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寛政元年 参勤交代
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寛政元年(一七八九)四月二十二日、山田藩の参勤交代が始まった。出発時は総勢十名で殿も含め皆、馬で進む。幕府より定められた従者人数は五十四人なのだが足りない人数分は関所の近くに住む人に足軽、中間を装わせ通過する。加賀藩は最低でも二千人の行列を作るというのに弱小山田藩ときたら、まぁ、華やかさが一切ない。
少ない隊列の真ん中で白馬に乗るのは山田藩藩主・神山山田守様だ。殿は参勤交代が大嫌いで時間短縮のため馬を疾走させ一日三十里以上進む、他の藩は一日約十里なのに。よその藩の殿様は籠に乗っているのにそれだと
「遅くなってしまう、嫌だ、なんとかせよ」
ということで組立式の籠なるものを作らせた。予め関所近くの山田藩関係者のもとにバラバラにして運んでおき、関所を通過するときだけ組立てて乗った。関ヶ原の戦いで徳川側の東軍についた殿は幕藩体制下で譜代大名となり、江戸では幕府より寺社奉行を任じられている。山田藩は土地が痩せて生産性が低く、稼ぎになるような産業がない貧乏藩だから参勤交代にお金をかけられない。貧相な隊列とはいえ馬で疾走する殿は他の藩主よりかっこよかった。殿は藩主として情け深いという天賦の才を有していた。愛嬌があって争いごとが大嫌い、妬みや嫉みが苦手と弱っちい。そのため、難しい役人が多い江戸では小さくなっているという。
殿のすぐ後ろに控える山田藩国家老・中島良房殿は才気あふれる逸材中の逸材、山田藩の現在、将来を案じ、難事に面しても様々な策を練って切り抜ける。中島家は親子で江戸家老、山田藩国家老の役に当たっている。山田藩が弱小ながら借金無しで延々と維持できているのは中島殿の政策による。よその藩は借金だらけで苦しんでいる中、特異な藩であった。中島殿は国家老の他、書院長と薬院長も務めている。筆記癖が代々続く中島家は山田藩に関するありとあらゆることを記録し書院に保管している。そのほか朝廷の文書、平安時代や鎌倉時代などその時代の人気の文学作品や漢文、有名な絵師の画など豊富に揃えてあるらしい。ただし、この書院の『あはれの彼方』と名付けられた部屋は殿と中島殿しか入れない。薬院は中島殿が植物の研究をする場所で多様な植物が育てられている。とりわけ飢饉の際に食べられるものは常に栽培していた。さらに薄荷を大量栽培し、熱湯の温泉を利用して蒸留した薄荷油と薄荷水を商品化していた。これは江戸や大坂で売られ財源の一部を担っていた。その上、養蜂も行い蜂蜜を商品化したり丸薬を作る際に用いていた。
隊列の先頭を行くのは祖父・宮本啓一郎、殿は父・宮本慎一郎が務める。私・宮本恒一郎は護衛のため殿の前に配置された。先祖代々、宮本家は番頭として殿の護衛の他、寺社奉行、雷山神社の神職、山田藩全員の菩提寺・山田寺の管理、藩内の土地と人口の管理、新田開発から区画整理、藩校や寺子屋など教育機関の管理、大雪の時の雪かき、排水溝のつまりの解消などありとあらゆる何でも屋を担っていた。その宮本家の中で大まかな割り振りがあって、町の見回り、藩校と寺子屋の授業、道場で作法の指導は最高齢の曾祖父の宮本孝一郎が務める。今回は藩で留守番、私と世代交代なのだろう。寺社奉行、番頭の各仕事の総元締めは祖父の宮本啓一郎が務める。父の宮本慎一郎が雷山神社の神職を務める。一番下っ端の私は雑用係で、父と私の二人で残りの山のような雑務をこなしていた。宮本家の次男は江戸、もしくは大坂の山田藩屋敷に在中して米の取り扱い、山田藩の納入物の管理など山田藩に関する一切の仕事をしている。
