日 巳の刻
失踪者五名は観光を希望
山田藩は野宿禁止であることを
伝えると 関所閉鎖前には戻る
と約束したことより通行を許可
同日 酉の刻
閉所時間に戻ってこなかったため
町奉行所 寺社奉行所に番士を送り
失踪者五名の対応を依頼した
関所 横目付 江戸川根八
立花十兵衛と同じ
農民 弥次郎
七月一日
作業中に五人の僧侶より宿泊所を
教えろと言われる
宿はあるが予約が必要で当日の
宿泊は断られる
と伝えたところ舌打ちされる
農民 喜多八
弥次郎と同じ
飯処一休 店主 新左衛門
七月二日 午の刻
失踪者五名で来店
まずい
加文寺の末寺を建立する
末寺が出来たら山田寺は廃寺になる
加文寺の信者になれ
巷で恐れられている雷山を従えたら
加文寺の名声はますます広まる
と言われる
飯処一休 女将 おサヨ
新左衛門と同じ
山田藩 寺社奉行 宮本啓一郎
七月二日 申の刻
失踪者五名で山田寺に現れる
参拝することなく 山田寺を
汚い寺
みすぼらしい
既に廃寺
と貶す
山田藩 寺社奉行所役人 宮本慎一郎
七月一日 酉の刻
関所番士より
失踪者五名が立入禁止区域の
古戦場に侵入したとの報告あり
古戦場の近くで一晩中見張るが
動きなし
七月二日 巳の刻
失踪者五名が立入禁止区域の
古戦場より町中へ移動
同日 酉の刻
失踪者五名が立入禁止区域の
古戦場に入り再び野宿
古戦場の近くで一晩中見張るが
暗夜のため動きは不明
ただし此方側に出てくること無
七月三日
夜が明けても古戦場から出てくる
気配がなく 関係者で五名を捜索
したが発見できず
七月二十日
加文寺僧侶 吾空 護章 八諧より
失踪者五名の捜索依頼を受ける
飯処一休
山田寺
古戦場
雷山神社
に行く
雷山神社の石段七十段目 柊の根元
加文寺信者募集の冊子発見
石段百段目の脇に焚火の跡あり
神聖な領域 かつ 火気厳禁にも
関わらず 焚火をし
拝殿の御神酒を盗む
失踪者五名の行為 悪質極まり無
宮本恒一郎 山田藩 寺社奉行所役人
七月一日 酉の刻
関所番士 および 平次より
加文寺僧侶五名が立入禁止区域の
古戦場に侵入したとの報告あり
山田藩国家老 中島良房に報告
七月二日
早朝より五名を追跡
藩中散策
午の刻 飯処一休で食事
申の刻 山田寺を一瞥
酉の刻 古戦場に入り 再び野宿
山田藩国家老 中島良房に報告
七月三日
奉行所開所時 五名が行方不明との
報告を受ける
山田藩役人が総出で五名を捜索
七月四日
再び捜索 日暮れを以って捜索終了
七月二十日
宮本慎一郎と同じ
若木桃太郎 山田藩 町奉行所役人
宮本恒一郎と同じ
判決
大岡金四郎 山田藩 町奉行
失踪者 加文寺僧侶 恵理芭
牟張
佐甲
穂石
叙空
関所伴頭 立花に観光と偽り
立花より野宿禁止と言われ 了承した
にも関わらず 加文寺末寺建立企ての
ために山田藩内を徘徊し
立入禁止区域内の古戦場にて野宿する
神聖な領域 かつ 火気厳禁の
雷山神社での焚火に加え
拝殿の御神酒を盗む
五名の所行は 悪質極まりないと考え
発見された際には断罪に処す
追記
中島良房 山田藩 国家老
江戸幕府 寺社奉行所
加文寺を管理下に置く玄間藩
藩主 林田様
に本件の詳細を報告する
山田藩 国家老 中島良房
⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡
寛政六年(一七九四)七月一日、山田藩関所に五人の僧侶が現れた。刺繍を施した色とりどりの法衣をわざと着崩し、胸元にキラリと光る飾りを見せびらかす。仏に仕える身とはとても信じがたく、野心を抱いている様子がありありと分かる。僧侶というよりは軽佻浮薄な遊侠の徒、歌舞伎者だった。加文寺の僧侶・恵理芭、牟張、佐甲、穂石、叙空の五名が山田藩関所にやって来たのは巳の刻、山田藩を観光したくて来たと言う。身元を証明する通行手形には加文寺の大僧正・道鏡の名が書かれ、印が押してある。断る理由はなく、関所伴頭・立花十兵衛は通すしかなかった。立花は山田藩にある宿泊施設は予約制のため当日の宿泊は受け付けないこと、野宿は禁止のため関所を閉門する酉の刻までに必ず戻ってくることを口酸っぱく伝えた。五人は薄ら笑いを浮かべながら面倒くさそうに立花に
「はいはい、分かりました。夕方に戻ってきますよ」
と約束した。立花の補佐である横目付・江戸川根八の手続きが終わると
「ちぇっ」
「面倒くせぇ」
と聞こえよがしに舌打ちして山田藩中心部へと向かって行った。五人の姿が見えなくなると立花は番士二人に五人の尾行を命じた。
山田藩の中心部に向かう途中、恵理芭ら五人は畑で雑草を抜いている農民・弥次郎と喜多八に宿泊する場所はないかと聞いた。宿がないと言い張る関所の立花を疑っていたからだ。弥次郎と喜多八は
「雷山神社の入り口に宿がありますがねぇ」
「あぁ、あそこは予約制だって聞いてますぜ」
「お坊さん、急に行っても無理でしょう。断られるでしょう」
と伝えた。二人の話で山田藩には本当に当日泊れる宿がないと分かり、五人の僧侶は驚きとともに
「ちぇっ、本当につまんない所だ」
と舌打ちし、山田藩を軽蔑した。山田藩の整備の行き届いた美しい景観は見る者の目を奪うが、歌舞伎者のような僧侶にとって景色など興味の対象外だ。五人は賑わいを求めて山田藩の中心部の城下町に向かった。城下町に入り、ウロウロしてはみたものの朝市は終わっていたし、客引きをするような店はなく目新しいものがない。山田藩には看板を掲げるほどの大店はなかった。中心部なのに人気がなくめぼしいものは何もない、つまらなくなった五人は日が暮れる前に雷山山系の立入禁止区域の古戦場に入っていった。しばらくすると騒ぎが途絶えた。旅の疲れか、寝てしまったようだった。
「今は町奉行所役人二人と太助、宗右衛門の四人が見張っています」
関所の番士と平次が加文寺僧侶五人の行動を町奉行所と寺社奉行所にいる役人たちに伝えた。
「はぁ、馬鹿ですねぇ。仕方ない、見回りに行きますか」
私・宮本恒一郎は思わず不満を口にした。無謀な人たちにはうんざりする。父・宮本慎一郎が後ろから口を挟む。
「今から私が古戦場に行きます。面倒なことを起こされても困りますからね」
父の顔は悲しそうだ。父の反応は曾祖父、祖父、私とちょっと違う。何かあると短気な宮本三人は文句を言って騒ぎ散らすが、父は動じることはない。その目には悲しみと憐れみを湛えている。
「明日と明後日は朝からよく見張って下さい。明日は空腹のために早い時間帯に町にやってくるでしょう。住民の皆さんの安全が第一ですから、みんなで気を付けるようにしましょう。まぁ、二日間のうちにいつものことが起きるでしょう」
ん? 二日間? いつものこと?
