あはれの彼方

宮島永劫

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挿話 道場破り

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 戦国時代が終わり幕藩体制が整うと、戦乱の世に現れた戦闘者の武士のなかから諸国で武者修行し、時には命を懸けて試合に挑み、武芸の道を窮める者がいた。須田すたしんはすべての藩の道場を破ってやろうと旅を続けていた。幕府より武芸が奨励されているため各地に道場があった。そこの門を叩いて手合わせを願う。そして試合に挑み、磨いた腕を披露した。時には派手なことが好きな殿様が開く大会に出場し、殿様の面前で相手を負かし褒美をもらったこともあった。
 さてさて、今度の山田藩は武士が極めて少ない一風変わった藩と聞く。霊山雷山を所有する弱小藩で雷山にいらっしゃるという雷様のお怒りに触れると恐ろしいことが身に降りかかる、との噂だ。先の戦乱の世で武功もなく、戦ったという話が全くない。取るに足らぬ藩かもしれぬ。遠くからひときわ高い霊山雷山が見える。
「あの頂を取ってやる」
と意気込み、山田藩関所に向かう。
 関所は静かだった、荷物の運び屋、旅人がいないからだ。すぐさま役人に通行手形を見せる。
「名目は旅行ですか。ちなみに山田藩は雷山以外なにもありませんよ。これから山田藩の中心部に向かっても食事処はもう閉まっていますよ」
「えっ・・・、今夜くらい我慢します」
「来てもらってすぐになんですが入藩拒否です。一軒ある宿は予約制で当日の宿泊はできません。山田藩は治安維持のため野宿は禁止しております。今から城内に行っても戻ってくる頃にはこの関所が閉門しています。ですから明日また来てください」
にべもなく追い返された。拍子抜けだ・・・。旅行はあくまで仮の目的、道場破りが本当の目的だ、今日は我慢、正当に戦って名を挙げるんだ。
 翌朝、開門と同時に関所に入る。宿はいらない、日帰り観光だから、と言って関所を抜ける。訪れる二十藩目、区切りがいい。城を目指して歩く。目の前に広がる田畑、道、水路、すべて美しく整備されていた。このように整った景観は初めて目にする。戦乱で荒れなかったこと、昔から整備が行き届いていたことが推測できる。ここの先祖は頭の良い人だったのだろう。
 道中、誰にも行き違わない。人がいても自分の仕事に励んで私のことなど興味を示さない。というか、避けられているような・・・、気の迷いか?
 城に近づくと、少し賑わいがある。所々で朝採れの野菜、惣菜などを並べて売っていた。何か腹の足しになるものはないか。探しても主食になるものはない。唯一あった粟飯は江戸よりもどこよりも高かった。驚く私に売り子は、
「山田藩はとても貧しいので、白い飯などは売っておりません」
と静かに言う。とりあえず腹を満たさねば、と仕方なしに言われた値で買う、ほおばる、バサバサだ、おいしくない。
「この藩の道場はどこにある?」
売り子は不思議そうに私を見る。
「道場とは何でしょう?」
えぇっ、道場を知らないのか? 
「武士が武芸を練習するところだ」
「あぁ・・・、どうしましょう」
売り子は困り、おどおどした。年端のいかぬ娘では話にならん。すると、日向ぼっこをしていたよぼよぼのばあさんが口を挟む。
「旅の人、やめなされ、うちは武芸で名を挙げなさる人はおりません」
「しかし、武士がいる限り武芸は行われているでしょう」
「多分、どこかで行われているでしょう。しかし、よその者と戦うようなことは致しませんでしょう」
「では、道場はないのか?」
「寺子屋の横に子どもを相手に練習するところがあります」
「そこでよい、教えろ」
「おやめください、お帰りください」
と老婆は声を上げる。すると売り子も
「お願いです、お帰り下さい」
と平伏す。なんだ、これは。町民ごときが道場破りを拒むとは、刀の柄に手をかける。いかん、我慢せねば、こんなことで騒動を起こすわけにはいかぬ、私は天下無双を目指すもの、町人ごときに目くじらを立ててはいかん。これを見ていた男が慌てて走っていく。どこに報告に行くのだろう? 私はその後を追った。男が走っていく先は黒門の屋敷、寺社奉行所であった。門番が取り合っている。私は固唾を飲んで門前に仁王立ちしていた。しばらくすると中から私をはるかにしのぐ大男が出てきた。
