ホラー短編集

緒方宗谷

文字の大きさ
上 下
13 / 35
鬼胎

3

しおりを挟む
 そんなことできるわけがねー。俺は我に返った。沙織をバラバラ死体になんて出来ねーよ。スマホをいじっている時以上に集中し没頭していた。沙織に視線を向けると、浴室の前の廊下に転がっている。
「やっぱ捨てるっきゃねー」この周辺のカメラの位置を思い出そう、と躍起になった。「駅の方はだめだ。やっぱり玲奈んちのほうか」この辺りは閑静な住宅街で、カメラは設置されていない。商店街に面した場所は町内会のカメラが電柱についていたが、ここは大丈夫だ。三階建て以上のマンションもないようなところだし、繁華街から離れている。
 俺は沙織にブーツを履かせながら、事故で死んだことにすればいい、という結論に思い至った。それもみんなの前で。昔テレビで見たことがある。絞殺体は、首にその痕跡が残るって。だから、飛び降り自殺と交通事故死とかはダメだ。溺死も論外。近くに隅田川が流れているが、川に沈めてもどざえもんにはならない。見つかって引き上げられても綺麗な死体のまま。あれは生きているやつが溺れるから、水をたらふく飲み込んでパンパンに膨れるんだ。既に死んでいる沙織は、綺麗な死体のままなはず。
 肩を組んで立ち上がった後、投げ捨てたスマホのことを思い出して、またしゃがむ。拾ってそれを沙織の胸ポケットに入れた。そして思い出してクローゼットに向かい、俺のマフラーなみに長いスカーフを手に取った。沙織の首に巻きつける。玄関のドアの前で深呼吸して息を整える。大丈夫だ、いける。酔った彼女を介抱しながら家まで送っているように装えるはずだ。そう心に言い聞かせて、俺は外に出た。
 帰宅ラッシュは下火になりつつある駅のホーム。「大丈夫? 沙織? 吐くなよ。もうすぐ家につくからな」と、俺は、そばのサラリーマンに聞こえる程度の声で、定期的に繰り返し言う。誰もが俺を訝しげな眼で見ているように思えた。
 電車は空いている。長椅子の隅に沙織を座らせて、右に傾けて手すりにもたれさせる。幸いアルミパイプの手すりだ。最近よく見る壁型ではない。運がいいぞ。俺は思った。周りの様子を窺いながら、手すりにスカーフを引っ掛ける。つなぎ目を探して、上手くひっかけた。
 突然、「クスクスクス」と言う嘲笑の声がかすかに聞こえて、その声の大きさとは裏腹に、俺は度肝を抜かれた。心臓が握りつぶされたかのようにきゅう、っとなった。俺は固まって、声に耳をそばだてる。
「見てあの女」男の声がした。「すっげー白目向いて寝てる。八割開いてる」「本当だ」もう一人の男が小声で答える。続けて「すっげー美人なのに台無し。口閉じろよ、くっくっくっ」
 ずっと見てたのか。早く降りちまえよ。そう思うと同時に、この電車はぐるぐるエンドレスだから、とも思った。それだけで救われる。落ち着け。落ち着け。慎重にやるんだ。時間はたっぷりある。二人組の男は三駅先で降りた。
 俺は体を沙織に密着させて、見えないように右手で彼女の腰を前に押した。少しずつ少しずつ上半身を引きずり下ろそうとした。だいぶ時間が経って、爆睡しているような格好になった。俺は看病するふりをして、沙織の顔を覗き込む。右目の端でスカーフを見やる。まだたるんでいる。そう、俺は、引っかかったスカーフで首が絞まって死んだという事故を偽装しようというのだ。
 車内に視線を戻すと、俺の左前に不自然なサラリーマンがいる。飲んだ帰りなのか、顔が赤らんでいてにやけていた。だらしなくたるんだワイシャツは、腰から半分抜けている。スーツもしわだらけだ。コイツの何が異様かっていうと、すんげー浅く座っている。普通に座った時の胸の位置に頭があった。
 俺は気がついて無性にむかっ腹が立ってきた。だらしない姿勢の沙織の足は中途半端に開いている。無理にお尻を前にずらしたものだから、スカートのお尻側がめくれていた。膝上二十センチ程度のミニスカートだから、パンツ丸見えだ。このクソ親父、沙織のパンツを見ようっていうんだろう。ぶん殴ってやりたい。こんな緊急事態じゃなかったら、裏に呼び出してやるのに。
「う……ううん」右耳にあえぐ声が聞こえた。咄嗟に見やると、苦しそうな表情を浮かべる沙織が、眉間にしわを寄せて宙を見やっていた。すごいしかめっ面で状況を把握しようとしているように。
「生きていたのか! よかった。よかった」俺は無性に涙が溢れてきた。
「秋人……」そう呟いて、沙織がこっちを見る。「わたし……どうしたんだっけ?――」