「では、私たちは関所に戻ります。立花殿も江戸川殿もさぞ困っておられるでしょうから」
番士は私たちに一礼をすると関所に向かった。山田藩は野宿禁止にしているから戻ってこない五人に関所の役人は気を揉んでいるだろう。次は平次が話し始めた。
「宮本様、分かりました。町の取りまとめ者、店を営む者に伝えます」
「あぁ、もう遅いですから伝達は夜が明けてからで大丈夫です。明日は忙しくなるので今夜は静かに休んで下さい。平次が誰よりも頼もしいのは知っていますが自分を大事にして欲しいです」
「宮本様、私には勿体ないお言葉です」
父は誰にでも丁寧語を使う。優しい父、人気者は違うなぁ。
「山田藩の皆さんに夜は外出禁止とお願いしている身分なのでね。それに、雷様に睨まれるかもしれませんからね」
「そうですね、舐めてかかると禍が降ってきますからな、身内とはいえ」
父と平次は含み笑いをした。
「ご苦労様でした。すみませんが明日と明後日は夜明けとともによろしくお願いします」
「分かりました。帰ってさっさと寝ます。それでは宮本様、失礼致します」
平次は去っていった。
「恒一郎、今から中島殿のところに行って、番士と平次に説明した内容と私が今から古戦場に見張りに行くことを報告してきてくれ」
それにしてもさっきの話・・・。
「中島殿への報告の件、了解しました。父上、さっきの『二日間のうちに』とはなんのことでしょう」
父は私をじっと見た。祖父なら怒りながらもすぐに答えてくれるのに・・・。沈黙が続く。私は父のことが分からない、不気味な感じというか・・・、物凄く深い闇があるような気がする。養子とはいえ親子、肌合いの違いでは終わらせたくないが違い過ぎる、目が合わせられない。ようやく重い口が開く。
「お前は宮本家の世継ぎ、これまで人生の中で起こった事件を思い返してみよ。そして推測しろ。宮本家の世継ぎは頭を巡らし、察する能力を養わねばいかん。山田藩が良からぬことに巻き込まれぬために」
書物狂の中島良房殿は書院の『あはれの彼方』に入っていた。朝から日暮れまで書に親しむ、というよりは取り憑かれているような感じだ。中島殿は書院長の仕事として山田藩であったことを全て記録している。中島殿の影響を受けて藩主の神山様も書物が大好き、当代きっての風流人、文化人だ。神山様は教育のためには金を惜しまないので山田藩には文盲がいない。その成果は山田藩を離れた人間の振舞いに現れた。どの人間も勤勉で山田藩の名を汚すような厄介者はいなかった。私は三年前から藩校と寺子屋で武道と歴史の授業を受け持っているために武道関係の本や歴史書を繙くことがある。その時に必ず思うのは、住民が勤勉なのは途切れることなく続く中島家が影響している、ということだ。中島殿に調べたい項目が書いてある資料をお願いすると書庫から山のように持ってくる、それも嬉々として。
「知識は人を強くします。ぜひ知識を深めてください。それらは頭の奥に記憶されます。時間が経っても思い出せるようにして下さい」
国家老という偉い地位にありながら薬院の見学も女性への山田藩政策説明も自ら喜んで実施している。記憶させるためには力を惜しまない。
「そうですか。お父上の慎一郎殿が見張っていて下さるならば安心ですね」
私の話に中島殿は動じなかった。父と同じだ、何事にも動じない。中島殿は自身が管理する薬院に行く途中、父に会いにわざわざ寺社奉行所に寄る。父は誘われると一緒に薬院に向かう。父は中島殿のお気に入りだ。宮本家の中でも父は中島親子に愛されている。曾祖父が二人の歩く姿を見て言ったことを思い出す。
「中島良房殿の父親・中島孝明殿が幼い慎一郎を気に入ってのぉ。中島孝明殿は今は江戸家老だが、確か宝暦六年(一七五六)だっだか、国家老のときに慎一郎と出会い、その時から慎一郎の手を取り、四六時中付き添わせていた。そういうことになったのも私と啓一郎が困っていたからだ。屈託なく笑う慎一郎は他の子どもと比べ、極端に言葉が遅かった。今でも口数は多くないだろう。私と啓一郎は慎一郎が耳の聞こえがよくない聾唖かと疑った。頭の作りや発達に問題があるのかとも疑った。宮本家の世継ぎは寺社奉行所の役人、話すことが必須だ。それなのに話すことがない慎一郎に私たちは焦った。育てることに不安を抱いた私たち二人に対して、中島孝明殿は慎一郎を一目見た途端、飛び上がって喜んだ。『あはれなり! この子は特別な宮本ですよ!』と。慎一郎はこの屋敷の中にいる宮本でもぶっちぎり変わっている。戦うことが嫌い、稽古が大嫌いだった慎一郎に対して私も啓一郎も怒りたかったが、中島孝明殿にくっついていたから何も注意できなかった。武芸全般を免除してもらうなんて宮本家で始まって以来だ。それも殿からの直々の武芸禁止命令だ。本当にありえない。中島殿と言えばいろんな肩書を持つが、私が最初に思い浮かぶ姿は国家老でもなく、薬院長でもなく、書院長で『あはれの彼方』の管理者だ。その管理者にくっついていた慎一郎は山田藩の歴史はもとより中島家が代々集めた文芸作品を片っ端から読み漁っている。だから本好きの中島殿と話が合う。薬院関係では『大和本草』や『救民妙薬』などの専門書を読み込んで植物を操れるまでになっておる。薬院の隣に慎一郎が自ら建てた温室で砂糖黍など暖かい地方でしか育たない植物を栽培しているほどだ。宮本家の人間は喜怒哀楽が激しいのが特徴なのだが、いつも『えへへ』と笑っている慎一郎は喜と楽しかない。あっ、哀といえば腹が減って死にそうな時とお菓子が無くなったときに泣きそうになっておるな。才走っているうえに面白いこと、エロいことをこよなく愛する中島孝明殿が慎一郎をバカにした。いや、中島孝明殿がとんでもないバカだから二人揃ってバーカバカだ。お前には理解しづらいだろうが慎一郎は私たちとは生い立ちが違う。私と啓一郎にとっても慎一郎は理解不能だよ」
今の国家老・中島良房殿と父は年齢も近いこともあり幼い時から仲良しなのは年配の人ならみんな知っている。二人の仲よさそうな姿を見てみんな嬉しそうだ。天才肌かつ努力を惜しまない二人と比較すると自分の至らなさを認めざるを得ない。
「昔の記録に同じような事がありますよ、やっぱり、野営をするのは古戦場ですね。大昔、敵が陣を構えたんですよ。藩校で習いましたよね」
中島家は生き字引、山田藩のことならなんでも間髪入れず詳しく話し出す。昔の記録も中島殿のご先祖が記したものだ。その記録によると、群雄割拠する戦国時代、武将・鳥居幹三が我が殿の先祖に全面降伏をさせようと軍を率いて押し寄せてきた。鳥居は密偵により、山田国には武士が少なく戦闘能力を欠いていることを知った。整備された美しい景観を無駄に荒らすことはない、そっくりそのまま得ようと話し合いを申し出た。わざわざ軍を率いてきたのは威嚇のためだ。山田城城主・神山は敵の使いに対し、『明日 山田城で話し合いの場を設ける』と伝えた。それに気をよくした前夜、野営先で宴が催された。野営するのに格好なその場所は雷山山系の山際の森の空き地『古戦場』だ。住民は絶対入らない立入禁止区域だ。翌日、話し合いは開かれなかった。その場所で全員、勝手に死んでいた、と。
「私は恒一郎殿が教えてくれたことを書にして江戸に送りますよ。大変ですが、騒ぎが起らぬよう明日と明後日の二日間は山田藩内で目を光らせて下さい」
二日間・・・、やっぱり・・・。私は静かに書院を辞した。
人生の中で起こった事故を思い巡らす。私は見た、十九歳の時、目の前で越後屋吉右衛門が崖の下に落ちていったのを。その事故では祖父はいなかったから祖父は関係ない。だが、父は先頭だった。私もいたが手をかけていない、だって転落事故の瞬間は太助と一緒にいたから。雷山神社で待っていた十六歳の時は崇同院の法慧が帰ってこなかった。この時は祖父と父が関わっていた。その時に見た過去十年分の雷山神社の記録帳、宮本家が関わると誰か一人いなくっていた。しかし、今回の五人は雷山に入山していない。今夜の居場所は立入禁止区域、そこは過去に戦わずして勝った場所、大量の死者が出た古戦場だ。その場所へ父がさっき向かった。ここで宮本家が関わった。そうなると、また五人のうち誰かが消えるのか? それが明日、明後日の二日間で起こるのか? 父が手にかける? 大体、一人で見張りをするってなんだよ。山田藩で一番強いおじい様よりもはるかに強いと言われる父だが相手は五人、倒せるのか・・・。
七月二日、夜明けとともに屋敷を出て町を見回った。商売の準備をしていたり、洗濯をしていたり、とみんな通常の生活を営んでいた。山田藩の朝は早い。その代わり夜は異様に早い。これは山田藩には燃料になる薪が少ないことによる。私は町の中心部の飯処・一休に行った。
「お早う御座います」
「恒一郎様、お早う御座います。お忙しい中、わざわざ、ご苦労様です」
主人・新左衛門は卵を攪拌する手を止める。女将・おサヨがお茶を勧める。
「恒一郎様がわざわざこんな早い時間にいらっしゃるってことは、例の昨日の五人組のことですかね」
「お茶、頂きます。さっそく噂になっているんですね」
