あはれの彼方

宮島永劫

文字の大きさ
上 下
2 / 15

安永九年 真固度村の人別改

しおりを挟む
 安永九年(一七八〇)、六年ごとに行われる人別にんべつあらための任を受けた祖父・宮本啓一郎と父・宮本慎一郎は山田藩のさいての管理地である真固度まこどむらに入った。二人に命じられ初めて入る真固度村、十一歳の私・宮本こう一郎は緊張していた。真固度村は小さな村落で背後は深い森、左右は断崖絶壁、前は海だ。森と海の境の狭い土地に粗末な家が三十軒ほど並んでいた。降り注ぐ太陽の光、ゆっくりと寄せては返す波、砂浜で笠をかぶったたくましい男たちが棒の先に平らな木の板をつけた道具で砂を平たんにならしていた。
「とてもきれいですね、きらきらしている」
私は感嘆した。傍らにたたずむ女性は嬉しそうだ。
「恒一郎様、きらきらしているのは何だと思いますか」
「塩でしょうか、ここは塩の産地と曾祖父と祖父から聞いています」
「正解です、この真固戸村の塩はお上に献上しているんですよ」
優しそうな女性は自慢の塩の作り方を話し始めた。まず塩田の掃除で藻屑、貝殻など余計なものを拾う。次に道具で砂を平たんにならし、そこに海から運んできた海水をまき、風と太陽の熱で乾かす。水分が蒸発したころに表面の砂を桶に集める。網、布の順で仕掛けたろ過装置を用いて集めた砂を海水で洗い流して濃い塩水を取り出す。村内にある高温の温泉に塩水を入れた釜を置いて熱にさらす。しばらくすると水分が飛んで塩の結晶が出てくる。
「ここまでの作業でも十分なのですが、お上に献上するものは炭焼き小屋まで持っていきます」
優しそうな人は得意げに語る。
「私どもは小さいながらも炭焼き小屋を持っており、炭を作るために火を焚いております。それを利用して塩を乾燥させます。この時は細心の注意が必要で職人は塩につきっきりになります。その塩は少し炭の香りがします。ここでできた塩は評判が良くて料理の調味料として献上されます。聞いた話ですと塩本来の味を楽しむ方がいらっしゃるそうです」
「すごいですね、評判の献上物なんだ」
優しそうな人は頬を染め微笑んだ。
「それなりに世間では噂になったようです。大坂、近江、伊勢、江戸、各地から取引をしたがる商人がここへ来ようとしたそうですが、途中にあるかみなりやまを越えられなかったようです。それに、たとえお願いされてもお断りすることでしょう。真固戸村は小さな村で大量に生産できるような施設はありませんし、人もおりません」
「では、もっと人に住んでもらったらどうですか? こんなきれいなところ、私は住みたいです」
優しそうな人は私をじっと見つめて微笑んだ。
「恒一郎様、ここはね、毎年台風で流されます。恒一郎様の滞在するこの三日間の天気は大丈夫ですが、四日後の天気は分かりません。天気は経験によって予測しています。湿気、風向き、波の形、雲の流れ、鳥の羽ばたきなどから大雨や暴風、台風が近づいていることを察します。台風が来るとなると大急ぎで舟を大きな木に縛りつけ、塩を作る桶や釜などの道具を海に流されないよう山の方へ移動させます。その後に必要なものだけ背負って山の中の炭焼き小屋や観音堂に逃げます。台風が過ぎ去った後はそりゃあひどいもんです。家はすっかり波にさらわれ、木は風でなぎ倒されます。本当にひどい時は舟が大波に飲み込まれてしまいます。台風が過ぎ去った後は家を元に戻すこと、掃除、食べ物の確保に費やします。三年前の台風の当たり年では三度も家を建て替えました。毎年すっかり壊されますので、逃げたり、作り直すには少人数のほうがいいんですよ」
自然災害とともに生きるのは難しいんだな・・・。
「恒一郎様、私たち村の者は痩せているでしょう。ここは平らな土地がありませんから米や粟、麦など穀物が作れません。砂地の痩せた土地では十分な食料が確保できません。そのためにも人を増やさないようにしています」
私は役人の子として城下町に住んでいるから食べるものには困ったことはない。藩校で各地の状況を習うが、他の藩では飢饉や百姓一揆の話を聞く。難しい問題だ。
「今は過ごしやすい季節ですが、十一月半ばになると雷山からの冷気で町へ行き来する道が通れなくなり、ここは閉ざされた村になります。厳しい寒さに耐えきれぬ子どもや病気になる長老がおりますため村中が悲しみにくれます。そんな悲しみが多くないほうがよいので人は増やしません。ただ、この厳しい自然を勝ち抜いた子どもは益荒男ますらおとなり、山田藩のお役に立つことが多々あります。足利様の前から、その後、織田様、豊臣様、今の徳川様の世でも活躍しており村の誇りです」
時折、遠くを見て私から視線を外す優しそうな人、柔らかな口調と微笑みの中に悲しみを湛えていた。
「あなたはこの村から出てはいかがでしょう」
彼女は少し驚いた後、おどけて声を立てて笑った。
「ふふふ、恒一郎様、私はね、この村にいます。そうしたいのです、これからもそう」
「でも、台風とかで怪我でもしたら大変です」
「恒一郎様、嬉しいですわ、そう言ってもらえて」
そして付け加えた。
「恒一郎様のような優しい人がいるからこの村を離れられませんわ」

