ホラー短編集

緒方宗谷

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鬼胎

脂虫

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 安達洋介はレストランの厨房でアルバイトをしていた。代わり映えのない、どこにでもあるレストランだ。
 特別美味くはない。不味くはないが、値段に見合わなかった。
 スタッフは高校生と大学生が中心で、バイトリーダー的な立場にいるのは、早々に社会から振り落とされたような社会人。社会人っていって良いのか? 学生に交じってスタッフを取り仕切っている。
 社会人崩れのそいつが作業の出来る逸材だからではない。ただ言いたがりなだけだ。みんな面倒くさいから、それに従っている。それが楽だから。ここはそんなところだ。みんな惰性で働いている。
 そういう洋介も社会人崩れである。だが、社会には出たことがない。十代の頃からギターをやっていて、三十歳を迎えてもなお、メジャーデビューを夢見ていた。
 このレストランはチェーン店であるにもかかわらず、オープン当初からなぜか一人の店長が変わらず受け持っている。普通は一、二年で他店に移動するはずなのに。たぶんここは見捨てられた店なのだろう。聞いたところによると、店の売り上げだけでは社員とアルバイトの給料を賄いきれないらしい。だからアルバイトの人数はギリギリだ。
 足りない時は、他店の社員が応援にやってくる。出退勤システムの打刻は他店持ちで。この店で働かせておいて、給料は所属店舗に支払わせる。その話を初めて聞いた時、洋介は思わず吹き出してしまった。
 でもしょうがないだろう。ここはターミナル駅から離れすぎている。一番近い駅からも歩いて十分以上かかるのだから。
 新宿や渋谷の店が、日商記録を塗り替えたとか、キャンペーン商品の売り上げが関東エリアNO.1だったとかで、度々表彰されて盛り上がっている頃、ここは日がな一日客待ちで過ごしている。
 ある日の朝、洋介が出勤して今日のタイムテーブルを見ると、午前中のキッチンの配置は、店長と自分だけ。他には誰もいない。メイン担当、サイド担当、ウォッシャー担当、最低でも三人いる。洋介はおかしいな、と思いながらも、客が少ないのだからしょうがない、と思った。
 隣の配膳用のタイムテーブルにも二人の名前しか書かれていない。まあ今はタブレットでの注文だから、二人でも回るのだろう。ホールに配置されることのない洋介には、そう思えた。
 店は午前十時にオープンしたが、いつものように客は来ない。勤務中であるにもかかわらず、店長は「たばこを吸ってくる」と裏口から外へと出ていった。そして暫くして表の自動ドアから入って戻ってきた店長は、配膳エリアにスタッフを集めて言った。
「今日は客こないから、掃除しようか、大掃除。
 ホールの井上君と鈴木君は、右端と左端別々に奥の客席から普段掃除しないような細かいところを拭いて回ってよ。
 安達さんは、そうだね…ウォッシャーを徹底的に洗おうか分解しちゃってさ。
 お客さんが来たら、僕が対応するから気にしないで。どうせ来やしなんだから。接客から水やりから調理から配膳からするから、三人は気にせず掃除続けて。特にホール、入店音が聞こえたからっていちいち客前に顔出さなくていいからね、キッチンにも。掃除道具全部準備して、午後のスタッフが来るまで一心不乱に頼むよ」
「はい」井上が返事をした。遅れて鈴木と洋介も返事をする。
「それじゃあ、掃除開始」と言う店長の合図で、井上と鈴木は清掃道具がしまわれたロッカーへと行く。洋介は青いゴム手袋をはめながらウォッシャーへ行って、先にパーツの分解に取り掛かる。上下に取り付けられたプロペラのような散水器具、ゴミを受ける細かい穴がたくさん開いた金網。
「きたねぇな」洋介は思わず声を漏らした。
 普段掃除しているのだろうか。ウォッシャーは、曜日別の清掃箇所に指定されているはずだが、溜められた熱湯はとんこつラーメンの汁のように白濁としている。営業開始時間をむかえたばかりの店のウォッシャーではない。あたかもラストオーダー後の閉店作業を開始したくらいの汚さだ。
 排水用の栓を抜いて、水底に沈んでいた円筒形の金網も取り外す。
 洋介の勤務時間帯では、ウォッシャーを洗うことはめったにない。(こんなに汚かったけ?)と顔をしかめながら、水が抜けるのを待つ。もしかしたら、昨日の晩の〆作業の時、洗っていなかったのかもしれない。
 そう思ったのも束の間、絶対に違う、と思い返した。水が抜かれて露わとなった水槽部分は、辺り一面カルキの層に覆われている。ステンレス部分が全く見えないほどであった。普段から洗っていないのは明らかだった。
「くっせーな。なんだこの匂い」洋介の顔がゆがむ。
 グリストラップとも違う。グリストラップとは、ウォッシャーから流れる排水から油汚れや残飯を濾す廃水槽に溜まるうわばみや澱の事。灰色と茶色に汚濁した液体が渦を巻いて混ざり合って、水面には微妙に泡立つ膜を張っている。強烈な腐敗臭があって、誰であっても吐きそうになるほどの廃棄汚水だ。
 洋介は、スポンジのザラザラした面で何度も擦ってカルキを落としていく。
(何だろうな。この微かな臭い。たとえらんねーけど、どこの厨房でもいつも嗅ぐ臭いだ)
 あらかたカルキを落とした洋介は、ウォッシャーの内部を見上げた。
「ん?」思わず声が出る。
 ウォッシャーの奥には壁があって、左右にレールがついている。そのレースの溝に沿ってはめ込まれた上げ下げするカバーがついていて、その箱型のカバーが閉められるようになっているのだが、なんか変だ。
 カバーで囲われているので薄暗くてよく見えないが、レールの溝が何かに満たされている。上から下まで。
 洋介は、ゴム手袋をはめた指を伸ばしてみた。
「なんだ?」
 ゼリーみたいな感触だが、だいぶ弾力がある。それでも脆く、簡単に掬えた。指に乗せたそれを見ていると、みるみる間に溶けていく。洋介は気持ち悪くなって、その溝の上部に人差し指を突っ込んで、下まで一線引き落とす。
 えぐり出されたそれは、ショッキングピンク色の雪の結晶の粗悪品みたいな模様交じりの半透明の物体だった。スライムと言うか、歩道に植えられた並木の幹に湧いたブヨブヨする物体にも見える。
(これ赤カビか? こんなので洗った食器で良く食えんな。俺二度とまかない食わねー)
 洋介は心にそう誓って、ブヨブヨする物体を指でそぎ落としていく。下部まで下ろした指をまた上にスライドさせた時だった。何かが動いた。(ゴキブリか?)と思った洋介は、ウォッシャーのカバーに頭を突っ込んで、左側のレールに接続した部分のそばで動いた何かを目で追う。でも暗くて見つからない。そもそも、奥の壁のレールを通す部分はコの字型の覆いがついていて、“コ”の内側が見えない。
 背を仰け反らせて顎を左肩に寄せ、後頭部をもたげる。その瞬間、ゴキブリのおしりが引っ込むのが見えた。まだお尻は見えている。洋介は掻き落としてやろうと思って、無理やりに右腕を左の覆いのほうに上げていって、慎重に指を伸ばした。そして、潰す勢いでもって指で引っ掻く。
落ちた。
「やった」と唸って、カバーから頭を出した洋介は、水槽の中に落ちたゴキブリを探す。だがいなかった。そこに蠢いているのは何だ? 洋介は息を飲んだ。白濁とした塊がそこにある。いやあった。みるみる間に溶けてなくなった。

つづく

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