「三日前から変な輩が来るかも、と噂が流れていたんですよ。今朝、水を汲みに行くと太助さんがやって来まして、『今日は面倒くさい五人組がうろつくから極力関わらないように』と言っていました。派手な五人組らしいですね」
「どうやら昨夜は立入禁止区域で野宿したらしいです。腹を空かしているでしょうから今日この店にやってくるかもしれません」
私の言葉に新左衛門は戸惑う。
「恒一郎様、どうすればよろしいでしょう?」
「とりあえず注文されたものを出して下さい。支払いが悪くてもその場は引き下がって下さい。関所・伴頭の立花殿の言うことを聞かない厄介な集団ですから素行が悪いかもしれません。とにかくお二人が怪我のないようにして下さい」
「有難いお言葉です。恒一郎様は大じい様の孝一郎様に益々似てきましたな」
「いえいえ、曾祖父には私など足元にも及びません。ま、何かあったらこの辺りをウロウロしていますので呼んで下さい。ご馳走様でした」
私はお茶を飲み干し、次の店に向かった。
「恒一郎様も立派になられまして」
女将・おサヨの言葉に、店の奥に隠れていた曾祖父・宮本孝一郎は照れる。
「あぁ、町の皆さんでこれからも曾孫を良きように育ててやって下さい。あいつは真面目で堅物で融通が利かなくて困っています。まぁ、鈍感ですな。ちょっと捻くれているのも頭の痛いところです。どうか皆さんで盛り立ててやって下さい」
案の定、昼前に五人は飯処・一休に来た。何かあったら飛び込めるように刀の柄に手をかけ店の外でじっと待つ。町奉行所役人の若木桃太郎殿も一緒に控えている。御用の際に取り押さえるためだ。太助も脇差を帯びている。五人は店内で騒いでいる、下品だなぁ。しばらくして腹いっぱいになった五人は馬鹿騒ぎをしながら店から出てきた。そして雷山神社の方へ歩いて行った。若木殿と太助が五人の後を追った。私は店に入る。店主・新左衛門が聞いた五人の会話の搔い摘むと、
加文寺は全国に末寺を作って信仰を広めている最中だ
山田藩内に末寺を作るために下見に来ている
末寺が出来たら山田藩にある寺院は廃寺になるだろう
雷山の麓に新たに末寺できれば巷で恐れられている霊山雷山をも従えたということで加文寺はさらに名声が上がる
とのことだった。
「食べ散らかす行儀の悪い坊さんから『加文寺のおかげで町も潤うだろうからお前も貧乏から抜け出せるぞ』『信者になったらいいことあるぞ』なんて言われましたよ」
あぁ、面倒くさい輩だ。
「余計なお世話って言いたかったんですけど、そこは我慢しました」
店主はギラギラした僧侶たちが過ぎ去ったことに緊張が解けたか、矢継ぎ早に話した。
「よく我慢して下さいました。それで、支払いの方はどうでした?」
歌舞伎者は弱いものに対して情け容赦ない。威嚇で飯代をチャラにしようとしなかったか?
「勘定は無事頂きました。五人のうちの一人が支払わなくてもいいようなことを言いだしたのですが一番派手な坊さんが『面倒くさいことは起こすなって親分から言われているだろう』と言って自ら払いました。随分、豪勢な生活をしているようですね。店にないものばかり注文しやがるんですよ。鰻とか寿司とか天婦羅とか食通気取りでさぁ。嫌なら食べなきゃいいのにたらふく食べた上に『まずい』と言われました。お父上の慎一郎様は『ほっぺが落ちるぅ』と満面の笑顔で食べて下さるのにね」
「それは大変でしたね」
店主に私は労った。
「料理の文句は言われるし、山田藩は何もないつまらないところだと貶されるし、早く作れと急かされるし、とにかく大変でした。まぁ、何事もなくて良かったです。なんだか疲れました。店内の食べ物はほとんど無くなりました。今日はもう店を閉めます」
新左衛門もおサヨも緊張したのだろう、一仕事終えて草臥れ果てていた。
「本当にご苦労様でした。とりあえずホッとしております。あっ、これ、清めの塩です。後で撒いておいて下さい」
真固度村の塩が入った小さな紙包みを渡し、店を出た。
「曾孫の恒一郎様、ほんとに立派になられて」
おサヨの言葉に店の奥に隠れていた曾祖父・宮本孝一郎は嬉しそうだ。
「世代交代してもいいですかな」
「そんな、若い恒一郎様がかっこいいのはもちろんですが、年上の孝一郎様も素敵です。世代交代にはまだ早いですわ」
「そうですか、私もまだまだイケてますか?」
「そりゃもう、私の世代やそれより上の女性はみんな孝一郎様を慕っております」
おサヨの潤んだ目に宮本孝一郎は微笑む。思い出が二人の脳裏に蘇る。記憶・・・、思い出・・・。
山田寺には祖父・宮本啓一郎が控えていた。目立つ五人は境内をウロウロした。藩主・神山家を始め全ての住人の菩提寺である山田寺は見る者の心を落ち着かせる趣深い立派な建物だった。ところが加文寺の僧侶五人はなにも感じないらしい。本堂を一瞥するだけで、手を合わせることはなかった。
「汚い寺だなぁ」
「みすぼらしいなぁ」
「実はもう廃寺だったりして」
と吐き捨てるように言い放ち、馬鹿笑いした。広間には読み書きを習う子どもたちが集まっていたが興味を示さなかった。和尚のところに寄ることもなく出ていった。見下げられたのだろう。宮本啓一郎はそのまま居残った、子どもたちに危害が及ばないようにするために。
加文寺の僧侶たちは山田寺を出た後は山沿いの薬院、温室を横目に古戦場に戻っていった。五人をずっと見張っている若木殿と太助からは町の八百屋や物売りから食料を購入しなかったと聞いた。夕飯、山のものを盗るのか・・・、住人は山のものを盗らない。山のものを勝手に盗ると雷様にお仕置きされると信じられているから。
若木殿と太助に見張りを任せて、私はいったん町奉行所と寺社奉行所に戻ることにした。町奉行所の役人は見張りに駆り出され出払っていた。寺社奉行所も同様だった。少し腹が減ったので屋敷に戻ると父は早めの夕飯を食べていた。
「これから古戦場で野宿する五人の見張りに行く」
と言う。私は
「同行させて下さい」
と願い出た。
「駄目! お前は騒がしい。気付かれる」
と速攻で断られた。その通りだ、私は落ち着きがない。思ったことをすぐ口に出してしまう、どうしても父に問い質してしまう。それは父の気に入らぬことだ、分かっているのに聞いてしまう。父は食べ終わると部屋から出ていった。私は佇む。この様子をずっと見ていた曾祖父は笑う。
「慎一郎を父に持つお前の気持ちはよく分かる、腹立たしいよな。お前がいくら騒いでも、慎一郎は孤高だから相手にしない。慎一郎は不真面目なようで努力家だ。あの肉体は中途半端な鍛え方ではない。雷山で一人修行を積んでおるのだろう。駆除で捕らえた熊や猪を見たことあるだろう、一刀両断だ。凄まじい集中力と破壊力だ。そのくせに常にヘラヘラしておる。私の言うことも黙って聞いているがいつの間にか逃げていく。私が言わなくてもあいつはちゃんと役割をこなすから、結局、騒いだこちらが馬鹿を見る。私は慣れたし、年も離れているから気にならないが、慎一郎を息子に持つ啓一郎はいつも怒っている。苛々して気が変になりそうだ、と言っておる。慎一郎はちゃんと寺社奉行所の役人としての仕事はこなすし、雷山神社の神職を務め、その他の面倒な雑用を全てやっている。言葉ではなく行動で示すのはよいとは分かっているが、まぁ、何も言わぬのが困る。宮本家は仕事の分担が多いのだからもっと話し合いたいのだが、慎一郎の口は重いし、逃げ足が速い。間髪入れぬ討論を好む啓一郎とお前に慎一郎は合わないだろう。殿と中島殿が穏やかなので城での話し合いもグダグダだ。勘定奉行の桐間殿が『倹約して下さい』『使い過ぎです』と騒ぐときに啓一郎が『分かっていますよ』と突っ込むから話し合いに熱が入ってよいのだが同じ宮本でも慎一郎は自分から話そうとしない」
曾祖父の言う通り、父は無口だ。もっとはっきりして欲しい。私は世継ぎだからいろいろ教えてもらわないといけないのに、あの目でじっと見られると私が痴れ者のようだ。
「お前がいくら武芸を上達しても慎一郎を倒せない、だって、あいつは武芸禁止だからな。武芸禁止は殿から直々のお達しだから一生手を合わせることはないだろう。お前は武芸を教える立場、山田藩においては立派な師範だから分かるだろう、慎一郎の隙のなさを。抜群の体幹、平衡感覚の良さ、視野の広さ、察しの良さ、まぁ、見事なもんだ。あんな巨体なのに身軽で足も速く一番で逃げていく。逃げ足が速いから面倒なことが嫌いかと言えばそうでもない。さっきも言ったが道の整備、建物の修繕、草刈り、溝掃除、雪かき、みんなが躊躇するような雑用はなんだって先頭を切って行動に移す。みんなが恐れる雷山はもちろんのこと、真固度村から遠く離れた噴煙を上げる火山島に一人で行く勇気、宮本の中でも並外れておる。その癖、みんなに優しくて、エロくて、バカだ。お前は慎一郎に振り回される自分をなんとかせんと苦しみは続くぞ」
父を見送った後、国家老の中島殿に今日一日の出来事を報告するため城の書院に向かった。書院に行くと中島殿が歴史書を認めていた。中島殿の書く歴史書は日記と同じらしい。
「宮本さん一家は面白くていいですね。書くネタに困りません」
と時々嬉しそうに私に話しかけてくる。面白いことをしているつもりはないのだが・・・、真面目で堅物と言われている私のどこが面白いのかなぁ?