 しばらくすると、村の子どもたちが珍しげに私の周りに集まってきた。私は誘われ岩場に連れていかれた。ちょこまか動く蟹、貝殻の中に引っ込む宿借やどかり、どこまでも清らかな水を素早く動き回る魚が私を虜にした。夢中で追いかけて捕まえては逃がした。海に潜ってもりで魚を一突きにして浮き上がる少年は逞しく、そして美しかった。みんな泳ぎがうまい、この村で生きるため絶対必要な技術なんだろう。まぶしい太陽のもと、海から現れるのは躍動する肉体だった。ここには学問をする寺子屋はないし、勉強するための机がない。そのため文字をほとんど知らなかった。真固度村のことは曾祖父、祖父、お手伝いさんから事細かに聞いてきたが、実際に見ると百聞は一見に如かず、衝撃的だった。

 たくさんはしゃぎまわった後の夕飯、私には物足りなかった。刺身、蒸した真鯛、蛸に烏賊いか、貝、塩漬けの菜っ葉、お吸い物、たくさん用意してもらったのに・・・。物足りない理由はすぐに分かった、ご飯がない、甘いものがない、味付けが全て塩辛いのだ。残すのは申し訳ないので大量の水と一緒にかきこんだ。祖父は町で買ってきた飴や饅頭まんじゅうなど甘いものを女性陣に与えてちやほやされていた。父は険しい山道にもめげず持ってきた酒を目上の人に振る舞っていた。こんな楽しそうな二人を見たことがない。日頃は厳しい祖父と物静かな父だが今夜は全然違う。お茶目な二人、どっちが本当なのかさっぱり分からない。