 覚えていない? こりゃいい。好都合だ。俺は言った。
「沙織が帰ろうとして立ち上がった時に、俺が無理に引きとめたから転んじゃったんだ。頭打ったから病院行こうかって俺訊いたんだけど、『いい』って頭を振って『でも送って』って……」
「なにしてたんだっけ…思い出せない」
 別れ話も覚えていないのか。俺は別れねーぞ。誰にも渡さない。切り刻んで食ってやりたいって思ったほど愛しているんだぜ。沙織、こんな男には二度と巡り合えないぞ。
 沙織の胸がピンピロリン、と鳴った。チャットかメール。沙織は胸ポケットからスマホを出して、画面をいじり始める。「新宿ー」とアナウンスが聞こえた。ここで乗換だ。沙織は東中野に住んでいる。俺たちは立ち上がった。未だにスマホをいじっている沙織の腰に右手を添えて、リードしてホームに降りた。しばらくホームの真ん中に立ち尽くす沙織を待つ。その間、辺りを見渡す。大丈夫だ。ばれていない。沙織も記憶がないし、このまま隠し通せる。
 心なしか、俺を取り囲む帰宅の途に就くスニーカーのサラリーマンたちが、みんなこっちの様子を窺っているように見えた。しょうがないだろう。さっきまで殺人事件を隠ぺいしようとしていたんだ、その余韻で妙に怯えていたってさ。だがもう後の祭りだ。なかったことにできる。別れずに済むんだ。俺は、咄嗟に沙織の首を絞めてしまったことに後悔の念をいだいていた。だが同時に、もしまた別れ話をされたのなら、また殺してやる、とも思った。
 沙織がスマホを胸ポケットにしまって歩き始めた。ピンピロリン、ピンピロリン、と着信音が何度か鳴った。俺は「よく鳴るね」と言った。「うん」と沙織が答える。そして黙った。ピッコロ、と鳴った。いつもと違う音だ。「なんの音?」と俺は訊いた。
「うん…ああ…、お母さん、着信変えてるの」「ふーん」
 ケツのポケットの中で、俺のスマホがバイブしている。それに気がついた俺は何気なくスマホと取った。思わず「げっ」と唸る。二十五通のSMSが届いている。メールが次々と届く。五…六…十…十三…十七…。まだ止まらない。テル着信も三件あって、またバイブし始めた。奇跡だと思って、俺は沙織に見せてやろう、と画面を傾けた。
 その時、右の二の腕を冷たい空気が撫でて、不意に寂しく感じた。心細くて沙織を見やると、そこに沙織はいなかった。後退していくブーツを追って視線をあげる。沙織は、無表情で俺を見つめながら、一歩、また一歩とさがっていく。無性に不安に駆られた。サラリーマンたちが俺を取り囲んで、視線でがんじがらめに縛りつけているようだった。
 ―――俺は……――、ハッとして我に返った。「……」脳が宙に浮く。開け広げられた冷蔵庫の温度が上がって、グオングオン、と音を発てている。
 後ろの沙織を見やる。唇をかむ。全身汗でぐっしょりだ。早く何とかして風呂入りてぇ。何か手があるはずだ。考えろ。考えろ。
 そして閃いた。俺は沙織の両脇に手を引っ掛けて、風呂場に引きずりこんだ。


「そうだ、頭を切り落とさないと――」
 またぐらに供えられた生首を想像した。またゲロがこみ上げてきて、浴槽に急ぐ―――

おわり


    
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

意味がわかるとえろい話

山本みんみ
ホラー
意味が分かれば下ネタに感じるかもしれない話です(意味深)

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

サクッと読める♪短めの意味がわかると怖い話

レオン
ホラー
サクッとお手軽に読めちゃう意味がわかると怖い話集です! 前作オリジナル!(な、はず!) 思い付いたらどんどん更新します!

意味がわかると下ネタにしかならない話

黒猫
ホラー
意味がわかると怖い話に影響されて作成した作品意味がわかると下ネタにしかならない話(ちなみに作者ががんばって考えているの更新遅れるっす)

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

(ほぼ)5分で読める怖い話

アタリメ部長
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

無名の電話

愛原有子
ホラー
このお話は意味がわかると怖い話です。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...