私が来たことに気付くと筆を止めた。
「ご苦労様です。門番から聞いていますよ、恒一郎殿の活躍を」
爽やかな笑顔、不埒な僧侶五人に対してなんの不安も抱いてなさそうだ。
「再び古戦場に入りました。今は若木殿や太助などが見張っています。父が先ほど向かいました」
私の報告に中島殿は嬉しそうだ。
「慎一郎殿は二日連続で見張りに行きましたか。そりゃ、安心ですね。私は枕を高くして寝られますよ。五人とも早く出て行ってくれるといいですね」
中島殿の話は嘘を含んでいる。五人はただでは済まされない、だって雷様の怒りに触れただろうから。何かが起こる。
七月三日、朝、徹夜で見張りをしていた父は直接、寺社奉行所にやってきた。なぜか中島殿も一緒だ。朝一番の打ち合わせが始まる。一番に開口したのは父だった。
「加文寺の僧侶五名ですが、夜中のうちにいなくなってしまいました。すみません、私の不注意です。昨夜は月明かりがなく、確認しづらかったのです。太陽の光でようやく見えるようになった時にはいませんでした。しかし、どんなに暗くても野宿した古戦場から私の方へ出てくるのは気付きますので山の奥に入ったと思われます」
「宮本殿が言うのならば間違いありませんよ。お疲れ様でした。二日連続徹夜で見張っていたんですよね、さすがです」
笑顔の中島殿が父の腕に軽く肘鉄を喰らわすと、父が大げさに蹌踉ける。二人の三文芝居に周囲は和んだ。
「おやすみなさーい」
と父は大欠伸をしながら屋敷に向かった。それを見た中島殿がクックッと笑う。よく見る二人の歩く姿だが・・・、古戦場で何かあった、やっぱり消えた・・・、それも五人、父が消した?
いなくなったとはいえ、また山田藩内をウロウロされても困るからと町奉行・大岡金四郎殿は町奉行所役人と寺社奉行所役人に山田藩の要所に見張りに行くよう命じた。山に隠れているかもしれないので私と若木殿は山田藩を囲む山の際を馬で廻った。古戦場の入口に着いた。私は入ろうとしたが若木殿が割って入る。
「宮本殿とはいえ立入禁止です」
さすが町奉行所の役人だ、警備には厳しい。入口から覗き込むと荒れ地が広がっているだけだった。古戦場の周りは森だ。
「入ったら抜けられそうにない闇の森ですね・・・」
若木殿が呟く。その通りだ、好んでは奥には入っていかないだろう。一体どこに消えたんだ?
山田藩の山際を一周すると小雨が降ってきた。雷山からやってきた雨雲だ。
「もう帰れ」
と催促しているように思われた。私と若木殿は何も言わず町奉行所へ馬を走らせた。
町奉行所に戻ったのは私たち二人が最後だった。捜索にでた役人はみな戻ってきていた。私と若木殿は町奉行・大岡金四郎殿、寺社奉行・宮本啓一郎に捜索結果を報告した。大岡殿と祖父は二人で中島殿のいる書院に向かった。二人が戻ってきたころには辺りは暗くなっていた。二日目が終了した。
七月四日、昨日、役人総出で山田藩中を隈無く探したものの一向に見当たらなかったんだから今日も見つからないだろうと予想しながらも一応山田藩中を馬で廻った。住民に危害が及ばぬよう殿が『失踪者に関係しそうなものにはしばらく関わらないよう 山際に行かぬよう』と御触を出した。大岡殿が日暮れとともに捜索終了を宣言した。中島殿は今回の件を記した書を江戸だけでなく玄間藩藩主・林田様にも送った。玄間藩は加文寺を管理する藩だ。何かあったら通達するように幕府から命じられていたし、要らぬ嫌疑をかけられぬようにするためだ。相変わらず書くのが速い、抜かりない。
七月二十日、加文寺より吾空、護章、八諧と名乗る三人の僧侶が寺社奉行所にやってきた。恵理芭ら五人が戻ってこぬ、どうしたものか、と。私を始め、みんなすっかり忘れていた。今回やってきた三人の僧侶は前の五人と違って托鉢僧の如く地味だった。しかし、持ち物を入れる振分け荷物には魔除けの札が貼られていた。なんだよ、山田藩に魔物がいるって?
私の背後にいる父は何も言わない。私が相手をするよう促しているのだろう。面倒な輩の初対面は上から目線で大いに不満げにするのが祖父のやり方だ。
「あなたたちの言い分は分かりますが、山田藩として大変迷惑なんですよ」
私は自分の大きな体を利用して三人を見下した。三人に比べ年端も行かぬ私だが、頭一つ分以上高い六尺の高身長は威圧するには十分だ。三人は機嫌の悪い私に怖気づいた。三人は関所の伴頭・立花十兵衛より寺社奉行所に行くように言われたと口を揃える。そりゃそうだ、町奉行の大岡金四郎殿だったら三人は速攻で断罪に処されてしまう。きっと中島殿の差し金だろう。中島殿はいつも宮本を頼る、長年の付き合いだから仕方ない。私は怒る練習をせねばならない、山田藩が有利になるよう言い負かす技を習得しなければならないからこれはいい機会だ。
「私たちは加文寺に戻って報告しなければなりません。なぜかというと厳命されたからです。お願いです、五人の行動で知っていることを教えて下さい」
吾空、護章、八諧、三人とも半泣きだった、目上の者から怒られているんだろうな。中島殿が江戸に報告したことが伝わっているかもしれない。
父と私は三人を飯処・一休に連れていき、店主の新左衛門と女将のおサヨに五人の食べた料理や店内での様子を話させた。『加文寺の末寺を建てる』という言葉が新左衛門の口から出た時、三人は私の方を見てぺこりと頭を下げた。『山田藩が貧乏』という言葉が出ると
「失礼しました」
と話の途中にも関わらず謝罪した。新左衛門もおサヨも上機嫌で次々と五人の不愉快な言動を話す。『飯がまずい』という言葉が出ると、
「本当に申し訳ありません」
と身内の恥を詫びた。最初の訪問場所の飯処・一休を出るころには三人は打ちのめされてフラフラになっていた。次に山田寺に行くと曾祖父・宮本孝一郎が子どもたちに儒学を教えていた。
己所不欲
勿施於人
在邦無怨
在家無怨
己の欲せざる所は
人に施すこと勿れ
邦に在りては怨み無く
家に在りても怨み無し
恵理芭ら五人は己の欲望に従ったら山田藩のみんなの怨みを買っちゃった。大じい様、教える内容がドンピシャすぎる! 吾空、護章、八諧は恥ずかしくて顔を覆っている。管理事務所では和尚・宗純が待っていた。
「五人さんによると山田寺は廃寺の如くおんぼろらしいですなぁ」
吾空、護章、八諧の謝罪する姿は見るも無残、情なかった。宗純が畳みかける。
「宗派が違うとお参りをしてはならんもんですかな?」
「いいえ、そんなことはありません。山田寺は立派な古刹で御在います。恵理芭たちのような不届き者がお参りするような場所ではありません」
「ほぉ、古刹と言いなさりますか。つまらない寺と言っておったのですがな、五人さんは」
「あぁ、誠にすみません」
新左衛門にしろ、曾祖父にしろ、宗純にしろ、みんな悉く嫌味を言う、それもてんこ盛りだ。三人の謝る姿に最初は笑っていたもののそろそろ飽きてきてしまった。
次に父や太助が見張っていた立入禁止区域の古戦場の近くまで行く。
「ここで途絶えました」
三人は先に進もうとする。
「ここから先は立入禁止です。五人は関所の伴頭・立花十兵衛殿が口酸っぱく注意したにも関わらず立入禁止区内に入り野宿しました。一体、加文寺の僧侶は耳が悪いのですか?」