 家から少し離れた場所に村の共同温泉がある。大きく掘った穴に石を敷きつめた簡素な作りで、近くの熱湯の湧きだし口から湯を流している。昼間、仲良くなった弥七と八兵衛に誘われていっしょに入った。夜空を見上げ、波の音を聞きながら入る温泉は子どもながら風情を感じた。弥七と八兵衛は町の話を聞きたがった。二人とも町に行ったことがないようで情報に飢えていた。私も誇らしげに町の風景、学び舎、町人の住む長屋など事細かに説明した。同年代の子と話すのは面白く、ご機嫌になっていたのだろうか、長時間湯に浸っていたら女性陣が入ってきた。私は目のやり場に困り、弥七と八兵衛をじっと見つめた。女性陣は私のことでクスクス笑っているようだ。女性の笑い声が恥ずかしくて声を張り上げて藩校で学んだ算術のことを話した。あぁ、クラクラしてきた。弥七と八兵衛はろれつが回らなくなった私を湯から引きあげた。その後、二人に抱えられたところまでは覚えている、なんで二人とも平気なんだよ・・・。
 気づいたら寝床にいた。喉がカラカラだった。傍らに座ってウトウトしているのは昼間の優しそうな人だった。私の横にずっといてくれるとは、優しそうな人ではなく優しい人なんだ。かすかに潮の香がする、さざ波の音が心地よい。渇きに耐えられず声をかけた。
「すみません、お水をいただけませんか」
月明かりが差し込む夜、優しい人は目をあけた。穏やかに優しく
「こちらにありますよ」
と湯呑を差し出した。ごくごくと飲み干すと、すかさず嬉しそうに二杯目を用意してくれた。私は宮本家の養子、母を知らない。藩校の友達の数馬の母上は赤ん坊と寝たきりになった義父の面倒でいつも大変そうだった。孝三郎の母上は裁縫が上手で、その技術を町の若い女性に教えるため絶えず忙しくしていた。友達の母親とは違い、優しい人は穏やかでゆったりしている。こんな人が母だったら・・・。
「恒一郎様、この村はね、恒一郎様のご先祖様とずっと関わりがあるんですよ。遠い昔の宮本様がお上に塩を献上することを勧めてくれたんですよ。おいしいと評判がよく、きちんと献上していますのでお咎めは一切ありません。享保のころ、各地で飢饉が発生しましたが、飢えを凌ぐために広まった甘藷栽培も宮本様が教えてくれました。今では秋に村の者が食べられるだけの収穫を得るようになりました。六年ごとに行われる人別改もずっと宮本様が行って下さいますので安心です」
先祖の話を聞いて私は誇らしかった。
「町から真固度村へ来るときに雷山を通りましたよね。山道の管理はうちの村の者がやっております。昨夜過ごした山小屋もうちの村のものが管理しております。雷山は名前の通り雷が頻繁に落ちます。その威力は岩をも砕きますため大変恐れられています。そして、その威力により不浄なものに制裁を加え、浄化するとされています。年がら年中、雷によって雷山自体が清められておりますため、雷山は清く尊いと信じられております。山田藩の住人の皆さんが雷山を『雷様かみなりさま』と呼んでいるのもこの浄化力に守られて日常を平穏に過ごせていると信じているからでしょう。お伊勢さんのおかげ参りの影響もあって、ここ数年は宮本様が管理する雷山神社まで参拝しに来る人がいるようですね。飢饉もあり何かにすがりたい人が来ると聞いております。ただ、不浄なものは雷山にいらっしゃる雷様が察するようです。雷様がお怒りになると雷が落ち、山道が倒木やがれきで塞がれることがあります。恒一郎様の生まれる前には山小屋に雷が落ちて復旧にはずいぶん時間がかかりました。恒一郎様が無事にお帰りになるまでは雷様の怒りに触れぬよう私どもは心を静め、お祈りしているんですよ」