「お調子者でアホな宮本の先祖が中島殿の先祖に騙されて役をたくさん押し付けられた」
と曾祖父が言っていた。
山田藩は中島殿、宮本の他、関所や門番、勘定奉行、町奉行など精鋭の二十人で回していた。
「見栄よりも実質ですよ」
と中島良房殿は涼しい顔でいつも言う。江戸は物価が高く、屋敷の維持も大変だ。うちは譜代大名ゆえ外様大名のような『お手伝普請』という多額の費用が掛かる公共事業の仕事は受けぬが、幕府から金の無心の話し合いでは江戸家老の中島孝明殿が殿に山田藩の窮状を嘆き続ける知恵を授け、うまい具合に躱してよその見栄っ張りの藩主に押し付けていた。実際、お金をかけられないので他の藩に比べ江戸の山田藩大名屋敷は地味だ。
出発前、曾祖父と祖父に口酸っぱく言われてきたことがある。
「恒一郎、参勤交代中は絶対笑うな」
「恒一郎、参勤交代中は常に黙っていろ」
「恒一郎、参勤交代中はよそ見をせぬように」
「恒一郎、参勤交代中は山田藩以外の者と話すな」
「恒一郎、参勤交代中は困った人を見かけても無視せよ」
これらは中島良房殿からも普段何も言わない父からも言われた。とにかく目立ってはならぬ、楽しそうにしていれば余裕があると思われ容赦なく幕府から貪られるから、と。江戸は貧富の差が大きいため貧しい人がいるので私が行動に移してしまうことを曾祖父と祖父は心配していた。宮本家の人間は山田藩内の住人が困っていると世話をするのだが、そのようなことをいっさいしてはならぬと厳命された。困っている人を見かけても無視とは・・・、ちょっと辛いな。それに目立たぬようにと言われても・・・、昔からの疑問だが殿、中島家、宮本家はみんなとても背が高い。宮本家は番頭として殿の護衛を兼ねているので武芸一般を身に付けねばならず幼い頃より扱かれたら大男になってしまった。普通の男性が五尺一寸なのに祖父と私は六尺だ。殿も同じく六尺、中島殿が五尺八寸、父に至っては六尺一寸で遠くにいてもすぐ分かった。山田藩の役人の正装はすべて黒かつ無地、洒落っ気がない。全身黒尽くめの背の高い集団、目立たないわけがない。地味で不愛想で華やぎなし、貧乏くさいでしょう、ということなのだろうか。
山田藩の参勤交代は馬で駆け抜けるため街道沿いの地元の農民が気付かないほど速やかだった。よその藩は宿場町に用意された陣屋に泊まるのだが我が藩は中島殿が経営する宿に泊まる。そこは山田藩出身者が働いている。この宿で働くものは宿泊の用意はもちろんのこと、足軽・中間の手配、山田藩の流通の中継点として荷車や馬の整備の仕事も兼ねている。宿に入ると殿、中島良房殿、宮本家三世代の五人は一息ついた。
「恒一郎君、初めての参勤交代はどうですか?」
殿が自ら私に話しかけてきた。山田藩を出てから初めて口を開く。
「はい、隊の行進についていくのに必死でありました」
「でしょ、先頭の啓一郎殿は飛ばしますからね。昔、私は今回お留守番の孝一郎殿にしっかり乗馬の基礎を教えてもらい乗れるようになりました。私、長旅が苦手、乗り物酔いがひどくて籠で揺られるのは耐えられないんです。関所で仕方なく乗っていますが、籠の中で大変なことになっています。馬だったら、まぁ前に走るしかないような気になりますし、後ろの中島に怒られるから進むしかないんですよ。ほんと江戸にちっとも行きたくないんです、騒がしくてね。ほんと、山田藩はいいところですよ」
「はい、山田藩は素晴らしく、殿に仕えられる幸せを日々感じております」
「恒一郎君はほんと孝一郎殿に似ていますね。この参勤交代で父上の慎一郎のように人気者になるでしょう。このようにかわいいと江戸のみなさんが放っておきません。絶対不愛想にしてくださいね」
かわいい? 父が人気者?