私は厭味を存分に含んだ言葉を吾空、護章、八諧に投げかける。
「あなたたち三人も立入禁止区内に入るんですか? それも私の目の前で!」
正当に怒るのは気が晴れる、すっきりする。こんなこと怒らなきゃやってられない。
父と私が吾空、護章、八諧を連れて山田藩を歩いているのが噂になっているようだ。
「宮本様が調査している、何かあったのでは」
と住人が後ろから付いてきていた。住人も気になるのだろう、変な五人が来たときはみんな気を付けろと注意されたのだから。飯処・一休の新左衛門やおサヨさんも言いふらしたんだろうな。だって、とっても面白かったんだもの。笑うのを我慢するの辛かったもんなぁ。最後に雷山神社に寄ることになった。父の管轄だから住人はワクワクしていた。
「何が起こるのかしら。きゃいきゃい♡」
「きゃっ♡♡♡ 正義の味方と悪者が登場、楽しみぃ」
「分かりやすい悪党だなぁ」
「よそ者の三人、いかにも悪者面、宮本様の引き立て役にぴったり!」
父は優しい顔の大男、私は自分で言うのもなんだがキリッとした爽やか武士だ。それに比べ、三人は矮小だ。吾空は額が狭く、口が大きく、鼻の下が長い猿顔だ。護章は河童のようで頭に皿を載せたくなる。八諧は太っていて鼻が上を向いるから豚ちゃんだ、豚舎に入れたくなる。なんとも分かりやすい配役だ。付いてきた住人は大衆演劇を楽しむかのようだった。
父が大鳥居の前で参拝する、厳かだ。父はいつもヘラヘラしているが雷山に関わることになるとがらりと変わる。この隔たりに女性は萌えるらしい。付いてきた住人もぴたりと動きを止める。父に続いて参拝する吾空、護章、八諧は全く様になってなかった。住人たちは慣れたもので吾空、護章、八諧より上手だった。普段の父は脇目も振らずに一直線に進むのだが、いつもと違い足元や脇に植えられている柊を確認しながら石段を上る。石段を七十段上ったところで父が左脇の柊の前に跪いた。
「これはなんですか?」
父が吾空、護章、八諧に拾った紙を見せる。
「加文寺の冊子です」
「ここに来たんだな・・・」
地に這うような太い声で呟く父、山田藩で最も大きい父は三人を見下す。父の持つ闇の目は不気味だ、威圧感が半端ない。怯える三人に父は冊子を読む。
「『この冊子を手にしたあなたは超幸運!』と書いてありますね。私は超幸運なのですか?」
「・・・」
闇の目を持つ父に見つめられる三人、答えに窮している。
「『来世で幸せいっぱい夢いっぱい あなたも加文寺の信者になりませんか』と書いてあります。信者になれば幸せいっぱい夢いっぱいになれるのですか?」
「・・・上の者はそう教えています」
聞こえるギリギリの小さな声で吾空が話す。
「私は雷山神社の関係者なので信者になるのは難しいですね・・・」
父は静かに怒っている、本当に静かに怒っている。三人とも父が怖くて顔を上げられない。
「『知り合いを紹介してくれたあなたはさらに来世で優待されます』、『寄付すればするほど来世で贅沢が出来ます』と書いてありますね。私にはこれらの冊子を配布する加文寺が鼠講のように思われるのですが、あなたたちはどう思いますか?」
「はい、おっしゃる通りです!」
あーあ、身内が鼠講と認めちゃった。それにしても、なんてベタな勧誘だ。ある意味凄いな、こんなので引っかかるのかよ。
百段ある石段を上りきったその傍らの空地に父が目を向ける。そこには焚火の跡が残っていた。
「雷山神社は神聖な場所なのに火を焚くとは・・・、ありえない!」
父の体が小刻みに震えている、物凄く怒っている。怒りに満ちた声に吾空、護章、八諧はよほど怖かったのか抱き合っている。
拝殿の方へ進むと管理事務所の手伝いが泣きながら出てきた。
「宮本様、御神酒が無くなっております」
父が先頭を切って拝殿に上がり、瓶子をひっくり返した。しかし、一滴たりとも落ちなかった。
「御神酒を盗むとは、なんという不届き者!」
握り拳で仁王立ちする父、その太くて大きい怒りの声はまさしく雷鳴だ。その凄まじい気迫、怒りの気が立ち上っているかのようだ。普段の穏やかな父はいない、初めて見る父の怒る姿、みんな震え上がった。この人はやっぱり雷山の管理者だ、守護神が宿っている。武士に必要とされる武芸の稽古は出ないし、試合も出ないのにみんなが口を揃えて言う『天下無双』、やっと意味が分かった、威圧感・迫力の桁が違うんだ。父はしばらく天を仰いでいる。深い呼吸を繰り返す、自分の怒りを抑え込むのに必死なのが分かった。みんな父が怖くて固まっている。しばらくして振り返る。三人の使いは抱き合って泣いている。
「不明になってからずいぶん日日が経っています」
「はい・・・」
「では、聞きますが、あなたたちはこれからどうしますか?」
父の声が低く響く、三人を見下ろす姿は守護神そのものだ。
「あ、あの・・・、この辺りの山に入って探したいです」
護章の泣いて震える声が鎮守の森に響き渡る。しかし、誰も同情しない。山田藩の住人は雷様のお仕置きを恐れて雷山に入らない。真固度村の往来で雷山の山道に慣れている平次、太助でさえも入りたがらなかった。集まってきた町民、農民、みな目を逸らし手伝おうとしなかった。吾空、護章、八諧がどんなに縋っても無理だった。
「私は怖いので無理です」
と父は伝えた。ん、怖い? いつも喜んで雷山に行くのに。
「で、では、私たちが・・・、入って探します」
加文寺の目上の者から捜索を押し付けられ、引くに引けなくなった三人の使い、父の前で小さくなって泣いて震えている。
「あなたたちが不明になったらそれこそ本末転倒です」
父の言葉、それはこれ以上悲しいことを増やさないための父の深い愛だった。沈黙が続いた。付いてきた一人の若い女性が雷様のわらべ歌を歌いだした。すると周りにいたみんなも歌いだした。
ごろごろごろごろ
雷様がお怒りだ
嘘をつくもの
欲深きもの
盗みとるもの
あさましきもの
雷様が罰を下す
雷様のお仕置きだ
風の雷によりさらわれる
水の雷により溺れ死に
石の雷により潰される
気の雷により狂い死に
雷様を怒らすまい
雷様を怒らすまい
吾空、護章、八諧は固まっていた。みんなが雷様のわらべ歌を歌うなんて思いもしなかっただろう。わらべ歌なのに恐ろしい内容だ。得体の知れない恐怖が三人を襲った。集まった住人の目からから逃れたくて山の奥へと進んでいった。少し進んで振り返ったが、誰も付いていかない、みんな憐れみの目をして三人を見ている。すぐ、踵を返して戻って父の足元に座り込んだ。父は三人を見下ろす。
「納得いきましたか? さぁ、戻りましょう」
父は泣き崩れる三人を立ち上がらせる。父は付いてきた住人の方を向く。
「みなさん、これ以上、山に近寄らないで下さい。身に禍が降りかからぬよう気を付けて下さい。お騒がせして申し訳ありませんでした。ご協力有難う御在いました」
父は三人を従え、町奉行所へと向かった。集まってきたみんなも戻り始めた。
「さすが宮本様♡」
「宮本様、素敵♡♡♡」
「いいもの見れたぁ」
「あー、面白かった」
「マジ笑う!」
「慎一郎様がやっぱり守護神だ」
みんなの呟きや溜め息が聞こえた。女性は口や胸に手を当て、父の去っていく後ろ姿を見つめている。人気者の父、美味しいところを全て持っていく、勝てねぇっ!