「あぁ、宮本様」
駆けつけた女性陣がその恰幅の良い男を見つめている、それも熱視線で。
「何か御用でしょうか?」
低くうなるような声、うっ、ここでたじろいでは駄目だ。
「初めまして、私は鳥須とり藩の武士、須田信世と申します。諸国を旅し、武者修行しております」
「それはご苦労様です。それで何か」
「この藩の剣豪とお手合わせを願いたい」
「うちの藩、剣豪なんていませんよ」
「えっ?」
周りにいるみんなが吹き出す。
「お帰り願えませんか? ご希望に添えなくて申し訳ありません」
身長五尺七寸の私はどこに行っても頭一つに抜きんでている。ところが、その私よりも背が高い黒づくめの役人が頭を下げる。
「いや、これでは帰れません。先ほど寺子屋に道場があると聞きました」
「あぁ、道場破りですか。それなら寺子屋の道場の看板をどうぞ、お持ち帰りください」
門番が口に手を当て背中を震わせて笑っている。集まってきた者たちのクスクス笑う声、あぁ、腹立たしい、引くに引けない。
「いや、それではあなたにお手合わせをお願いします。あなたを見て、あなたが最も強い人と直感しました」
「私の身内は寺子屋の道場の管理者でして、その管理者の身内が、看板をどうぞ、とお願いしています。あなたの立派な勝利です」
見回すと見物人すべて笑いをこらえていた。門番が口を挟んだ。
「すみませんが、お帰り下さい。うちはこういう事情なものですから」
私は返事のしようがなかった。
「この方が寺子屋に行くならば私がご案内しましょう。看板を外すときに障子を破られても困りますから」
大男自ら看板を外すのか?
「看板をお渡ししますので、それで帰ってください。わざわざ来てくださったのに申し訳ありません」
見に来た人々の笑い声、耳障りだ。その上、女たちは大男を潤んだ目で見ている。私は見世物か、大男に振り回されている。なんだ、この屈辱は、言葉は優しく所作も美しく穏やかなのに絶対戦わないという強固な態度のせいだ。
「少しお待ちください」
大男は集まってきた人々の前に行った。
「今から寺子屋に行くことになりました。せっかくなので子どもたちと一緒に行きたいのですが、お願いできませんか? ここに集合で」
「分かりました」
と一部の人間が足早に帰った。大男は門番の方を向く。
「机の土地の記録はそのままにしておいてください、散らかしっぱなしですみません」
「そんな、宮本様、ただでさえお忙しいのに」
「いえ、この方は剣豪、諸国を巡っておられる強い方です。我が藩に手合わせができるような剣士はいません。負けるのが分かっていて戦うものはおりませんし、相手をさせるわけにいきません。役人として山田藩の皆さんの命を守ることが一番大切な仕事です。ここは私の願いをこの剣士様に聞きとどけてもらおうと思います」
「宮本様・・・」
門番もうっとり宮本様を見つめている。
「みやもとさまぁ」
子どもたちが集まってきた。十人くらいか、六歳くらいと見える。まだ一人で寺子屋に行けぬような幼子もいる。
「ありがとうございます、今日は一緒に行きましょう」
「はいっ」
「いい返事ですね。それではみなさん、お騒がせしてすみません。仕事にお戻りください」
大男は一礼すると寺子屋に向かった。見物人は大男を見届けると仕事に戻った。私は狐に化かされているようだった。仕方なく、大男の後についていった。
「みなさん、ちゃんと家の仕事をしてきましたか?」
「はい、洗濯ものを絞りました」
「それはいいですね、洗濯は大変ですからね」
「私はかまどの灰をかき集めました」
「灰を扱うのは大変です、ご苦労様でした」
子どもたちは喜んで自分の仕事自慢をしていた。剣の腕を振るいにきた私、なんでこんなことになっているんだろう、子どもの引率? 山田藩の武勇伝がないとはこういうことか、今ではよく分かる。雷山から吹き下ろす風はひんやり冷たい。
「剣士様、私どもは雷山のふもとに住むものです。雷山から吹き下ろす冷たい風は作物の成長を妨げます。痩せた土地なので生産性が低いためこのような小さな子どもたちにも働いてもらっています。なんとか生き延びる知恵を付けてもらっています」
立ち止まり、見上げる雷山、特別な山、子どもたちが歌いだす。

   ごろごろごろごろ
   雷様がお怒りだ
   嘘をつくもの
   欲深きもの
   盗み取るもの
   あさましきもの
   雷様が罰を下す
   雷様のお仕置きだ
   風の雷によりさらわれる
   水の雷により溺れ死に
   石の雷により潰される
   気の雷により狂い死に  
   雷様を怒らすまい
   雷様を怒らすまい

背筋が凍る、子どもの声から聴く歌としてはこの上なく恐ろしい内容のわらべ歌だ。
「子どもたちをはじめ、山田藩の皆さんは雷山を恐れております。剣士様も近づかないでくださいね、私は助けられませんので」
「あなたはあの山に入ったことはありますか?」
「えぇ、役職上、雷山に関係していますのでね。でも、絶対一人で入りません。怖くて、それはもう怖くて」
怯えたふりをする大男に子どもたちは笑う。
「剣士様、みやもとさまが一番強いって母ちゃんが言ってましたよ」
一人の子供が嬉しそうに、そして自慢げに私に話しかけた。
「みやもとさまが守護神だって、ばあちゃんが言ってました」
「とんでもありません。私は腰抜けですよ。図体がでかいだけの弱虫です」
大男の困り顔にみんな嬉しそうだ。
「みやもとさまぁ、私はじいちゃんとばあちゃんと一緒にお宮様に行ってお参りしました」
「それは立派です。雷山神社までなら問題ありません。管理人もいますからね。ぜひ続けてくださいね。雷様はお喜びでしょう」
「私も母と一緒に」
「私も」
子どもたちが我よ我よと話しかける。そうしているうちに一番小さな子が転んだ。
「わぁーん」
「おやおや、これは大変、私の歩みが早すぎたでしょうか」
まだ四歳くらいであろう、母親に急かされたか、兄弟にくっついてきてしまったか。大男は座り込んで泣いている男の子をひょいと抱え上げた。
「痛いの痛いの飛んでけぇ」
大男のまじないは子どもを笑顔にした。この人は藩内でも重要職だろう。それなのになんだ、この優しさは。
 歩きながら大男は子どもたちに論語を諳んじさせた。

   学而時習之 不亦説乎 
   朋有自遠方来 不亦楽乎 
   人不知而不慍 不亦君子乎

朋、遠方より来る、私のことか? 楽しからずや? 私が来てくれて楽しい? 人に知られなくても恨まない、それが君子? 私は武勇で名を挙げにきたのに。私は自分の中のなにかが壊れていくのを感じた。
 道場に着くと大男は看板を取り外しにかかった。
「あの、もういいです」
私から戦う気力はとっくに抜けていた。大男は私をじっと見つめる。
「宮本様のおっしゃることはよく分かりました。そして、あなたが一番強いことが分かりました」
「そんな、私は図体が大きいだけの役人です。貴方の方がたくさん相手を倒してきたことでしょう」
「いえ、私はとても敵いません。ずっと子どもたちに危害が及ばないよう歩いておられました。隙が一つもありません。それだけでなく心の強さを感じます。今の私ではとても敵いません」
「そんな大げさな。でも、ありがとうございます。ほんと助かりますよ、物分かりの良い方で」
「お忙しい中、案内ありがとうございました。私はこれで失礼します。もっと修行してまいります」
「そうですか。でも、うちには来ないでくださいね。絶対、お相手しませんから」
「戦いを望まないものに剣を向けるなど恥ずべき事、そんなことで私は名を汚したくはありません。二度とここには来ません」
「ありがとうございます」
「宮本様にお会いできてよかったです」
「ご自分を大切にしてください。ここの土地は痩せているため生産性が低く、住民の生活は常に厳しい。冷害、飢饉、何かあれば死者が出ます。皆が悲しみにくれます。仕事上、たくさんの悲しみを見てきました。どうか無駄な殺傷はなさらないでください」
私の中に熱いものが込み上げてきた。自分の腕のことばかり気にかけて意気込んでいた私、なんとちっぽけなことか。
 私は一礼し、帰路に就いた。雷山の風が私の背中を押した、ここから早く出ていけと。


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