「不愛想でいることは肝に銘じております。殿に迷惑かけぬよう心して勤めます」
「江戸での勤番がない宮本家は参勤交代の時にしか江戸に現れないからね。皆さん、楽しみにしていますよ」
「そうですか。江戸で用事を済ませたらすぐに山田藩に戻ろうと思います」
「そういえば、ちょっとキョロキョロしていましたかね、初めて見る景色だから仕方ないんだけど、明日から気を付けてね」
「申し訳ございませんっ!」
バレてた、殿に。恥ずかしい。情ない。みんなの笑い声が聞こえる。
翌日からも同じように馬で駆け抜けた。私は先頭の祖父しか見ないようにした。とはいえ後ろにいる殿の守護役を仰せつかっている、気配をしっかり読み取らねば、しっかりせい、私!
やっと江戸の敷地内に入る。なんと人の多いことよ、いや、見てはいかん、前を見るのみ、殿の気配に集中しろ!
「山田藩の参勤交代だわ♡」
「きゃー!」
聞くな、見るな、落ち着け。
「あの可愛い子、もしかして宮本様の?」
見てはいかん、気にしてはいかん。屋敷に近づくにつれ、ますます、沿道に人が増えている。女性の黄色い声が耳に入ってくる、うっ、気になる、いかん、集中せよ。早く屋敷に着かないかなぁ。
「あの子、初めて見るわね♡」
「中島さまぁ♡」
「こっち向いて~♪」
「宮本さまぁ♡」
なんだこれは、うっ、辛い。
屋敷の周りにも案の定、見物客がいた。殿は光源氏を思わせる上品で高貴な色男、中島良房殿は溢れる知性にすらりとやせ型の美男子、祖父は威厳があって怖そうだが正義感あふれる偉丈夫、父は鍛え抜かれた体に似合わぬ優しい顔立ち、いつも見ているとはいえ揃うと華やか、目を奪われるだろうな。山田藩の女性陣が従順なのは殿、中島家、宮本家の外見によるんじゃないかといつも疑っている。それにしても黄色い声、気になる、見てはいかん。殿、中島良房殿、宮本家三人、他の従者、みな口を真一文字にして一言も発さない。騎乗したまま屋敷に入った。屋敷に入ってもしばらく誰も何も言わない。まずは殿の奥方とご子息に挨拶に行く。江戸在住の奥方はなんとも余所余所しい、不愛想だ。山田藩の女性とは違うのは明らかだ。政略結婚でやってきた湯石津藩の森井殿の姫君、気位が高く、貧乏な山田藩に不満を持っている。殿が甘い言葉をかけても発する最初の言葉が
「いいえ」
と手厳しい。心優しい殿が気の毒だ。世継ぎの千代松様は江戸家老・中島孝明殿と真固度村出身の乳母がしっかり面倒見ているとのことで殿の高貴で優しい性質が強く出ている、良かった。その後、弟の浩二郎や叔父、江戸屋敷の役人と面会し、最後に江戸家老の中島孝明殿が待っている書院を兼ねた離れへ向かった。向かうのは殿、国家老の中島良房殿、宮本三世代の五人だ。離れにはいろんな酒や見たことも食べたこともない料理が用意されていた。ここにきてやっとみんな目元、口元が緩んだ。江戸家老の中島孝明殿が殿に食事を勧める。
「殿、ご苦労さまでした。さぁ、召し上がってください」
「嫌だ! これを食べると江戸の生活が始まってしまう!」
「何を言ってるんですか! 一年、よろしくお願いしますよ」
「分かってます、中島の言うことは何でも聞きます。でも、一年長いよなぁ、はぁー、宮本、私と変われ!」
「無理に決まってますよ、殿の代わりはおりません」