早速、町奉行所の御白州でお裁きが始まった。町奉行・大岡金四郎殿が開廷の合図をする。町奉行所の書き役が記録するが、国家老・中島良房殿も筆を執る、江戸への報告のためだ。大岡殿は失踪した五人に関わった人の証言を聞く。関所伴頭・立花十兵衛殿と目付・江戸川根八殿、農民・弥次郎と喜多八、飯処・一休・新左衛門とおサヨ、父と私の話を聞き取った。次から次へと明らかになる五人の愚かな行動、聞く者みな失笑している。最後に町奉行所役人・若木桃太郎殿が話し始める。
「ーつ、人の世の生き血を啜り、二つ、不埒な悪行三昧 三つ、醜い浮き世の鬼を退治てくれよう桃太郎!」
「はいはい、もう結構です。どうせ残りの証言は宮本恒一郎殿と一緒ですよね」
大岡殿は露骨に嫌な顔をした。中島殿が扇子で顔を隠している、絶対笑っている。若木殿、ウキウキしながら私と捜索していたのはここで証言する機会を得るためだ。お気に入りのお決まりの台詞を言いたかっただけだ。
全ての証言を聞き終わった大岡殿は
「加文寺僧侶・恵理芭、牟張、佐甲、穂石、叙空の山田藩における言動、断じて許せぬ」
と吾空、護章、八諧を睨みつける。
「三人を引っ立てぃ」
「はいはい、三人は悪いことはしていませんよ。引っ立てることはしなくていいです」
中島殿が真面目な顔で大岡殿を諫める。大岡殿も言いたいんだ、お裁きの台詞。
「五人が見つかりし時は江戸幕府、および玄間藩の林田様に断罪に処するよう通達する」
と大岡殿は三人に言い渡した。
「これにて一件落着!」
キッと真顔で遠くを見ながら閉会宣言してお裁きを終えた。大岡殿はこの決め台詞をどうしても最後に言いたかったんだ。山田藩の町奉行所には訴訟の裁断や罪人を取り調べのための御白洲があった。大岡殿や若木殿の先祖が江戸幕府の南町奉行所や北町奉行所の御白州に憧れ、殿の先祖に設置を頼み込んだ。勝ち戦で思わぬ褒美が転がり込んだ時だったし、今の殿と同様、先祖の殿も勧善懲悪の分かりやすい大衆娯楽は大好きだったから設置を許可した。しかし、犯罪、訴訟が全くない山田藩では無用の長物だった。
中島殿の記した書は時を移さず江戸と玄間藩藩主・林田様に送られた。翌日、中島殿の認めた別の書を祖父が持って吾空、護章、八諧と加文寺に向かうことになった。私は祖父に願い、同行した。
総本山加文寺は山田寺より敷地は広く全ての建物が大きくて立派だが、なんとなく落ち着かなかった。月日が経ってなさそうだし、塗り直しの朱が調和していないし、僧侶の袈裟も色がちぐはぐで目がチカチカした。僧侶が多くていろんな階級があるんだろうな。山田寺と言えば和尚・宗純と小坊主・陳念の二人、世襲制で増減が全くない。どの建物にも寄進者の名前が入った提灯が吊り下げられ、どの灯篭にも広く知れ渡った大店の名が彫られていた。寄付者銘板にはこれでもかというほど名前が羅列していた。山田寺は・・・・、寄付が全くない。山田寺に回ってくるお金と言えば、山田藩からの修繕費だけだ。恵理芭らの言う通り、山田寺は貧乏寺だぁ。加文寺の敷地内の至る所に金集めのためか賽銭箱が設置されている、一体いくつ設置しているんだ。そう言えば山田寺も雷山神社も賽銭箱は設置していないなぁ・・・。見渡す限り加文寺に寄付を募るけばけばしい宣伝が飛び込んでくる、目のやり場に困った。
「信じる者は救われる」
というよりは
「たくさん寄付をする者は救われる」
というのが加文寺の一番の教えのように思われる、とにかく金、金、金だぁ。
祖父と私の周りにはたくさんの僧侶がご機嫌を取ろうと集まってきた。多分、恵理芭らの山田藩における不祥事のことを知っているのだろう。中島殿が江戸へ書を送ったことが効いている。山田藩の朱の印のある書も手伝って僧侶全員が私たちに跪く。祖父と私は一番奥の部屋に通された。誰もいない、人払いしたのだろう。
「うちの恵理芭ら五名が山田藩の皆様に迷惑を掛けましたようで」
緋色の法衣を身に着けた僧とその従者が奥から現れた。多分、最上位の僧だ、どれほどの醜い争いを超えてきたのだろう。笑みを浮かべながら挨拶をする。
「お初にお目に掛かります。私、加文寺の大僧正・道鏡と申します」
「立派な席を用意して頂き、有難う御座います」
祖父は役人らしく、礼儀を弁えていた。
「人払いをしましたので楽にお過ごし下さい。さて、国家老の中島様からの書を読みました。霊山雷山の神域で焚火をし、雷山神社の御神酒を盗むとは、極めて恥ずべき行為、申し訳御在いませんでした」
「全くですな!」
ただでさえ見かけが怖い祖父の大声が部屋中に響き渡った。その声に道鏡は総本山加文寺の最高位とは思えぬほどたじろいだ。おじい様の最初の掴み、完璧だ。私も見習わなければ、やれるようにならなければ、この役はきっと私に回ってくるのだから。山田藩の規則性、宮本家の規則性、歴史は繰り返される。
「申し訳御座いません、本当に申し訳御在いません。しかし、五名が消えるとは・・・、なんですかのぉ、噂に聞く霊山雷山の雷様のせいでしょうか」
怯え切った道鏡が祖父の顔色を伺う。
「私ども山田藩の住民は雷山に近寄りません。怖くて近寄れないのです」
「宮本様のような偉丈夫でも怖いのでしょうか」
道鏡にとってこの世で一番怖いのは目の前にいる祖父だ。その祖父にも怖いものがあるとは、道鏡は意外そうな顔をする。
「それはもう、関わった人は何らかの形で罰を受けています。私も仕事柄、罰を受けた事例に関わっています。昔から雷山神社に罰されたものの記録が残っています」
「ほう、記録ですか」
「えぇ、私ども藩主・神山様の先祖が山田藩に落ち着いた時からの記録が残されております。雷山に気軽に近寄らないよう、今回のことも詳細に記録をつけ、そのまま江戸の寺社奉行に渡します」
「お上に見せるのですか?」
「えぇ、いつもです。今回のような不祥事は寺社奉行所を経て、お上の耳に届くことでしょう」
「今回の恵理芭らの行い如きで江戸へ報告されるのですか」
「当たり前です。すぐに江戸へ飛脚を走らせ伝えました。江戸幕府からのお達しでもあるように何かあったら報告するのが武士の務めですからな」
「それはそうですね。御迷惑をお掛けしました」
「全くです。因みにうちの殿の神山様は譜代大名ですぞ、御存じですか? ふ・だ・い・だ・い・みょ・う!」
「それはもちろんです」
「その上、我が殿は江戸で徳川様より寺社奉行を仰せつかっているんですぞ! じ・しゃ・ぶ・ぎょ・う! 全国の寺社とその領地を管理する寺社奉行ですぞ! 分かっていますか?」
「全く、なんともはや、申し訳御在いません」
おじい様、情け容赦ないなぁ、ここぞとばかりこてんぱんにやっつけてるなぁ。
「あなたは霊山雷山についてはご存じでしょう、下見に参らせるぐらいですから」
「はい、聞こえにくくなった爺の耳にも霊山雷山の噂は聞こえてきました」
「雷山の恐ろしさ故、欲深きものがやってきます。あなたと同じようなものですよ。雷山を利用しようとするとんでもない輩がね」
道鏡は顔を上げられなかった、欲深きものだ。
「霊山雷山は特別な管理ですので、何かあれば逐次報告するようにしております。ですから今回、恵理芭ら五人が山田藩と雷山神社が決める立入禁止区域に入り不明になったこと、三人の使いをよこしたことも江戸に知らせました」
「よう分かります、面倒をかけて本当にすみません」
「えぇ。行方不明など本当に恥ずかしいですな。管理が悪いと嫌疑がかけられたら我が藩の一大事ですぞ!」
「あぁ、誠に申し訳ありません」
「あなたの藩主・林田様に迷惑が掛かるのが想像できなかったのですか?」
響き渡る祖父の怒号、怖え! 道鏡も従者も祖父に手を合わせている。おいおい、御仏に仕える身ながら祖父を拝むとは。