 町から真固戸村に向かうときに絶対通らなければならない雷山の山道は私にとって恐怖の連続だった。霊山雷山は周りの山に比べ極めて高く尖がっている。細い道、崖の下から吹き上げてくる風、足の震えが止まらない、恐る恐る一歩ずつ進んだ。
「恒一郎様、大丈夫です。恒一郎様は山のみんなに守られています」
恐れて泣きべそをかく私に付き添いの太助は後ろから声をかけてくれた。案内人の平次を先頭に、祖父、私、太助、父、運び屋の宗右衛門の六人の旅だった。夕立を避けるため八ツ半には山小屋に到着するような行程を組んでいた。真固度村に入るには途中の山小屋に泊まらなければならない。その山小屋の宿泊人数は七人と限られている。雷山に入山する際には入山口のある雷山神社の社務所に置いてある記録帳に署名する。平次、太助、宗右衛門は山道と山小屋の管理の他、村からの年貢や生活物資の運び屋をしている。彼らは真固戸村で生まれたが世継ぎではないため町で暮らしている。時々、祖父や父が彼らを屋敷に呼んで話をしている。ひそひそ話すので内容は分からぬがどうやら大人の事情のようだ。逞しい三人は町の世話人で困りごとがあると駆けつけていた。今回の旅で私はどうしても怖い時は太助に手をつないで歩いてもらった。太助は風を察して私を懐に寄せた。どうしてこんなに優しいのだろう・・・。私は男の魅力を彼らから学んだ。
 宿泊する山小屋は風雨を凌ぐだけの粗末なものだった。夕立だ、暗い、雷が鳴っている。本当に怖い。太助に身を寄せた。雷様のわらべ歌を思い出した。
 
   ごろごろごろごろ
   雷様がお怒りだ
   嘘をつくもの
   欲深きもの
   盗みとるもの
   あさましきもの
   雷様が罰を下す
   雷様のお仕置きだ
   風の雷によりさらわれる
   水の雷により溺れ死に
   石の雷により潰される
   気の雷により狂い死に
   雷様を怒らすまい
   雷様を怒らすまい
 
 これは山田藩に伝わるわらべ歌だ。小さいころ曾祖父やお手伝いさんから何度も聞いた。寝ない子、言うことを聞かない子が親に怒られるときに歌われる。理由が分からぬ不思議なことが起きた時にも歌われる。常に雷山はあがめられ、恐れられていた。雷山を御神体とする雷山神社の神職は宮本家が世襲している。今は父がその役を担い、神社を管理している。宮本家は昔から藩主を護衛する番頭ばんがしらの役も合わせもつため、宮本家の世継ぎは守護神にたとえられることがある。祖父は威風堂々として顔つきが怖いから守護神がぴったり合う。その祖父に叱られてばかりの父は穏やかな顔のうえ悲しそうな目をしているから守護神は似合わないとつい思ってしまう。私はいずれどうなるのだろう。

 翌日、太陽が高くなってから目が覚めた。優しい人は縫物をしていた。
「あぁ、すみません。おはようございます。ずいぶんと寝てしまったようですね」
「えぇ、よほどお疲れだったのでしょう。おじい様やお父様は準備できているようですよ。それでは支度をしてください」
傍らにはきれいにたたまれた着物が置いてあった。普段と違い、絹のつぎあてだらけの簡素な着物だった。村の住人になったよう、寝間着みたいだ。その上、丈が短く膝小僧までしかない。役人の子として常に身なりを整えている私には抵抗が大きかった。とはいえ、祖父と父が待っているので着替えるしかない。
 支度が終わり、祖父と父のもとに行くとやはり簡素な着物を着ていた。いつもと全く違う、役人と分かるのはきれいに結わえた頭だけだった。いつもは山田藩の黒い紋付き袴で身なりがきちんとして厳めしいのに、とても他の人に見せられない。
「おじい様、父上、おはようございます、遅くなりました」
「おはよう、あー、ここはのんびりしていてよいなぁ」
祖父はにこにこ笑っている。
「気にしなくてよい。ここに来ると寝坊してしまう、私もだ」
父も寝坊したようだ。簡単な食事を済ませた後、祖父、父、私は家を回り人別改を行った。人口調査である人別改は庄屋や名主がやるものだったが、この村には相当する人物がいないため宮本家が昔からの縁で行っていた。同時に村に異教が入っていないか調べる宗門改もこの人別改で兼ねていた。祖父も父も全部把握していたようでさっさと仕事が進んだ。次に検地にとりかかった。年貢の納める産物の土地を測る作業だ。祖父、父は海岸に出て砂を触って
「米などの産物に適さないこと」
と宣言した。そして、塩田や芋畑では
「六年前と違わず」
と宣言した。次に、山の薪小屋に向かった。そこでも
「六年前と違わず」
と宣言した。長老たちのいる場所に戻ると
「六年前とすべて同じ、よって増税なし」
と祖父は大声で宣言した。そこにいた人はみんな笑った。前に藩校で検地をやってみたが、ここまで雑で和やかでなかった。この村では全て緩かった。多分、ここまでは江戸からの密使が来ないと予測しているのだろう。父はともかく、厳めしいので藩校の学友に恐れられている祖父、町にいるとき、この村にいるとき、どちらが本当の姿なのか・・・、この村は私には刺激が強すぎる。

 子どもは子ども、ということなのか、私は村の子どもたちに手を取られ、昨日と同じように岩場に行った。昨日と違い、動きやすい着物になった私は開放感に溢れ、波とたわむれた。波間の石につまずいたその瞬間、なんだろう、えも言われぬ歓喜が沸き上がった。この懐かしい感じはなんだ? 生暖かい海水、まとわりつく砂、遠い記憶? もっと前、生まれる前から? 
 真固度村に住む子どもにとっては仕事だが、初めての岩海苔集めは楽しい体験だった。三人の女の子が岩海苔の種類、採取の仕方を教えてくれた。私は女の子と一緒に時間を過ごすという経験がなかった。役人の世継ぎを決められていたため、数少ない友達は私と同じような役人の倅だった。宮本家は代々山田藩の寺社奉行所の役人だから幼い頃より文字に慣れるよう研鑽を積まねばならなかった。学びごとが多く、体の鍛錬や武芸以外は室内で時間を過ごすことが多く、話すことは少なかった。家にお手伝いさんはいるが曾祖父、祖父、父、私の男四人の世帯は華やぎがなかった。時々、曾祖父と町を歩いていると女性たちが親しげに寄ってきた。私はいつも恥ずかしくてうつむいていた。知らない人に声をかけることができない小心者だった。町と違い、ここの女の子たちはしなやかな手足を露出し、色黒で溌剌として生命に満ち溢れていた。そして彼女たちは私に興味津々だった。岩海苔集めの最中、町の流行り物、食べ物、遊びのことを聞きたがった。私は流行り物や遊びには全く疎く、話せなかった。話せることと言えば食べ物の他、藩校で学んだこと、町での生活様式だった。この村には井戸がない、道がない、店がない、お金がない、町にある身近なものがない。ここにないものを一つ一つ説明していたらそれなりにたくさんの話ができた。異性とこんなにたくさん話したのは初めてだった。ここの女の子はなんて優しいんだろう、相槌はうまいし、喜んでくれるし。祖父、父のくつろぎはこういうことなんだろうなぁ・・・。突然、最年長らしき女の子が私の集めた岩海苔のザルを取り上げ、
「お風呂、行こ!」
と提案した。みんな、キャーキャー騒ぎ出した。私は何のことかさっぱり分からなかった。えっ、どういうこと? なんだか怖くなって、
「ごめんなさい」
と頭を下げ、家の方に向かって走り出した。女の子の黄色い声が聞こえたが振り向けなかった。ハァハァ息を切らしながら家の方に走っていくと家の前で優しい人が葉物野菜を干していた。
「おや、どうしました? 女の子に誘われましたか?」
ズバリ言い当てられた。答えようもなくしょんぼりしていると、
「恒一郎様、お父様も同じでしたよ」
とさらりと言った。私はなんだかホッとした。
 夕飯は明るいうちに用意された。明日は帰路につかねばならない。歓迎の時と違い、物悲しさが漂っていた。貧しいながらももてなしてくれた料理、どれも塩辛い、やっぱり苦手かも、食事さえなぁ・・・。
 私は優しい人を独り占めしたくて早々に部屋に戻った。優しい人の真固度村の語りに私はいつしか眠りに落ちていた。

