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挿話 社会見学
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小春日和、雷山の麓はとても寒いが陽当たりのいい薬院の庭は植物が青青と生い茂っていた。門で子どもたち五人が立っている。薬院の中から現れたのは国家老の中島良房だ。
「皆さん、山田藩の薬院にようこそ!」
「中島様、よろしくお願いします」
年は八歳くらいか、なんとなくソワソワしている、かわいい。山田藩の子は江戸の子と違って痩せている。炭水化物、とりわけ米の収穫が少ないからだ。
「これからこの施設の中を案内します。そこでお約束があります」
中島は声を大きくした。
「ここで栽培している植物の中には食べられるもの、お薬になるもの、そして気分が悪くなるものがあります。だから私がいいと言ったもの以外は触らないでください、採っちゃだめですよ」
「中島様、どうしてそんな気分が悪くなるような植物があるのですか?」
「もし悪い人が入ってきたら怖いですよね。採って食べて気持ち悪くなって出て行ってくれたらいいなぁっと思って植えました」
「そんなことをしなくても雷様のお仕置きがあると思います」
子どもたちに浸透しているわらべ歌、雷様の恐ろしさ。
「そうですね、その通りです。でも採らないでくださいね」
中島はさっそく案内した。
「これは大葉子、田んぼの畔道で見たことがあると思いますが咳を止める効果があります。どうしてもお腹がすいたら食べてください。これは蓬、見たことありますよね。怪我したところに生の葉を絞って塗ると血が止まります。おなかが痛いときに煎じて飲むとすっきりします」
身近なものから説明した。いつ飢饉に見舞われるか分からぬ、享保や天明の飢饉では飢えを凌ぐため雑草を食べていた。山田藩は産物が少ない、生き延びるための知恵を付けておかねばならない。
中島は足元の植物を次々説明していった。民間薬として巷で出回っている千振、現の証拠、蕺草、蘆薈の他、まだ名前も確定していない西洋から入ってきた植物、江戸で商人からこっそり買い取って持ち帰った名もない植物が植えてあった。そして、一番奥のどうしても採ってはいけない危険植物の方に移動した。
「ここに生えているのは鳥兜、走野草、梅蕙草、大芹です。これは危険ですから絶対採って食べてはいけません。どれくらい食べてはいけないのか実験してみましょう。この籠の鼠にこちらの葉を食べさせてみましょう」
葉を千切って籠に入れるとよほど空腹だったのか鼠はすぐに齧り始めた。しばらくすると落ち着きなく籠を這い回り、その後ひっくり返った。
「わぁ」
子どもたちが鼠の異変に驚いた。
「これらは雷山にいっぱい生えています。皆さん、小さいころから家の人に教わっていますよね、『雷山のものを採ってはいけない』と。寺子屋の山田藩の歴史の本にも書いてありますよね。雷様のものだから採ってはいけないのは当たり前なのですが、採って食べると気分が悪くなりますよ、と注意しているのです。済川と浄川より雷山側の山に入ってはいけません。山田藩からのお願いです。分かった人、手を挙げて」
「はいっ」
五人の手が一斉に元気よく上がった。お願いをしっかり守ってくださいよ、君たち。
「奥に雷様の雷石がありますね、大きいですね」
「いいところに気づきました。この雷石は特別です。三百年以上前に悪い奴が山田藩に入ってきて、皆さんのご先祖様をやっつけようとしたのです。戦闘の前にその悪い奴はここで休んでいました。すると突然、辺り一面真っ暗になったのです。太陽を隠す真っ黒な雲が沸き上がり、雷様が雷を落とし自身の一部であるこの石を悪い奴に投げたのです。悪い奴はこの石の下にいますよ」
「えーっ!?」
子どもたちはお互いに体を寄せた。死者が雷石の下にいる、怖がるのも無理はない。雷様の恐ろしさ、悪い奴は成敗される。
「皆さんは大丈夫です、悪いことをしていませんからね。雷様が怒ることはありません。では、次に大量に作っている薄荷を見ましょう」
中島は子どもたちに薄荷の葉を千切らせた。
「宮本様の匂いがします」
「それは私たち役人の黒の着物にこの薄荷を少し混ぜていますからね。この植物特有の匂いです」
「寺子屋に来るときや帰るときにこの匂いを嗅ぐことがあります」
「この薬院から漂うことをよく覚えておいて下さい。この薄荷と水で薄荷油と薄荷水を作っています。作っているところを見に行きましょう」
中島は建物内に入っていった。薬院は高温の源泉を持つ。その源泉の沸きだし口の上に大きな釜を置き、薄荷と水を入れると熱せられ蒸気が出る。その蒸気を集め冷やすとポタリポタリと容器に液体が集まる。一人の女性がその容器の液体から薄荷油を取り出していた。
「山田藩の薄荷油と薄荷水は江戸や大坂で売っています。良い香りがする、肌にいい、と評判になり売れています」
「中島様、あの部屋は何を行っているんですか?」
血色の良い賢そうな顔つきの子が奥の扉を指さした、さっきも毒草や雷石に気づいて質問してきた子、平次か太助の血筋か?
「あの部屋では先ほど説明した千振や現の証拠などを粉にしたり混ぜたりしています。腹痛や熱冷ましのお薬を作る場所です。あの扉の先では植物と薬に詳しい人がお仕事する場所です。例えば、喉が渇いたからといって井戸の水をたくさん飲んだらお腹を壊してしまうでしょう。薬も飲みすぎたり間違えると体を壊す、いわゆる『毒』になります。さぁ、みなさん、今日の社会見学は終わりです。皆さん、草木は大切にしてください。雷様もきっとお喜びになるでしょう」
外に出ると、この季節には珍しく蜂が飛んできた。
「ほら、あそこに蜂箱があります。蜂が花の蜜を集めてきます。それをちゃっかり頂いて売り物にしたり、丸薬を作ったりしています。季節がいい時はブンブン飛んで大変なんですよ。さぁ、雷山に向かって大きく深呼吸をしましょう」
薄荷の香りを胸いっぱい吸った五人は山田寺に向かった。この社会見学は中島が随時行っている。雷山の中に入らないように、そして人々の記憶に残らせるために。
「皆さん、山田藩の薬院にようこそ!」
「中島様、よろしくお願いします」
年は八歳くらいか、なんとなくソワソワしている、かわいい。山田藩の子は江戸の子と違って痩せている。炭水化物、とりわけ米の収穫が少ないからだ。
「これからこの施設の中を案内します。そこでお約束があります」
中島は声を大きくした。
「ここで栽培している植物の中には食べられるもの、お薬になるもの、そして気分が悪くなるものがあります。だから私がいいと言ったもの以外は触らないでください、採っちゃだめですよ」
「中島様、どうしてそんな気分が悪くなるような植物があるのですか?」
「もし悪い人が入ってきたら怖いですよね。採って食べて気持ち悪くなって出て行ってくれたらいいなぁっと思って植えました」
「そんなことをしなくても雷様のお仕置きがあると思います」
子どもたちに浸透しているわらべ歌、雷様の恐ろしさ。
「そうですね、その通りです。でも採らないでくださいね」
中島はさっそく案内した。
「これは大葉子、田んぼの畔道で見たことがあると思いますが咳を止める効果があります。どうしてもお腹がすいたら食べてください。これは蓬、見たことありますよね。怪我したところに生の葉を絞って塗ると血が止まります。おなかが痛いときに煎じて飲むとすっきりします」
身近なものから説明した。いつ飢饉に見舞われるか分からぬ、享保や天明の飢饉では飢えを凌ぐため雑草を食べていた。山田藩は産物が少ない、生き延びるための知恵を付けておかねばならない。
中島は足元の植物を次々説明していった。民間薬として巷で出回っている千振、現の証拠、蕺草、蘆薈の他、まだ名前も確定していない西洋から入ってきた植物、江戸で商人からこっそり買い取って持ち帰った名もない植物が植えてあった。そして、一番奥のどうしても採ってはいけない危険植物の方に移動した。
「ここに生えているのは鳥兜、走野草、梅蕙草、大芹です。これは危険ですから絶対採って食べてはいけません。どれくらい食べてはいけないのか実験してみましょう。この籠の鼠にこちらの葉を食べさせてみましょう」
葉を千切って籠に入れるとよほど空腹だったのか鼠はすぐに齧り始めた。しばらくすると落ち着きなく籠を這い回り、その後ひっくり返った。
「わぁ」
子どもたちが鼠の異変に驚いた。
「これらは雷山にいっぱい生えています。皆さん、小さいころから家の人に教わっていますよね、『雷山のものを採ってはいけない』と。寺子屋の山田藩の歴史の本にも書いてありますよね。雷様のものだから採ってはいけないのは当たり前なのですが、採って食べると気分が悪くなりますよ、と注意しているのです。済川と浄川より雷山側の山に入ってはいけません。山田藩からのお願いです。分かった人、手を挙げて」
「はいっ」
五人の手が一斉に元気よく上がった。お願いをしっかり守ってくださいよ、君たち。
「奥に雷様の雷石がありますね、大きいですね」
「いいところに気づきました。この雷石は特別です。三百年以上前に悪い奴が山田藩に入ってきて、皆さんのご先祖様をやっつけようとしたのです。戦闘の前にその悪い奴はここで休んでいました。すると突然、辺り一面真っ暗になったのです。太陽を隠す真っ黒な雲が沸き上がり、雷様が雷を落とし自身の一部であるこの石を悪い奴に投げたのです。悪い奴はこの石の下にいますよ」
「えーっ!?」
子どもたちはお互いに体を寄せた。死者が雷石の下にいる、怖がるのも無理はない。雷様の恐ろしさ、悪い奴は成敗される。
「皆さんは大丈夫です、悪いことをしていませんからね。雷様が怒ることはありません。では、次に大量に作っている薄荷を見ましょう」
中島は子どもたちに薄荷の葉を千切らせた。
「宮本様の匂いがします」
「それは私たち役人の黒の着物にこの薄荷を少し混ぜていますからね。この植物特有の匂いです」
「寺子屋に来るときや帰るときにこの匂いを嗅ぐことがあります」
「この薬院から漂うことをよく覚えておいて下さい。この薄荷と水で薄荷油と薄荷水を作っています。作っているところを見に行きましょう」
中島は建物内に入っていった。薬院は高温の源泉を持つ。その源泉の沸きだし口の上に大きな釜を置き、薄荷と水を入れると熱せられ蒸気が出る。その蒸気を集め冷やすとポタリポタリと容器に液体が集まる。一人の女性がその容器の液体から薄荷油を取り出していた。
「山田藩の薄荷油と薄荷水は江戸や大坂で売っています。良い香りがする、肌にいい、と評判になり売れています」
「中島様、あの部屋は何を行っているんですか?」
血色の良い賢そうな顔つきの子が奥の扉を指さした、さっきも毒草や雷石に気づいて質問してきた子、平次か太助の血筋か?
「あの部屋では先ほど説明した千振や現の証拠などを粉にしたり混ぜたりしています。腹痛や熱冷ましのお薬を作る場所です。あの扉の先では植物と薬に詳しい人がお仕事する場所です。例えば、喉が渇いたからといって井戸の水をたくさん飲んだらお腹を壊してしまうでしょう。薬も飲みすぎたり間違えると体を壊す、いわゆる『毒』になります。さぁ、みなさん、今日の社会見学は終わりです。皆さん、草木は大切にしてください。雷様もきっとお喜びになるでしょう」
外に出ると、この季節には珍しく蜂が飛んできた。
「ほら、あそこに蜂箱があります。蜂が花の蜜を集めてきます。それをちゃっかり頂いて売り物にしたり、丸薬を作ったりしています。季節がいい時はブンブン飛んで大変なんですよ。さぁ、雷山に向かって大きく深呼吸をしましょう」
薄荷の香りを胸いっぱい吸った五人は山田寺に向かった。この社会見学は中島が随時行っている。雷山の中に入らないように、そして人々の記憶に残らせるために。
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