「あぁ、許して下さい」
祖父はもはや加文寺の仏様よりも上の地位にいる。憤怒の顔は東大寺の仁王様のよう。仁王様に道鏡は縋り付く。
「そのお願いですが、その一つ、なんというか・・・」
「はぁっ?」
祖父が発する一言一言に道鏡は反応する。
「お願いがございまして・・・」
「なんですか?」
「懇ろにしては頂けませんでしょうか」
「はぁっ、どういうことでしょう?」
緋色の高僧は身の回りを世話する従者に耳打ちした。従者は引き下がっていった。
「宮本様・・・、なぜ、雷山はこうも怖いのでしょう。仏に仕える身でも禍が降りかかるとは」
「御神酒を盗むものが仏に仕えているんですか、この寺では?」
「あぁ、それは誠になんの言い訳できません、あぁ、みっともない・・・」
道鏡は大僧正に成り上がったんだから恥ずかしいことや自分に都合の悪いことを捻り潰すことには慣れ切っているはずだが、身内の僧侶の御神酒の盗み飲みはさすがに捻り潰せないか。有り得ないないよなぁ・・・。打ちのめされ、顔が上げられぬ道鏡に祖父は話し始める。
「まぁ、怖いですな。それはもう、雷山の麓で生きる私どもは雷様を怒らせぬように必死です」
道鏡は恐る恐る顔を上げる。
「恐ろしい場所としての伝説のようなものではないのですか?」
「記録に残っていますし、ここにいる私たち二人とも惨事を目の当たりにしております」
「雷様が一番怖いですか?」
「本当に怖くて、逃げ出したいくらいです」
奥から従者が持ってきたのは、重なり合う金色の楕円状の板だ。あっ、享保大判だ。本当にキラキラ、私は驚きを隠すのに必死だった。
「宮本様、これで懇ろにして頂けないでしょうか」
「・・・」
祖父は答えなかった。私は冷や汗が滴り落ちた。
「加文寺は信者の多い、それなりに世間に知れ渡った寺で御在います。我が藩主・林田様の菩提寺で御在います。この寺から霊山雷山の雷様により罰が下された僧が五名も出たとなると林田様の悲しみと苦しみは計り知れません。それも雷山神社境内という神聖な領域で焚火をした上に拝殿の御神酒の盗むという情ない行為によってです。信者の悲しみを増やすのは仏に仕える身としてはこの上もない悲しみ、苦しみで御在います。どうか懇ろにして頂けないでしょうか」
祖父はしばらく黙っていた。腕組みをしていた。
「何卒、お願い致します」
道鏡は深々と頭を下げた。総本山の最高位とはこんなに弱いもの、情ないものなのか。
「懇ろとは何ですか? 既に本件は江戸と林田様には伝えてありますが」
「これ以上、山田藩の皆様から広めることはないよう、お咎めがないようお願いしたいのです」
目の前で平伏すのは欲に溺れた情ない老人だった。
「お願いで御在いますぅ」
祖父はしばらく考え込んでいた。そして低い声で話し始めた。
「では、お願いがあります」
「ははぁ、なんで御在いましょう」
涙と鼻水でびしょ濡れになった顔を上げた老人はとてもみすぼらしかった。
「私どもが山田藩に帰るまで従者を付けて頂きたい。山田藩が疑われるようになったらそれこそ一大事です。我が藩のような小さい藩はあっという間に潰れてしまいます。嫌疑が掛からぬよう取り計らって頂きたいですな。江戸から嫌疑が掛かったら我が藩主の神山様はもちろんのこと、林田様に迷惑が掛かることは分かっておりますな。もう一度言いますが、我が藩主・神山様は譜代大名で寺社奉行ですぞ!」
「分かりました。嫌疑が掛かったら我が身から出た錆、加文寺の責任とします」
「それと、二度と雷山に近づかないよう願いたい。このようなことはあってはならぬこと、分かっておりますかな?」
「それはもう、極めて恥ずかしいことで御在います」
「二度と山田藩に関わらぬよう願いたい」
「それはもう、もちろんのことです」
「ここであった話を今から私が記しますので、その書に署名し、印を押して頂けますか」
「ぜひとも署名させて下さい。印を押させて下さい」
「世に知れた立派な加文寺の和尚様が約束するのですから、それは効き目がありましょう」
「恐れ入ります。私など宮本様の足元にも及びません」
「そして、もちろん、今日のことは他言してはなりませんぞ。あなたたちが勝手に江戸に報告するのは以ての外、山田藩との関わりを記録に残してはいけませんぞ。もし今回のことが世間に広まるようでしたら、あなたたちの内部からの告発ということでよいですか?」
「もちろんで御在います、もちろんで御在います」
「それでは」
祖父はさらさらと証文を三枚書いた。何があっても絶対山田藩が不利にならないよう記してある。祖父の後に私も署名、押印する。手が震える。その後に大僧正・道鏡と従者・有明の署名と押印が続く。最後に契約の割印がなされた。従者・有明がさっと金の大判を白地の風呂敷に二つに分け、祖父と私に渡した。祖父に倣って風呂敷を肩から掛けた、ずっしりと重かった。祖父は立ち上がる。
「それではお暇します」
「もうお帰りですか、宴を用意させますが」
魂が抜けてしまった道鏡が祖父の顔色を伺う。
「いえいえ、嫌疑を掛けられるのは怖いですから。お互い、この場を離れたほうが良いかと存じます」
「そうですか、宮本様は立派なお役人様ですな。山田藩が古来より存続できているのは宮本様のような人がいらっしゃるからですな」
「いえいえ、ただの使いっ走りですよ」
「宮本様のような立派な人物がこの寺に一人でもいればこのような事態にはならずに済んだでしょうに・・・」
勢力拡大に目が眩んで仏の心を忘れていた大僧正・道鏡、祖父に宿る守護神を見ることで目が覚めたのだろう。
「宮本様とこれで縁が切れるとは、誠に残念です」
「仕方ありません。これが雷山の麓に住むものの生き方です」
一礼して加文寺を辞した。
加文寺の従者が山田藩の関所を出ると伴頭・立花殿は塩を撒き閉門した。祖父、私は関所からそのまま寺社奉行所に行き、父を誘って書院に向かった。中島殿はいつものように書院の広間で書を読んでいた。祖父、父、私に気付くと書院の別室へ誘った。戸を閉めた途端、
「宮本殿!」
「中島殿!」
中島殿、祖父、父の三人は大笑いした。
「なんだなんだ、騒がしいのぉ」
奥で待ち構えていた殿が笑いながらやってきた。
「殿、これを」
祖父は背負った風呂敷を広げた。
「おぉ、ようやった! 宮本、でかしたぞ!」
殿は祖父に抱き着いた。
「恒一郎も早く出しなさい」
私も風呂敷を広げた。
「でかしたぞ! 恒一郎君、よくやった!」
殿の言葉に私は平伏した。何のことやらさっぱり分からなかった。
「今回は大物だったな」
「そりゃそうです、総本山加文寺の御大が出てきました」
「よほど商人と絡んでいるんだなぁ、大判百枚をその場で用意できるなんて金持ちだなぁ」
「お上と言った途端、イチコロでした。なぁ、恒一郎」
祖父が急に私の方を見た。その目から涙が流れている、笑い過ぎだ。
「はい、お上と藩主・林田様のことを祖父が話すと、おいおいと泣いてしまいました。今回は加文寺だけでなく玄間藩の足元を揺るがす事件と考えられます。相手の道鏡は大僧正と言っておりましたから最高位の僧で御在いましょう。祖父を仏の如く拝んでいました」
「宮本、お前、役者じゃのぉ。お前も悪よのぉ」
四人とも笑いすぎだ。私はドン引きした。
「恒一郎、こんなにうまくいくことは滅多にない。肝に銘じて置け」
「これはうまく行き過ぎだ、谷底に転がり落ちるぞ」
「走野老にやられるかも、怖い怖い」
「雷様に怒られる、くわばらくわばら」
この四人は分かっていたんだ、五人が行方不明になること、加文寺の関係者がやってくること、そして多額の口止め料を貰うことを。しかし、五人はどうしていなくなった?