 翌日、薄暗い中、食事を手早く済ませ支度をした。ずっと付き添ってくれた優しい人を見た途端、胸が締め付けられた。
「おや、どうしました」
優しい人は支度の手が止まった私に気づいた。
「どうしてこんなふうに思っちゃうのでしょう・・・、帰りたくないんです」
「まぁ、どうしましたかねぇ」
「とても楽しかったんです、とても親切にされたんです、帰りたくないんです」
優しい人はにっこり笑った。
「恒一郎様は宮本家の世継ぎ、きっとまたここにいらっしゃいます。おじい様も、お父様も、ずっとずっと宮本様はこの村とつながっております。また、いらしてくださいな」
「本当? いつ?」
「それはおじい様とお父様にお聞きください。そのためには平次、太助、宗右衛門など真固度村出身の者と仲良くしてください。いつでもお待ちしております」
私は涙をこぼした。すると優しい人は私を優しく包んだ。
「愛しい人ですね、恒一郎様は」

 太助は子どもを背負っていた。町に連れていくという。村の女性たちが背負った子どもの頭をなでていた。おハツさんという女性も一緒だ。おハツさんは十七歳、真固戸村の女性らしく活発で健康そのものだった。おハツさんは自分の荷物と太助の背負う子どもの荷物を背負っていた。宮本家三人は町で売る炭運びを手伝った。士農工商というものがあるため役人が商人、町人の真似をするのはよろしくないことは習った。しかし、この険しい山道で物資を運ぶのは大変な作業であることを理解したし、何より村人から受けた情が私の心を和らげた。あの素敵な人たちのためなら手伝ってもいいやと思った。
 帰宅した翌日、父は村から連れてきた子どもを養子にした。私にいきなり弟ができた。年は五歳、名前は浩二郎、そしておハツさんがお手伝いさんになった。私は唖然とした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あはれの継続

宮島永劫
ミステリー
一人の学芸員が行方不明になった。その学芸員はある美術品を追って片田舎の山田村に入ったらしい。その山田村は財政が健全で、美しい町並み、手つかずの自然が残っている。そこに目を付けた隣の市長・酒井は国から財政優遇措置を受けるため『平成の大合併』という名の侵略を企む。拒む山田村村長・宮本に対し、県知事・柳沢、秘書・柳生、秘境映像を狙うTVディレクター・水野、美術品を狙う学芸員・田沼など欲の深い人間が攻めてくる。祖父の田舎・山田村を守るために主人公・中島良文が立ち上がる。『あはれ』と美術品を巡る青春ミステリー。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

浮世絵の女

オガワ ミツル
歴史・時代
江戸時代の男と、生々しい女達の生き様を書いた、衝撃的な浮世絵の物語です。 この絵は著者が描いたものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

コントな文学『パンチラ』

岩崎史奇(コント文学作家)
大衆娯楽
春風が届けてくれたプレゼントはパンチラでした。

コントな文学『これだからクラスメイトの男子を家に入れたくないんだよ』

岩崎史奇(コント文学作家)
大衆娯楽
クラスメイトの男子を家に入れたくない理由は…

コドク 〜ミドウとクロ〜

藤井ことなり
ミステリー
 刑事課黒田班に配属されて数ヶ月経ったある日、マキこと牧里子巡査は[ミドウ案件]という言葉を知る。  それはTMS探偵事務所のミドウこと、西御堂あずらが関係する事件のことだった。  ミドウはマキの上司であるクロこと黒田誠悟とは元同僚で上司と部下の関係。  警察を辞め探偵になったミドウは事件を掘り起こして、あとは警察に任せるという厄介な人物となっていた。  事件で関わってしまったマキは、その後お目付け役としてミドウと行動を共にする[ミドウ番]となってしまい、黒田班として刑事でありながらミドウのパートナーとして事件に関わっていく。

処理中です...