「あー、いいなぁ、宮本はすぐ帰れて」
「えぇ、江戸は苦手ですから、騒がしくて」
祖父は高らかに、父は静かに笑う、私はどうしよう、笑っていいのか? 端に座る私に殿が気付く。
「恒一郎君、どうですか、初めての江戸は」
「無理です、人が多すぎて私には向いておりません。皆様から絶対見るなと厳命され、必死で前ばかり見ておりました。見てはならぬ、口を開けてはならぬ、ということがこんなに難しいとは」
みんな吹き出す。私以外はお酒が進み、赤ら顔だ。中島親子が話しかけてくる。
「江戸のみなさん、喜んでいましたよ、若くて格好良い男子が加わったと」
「お父様の人気は絶大ですが、これまたかわいい偉丈夫が来たと江戸の女性たちは浮かれている事でしょう。ただし、絶対愛想よくしてはいけませんよ。江戸では絶対我慢してくださいね。江戸に都が移り、参勤交代制が始まる前から殿、宮本家、中島家は必死で取り繕ってきました。派手なものが好まれる世の中、うちは生き残ることで精一杯です。徳川様の改易で藩自体が無くなったり、転封で城主がいなくなったり、減封で領地を減らされたりとよその藩は大変なのですが、山田藩はそのようなことがないようにひたすら耐え忍んできています。貴方は宮本家の立派な世継ぎ、私たちと強かに生きていきましょう」
「はい、心して任に当たります」
殿が徳利をもって近づいてきた。
「恒一郎君は二十歳過ぎているよね、どうぞ」
殿からお酒を注いでもらう、なんという光栄。
「さぁ、ぐいっといっちゃって」
殿に勧められるまま、一気に飲む。わぁ、いい香り、豊かな味わい、高級なお酒だ、おいしい!
「あ、いける口ね、ほら、もう一杯」
殿に次々と勧められる、私は断る術を知らない。中島良房殿が止めに入る。
「殿、恒一郎君をあまりいじめなさいますな」
大丈夫です、と言いたいがくらくらしてきた、気持ちが悪い、しっかりせよ、殿の面前だ・・・。私はドサリと倒れてしまった。
「宮本家は相変わらず面白いですねぇ」
「恒一郎君もたくさん話題を振り撒きそうですね」
みんなの笑い声が聞こえる、あぁ、最悪だ・・・。
少ない隊列の真ん中で白馬に乗るのは山田藩藩主・神山山田守様だ。殿は参勤交代が大嫌いで時間短縮のため馬を疾走させ一日三十里以上進む、他の藩は一日約十里なのに。よその藩の殿様は籠に乗っているのにそれだと
「遅くなってしまう、嫌だ、なんとかせよ」
ということで組立式の籠なるものを作らせた。予め関所近くの山田藩関係者のもとにバラバラにして運んでおき、関所を通過するときだけ組立てて乗った。関ヶ原の戦いで徳川側の東軍についた殿は幕藩体制下で譜代大名となり、江戸では幕府より寺社奉行を任じられている。山田藩は土地が痩せて生産性が低く、稼ぎになるような産業がない貧乏藩だから参勤交代にお金をかけられない。貧相な隊列とはいえ馬で疾走する殿は他の藩主よりかっこよかった。殿は藩主として情け深いという天賦の才を有していた。愛嬌があって争いごとが大嫌い、妬みや嫉みが苦手と弱っちい。そのため、難しい役人が多い江戸では小さくなっているという。
殿のすぐ後ろに控える山田藩国家老・中島良房殿は才気あふれる逸材中の逸材、山田藩の現在、将来を案じ、難事に面しても様々な策を練って切り抜ける。中島家は親子で江戸家老、山田藩国家老の役に当たっている。山田藩が弱小ながら借金無しで延々と維持できているのは中島殿の政策による。よその藩は借金だらけで苦しんでいる中、特異な藩であった。中島殿は国家老の他、書院長と薬院長も務めている。筆記癖が代々続く中島家は山田藩に関するありとあらゆることを記録し書院に保管している。そのほか朝廷の文書、平安時代や鎌倉時代などその時代の人気の文学作品や漢文、有名な絵師の画など豊富に揃えてあるらしい。ただし、この書院の『あはれの彼方』と名付けられた部屋は殿と中島殿しか入れない。薬院は中島殿が植物の研究をする場所で多様な植物が育てられている。とりわけ飢饉の際に食べられるものは常に栽培していた。さらに薄荷を大量栽培し、熱湯の温泉を利用して蒸留した薄荷油と薄荷水を商品化していた。これは江戸や大坂で売られ財源の一部を担っていた。その上、養蜂も行い蜂蜜を商品化したり丸薬を作る際に用いていた。
隊列の先頭を行くのは祖父・宮本啓一郎、殿は父・宮本慎一郎が務める。私・宮本恒一郎は護衛のため殿の前に配置された。先祖代々、宮本家は番頭として殿の護衛の他、寺社奉行、雷山神社の神職、山田藩全員の菩提寺・山田寺の管理、藩内の土地と人口の管理、新田開発から区画整理、藩校や寺子屋など教育機関の管理、大雪の時の雪かき、排水溝のつまりの解消などありとあらゆる何でも屋を担っていた。その宮本家の中で大まかな割り振りがあって、町の見回り、藩校と寺子屋の授業、道場で作法の指導は最高齢の曾祖父の宮本孝一郎が務める。今回は藩で留守番、私と世代交代なのだろう。寺社奉行、番頭の各仕事の総元締めは祖父の宮本啓一郎が務める。父の宮本慎一郎が雷山神社の神職を務める。一番下っ端の私は雑用係で、父と私の二人で残りの山のような雑務をこなしていた。宮本家の次男は江戸、もしくは大坂の山田藩屋敷に在中して米の取り扱い、山田藩の納入物の管理など山田藩に関する一切の仕事をしている。
「お調子者でアホな宮本の先祖が中島殿の先祖に騙されて役をたくさん押し付けられた」
と曾祖父が言っていた。
山田藩は中島殿、宮本の他、関所や門番、勘定奉行、町奉行など精鋭の二十人で回していた。
「見栄よりも実質ですよ」
と中島良房殿は涼しい顔でいつも言う。江戸は物価が高く、屋敷の維持も大変だ。うちは譜代大名ゆえ外様大名のような『お手伝普請』という多額の費用が掛かる公共事業の仕事は受けぬが、幕府から金の無心の話し合いでは江戸家老の中島孝明殿が殿に山田藩の窮状を嘆き続ける知恵を授け、うまい具合に躱してよその見栄っ張りの藩主に押し付けていた。実際、お金をかけられないので他の藩に比べ江戸の山田藩大名屋敷は地味だ。
出発前、曾祖父と祖父に口酸っぱく言われてきたことがある。
「恒一郎、参勤交代中は絶対笑うな」
「恒一郎、参勤交代中は常に黙っていろ」
「恒一郎、参勤交代中はよそ見をせぬように」
「恒一郎、参勤交代中は山田藩以外の者と話すな」
「恒一郎、参勤交代中は困った人を見かけても無視せよ」
これらは中島良房殿からも普段何も言わない父からも言われた。とにかく目立ってはならぬ、楽しそうにしていれば余裕があると思われ容赦なく幕府から貪られるから、と。江戸は貧富の差が大きいため貧しい人がいるので私が行動に移してしまうことを曾祖父と祖父は心配していた。宮本家の人間は山田藩内の住人が困っていると世話をするのだが、そのようなことをいっさいしてはならぬと厳命された。困っている人を見かけても無視とは・・・、ちょっと辛いな。それに目立たぬようにと言われても・・・、昔からの疑問だが殿、中島家、宮本家はみんなとても背が高い。宮本家は番頭として殿の護衛を兼ねているので武芸一般を身に付けねばならず幼い頃より扱かれたら大男になってしまった。普通の男性が五尺一寸なのに祖父と私は六尺だ。殿も同じく六尺、中島殿が五尺八寸、父に至っては六尺一寸で遠くにいてもすぐ分かった。山田藩の役人の正装はすべて黒かつ無地、洒落っ気がない。全身黒尽くめの背の高い集団、目立たないわけがない。地味で不愛想で華やぎなし、貧乏くさいでしょう、ということなのだろうか。
山田藩の参勤交代は馬で駆け抜けるため街道沿いの地元の農民が気付かないほど速やかだった。よその藩は宿場町に用意された陣屋に泊まるのだが我が藩は中島殿が経営する宿に泊まる。そこは山田藩出身者が働いている。この宿で働くものは宿泊の用意はもちろんのこと、足軽・中間の手配、山田藩の流通の中継点として荷車や馬の整備の仕事も兼ねている。宿に入ると殿、中島良房殿、宮本家三世代の五人は一息ついた。
「恒一郎君、初めての参勤交代はどうですか?」
殿が自ら私に話しかけてきた。山田藩を出てから初めて口を開く。
「はい、隊の行進についていくのに必死でありました」
「でしょ、先頭の啓一郎殿は飛ばしますからね。昔、私は今回お留守番の孝一郎殿にしっかり乗馬の基礎を教えてもらい乗れるようになりました。私、長旅が苦手、乗り物酔いがひどくて籠で揺られるのは耐えられないんです。関所で仕方なく乗っていますが、籠の中で大変なことになっています。馬だったら、まぁ前に走るしかないような気になりますし、後ろの中島に怒られるから進むしかないんですよ。ほんと江戸にちっとも行きたくないんです、騒がしくてね。ほんと、山田藩はいいところですよ」
「はい、山田藩は素晴らしく、殿に仕えられる幸せを日々感じております」
「恒一郎君はほんと孝一郎殿に似ていますね。この参勤交代で父上の慎一郎のように人気者になるでしょう。このようにかわいいと江戸のみなさんが放っておきません。絶対不愛想にしてくださいね」
かわいい? 父が人気者?
「不愛想でいることは肝に銘じております。殿に迷惑かけぬよう心して勤めます」
「江戸での勤番がない宮本家は参勤交代の時にしか江戸に現れないからね。皆さん、楽しみにしていますよ」
「そうですか。江戸で用事を済ませたらすぐに山田藩に戻ろうと思います」
「そういえば、ちょっとキョロキョロしていましたかね、初めて見る景色だから仕方ないんだけど、明日から気を付けてね」
「申し訳ございませんっ!」
バレてた、殿に。恥ずかしい。情ない。みんなの笑い声が聞こえる。
翌日からも同じように馬で駆け抜けた。私は先頭の祖父しか見ないようにした。とはいえ後ろにいる殿の守護役を仰せつかっている、気配をしっかり読み取らねば、しっかりせい、私!
やっと江戸の敷地内に入る。なんと人の多いことよ、いや、見てはいかん、前を見るのみ、殿の気配に集中しろ!
「山田藩の参勤交代だわ♡」
「きゃー!」
聞くな、見るな、落ち着け。
「あの可愛い子、もしかして宮本様の?」
見てはいかん、気にしてはいかん。屋敷に近づくにつれ、ますます、沿道に人が増えている。女性の黄色い声が耳に入ってくる、うっ、気になる、いかん、集中せよ。早く屋敷に着かないかなぁ。
「あの子、初めて見るわね♡」
「中島さまぁ♡」
「こっち向いて~♪」
「宮本さまぁ♡」
なんだこれは、うっ、辛い。
屋敷の周りにも案の定、見物客がいた。殿は光源氏を思わせる上品で高貴な色男、中島良房殿は溢れる知性にすらりとやせ型の美男子、祖父は威厳があって怖そうだが正義感あふれる偉丈夫、父は鍛え抜かれた体に似合わぬ優しい顔立ち、いつも見ているとはいえ揃うと華やか、目を奪われるだろうな。山田藩の女性陣が従順なのは殿、中島家、宮本家の外見によるんじゃないかといつも疑っている。それにしても黄色い声、気になる、見てはいかん。殿、中島良房殿、宮本家三人、他の従者、みな口を真一文字にして一言も発さない。騎乗したまま屋敷に入った。屋敷に入ってもしばらく誰も何も言わない。まずは殿の奥方とご子息に挨拶に行く。江戸在住の奥方はなんとも余所余所しい、不愛想だ。山田藩の女性とは違うのは明らかだ。政略結婚でやってきた湯石津藩の森井殿の姫君、気位が高く、貧乏な山田藩に不満を持っている。殿が甘い言葉をかけても発する最初の言葉が
「いいえ」
と手厳しい。心優しい殿が気の毒だ。世継ぎの千代松様は江戸家老・中島孝明殿と真固度村出身の乳母がしっかり面倒見ているとのことで殿の高貴で優しい性質が強く出ている、良かった。その後、弟の浩二郎や叔父、江戸屋敷の役人と面会し、最後に江戸家老の中島孝明殿が待っている書院を兼ねた離れへ向かった。向かうのは殿、国家老の中島良房殿、宮本三世代の五人だ。離れにはいろんな酒や見たことも食べたこともない料理が用意されていた。ここにきてやっとみんな目元、口元が緩んだ。江戸家老の中島孝明殿が殿に食事を勧める。
「殿、ご苦労さまでした。さぁ、召し上がってください」
「嫌だ! これを食べると江戸の生活が始まってしまう!」
「何を言ってるんですか! 一年、よろしくお願いしますよ」
「分かってます、中島の言うことは何でも聞きます。でも、一年長いよなぁ、はぁー、宮本、私と変われ!」
「無理に決まってますよ、殿の代わりはおりません」
「あー、いいなぁ、宮本はすぐ帰れて」
「えぇ、江戸は苦手ですから、騒がしくて」
祖父は高らかに、父は静かに笑う、私はどうしよう、笑っていいのか? 端に座る私に殿が気付く。
「恒一郎君、どうですか、初めての江戸は」
「無理です、人が多すぎて私には向いておりません。皆様から絶対見るなと厳命され、必死で前ばかり見ておりました。見てはならぬ、口を開けてはならぬ、ということがこんなに難しいとは」
みんな吹き出す。私以外はお酒が進み、赤ら顔だ。中島親子が話しかけてくる。
「江戸のみなさん、喜んでいましたよ、若くて格好良い男子が加わったと」
「お父様の人気は絶大ですが、これまたかわいい偉丈夫が来たと江戸の女性たちは浮かれている事でしょう。ただし、絶対愛想よくしてはいけませんよ。江戸では絶対我慢してくださいね。江戸に都が移り、参勤交代制が始まる前から殿、宮本家、中島家は必死で取り繕ってきました。派手なものが好まれる世の中、うちは生き残ることで精一杯です。徳川様の改易で藩自体が無くなったり、転封で城主がいなくなったり、減封で領地を減らされたりとよその藩は大変なのですが、山田藩はそのようなことがないようにひたすら耐え忍んできています。貴方は宮本家の立派な世継ぎ、私たちと強かに生きていきましょう」
「はい、心して任に当たります」
殿が徳利をもって近づいてきた。
「恒一郎君は二十歳過ぎているよね、どうぞ」
殿からお酒を注いでもらう、なんという光栄。
「さぁ、ぐいっといっちゃって」
殿に勧められるまま、一気に飲む。わぁ、いい香り、豊かな味わい、高級なお酒だ、おいしい!
「あ、いける口ね、ほら、もう一杯」
殿に次々と勧められる、私は断る術を知らない。中島良房殿が止めに入る。
「殿、恒一郎君をあまりいじめなさいますな」
大丈夫です、と言いたいがくらくらしてきた、気持ちが悪い、しっかりせよ、殿の面前だ・・・。私はドサリと倒れてしまった。
「宮本家は相変わらず面白いですねぇ」
「恒一郎君もたくさん話題を振り撒きそうですね」
みんなの笑い声が聞こえる、あぁ、最悪だ・・・。
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