「殿、今回は平次など関係するものに多めに分けたいと思います」
「もちろん、よう施してやってくれ」
「人気が出そうな俵屋宗理(葛飾北斎)、東洲斎写楽なる絵師に肉筆画を書かせようと思います」
「中島、名品だけ蒐集しろよ。書物、絵は集めだしたら切りがない」
父と中島殿の願いは殿に受け入れられた。殿は上機嫌、ニコニコしている。
大判は流通していないため使えない。中島殿と宮本三人を連れて殿が勘定奉行・桐間貫太郎殿のいる勘定奉行所へ赴いた。桐間殿は貧乏山田藩の財政をきっちりがっちり把握しており、世の中の経済事情に通じていた。城での話し合いではいつも算盤を片手に
「うちの台所は火の車です!」
「稼いで下さい、もっと!」
「江戸はアホですか? とんでもない金食い虫だぁ」
と常に文句を言っている。しかし、転がり込んだ享保大判を手にしたら守銭奴の桐間殿も満面の笑顔になった。普段は金を渡すことになると異様なほどに拒絶反応を示すが、今日は財布の紐が緩かった。殿は中島殿と宮本家三人にそれなりの金額を、さらに宮本家には配布用の一文銭を大量に渡すよう命じた。享保大判を蔵の金庫に入れることを想像してホクホクする桐間殿は、殿の言いつけ通りの金額を中島殿、宮本三人に渡した。みんなに不信感を抱いていた私だが突然のご褒美に心が躍った。わぁ、どうしよう、何に使おっかなぁ♡
「慎一郎、みんなお菓子に使うなよ!」
「えー、お菓子の家を作ってお菓子に囲まれて寝るのが夢なのにぃ」
殿に注意されながらも父は嬉しそうに笑っている。どうせ甘い物をどっさり取り寄せて使い切ってしまうんだろう。そんな殿が私の方を向く。
「恒一郎君は江戸で使わないように! お茶屋や遊郭はダメだ。お前はお人好しでかっこいいから狙われるし、貪られる」
あー、バレちゃった。一度行ってみたいんだよなぁ・・・。
「殿はお茶屋とか吉原に行ったことあるのですか?」
「ないっ! 中島が絶対許してくれないんだ!」
殿は憤慨する。
「私も行ってみたい!」
「私もお茶屋のお嬢さんたちに会ってみたい♡ めっちゃかわいいんだって!」
祖父と父が畳みかける。私たちの方を見る美しい顔の中島殿の目尻がいつもより吊り上がっている。
「絶対絶対ぜぇーったいダメです! あなた方は目立ち過ぎるんです。一番小さい私でさえ目立つのです。第一、病気が移ったらどうするんですか! 雷様からお仕置きされますよ! とにかく、江戸に関係のないことで使って下さい!」
「ゔぅ~」
殿、宮本家三人の嘆きが勘定奉行所に響く。中島殿に言われたらしょうがない。馬具でも新しくしようかな。愛馬・牧場号の特別仕様の鞍と鐙だ。鞍は黒漆で塗って家紋を入れようかな。あっ、殿も中島殿も桐間殿もいる、みんなご機嫌だからついでに相馬の馬をお願いしちゃおうかな。殿のひどい乗り物酔いのせいで参勤交代ではひどい乗り方をするからお馬さんの足が折れちゃう。せっかく大事に育てたお馬さんなのにさ。祖父は情け容赦なく飛ばすからなぁ。生姜醤油で食べる馬肉はおいしいんだけどさ。中島殿も江戸や大坂にしょっちゅう行くんだし馬は必要だよな。それにしても、祖父と父は痩せて欲しいな、二人ともデブなんだよなぁ、馬が可哀想だ。
「恒一郎は馬に使うんだろう。慎一郎と違って賢い使い方だ」
祖父はズバリ言い当てる。祖父の分の鞍も買ってあげようかな。
「お菓子の何が悪いんですか? 自分だって甘い物、好きなくせに!」
父は嫌味を言われながらも笑っている。
「甘い物は慎一郎に任せた。私は山城か関に行って飛び切り切れ味の良い刀にしようかな。宮本家の刀はみんな古くてダサい。お洒落な鍔を作ろうっと」
祖父の口からお洒落とはびっくりだ、キラキラの大判小判は人を変えるなぁ。
「あー、私にも買って下さい。猪や熊を退治したら刃がボロボロになっちゃって。手入れは怠らないのですが新しいのを一つお願いしたいです」
父はここぞとばかり祖父に注文する。
「獣の駆除か。農作物の被害が出ても困るし、ましてや住民に何かあっても困る。しょうがない、お前にも一つ買ってやるか」
「きゃあ、父上、大好きぃ♡♡♡」
「気持ち悪いわ!」
久しぶりだ、祖父と父が冗談を言って笑っている。バカと言いながら祖父は父の強さを認めている。今回の見張りにしろ、山の手入れなど面倒なことをするのは父だからなぁ。それにしても今回の失踪事件、やっぱり、父が仕掛けたんじゃないか? 雷山神社は父の管轄だから焚火や御神酒の細工はいくらでもできる。雷山が大好きな父が敷地内の焚火を放置するはずがないし、御神酒も絶対切らすことはない。三人の使いが来ることを知って細工したに違いない。それにしても今回、父は怒った。察しの悪い私に対して不機嫌な顔は見慣れているが、怒号を聞くのは初めてだ。父は何か隠している、笑顔の中に何か隠している。曾祖父、祖父、私では隠し切れないが父は隠し通す才能がありそうだ。殿も中島殿も祖父も悪巧みの仲間だが、やっぱり父が主犯ではないか? というか私も仲間? 仲間だよなぁ・・・。雷山も三回同行したが常に転落事故が起こる。もはや驚かない、
「やっぱり落ちたぁ」
ぐらいしか思わなくなっちゃったし・・・。
なんだか騒がしいなぁ、と思ったらいつの間にか町奉行所から大岡金四郎殿と若木桃太郎殿が来ていた。若木殿は父を追っかけている、
「退治してやる!」
と。逃げ足の速い父、嬉しそうだ。大岡殿は中島殿に文句を言っている。
「本当はみんなの前でパァーっとやりたかったのにぃ。中島殿が睨むからぁ」
と桃色の紙で作った桜吹雪を中島殿に投げかけている。
「駄目に決まってるじゃないですか! 藩の一大事なのに桜吹雪を散らしちゃったら大衆演劇になっちゃうじゃないですか!」
「えーっ、滅多にない御白州でのお裁きだったのにぃ」
と嘆く。
「あなた方、町奉行所の御二人はおちゃらけ過ぎます。転落事故の時も宮本殿と私が懸命に処理しているのにすぐに割り込もうとする。取り調べは必要ですがお裁きは必要ないんですよ。お裁きをしようと提案するのは決め台詞を言いたいからでしょ! 大体、転落事故で『これにて一件落着』ってなんですか! 意味分かんない!」
中島殿の扇子の風と、父と若木殿の鬼ごっこで勘定奉行所の広間では季節外れの桜吹雪が舞う。
みんなの笑顔でさらに嬉しくなっちゃった殿はついでに自分のお小遣いを桐間殿にせびった。
「今月は使い過ぎです」
と鰾膠も無く断られた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
あはれの継続
宮島永劫
ミステリー
一人の学芸員が行方不明になった。その学芸員はある美術品を追って片田舎の山田村に入ったらしい。その山田村は財政が健全で、美しい町並み、手つかずの自然が残っている。そこに目を付けた隣の市長・酒井は国から財政優遇措置を受けるため『平成の大合併』という名の侵略を企む。拒む山田村村長・宮本に対し、県知事・柳沢、秘書・柳生、秘境映像を狙うTVディレクター・水野、美術品を狙う学芸員・田沼など欲の深い人間が攻めてくる。祖父の田舎・山田村を守るために主人公・中島良文が立ち上がる。『あはれ』と美術品を巡る青春ミステリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
コドク 〜ミドウとクロ〜
藤井ことなり
ミステリー
刑事課黒田班に配属されて数ヶ月経ったある日、マキこと牧里子巡査は[ミドウ案件]という言葉を知る。
それはTMS探偵事務所のミドウこと、西御堂あずらが関係する事件のことだった。
ミドウはマキの上司であるクロこと黒田誠悟とは元同僚で上司と部下の関係。
警察を辞め探偵になったミドウは事件を掘り起こして、あとは警察に任せるという厄介な人物となっていた。
事件で関わってしまったマキは、その後お目付け役としてミドウと行動を共にする[ミドウ番]となってしまい、黒田班として刑事でありながらミドウのパートナーとして事件に関わっていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる